124. 黒寄りのグレー
「……自分の役目?」
目を細めたヨルダが聞き返した。
ステラも首を傾げる。王としての役目ならわかるが、王としての『自分』の役目。――なんだか妙な言い回しだ。
怪訝な顔をしているヨルダに、クレイスは真面目な顔で頷く。
「ええ。僕の役目は、次代を担うに相応しい者へと玉座を渡すことです。その人が現れる時までこの国を守り、維持するのが使命だと思っています」
「……次代?」
ステラはヨルダの肩越しに、ぽかんと口を開けてクレイスを見つめた。
自分が王様になって何をするか、という話が始まると思っていたのに、それを飛び越して次代の話が始まってしまった。
(いやいや、王族の方たちは私たち一般庶民と違って、いつも国の行く末を考えてないといけないんだもん。こういう考え方が当たり前なのかも――)
そう思って、ステラはちらりとヨルダの表情を窺う。
――果たして、美しい王女の顔にはなんの表情も浮かんでいなかった。
侍女のまねごとをしながらしばらく一緒に過ごしているうちに気付いたのだが、ヨルダのこの無表情は、動揺を押し殺して表に出さないよう努力しているときのリアクションである。
(違った……ヨルダ様も引いてる……)
そんなヨルダの様子に気付いているのか、いないのか。渦中のクレイスは微笑みながら力強く頷き、話を続けた。
「そうです。ヨルダ様のご子息であればきっと聡明で、王の資質を備えた人物に育つでしょう」
「…………クレイス、少し待ってくれる?」
「はい、なんでしょうか」
「あなた、自分が王位に就くのは、私の、産まれるかどうかも分からない息子が育つまで繋ぐためだって言っているの?」
「はい」
「……」
一切の迷いを感じさせない即答を受けて、今までなんとか平静を保っていたヨルダも、ついに頭を抱えてしまった。
「……私、あなたがどうしようもなく真面目で品行方正で、おまけにとてもバカだっていうこと、分かっているつもりで分かっていなかったわ……」
「僕のことを理解して貰えて光栄です」
(わあ良い笑顔……)
バカだと言われているのに、クレイスは本当に嬉しそうな笑顔を浮かべていた。冗談や皮肉などではなく、本気で光栄だと思っているのだろう。
(……でもこれ、クレイス様ってもしかして……)
「はあああ……」
脇道に逸れ始めたステラの思考を遮ったのは、ヨルダの大きなため息だった。
「つまり? あなたは、私の腑抜けた兄と愚かな弟には繋ぎですら任せられないから、自分が王位につくつもりだと」
「その覚悟を決めていました」
「……過去形なのは、私が継承争いに参入したから?」
「はい。ヨルダ様自身が王位に就くのであれば、わざわざ次代を待つ必要がありませんから」
「…………期待していただけて光栄だわ」
(……つまり、クレイス様はヨルダ様の支持にまわるってことだよね、これ)
王都へ来る前に周囲から聞いていたクレイスの人物像では、熱心に息子を王位に押し上げようとする母親に唯々諾々と従い、特に熱意もなく継承者候補として名を連ねている――という印象だったのだが。
アリシアの事前情報のとおり、どうやら彼は母親の言いなりになっているわけではないらしい。
しかし、ミネット王弟妃が「はいそうですか」と諦めるかと言うと――。
「光栄だけれど、あなたの母君はどう考えても納得しないでしょう? あれだけ方々に手を回して、どうにか息子を王位に就けようとしているのに、当の本人が『別の人に譲ります』だなんて」
「はは……、まあ、納得はしないでしょうね」
「しないでしょうね、ってそんな他人事みたいな言い方――」
「それはさておき、ヨルダ様は僕になにか言いたいことがあったのではないのですか? わざわざここまで忍び込んできたのは、僕の婚約を祝うためではないでしょう?」
「露骨に話をそらしたわね……。まあいいわ」
ヨルダは半眼でクレイスを睨みつけながら、わざとらしくため息をついて肩をすくめてみせた。
「いくつか確認しておきたいことがあるのよ。……クレイス、あなたはミネット殿下がダイアスの当主と組んでやっている、『あまり表沙汰にできないようなこと』を、どこまで把握しているの?」
「……あまり表沙汰にできない、というのはどういった方面の話でしょうか」
「どういった方面って……心当たりが多すぎるの? ……そうね、主にユークレースに関わる方面に絞りましょうか」
「ユークレースですか……」
クレイスはほんの一瞬だけ不愉快そうに顔をしかめて、「そうですね……」と考え込んだ。
「……主にグライン・ダイアス老が何かと嫌がらせをしていることは知っています。母は王弟妃としての地位や権力者とのつながりを利用して、その後ろ盾となっているようですね。――人を雇ってユークレースの管轄内で騒ぎを起こして物流を滞らせたり、地域の有力者に金を握らせて精霊術士の仕事をダイアスの製品に置き換えたり……」
クレイスが例に挙げた『嫌がらせ』は、まさに先日サニディンで行われていたことだ。ああいった騒ぎは、ユークレースの面々が『よくあること』だと言うくらい頻繁に起こっている。
ヨルダは「その程度なら」と肩をすくめた。
「まあ、営業活動の範疇と言えなくもないわ。やり過ぎ感は否めないけれど」
「営業活動とひとくくりにするには抵抗があるくらい、黒寄りのグレーが多いのは把握しています……」
そう言ってクレイスは精悍な顔を曇らせた。母親のやっていることを快く思ってはいない、という表情だった。
「黒寄りのグレー、ね。……ちなみに、サニディンの精霊術士協会会長の娘を誘拐したことは知っているかしら」
「は……?」
かわいらしく首を傾げたヨルダが放った言葉に、クレイスは目を丸くして何度か瞬きをした。
「誘拐……!?」
「ええ、その子は途中で逃げ出して無事だったけれど、おそらくそのまま連れて行かれていたら、他の国の人身売買マーケットに並んでいたでしょうね」
「そんな――」
「他にも、軍用に開発されたスタンガンを民間人に渡して、ユークレース家の少女を拉致監禁したこと」
(なんと! その拉致監禁された少女が私です)
瞳がこぼれ落ちそうなくらいに目を見開いたクレイスに追い打ちをかけてしまいそうなので、ステラは口には出さず心の中だけで付け加える。
(しかも監禁ついでに焼き殺されそうになったしね……)
そのことを思い出すとふつふつと怒りがこみ上げてくる。結局はっきりとは教えてもらっていないが、あの一件のときにシルバーやリヒターが言ってた『ダイアスの後ろにいる黒幕』というのはミネット王弟妃のことを指していたのだ。
つまり、彼女はユークレースの娘――シンシャを殺そうとしたということ。
ステラがひっそりと怒りを湛えているところに、次なるヨルダの声が響いた。
「最後に、私が知っている中で最も重大な犯罪行為。――ミネット王弟妃は、国外の人身売買マーケットで人間を購入して、魔術を使わせているわ」
「えっ」
思わず声を上げてしまったステラは慌てて自分の口を手で塞いだ。
ミネット王弟妃が呪術に手を出しているのは知っていたが、まさか、人身売買にまで手を出しているとは想像もしていなかった。
同じように、クレイスもそこまでやっているなどとは思っていなかったのだろう。顔から血の気が引いて真っ白になっている。
「……人間を、購入して……?」
ヨルダの言葉の一部を繰り返したその声は、少しかすれていた。
魔術は、精霊の魔力を借りて奇跡を起こす精霊術とは違い、術者自身の生命力を魔力として消費する。
以前ステラのいとこであるアグレルが治癒魔術を使ってみせたが、あれはクリノクロアの秘術で亜空間に魔力をストックしておく、という裏技があるからできる芸当だ。普通の人間であれば、場合によっては生命力を消費しすぎて命まで落としてしまうという危険がついて回る。
必然的に、魔術は精霊術のように人々の間に普及することはなかった。
――だが、それならば他人に使わせればいい、と考える人間が出てくるのもまた必然で――。
遠い昔、ある国が戦場で奴隷や捕虜に魔術を使わせ、使い捨ての兵器のように扱い始めたのを発端として、多くの人々が魔術によって命を落とした時代があり――ステラはそれをおとぎ話だと思っていたが、どうやら史実らしい――、その戦乱が鎮まった後、『本人の意思に反して魔術を使わせること』は世界的に禁じられている。
ミネット王弟妃自身が呪術に手を出して人に呪いをかけること自体大問題なのに、さらに他人に無理矢理魔術を使わせるという禁忌を犯している――自分の家族がそんなことをやっていると聞かされたら、ステラだったら倒れてしまうかもしれない。
「そんな……なんということを……」
「やはり、そこまでは知らなかったのね」
がくりとうなだれたクレイスをほんの少し哀れむような目で見つめ、ヨルダは「そんなところだろうと思っていたわ」と続けた。
「あなたはそんなことを知っていたら、平然とした顔でここにはいられないでしょうし」
「当然です! そんな非人道的な行いは許されない……!」
「ミネット殿下は、妨害されると察してあなたに教えなかったのか、それともあなたには黒い面見せたくなかったのか……」
独り言のようなヨルダの言葉に、クレイスは痛みに耐えるようにぐっと歯を食いしばった。
「……父が亡くなってから、母が怪しげな人間たちと接触しはじめて、隠れてなにかをやっている気配は察していました……正直なところ、驚きよりも、点と点が線でつながったような気分です……」
「奴隷取引に関しては、ダイアスはほとんど関わっていないようなの。おそらくミネット殿下が独自のルートでやっている。――あなたが言う『怪しげな人間』の素性は、ある程度分かっているのかしら」
「いえ……調査をしようとしましたが……国王陛下の姻戚である王弟妃に関わる調査となるので、騎士団長の裁可が必要で」
クレイスがゆるゆると頭を振ると、ヨルダは眉をひそめた。
「――団長から、許可が下りなかったのね」
「はい。……単に僕が怪しいと感じただけで動くことができないのは当然です。ですから、いくつか根拠となる資料は用意したのですが……。もっと確たる証拠がなければ許可はできない、と一蹴されました」
相手が王族となると、騎士団であってもいろいろなしがらみで動けなくなってしまうらしい。クレイスは悔しそうにうつむいた。
そこに――ヨルダでも、クレイスでもない新たな声が割って入った。
「って言ってもー、ちゃんと調べなきゃ確たる証拠は出ないよね? 国で最高レベルの捜査権を持ってる騎士団がそこで足踏みしてたら、誰が犯罪を取り締まるんですか-?」
どことなく馬鹿にするような響きを帯びた声の持ち主は、ヨルダでも、クレイスでも、そしてステラでもなかった。残るは、一人しかいない。
「~~! 静かなアリシアちゃんじゃなかったの!?」
ステラが腕を掴んで小声でとがめると、アリシアからは「飽きた」という信じられない一言が返ってきた。そしてそのままクレイスに向かって続ける。
「黒寄りのグレーなのに騎士団長が捜査を許さなかったってのは、騎士団も加担してるんじゃないかなって考えちゃいますけど-?」
「ちょっ……!」
正直なところ今更感は否めないが、ステラは慌ててアリシアの口を手で塞いだ。そして恐る恐る、クレイスの表情を窺う。
言い方はとてもまずいが――内容は正論ど真ん中だ。
真面目で品行方正なクレイスは、この騎士団長の判断をどう捉えているのか……。
「……そうだな。僕も、そう思っている」
「思ってるの⁉」
素っ頓狂な声を上げたステラは、塞いでおくべきは自分の口だったな――と、またもや今更だが、むっと口を結んだ。




