126.聞き間違いだと
クレイスと話すためにこっそりと騎士団へ向かったステラたちは、目的を達して戻ったところで、仁王立ちして待ち構えていたマールに迎えられ、そのまま二時間に及ぶ長丁場のお説教を受けることとなった。
その後は大きな動きはなく――実際は水面下で様々な、例えばクレイスがミネット王弟妃の周辺を調査したり、といった動きはあったのだが――、平穏のまま数日が経過していった。
そしてついに、ダイアス家当主によって発議された議会の開催を明後日に控えて、十二ある旧家のうち、なんと過半数を占める八家が召集に応じて参集した。
普段は四家も集まれば上々……程度の出席率らしいのだが、それだけ今回の議題への関心が高いということだろう。
その注目の議題は――ユークレース家が行っている「国内各地での物資買い占め等の不当な経済活動」と「王女を利用した王家への反逆計画」の告発。
それを告発するのがユークレース嫌いのダイアス家、というのに加えて、普段は引きこもりっぱなしのユークレースの天敵・クリノクロア家当主がまさかの現地参戦――ときたら、それはもう見逃せないエンターテインメントと言っても過言ではない。
「こういうのって、国の行く末を決める真剣な感じかと思ってたんですけど……そんな『夢のマッチバトル!』みたいなノリなんですか……?」
王位継承者の決定にも影響を与えるような政治の話なのだから、もっと厳粛な雰囲気の中難しい顔をしたおじさんたちが集まってきて、そして王宮内は緊張でピリピリしている……と、いうのがステラの想像だった。
しかし現実の王宮内の空気は、どちらかというと「楽しいサーカスがやってくる!」くらいのワクワクドキドキ感が漂っているのだ。
首を傾げるステラに、仕事机に向かっていたヨルダは肩をすくめた。
「それはそうよ。王宮で働いている人間の大部分はゴシップ好きの使用人たちだもの。たとえ官職に就いていても、位が下の方なら似たようなものね」
「官職の方もですか? 内容次第では自分の仕事に影響が出るかもしれないのに」
「ええ、ユークレースに問題が起こってしまったら国政がどこもかしこも麻痺してしまうけれど……。言われた仕事をこなすだけの人たちは、『自分に火の粉がかからなければいいな』くらいにしか考えていないわ」
「……そんなんでいいんですか?」
「ふふ、もちろん良くはないわね。でも実際問題、真剣なのは責任を負うことになる上層部くらいよ。召集されている旧家だって、当事者であるダイアスとユークレース以外は対岸の火事という感覚だと思うわ。もともと国政とは一線を引いている人たちだし……」
「ええ、まったく嘆かわしいことです」
苦笑を浮かべたヨルダの前に積まれた書類――彼女が運営する商会の報告書だ――を問答無用で書類ケースへと収納しながら、マールがため息をついた。
「国全体として、大体のことはユークレースに任せておけばなんとかなる、という空気があるのは否定できませんね。今回も、王宮内の人々の間には『ダイアスがいつもよりも騒いでいるな』という呆れを含んだ空気を感じますし、みんなあまり真剣には捉えていないのでしょう」
「そうね――ねえマール、まだ片付けないで。チェックが終わっていないの」
マールが持ち上げた紙の束を掴んで引き留めて、ヨルダが口を尖らせる。しかし、マールはツンと顔を逸らした。
「いいえ。今夜はもうお休みください。もうすぐそのダイアスと戦わなければならないのですから、体調面でも万全を期しておかないといけません」
「このくらい大丈夫よ」
「いけません。もしも寝不足でお肌がくすんでしまったりしてヨルダ様が侮られるようなことでもあろうものなら、私は自害する覚悟でございます」
「肌がくすんでいるくらいで侮られはしないし、覚悟が重すぎるわ……」
「この重い覚悟に免じて、おとなしくお休みくださいませ」
「はあ、わかったわ……どうせマールに睨まれていたら仕事にならないし」
ヨルダはがっくりと肩を落とし、反対にマールはご機嫌で机の上の片付けを続ける。
ステラがマールを手伝おうと立ち上がったのとほぼ同時に、部屋のドアがノックされた。――コンココン、とリズムをつけた三回のノックだ。
「あ、ちょうどアリシアが戻ってきましたね」
ステラは手伝いをする代わりに、部屋の入り口に駆け寄って――マールから「リン、走ってはいけません」と低い声と笑顔で注意されたが――戻ってきたアリシアのために扉を開けた。
アリシアは会釈をしてから、スッと音を立てずに部屋に入る。そのうしろでステラが扉を閉めたのを確認すると、仕事をあきらめて長椅子のクッションに沈み込んでいるヨルダの前まで進んだ。
――そして。
「ねーきいてきいて、ヨルダサマの兄ちゃんにナンパされたんだけど」
ヨルダの座る向かいに腰掛けたアリシア――の格好はしているが、足を組んで座る姿は完全にアルジェンだった――は、おかしくてたまらないという表情でそう言った。
マールがすかさず「足を閉じなさい」とアルジェンを叱る横で、ヨルダは深いため息をついた。
「……お願いだから、聞き間違いだと言ってくれないかしら」
「もう一回言う?」
「いいえ、結構よ……。ああもう、自分のところの使用人が襲撃事件を起こしたのだから、せめてひと月くらいは大人しくしているかと思ったのに……」
ヨルダは苦々しく顔をしかめてこめかみをグッと押さえたあと、長椅子の上のクッションをつかんで自分の顔に押しつけ、「信じられない!」とくぐもった悲鳴をあげた。
――ラグナ王子が囲っていた侍女がヨルダを襲撃した……という事件が起こってから、まだ一週間も経っていない。
自分の好色が原因で問題を起こしたばかりなのに、美少女(ただし中身は男だが)を見つけて早速声をかけるとは……どうやらまったく懲りていないらしい。
まだうめいているヨルダを、お気の毒に……とステラとマールが見守るなか、アルジェンはからかうようにくねりとしなを作った。
「ごめんねぇ、ヨルダさま。アリシアちゃんが魅力的すぎるばかりに」
「……あなたは、あなたで、少し黙っていてくれる?」
「あ、でさリン」
「……」
突然話題を切り替えたアルジェンは、クッションの影からジトッとにらむヨルダの視線などまるで意に介さず、まだ扉のそばに立っていたステラに手招きをした。
「ええ……なに?」
「たぶんクリノクロア当主っぽい、ピンク頭の人に会ったんだよ」
巻き込まないでくれと思いながらてこてこと歩み寄っていったステラは、『クリノクロア当主』という単語でピタリと足を止めた。
「え、」
「ピンクって言うよりはだいぶ白っぽかったけど……」
――そもそもクリノクロア当主は今、議会に参加するためにこの王宮に来ているのだから、歩き回っていれば出会うことだってあるだろう。
それはわかっているが……。
「えっと……会ったっていうのは、どういうレベルで……? 言葉は交わした?」
「んー、交わしたっていうか……おにーちゃんにナンパされて、どうしようかなー? 殴っていいかなー? って思ってたんだけどさ」
「いや、殴っていいわけがないでしょ……」
「駄目そうな気はしてた。で、そしたらちょうど近くの部屋から当主様が出てきてさ」
そこでアルジェンはゴホンと咳払いをして、ぎゅっと眉間に皺を寄せた。
「『ラグナ殿下、そちらのご令嬢はヨルダ殿下の侍女ですよ。――それに先日の件もありますので、あまり見境なく声をかけるのは控えた方がよろしいかと』」
おそらく当主の真似をしているのだろう。しわがれた声でそう言ったあと、アルジェンはパッと眉を開いていつもの明るい表情に戻った。
「――って、めっちゃ怖い顔で王子に言ったんだよ。んで、俺には『あなたも早くヨルダ殿下のもとへ戻りなさい』って」
「……ってことは、アリシアちゃんがヨルダ様のところの人間だって知ってるんだ」
きっと部屋から出てくる前から、ラグナ王子の声を聞いておおよその事態は把握していたのだろう。しかし、アルジェンは『静かなアリシアちゃん』のふりをしていたのだから言葉は発していないはず。
それなのにすぐ「ヨルダ殿下の侍女」という単語が出てきたということは、つまりクリノクロア当主がアリシアのことをはっきりと認識しているということになる。
最近やって来たばかりのアリシアのことを、どこまで知っているのか――。
ユークレースの人間だということも、もしかしたらシルバーの弟だということも――?
「そうなると、リンがこちらにいることも、その正体も、すでに知っていると考えるべきね」
やっとクッションを脇に置いたヨルダが、ふむ、と片眉をつり上げた。
「わ、私のこともですか?」
「クリノクロアの情報網は優れているからね。まあ想定内ではあるわ」
「はあ……」
「当主がそれを知った上で、今回アリシアを見逃してくれたということは、リンがこちらにいることを黙認してくれているという見方ができるわね。でなければ、アリシアを人質に……まではいかないでしょうけれど、なにかしら警告を含んだ言付けくらいはしたでしょうし」
「だろうね。そもそも人質はステラの役目だし」
頷きながらもっともらしい口調で続けたアルジェンを、ステラは睨み付ける。
「勝手に変な役目背負わせないでよ」
「あ、そうだ忘れてた。当主のうしろにステラパパがいたんだよ」
「そうやって話を――……え、……パパ……は!?」
「めっちゃガン見されてたからたぶん俺……おっと、『私』のこともバレてるな、あれ」
「えっ、ちょ、え……」
地下牢に入れられていたはずの父が、なぜ王宮に?
アルジェンの言い方からして、レビンはクリノクロア家に拘束されたりしているわけではなく、普通に当主と行動を共にしているのだろう。……それならば、ひとまず大きな怪我や事故に巻き込まれたりして身動きできないということはないらしい。それは一安心だが。
――こんな、ステラにとってはとんでもなく重要なことを、忘れていたとは何事か。
(いや、まあ、最後は八つ当たりだけど……)
八つ当たりかどうかはさておき、ヨルダの言うとおりなら当主はステラやアルジェンのことを承知のようだが、レビンも知っているのだろうか。
……もしも今まで当主から情報共有が成されていなかったとして、アリシアちゃんと出会ったことで現在のヨルダ陣営のあれこれ――具体的に言うとステラが結構危険な立場にいること――に気付いてしまったら……。
「……ヨルダ様、もしも父が騒いでヨルダ様の計画をめちゃくちゃにしてしまったら……申し訳ありません……」
「ちょっと、不穏なことを言わないでくれる?」
「いえ、一応あの人もいい大人なわけだし、大騒ぎしたりはしないと思いますけど……たぶん……」
「大騒ぎになったら騒ぎに乗じて王子様殴っていいかな」
アルジェンが笑顔でかわいらしく首を傾げる。――どうやら、ラグナ王子のナンパは彼のお気に召さなかったらしい。だからといって、そんなことが許されるわけがない。
「ダメです」
「ええ、そうよ」
アルジェンならやりかねない。ステラが眉をつり上げると、ヨルダも大きく頷いた。
「どうせめちゃくちゃになるなら、まずは私が気が済むまで殴るから。アリシアがやるならその後ね」
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