133. 完璧な演技
会場の片付けを終えた使用人たちが、お辞儀をして退室してゆく。
扉が閉じた瞬間、残った人々の中で最初に口火を切ったのはライムだった。
「どうだシルバー。完璧な演技だったろ」
ついさっきまで、儚げに震えていたはずの小さな少女が、今はなぜか胸を張ってふんぞり返っている。
びしりと指を指されたシルバーは、面倒くさそうに肩をすくめた。
「過剰すぎ。あんなの誰も……」
「え!? 演技だったの!?」
シルバーに言わせれば「過剰」な演技を、ステラは完全に信じていた。
身内を裏切るなんて、どんなにつらいだろう……と心から心配していたというのに。
シルバーはそんなステラをあきれた顔でちらりと見てから、はあとわざとらしくため息をついた。
「……あんなの、どっかの単純な侍女しか騙されないよ」
「ひどい!」
「素直に認めろよ、シルバー。ライムお姉さまのあまりの健気さに涙が止まりませんでしたって。なあステラ」
「……え、最初から最後まで演技……?」
「くっ……あはははは、そんなにあたしの名女優ぶりに感銘を受けたか」
あの状況で演技をしていたことや、演技の上手さという問題は置いておいて、なによりもこの切替の激しさが信じられない。あんなにふるふると震えていた姿と、今、大口を開けて笑いながらステラの背中をバンバンと叩いている姿がまったく重ならないのだ。
「よかったじゃないか、簡単にヒトを信じちゃいけないって勉強になって。次はがんばって見破れ」
「いや、次の機会はいらないです……」
正直、こんな偉い人たちばかりが集まっていて、精神がガリガリ削れていく重たい空気の場所には二度と来たくない。
顔をしかめてライムの手から逃れたステラは、逃れた先で今度はシルバーに腕を掴まれた。
「ダイアスと関わる機会なんかもう二度とないよ」
彼はそう言いながら、ステラの指に自分の指を絡ませて微笑んだ。
恋人繋ぎ。……なのだが、ときめきよりも先に「捕まった!」という恐怖が湧いてくるような笑顔だった。
「それに、そんな余計なこと覚えると、せっかく覚えた貴族名鑑の記憶が頭からこぼれるよ」
「……こぼれないもん」
「こぼれるほど覚えてないってこと?」
「全部覚えてる!!」
ステラがキッとにらんで言い返すと、シルバーはそこでやっといつものような笑顔を浮かべた。
「あー、そこの少年少女たち……」
ステラをからかうことで彼の機嫌が良くなるなら、まあいいか……と、ステラが思っているところに、遠慮がちな声がかかった。
「ちょっと、説明が欲しいんだけどさ」
「ヤベッ。いること忘れてた」
「すがすがしいまでに表と裏がはっきりしてるな、君は」
露骨に顔をしかめたライムに、声をかけてきた人物――レビンが苦笑する。
そう、この部屋にはステラたちの他に、なぜかクリノクロア家の二人も残っていたのだ。
「ちなみに、リシア嬢は大丈夫か? 議会が解散したあとくらいからずっと細かく振動してるけど」
あれ、とレビンが示した先では、先ほど旧家の代表たちの前で堂々と振る舞っていたリシアが、部屋の隅で膝を抱え、小さく丸まった状態でカタカタと震えていた。
ちなみに、アリシアが指でつついたり呼びかけたりしているが、今のところ応答はゼロだ。
シルバーはその丸まったリシアをチラリと見てから、小さく頷いた。
「ああ……大丈夫。スイッチ切り替えてたあいだ、無理やり抑えてた緊張とかいろいろが、スイッチ切れて一気に押し寄せてるだけ」
「……それは大丈夫なのか……?」
「よくあることだよ」
よくあるってのもどうなんだ……ともっともな感想を漏らしながら、レビンは視線をこちらへ――ステラに戻した。
「それはとにかく……ステラ。どうしてこんなところにいるんだ」
まあ、そうきますよね……と、思いつつ、ステラはすました顔を作る。
議会は解散したのに、レビンがわざわざここに残っている理由などひとつしかない。
ステラだってそれはわかっていたため、本当は解散と同時に会議室から飛び出したかったが……ヨルダの侍女兼護衛である立場上、主人が国王への報告を終えて戻ってくるのを待たなければならなかったのだ。
「……ステラとは、どなたのことでしょうか」
「俺がかわいい娘を見間違えるとでも? それに、さっきそこのダイアスの子が『ステラ』って呼んでたし」
たしかに、先ほどライムがはっきりと「ステラ」と呼んでいた。
「……聞きまちがいでしょう」
「ついでに、シルバーはステラ以外の子にそんなにくっついたりしない」
「シルバーさんは誰にでもベタベタですよ」
「心外な」
「本人が否定してるよ。――まあそれはそれとして、シルバーはステラから離れなさいね」
威圧感のある笑みを浮かべたレビンに、シルバーがちょこんと首を傾げる。
「なんで?」
「なんでときたか……俺がムカつくからです」
「ふーん、そっか」
いかにも興味ありませんという顔で頷いたシルバーは――頷いただけで、繋いだ手は離さなかった。
レビンはため息をついて腕を組み、「それで」とジトッとした目でステラを見下ろした。
普段怒らない父が、たぶん怒っている。
それに今日のレビンは、いつもの見慣れた適当な服装と適当な髪型ではなく、シワひとつないきちんとしたジャケットを羽織り、髪も整えている。
――そのせいで、少しだけ怖い。
「レグランドにいるはずのステラが、どうしてそんな恰好で、こんなところにいるんだ」
「……似合うでしょう」
スカートの端をちょこんとつまんで、軽くお辞儀してみせる。
すると、レビンは「くっ」と自分の胸を押さえた。
(あ、いつもの父さんだった)
「そりゃあ世界一かわいいけどさ! なんで安全なはずの場所から飛び出して、敵地のど真ん中にいるんだ! しかも王女様の護衛ってなに!? あっ、それと王女様の呪い解くのに力を使ったって聞いたけど――」
「もう! 一気に言わないでよ! それに、呪いならちゃんと対処できたから大丈夫だよ!」
勢いよくまくし立ててくるレビンに、ステラもつられて勢いよく返す。
――が。
「虫かごひらくの忘れて一日倒れてたくせに」
ぼそっと挟まれたシルバーの一言で、レビンの目が据わる。
「……よし、ステラ。お父さんと一緒に、今すぐ帰ろう」
「やだよ! ――シン! 余計なこと言わないで」
「私はもともと、ステラがここに来ること自体反対してたし。ステラが帰るなら私も帰るよ」
「ほら、シルバーもそう言ってる」
過保護な男が二人、結託してレグランドに帰らせようとしてくる。ステラはがっちりと握られたシルバーの手を振りほどこうと抵抗するが、びくともしない。
「まだ帰んないよ! っていうかシンはまだ帰っちゃダメでしょ!」
「私がいなくても、どうせあとは王女が一人でどうにかするよ。ダイアスの当主はしばらく再起不能だろうし」
「そんな無責任な」
「まあ、じいさんに関してはそのとおりだろうな。見たことないくらいベッコベコにへこんでたし」
「ライムさんまで……」
よってたかって大丈夫だと言うが、そもそもステラここに来た一番の理由は、呪術に興味津々の王弟妃からヨルダを守るためだ。
このあと、王弟妃の査問が行われ、その結果――そしてその後の議会の結果がどう転んでも、きっと王弟妃は二度と呪術が使えないよう行動の制限がかけられることになる。
自身の過去の経験から、呪術について深い知識を持つノゼアンが対応に回るだろうし、そこは心配していない。
しかし、――逆に言えばそれまでのあいだは、まだ危険、ということでもある。
ムッと眉根を寄せたステラの顔を、レビンがのぞき込んできた。
「ステラ。いいか? ただでさえ、ここではステラの立場は危ういんだ。それに、呪術が危険なのはもうわかってるんだろう? 相手は他人の命を平気で使うようなヤツだ。なにを仕掛けてくるかわからないんだぞ」
「なにを仕掛けてくるかわからないから、私はヨルダ様のそばにいる」
「あー、うん、王女を守ろうとするその志は立派なんだけどさ……」
頑なになって言い返すステラに、レビンはほとほと困り果てた表情をしている。
レビンとしては、こんなところから一刻も早く娘を引き離したいのだ。それはステラもわかっている。
(だけど、なんか胸騒ぎがする。まだヨルダ様から離れるのは、早すぎる……)




