132. 『魔術』ではなく、『呪術』
「それはいったい、何の話だ」
問いかけるグラインの声は、カラカラに渇き、細くかすれていた。
「まず、拉致の際にダイアス製のスタンガンが使用されています」
リシアは答えながら、持っていた資料の束の中から一枚を抜き出して、全員に見えるように掲げる。
そこに描かれたスタンガンの図案は、たしかにステラがサニディンの倉庫で目にした小さな機械と同じ物に見えた。
「この製品は、騎士団や王立軍において、主に対精霊術士を想定して訓練に用いられているものです。一般にはほとんど流通していないものですが、事件の実行犯は、これを『便利な武器だ』という説明だけ受けて渡されたそうです」
この他にも――、と、リシアはいくつかの装置の図案と、それがどのように使われたのかを丁寧に説明していく。
それらはどれも非常に高価で、一般市民が気軽に扱うような代物ではなかった。
「また、どちらの実行犯も『ダイアス家の使い』を名乗る人物からそそのかされ、事件を起こすように誘導されていたと証言して――」
「もういい」
淡々と続くリシアの言葉を途中でさえぎり、グラインは片手で自分の頭を押さえた。
「もう十分わかった。……この調査をしたのは、君か、クレイス」
リシアがチラリと視線を向けた先で、クレイスが「はい」と、はっきり頷く。
その肯定を受けて、グラインは魂ごと落としてしまうのではないかと言うくらいに深いため息をついた。
「……ミネットが、ダイアスの名を利用して、ユークレースの人間を害し、そして奴隷を買い集めているということか」
「残念ながら、仰るとおりです」
「……そうか」
そのまま黙り込んでしまったグラインを気にしながら、隣にいた息子のカルクが遠慮がちに口を開いた。
「クレイス殿下が自ら調べられたとおっしゃるのなら間違いはないのでしょうが、……その、王弟妃殿下が奴隷を集めているというのは、なんのため……なのでしょうか」
「呪術を使うため、だと思われます」
それに答えたのは、リシアでもクレイスでもなく、ヨルダだった。カルクは戸惑った表情で首をかしげる。
「『魔術』ではなく、『呪術』ですか?」
それもそのはず。ステラはクリノクロアの呪いやユークレース家の件があったせいですっかり呪術が身近な存在になってしまっているが、そもそも呪術など、普通に暮らしていたらまず関わることなどない。
ステラ自身、少し前までは物語の中だけのものだと思っていた。
「はい。私はそう考えています」
ヨルダは大きく頷いてから、ほんの少し瞳を伏せた。
「私は数日前まで体調不良のため療養しておりました。……事実が与える影響の大きさを考慮して、詳しい理由は伏せておりましたが。――本当の理由は、呪術をかけられたためです」
呪いが発動した直後にステラが精霊たちを解放したため、それほど大きなダメージはなかったが……。それでもあれは明確に、ミネット王弟妃がヨルダを標的にした呪術だった。
これには、さすがのフレイム国王も目をみはっていた。
ヨルダはほんの数日前に長男の侍女に命を狙われたばかりだというのに、さらに呪いまでかけられていて――しかも、犯人は己の義妹だというのだから。
「つまり、……かの方は、連れてきた奴隷の命を使って精霊を捕らえて、呪術を使おうと……いえ、使っているということですか」
「そう考えています」
「そんな……」
カルクは悲嘆の混じった目でライムを見た。
ミネット王弟妃はクレイスの母親。――つまり、自分の娘が婚約している相手の家の主が、ダイアスの名を悪用したうえに呪術にまで手を染めていた。
人身売買は国内で禁止されているうえに、他人に魔術や呪術を使わせることに至っては、どこの国であっても完全なる禁忌である。
そして――。
「本当にこの王宮内で呪術が使われているのならば――」
フレイム国王が、口を開いた。
悲嘆に暮れているのはグラインやカルクだけではなく、彼も同様だろう。
しかし彼はこの国のトップだ。事実を明らかにする責任がある。
「クリノクロア卿。あなたたちは、ここに来てからなにか異変を感じ取っていないだろうか」
――呪術が本当に使われていたならば、クリノクロア一族の呪いが発動している可能性が高い。
ここに集まっているのは旧家の中心人物たちだ。したがって、クリノクロアの呪いのことは、詳細に、とまでは言えなくとも、全員がある程度知識を持っている。
全員の視線が、フェルグとレビンに集まった。
フェルグは短く瞑目したあと、静かに告げる。
「……王宮内を散策させていただいたとき、そういった精霊たちの気配を感じる場所があることを、私と愚息の両名で確認しております」
「その場所は」
「王弟殿下の私邸周辺です」
「そうか……」
フレイム国王は「やはり」という表情を浮かべ、こめかみに手を当てた。
ハイネ王弟死去後、ミネット王弟妃がフレイム国王に根拠のない誹謗中傷を浴びせたとき、本来ならば彼女に下るはずの処罰を恩赦としたのは、他でもないフレイム国王自身だった。
しかし、今回はその罪が重すぎる。
恩赦云々というレベルはとうに越え、ミネット王弟妃だけでなく、国内外の非難が王室全体にも波及するのが容易に想像できてしまう。
「魔術によって縛られている精霊は、術者の周囲にいる人間の精神を蝕んでいくもの。王弟妃殿下は、もちろんすでに影響下にあると思われますが……」
頭を抱えている国王を脇目に、フェルグはゆっくりとした口調で話し続ける。そして、完全に失意に沈んでいるグラインに顔を向けた。
「私が見たところ、グライン卿、あなたも影響を受けている」
うなだれていたグラインが、その言葉に反応してゆっくりと顔を上げる。
「私が……精霊の……?」
「もしもあなたが正常な判断をできる状態だったなら、こんな茶番を引き起こすことはなかっただろう」
――茶番。
そうつぶやいたグラインは、悄然と肩を落として両手で顔を覆った。
フェルグは小さなため息をついてからフレイム国王に向き直り、言葉を続ける。
「陛下。一度この議会は畳んで、王弟妃殿下の査問をされるべきです。……ですが、王弟妃殿下の状況によっては直接お会いになられるのは危険かもしれません。精霊の加護を持つ、ユークレースのどなたかに同席して貰った方が良いでしょう」
フレイム国王は、額に世の中の全ての苦悩を刻み込んだようなしわを寄せ、息を大きく吐き出しながらうなずいた。
「……わかった。本会議は一旦ここで終了する。――しかし、ミネット王弟妃の査問後、その対処について皆の意見を聞きたい。全員、再び招集をかけるまで王宮内で待機しておいてほしい。……ホーリス、日程の調整を」
「かしこまりました」
「……クレイス、ヨルダ。別室で詳しい報告を受けよう。――それとノゼアン。査問に同席してほしい。報告を受けるのと一緒に、査問の詳細も詰めたい」
国王は解散を告げたあと、クレイス、ヨルダ、ノゼアン、そしてホーリス補佐官の四人とともに会議室の続き部屋へと移動していった。
その他の参加者たちは、力なく座るグラインをちらちらと横目で見ながら、言葉少なに部屋から出ていく。
そして、そのグラインも息子に支えられながら、ふらつく足取りで退室していった。
――その間、グラインはライムと一切目を合わせることはなかった。




