131. 「その小娘」
「ラ……ライム?」
自分の目が信じられない――という表情で、グラインがかすれた声で呟いた。
そして、混乱で青ざめた彼の顔は、事態を飲み込むとともにみるみる赤く色づいていく。
「――ライム! お前……、お前、なぜそこにいるんだ!!」
雷のような怒鳴り声が響き、ライムがビクリと身を震わせた。
今日の彼女は、シンプルなドレスに身を包んでおり、髪型も以前ホーンブレンで会ったときのキノコのような形態ではなく、きちんと編み込んでまとめている。ステラよりも小柄な少女は、そういう格好をしているとひどく儚げに見えてしまう。
一方で――。
そんなライムを怒鳴りつけているグラインは、歴代のダイアス家当主の中でも最も優れた手腕と強引さで富を築いた人物であり、一族の頂点に君臨する、絶対的な支配者のような存在らしい。
いくら覚悟を決めているとはいえ、幼い頃からその背中を見上げて生きてきたライムにとって、そんな相手に歯向かうのはとてつもなく恐ろしいことに違いない。
――しかし、それでもライムは、緊張と恐怖で血の気を失った顔色のままグッと歯を食いしばり、顔を上げてまっすぐに自分の祖父を見返した。
「なんだその目は……! 王族との交流は先々役に立つかもしれないと思って、王女との交友も許していたというのに……。これからのダイアスを背負おうという者が、よもやその小娘の甘言にそそのかされるとは!」
「父上、落ち着いてください! 国王陛下もいらっしゃるんですよ」
今の「その小娘」というのは、もしかしなくてもヨルダのことを言っているらしい。
国王の目の前で、その娘である王女を小娘呼ばわりというのはさすがに暴言が過ぎる。
隣にいた気の弱そうな男――グラインの息子で、ライムの父であるカルク・ダイアスが、慌てた様子で父親をなだめようとするが、「黙れ!」と一蹴されてしまう。
――と、そんな混乱した空気を切り裂くように、冷たく、静かな声が響いた。
「黙るのはあなただ、グライン・ダイアス卿」
それは、今まで事態を静観していたクレイスだった。
その声に、興奮状態のグラインもハッとした顔を彼に向ける。
――決して大きな声ではなかったというのに、一瞬で全員の視線を攫ってしまった。さすが軍を率いる人間である。
「ここは議論を行う場であって、声を荒らげ他者を一方的に叱責したり侮辱したりする場所ではありません。わきまえていただきたい」
「この……!」
クレイスの口調は落ち着いていたが、有無を言わせない威圧感――むしろ殺気に近い剣呑さを含んでいた。これにはさすがのグラインも怯んだらしく、グッと言葉を飲み込む。
(クレイス様、これ、たぶんヨルダ様を小娘呼ばわりされたから怒ってるんだろうな……)
ヨルダに心酔している彼のことだ。混乱をおさめるとか、怒鳴られたライムに気を遣ったとか、そういうことの前に、自分が敬愛するヨルダを侮辱されたのが許せないに違いない。
「ご納得いただけたようで何よりです。――では、リシアさん。サニディンにおける調査報告を」
納得――とは、ほど遠い表情のグラインを冷ややかに一瞥したあと、クレイスはリシアに声をかけた。
「はっ、……はいっ!」
緊張と怒鳴り声の恐怖で、今にも倒れそうなくらいに顔色の悪いリシアは、自分の名前が呼ばれたことにビクッとして肩をはねさせた。
ついでに、腕に抱えた資料を落としそうになる。
「あっ、わっ……」
なんとか空中でキャッチしてわたわたと抱え直すリシアの姿は、一瞬で今までのヒリヒリした空気をぶち壊し、代わりに「大丈夫かこの子……」という不安感で塗り替えてしまった。
「ケホッ、ゲホッ……こほん」
そんな不安に満ちた視線を浴びながら、リシアは、せき払い……というよりも、軽くむせたあと、目を閉じて一度だけ大きく深呼吸をした。
そして、目を開く。
「……お集まりの皆様、先ほどヨルダ王女殿下よりご紹介いただきましたが、初めてお目にかかる方がほとんどですので、改めてご挨拶させていただきます」
先ほどまでのあの姿はなんだったのか――。
目を開いたリシアは、まっすぐに顔を上げて、しっかりした声で滑らかに話し始めた。
ステラは彼女のこういうスイッチの切替を何度か見ているが、今の彼女は、普段と違う服装も手伝って、まるで別人のように見えた。
今日の彼女はいつもの地味な黒のワンピースとおさげ、フレームの太い無骨な眼鏡――転んだり落としたりしても壊れにくいらしい――ではなく、緩くウェーブのかかった髪を下ろし、落ち着いた青のドレスをまとっている。
眼鏡っ子なのは変わらないが、ツタの葉の細工が施された細い銀のフレームのもので、はめ込まれた小さな宝石が時折キラリと光を反射していた。
「私はリシア・ユークレースと申します。このたびは我が家門へのヨルダ王女殿下の協力要請に応え、当主、ノゼアン・ユークレースに代わり、私が調査などを主導させていただきました」
リシアが「調査などを主導」というのは建前だ。
実際は、以前からノゼアンとリヒターが調べていた情報と、ステラの祖母、ローズ・クリノクロアから提供された情報をまとめただけに過ぎない。
王族からの依頼に対して、ユークレース家は当主自らが動いたわけではなく、そしてクリノクロア家も直接関わっていない――という体裁を保つため、リシアの名前を使ったのだ。
「ダイアス家ご当主がおっしゃっておられた、ユークレースの『噂』に関しましては、今回の調査計画の一環として、こちらから意図的に流布させたものです」
「な……!?」
「先ほどクリノクロア家ご当主よりご指摘がありましたが、ヨルダ王女殿下が当家を来訪された時期と、噂が広まり始めた時期が近いのはそのためです」
そこで、「はい」と手を上げた者がいた。
こちらも眼鏡をかけている若い男で、どことなく楽しげな表情を浮かべている。
たしか、あのあたりはディステナ家の座っている場所だったはずだ。
彼の表情からして、ディステナ家は議論に参加しに来たのではなく、議論を観戦しに来たのかもしれない。
「どこからどこまでが、意図した『噂』なのでしょうか」
「ダイアス家ご当主が資料にまとめてくださっている、希少な動植物の密売、精霊術士協会による不当な派遣費のつり上げ、および粉飾行為は、残念ながら事実です。……これら、当家に連なる者が主犯となった不正行為に関しましては、すべて内部調査と関係者への処罰を完了しており、その詳細は随時王宮へ報告しております」
「はは、まあそうでしょうね」
ディステナ家の男はどことなく残念そうに笑い、肩をすくめた。
リシアは彼の言葉に頷いたあと、続ける。
「一方で、サニディンにおける人身売買については、当家は一切関わっておりません」
「……」
「なお、薬品取り引きと魔術研究を足がかりに他国へ軍事力提供――という部分は、噂の流布を早めるために脚色した部分です」
グラインが軽くうめいたが、その先のリシアの発言を遮るようなことはしなかった。
グラインは、ライムから騎士団の調査結果だという触れ込みで人身売買の資料を受け取っているのだ。
そのライムと、騎士団のクレイスがユークレース側にいれば――さすがにライムから「耄碌した」と言われている彼でも、事態を悟るだろう。
「ですが、サニディンの交易船を利用してそのような取引が行われていたことは事実です。騎士団の薬品を横流しし、その見返りとして奴隷を受けとったと見られる取引は、把握できた範囲で三回。送り込まれた奴隷の人数は、合計で八名です」
手元の資料に目を落としていたリシアは、顔を上げて室内の面々を見回した。
「そしてその全員が、王宮のある場所へと連れて行かれています」
「王宮!?」
誰の声かはわからないが、思わず漏れたらしい声が会議室内に響いた。きっと、ほとんどの人は心の中で同じ言葉を叫んでいただろう。
「はい。この取引の主は、隣国の高官と密約を交わすほどの地位にあり、かつ、騎士団の物資を持ち出すことができる人物です」
地位があり、そして騎士団とのつながりがある――おそらく、今ほとんどの人の脳裏に同じ人物が浮かんでいるはずだ。
「……そして、その人物はサニディンで、ユークレース一族の少女を標的にした事件を二件起こしています。どちらも失敗に終わっていますが……。一件は隣国へ連れ去り、人身売買ルートに流そうとした事件。そしてもう一件は、船内に拉致し、船ごと火をかけて殺害しようとした事件です」
一件目はイネスの誘拐で、二件目はステラの拉致。
ステラはユークレースの人間ではないが、犯人の本来のターゲットは「シンシャ・ユークレース」だった。
「……先ほど、サニディンで原因不明の爆発があったという話がありましたが、これは、すでに火が回り始めた船内から、被害者を救出する際に行使した精霊術によるものです。これによって船の設備に損害が出たものの、人的被害はありませんでした」
(ちゃっかり船室の扉消失のことを正当化してる……)
たしかに、シルバーが爆発を起こしたのはすみやかに船内に侵入するためだったし、扉を消し飛ばしたのは鍵のかかった扉を開けるためだった。
他に、もっと穏当なやりようだってあっただろう……というだけで。
「そして」
そこでリシアは一呼吸を置いた。
その青く静かな瞳が、グラインを捉える。
「この、どちらの件も――ダイアス家の関与を疑わせる証言や、証拠が残っていました」
しばらく更新が停滞気味でしたが、ここから王宮編ラストまで駆け抜けます……!
ぜひお付き合いください!




