116. メッセージ
丁寧な診察によってステラに『健康体である』というお墨付きを与えたアストは、「では報告してきますから、もうしばらく辛抱してくださいね」と言い残してヨルダの私室から出て行った。
とりあえず今のところは、応接室の方から爆発音などは聞こえてきていない。それに、マールが臨界点を突破して叫ぶ声も届いてきていないので――シルバーが精霊術で音を遮断しているのでなければ――、まだ大きな問題は起こっていないようだ。
そう考えようとしてもそわそわしてしまって、私室の扉から、コンコン、という軽いノックの音が響くまでの時間が恐ろしく長く感じられた。
「リン、ヨルダ様がお呼びよ」
ヨルダの元で働く侍女の一人が顔を覗かせ、「応接室へ来るように、だって」と続ける。
「はいっ」
ステラは待ってましたとばかりに勢いよく椅子から立ち上がり、いそいそと部屋を出た。
応接室はヨルダの私室と廊下を挟んで向かい合っているので、部屋を出たらすぐ目の前だ。しかしその目の前の扉の、その前には――数人の侍女が集まって、瞳をキラキラ輝かせながらステラを待ち構えていた。
「ねえねえ、リンってヨルダ様のご婚約者様と知り合いなのね。後でいろいろ聞かせて。いろいろ!」
「は、はあ……」
侍女たちは興奮気味にステラに声をかけ、うふふと含みのある笑みを浮かべながらそれぞれの持ち場へと散っていった。
いったい、応接室の中でどんな会話があったのだろうか。
ここの侍女たちはまだマシな方ではあるが、それでもゴシップ好きが集まる王宮の中だ。特に色恋の――しかもドロドロした方の話題はとても好まれている。
(婚約中の王女とユークレースの少年。そこに庶民の娘が加わった三角関係……みたいな)
きっとそんな話がどこかに漏れたら、瞬く間に王宮内の話題を席巻してしまうに違いない。そんなことを自分で考えて、頭が痛くなってしまう。
――だが今優先するべきは、目の前の問題だ。シンが切れて王宮を吹き飛ばすか、マールの血管が切れて倒れるかの瀬戸際なのだから。
ステラが深呼吸をしてから応接室の扉をこんこんとノックをする。そして、少し置いてからガチャリと扉を開けたのはそのマールだった。
「……どうぞ」
「……はい」
体の位置をずらし、ステラに中へ入るよう促したマールの目は完全に据わっていたが、まだ血管は切れていないらしい。部屋の中に爆発があったような形跡もないので、一応話は平和的に進んでいたのだろう。
「ここにおかけなさい、リン。それとシルバー、少し内密の話をしたいのだけど」
ソファに腰かけたヨルダは、ステラに向かって、ここ、と自分の隣を手で示したあと、シルバーに目を向ける。
そのシルバーはチラリと一瞬だけステラを見たが、すぐにフイと視線をそらす。そして、ひどく不機嫌そうに眉をひそめた。
「その侍女は。出て行かせないの」
その侍女――マールはシルバーの物言いに少しだけピクリと眉を動かしたが、彼女自身も出て行くべきだと考えているようで、困惑した目をヨルダに向けている。
「ええ。マールにも聞いてもらうわ」
「……声、聞こえないようにして」
シルバーは機嫌の悪さを隠そうともせず、どことなくふてくされたような声で虚空へ呼びかけた。同時に、今まで遠くから微かに聞こえていた訓練場の兵士たちのかけ声がピタリと聞こえなくなる。
「どうぞ」
「ええ、ありがとう。……ほらリン、早く座って」
「あ、はい」
再びヨルダに声をかけられ、部屋に入ったところで立ち尽くしていたステラは慌ててソファに近寄った。――しかし。
(使用人が、主人の隣に腰かけたらいけないよね……?)
今のステラの立場はヨルダの侍女だし、それにヨルダは我が国の王女様だ。それでも、ここにマールがいなければまあいいか……とも思えるが、ステラにとって厳しいマナーの先生であるマールがいる前で腰かけるのはかなり勇気がいる。
(で、でも、ヨルダ様が座れって言ってるんだし……!)
「……失礼します」
ステラは固い決意とともに、えいや、とソファに腰をおろした。――決意をしても、マールの方は恐ろしすぎて見ることができないが。
マールの方を見ることが出来ないステラは、まっすぐ前に座るシルバーに目を向けた。彼はやはりふてくされた様子で、ステラと目を合わせようとしない。
リヒターによれば、この態度は怒っているのではなく、拗ねている、らしい。
そう思うと可愛いよね……と考えたところで、ステラはやっと、そのシルバーのうしろに立つ人がいることに気付いた。
つややかな長い黒髪の、すらりとした美少女だ。
目が合うとニコリと笑顔が返ってくる。その笑顔が、とてもシンシャに似ていて――。
「ア――!」
「アリシアよ、リン。新しく一人来ると言っておいたでしょう?」
「あ…………りしあ」
「……ふふふっ」
一瞬混乱したが、その美少女はどう見てもメイド服を着たアルジェンだった。
シンシャもそうだったが、元々中性的な顔立ちのアルジェンは恐ろしく完璧に女性用のメイド服を着こなしていた。そして、ステラが先ほど彼の存在に気付くのが遅れたのは、アルジェンが気配を潜めて立っていたからだ。
「ヨルダ様、知ってて……!」
「ええ、もちろん。いくらユークレースの紹介だとしても、身元の怪しい人間を入れるわけにはいかないもの」
彼女はこのことを知っていた。
ということは――『その子とは私もまだきちんと会ったことがないのだけれど、綺麗な子らしいから』という台詞は、ステラが、シルバーのそばにいるまだ見ぬ少女にヤキモチを焼く様子を見て楽しんでいた、ということで……。
「……ヨルダ様……」
思わず非難のこもった目でヨルダを見てしまう。しかし当のヨルダは、ステラのそんな反応すら可笑しくてたまらないらしく、くすくすと肩を揺らしていた。
「ふふ、うちの侍女は可愛いわね。ねえシルバー」
「……」
「さあ、今度こそ本題に入りましょう。……まずは、マール」
「はい」
ぽんと手を叩いて話を切り替えたヨルダに名前を呼ばれ、マールが背筋を伸ばした。お茶の準備を命じられると思ったのか、彼女の視線は茶器の置かれたワゴンのほうへ向く。
しかし、ヨルダは真剣な表情で続けた。
「あなたに説明しておかなければね。……私の部屋で昨日、何があったのか」
昨日というその言葉に、マールがハッとした顔をする。
ステラが停止していたのは約一日だった、と先ほどヨルダが言っていた。つまり、それは――。
「私は昨日、呪術による攻撃を受けました」
「……やはり、そうなのですね」
「はっきりと説明できなくてごめんなさいね。誰に聞かれているかわからないから、あまり話すことができなくて」
「いいえ、ヨルダ様の身の安全を考えたら、気安く口に出さないのが正しい判断でございます」
マールはきっぱりとした口調で言い切った。
しかしそこから少しだけ間をおいて、躊躇いがちに視線をステラの方へと投げかけた。
「それでは……あの時にリンが」
呪いを解いたのですか。
彼女はその言葉を口にしなかった。
今この部屋には、声が漏れないよう結界を張っているが、シルバーの実力を知らないマールはそれを信じ切れていないのだろう。
そして、そのシルバーたちが同席しているため、躊躇ったというのもありそうだ。
「そう。呪術を解くことができるのはクリノクロアの血をひく者だけ。……リンは私の商会で働く店員ではなく、クリノクロア当主の孫娘なの」
「――王宮内で噂になっている、あのクリノクロアの、ですか?」
「噂の、あのクリノクロアよ」
ヨルダが頷くと、マールは再びステラを見た。そして。
「マ、マール様……!」
彼女はステラに対し、思わず見とれてしまうような美しく優雅な動きで深く頭を下げたのだ。
「頭を上げてください!」
「存じ上げなかったとはいえ旧家のお嬢様に対し失礼な言動を取ったことをお詫び申し上げます。そして、なによりも――」
頭を上げたマールはそこまで言うと、一度言葉を切り、目を伏せた。
「……かの家の能力は、術者の命を削るものだという話は聞き及んでおります。それでも迷うことなくヨルダ様を救ってくださったこと、感謝の念に堪えません」
「いえ、そんな……」
迷いなく救うのは、それがクリノクロア呪いだからです――と、言うべきかどうか迷ってステラはしどろもどろになってしまう。
そんなステラに、シルバーがため息をついた。
「感謝は素直に受け取っておきなよ。命を削ったのは事実だ」
「えっ、あ、……うん、でも削ったって言っても今回は短い代償ですんだし、一日よく寝たなあくらいで――」
「そういう問題じゃない」
ステラがもごもごと言いつのっている途中で、シルバーが不機嫌全開の低い声を出した。
たしかに短くすんだというのは結果論で、もしかしたら何日もかかったかもしれないのだ。しかも……今回ステラは、術を始める前に虫かごを開き忘れるという致命的なミスを犯している。
「はい……」
「それと、万が一また――こんなことに次があったら本当に許さないけど、とにかくまた力を使うことがあったら、何があっても虫かごを開くのを忘れないでよ」
「ぐっ、……バレてた……」
一応、術が完了して代償が発生する前、ギリギリ間に合ったのかどうか、というタイミングで開くように念じたのだが。
しかし、ステラは誰にも言っていないのに、なぜシルバーがそれを知っているのだろう。
「えーと、ちなみに……」
「精霊に聞いた」
「あう……気を付けます。」
「もしもまた何日も止まるようなことになったら、次にステラが起きたときには、犯人ごとまとめてこの王宮が消え去ってると思って」
「きっ――気を付けます……!」
シルバーなら本当にそれができてしまうし、そして、本当にやりかねない。
ひええ、と身をすくませたステラの返事に、シルバーは微かに頷いてからヨルダに視線を移した。
「脱線した。話戻して」
「……ええ」
ヨルダは苦笑しながら、スッとテーブルの上に一枚のカードを置いた。それはラグナ王子から贈られた花束に添えられていたメッセージカードだった。
「おそらくこれが今回の呪術が発動するきっかけになったものよ。私がこのメッセージを読み上げた瞬間だったわ」
メッセージは『美しき小さな花』。
「この言葉は、王弟殿下がご存命だった頃に……私に贈ってくださった言葉なの」
しばらく毎度おひさしぶりの更新になってしまってすみません……。
ですがいつもいいねなどありがとうございます。とても励みになっています!




