122. 文句はないわよね?
天井裏は埃っぽく、蜘蛛の巣があちこちに張っていた。しかし、物音を立てる訳にもいかないため、埃も蜘蛛の巣もそのままにして這っていいかなくてはならない。当然ながら、王女であるヨルダも。
ステラの脳内ではマールが「一国の王女殿下がなんという姿で……!」と額に青筋を立てていたが、これはもう仕方がない。
三人は息を潜めて薄暗い天井裏を進み、無事誰にも見つかることなくクレイスが使っている部屋……ではなく、その隣の空き部屋に辿り着いた。
直接クレイスの部屋に乗り込むのではなく、彼が自分の部屋に戻り、なおかつ他の人間が一緒にいないことを確認してから部屋を訪ねていくことにしたのである。
天井裏で待機するという手もあるのだが、「天井裏からのそのそと降りるところを見られたら格好が付かないでしょう?」というヨルダの意見を取り入れた結果だ。
「じゃあ、しばらく待機。珍しく自宅に帰る気分になってなければ、そろそろ戻ってくるはずだよ」
クレイスは昨夜から当番制の不寝番で詰めていたため、今日の昼前には勤務を終え、この部屋に戻ってくるはずだ。
アリシアは一応声をひそめているが、今のところ、クレイスの部屋どころか、廊下からさえも人の気配がしない。
昼間だから――というのもあるのが、元よりこの一角はほとんどが空き部屋なのだ。その空き部屋の一つを、家に帰りたくないクレイスが借りているのである。
屋根裏で付いた埃を払い落としながら、ステラは改めて部屋の中を見回した。
がらんとした部屋は二人用で、作り付けの小さなクローゼットにテーブルと椅子、それと木のベッドが二つずつ並んでいる。
この棟の部屋は全て同じ造りになっているらしいので、クレイスが使っている隣の部屋も、ここと同じく二人部屋のはずだ。
「……けっこう広いけど、一人で使ってるんだ」
広い部屋で贅沢、というよりも、なんだか物寂しさを感じてしまう。
ほとんど独り言のようなステラの呟きを、アリシアが真面目な顔で「それね」と拾い上げる。
「ここってさ、二人用の部屋に一人で寝てると、誰もいないはずなのに隣のベッドから人の寝息が聞こえてくることが……」
「ひっ……! 何で怖い話するの……!」
ステラは大きな声を出しそうになったが、両手で口を押さえてなんとかこらえる。怪談話は苦手なのだ。
「……っ」
悪ふざけだと思いつつも、うっすらと埃をかぶったベッドの方をチラチラと見てしまう。そんなステラの様子に、ヨルダは苦笑を浮かべた。
「ここで昔から根強く噂されてる話ね。……今の騎士団はほとんどの人が二人部屋を一人で使っているから、みんな馬鹿馬鹿しいと言いつつも、完全に無視はできないみたい」
ヨルダによれば、領土争いのような戦いが絶えなかった一昔前には、この隊舎いっぱいに団員がいたらしい。だが、今は当時の半分以下の人数になっている。
現国王が穏健派であり、しばらく大きな戦いが起きていないのもあって、軍事面にあまり力を入れていないというのが一番の理由だ。
現在、国内・国際情勢ともに――少なくとも表面上は――落ち着いている。さらに、いざとなればユークレースが控えているというのも、騎士団弱体化を加速させる要因の一つである。
そんなこんなで、活躍の少ない騎士団に憧れて志願する若者はあまり多くないらしい。
「昔は戦いで亡くなる人も多かったから、騎士団の建物にまつわるそういう話はたくさんあるのよ」
「そういう話……」
生きて帰ってこられなかった人々が、生前暮らしていた場所に現れる……とても悲しい話だ。
――が。
(……怖いものは怖い! 早くここから出たい!)
ヨルダの手前、そんなことは口が裂けても言えないが、一度意識してしまうと、遠くの人の声や廊下のきしむ音など、ちょっとした音でもビクビクしてしまう。
――ギッ
そんなふうに神経を張り詰めさせていたステラの耳が、一つの音を拾った。
ギシ、ギシ……
(な、何か近づいてくる……!)
一瞬『幽霊』という単語が頭に浮かんだものの、すぐに振り払う。
(って、そりゃ隊舎の中なんだから団員さんでしょ!)
怪談話で頭がいっぱいになっていたが、そろそろクレイスが部屋に戻る時間なのだ。
階段を上って廊下を進んでくる足音は二人分で、このどちらかがクレイスである可能性は高い。
アリシアとヨルダも緊張した面持ちを浮かべ、ジッと耳を澄ましている中、となりの部屋の前で足音が止まった。
「……、……」
微かに話し声がしたあと、一人分の足音がステラたちのいる部屋の前を通り過ぎていった。
(ということは、今そこに残っているのが……クレイス公子)
ガチャッと隣の部屋の扉が開いて――誰かが部屋の中に、入った。
アリシアが小さな声で精霊に呼びかける。廊下に他の人が残っていないか、精霊に確認して貰うためだ。
「……よし」
精霊の報告を受けたのであろうアリシアが、虚空に向かって頷いた。そしてすぐに静かに扉を開け、するりと廊下に出ていった。
――コンコン
アリシアがクレイスの部屋の扉をノックする。
それから少し遅れて「はい」と返事が聞こえた。
「どうした、なにか伝え忘れでも――」
「大気よ、音を伝えるな」
「!……」
扉を開け、そこに立つ見慣れぬ人物の姿を見たクレイスが驚きの声を上げるよりも一瞬早く、アリシアの精霊術が発動した。
この術の効果は数秒間だけ。シルバーのように長い時間、広い範囲で、完全に音を遮断することは出来ない。
だから、術が終わってクレイスが再び声を上げる前に――。
「……クレイス」
半端に開いていた扉を押しのけ、ヨルダが廊下に滑り出た。予想外の相手が現れて目を見開いたクレイスの鼻先に向かって、ヨルダはビシッと指をさした。
「話をしたいの。……あなたの時間、少し貰うわ。文句はないわよね?」
お読み頂きありがとうございます!
アリシアちゃん、代名詞を「彼女」とするか「彼」とするか迷って、結局「アリシア」になっています。




