114 豪華な天蓋
目を開けるととても豪華なベッドの上にいた。
「…………」
ステラは一瞬混乱しかけ――すぐにこの豪華な天蓋に見覚えがあることに気付いた。
(な、なぜ私はヨルダ様のベッドを占領しているのでしょうか)
時間が止まった時にベッドの方へ倒れこんだのかも?
――などと考えてみたものの、ステラの体はベッドのど真ん中に横たわっているし、やわらかくていい香りのする毛布がきちんとかけられている。
頭の下にある枕は大きくて、夢のようにふわふわだ。
……どう考えてもこれは倒れたわけではなく、誰かの手で、丁寧に寝かされている。
いつも横から見ていた豪華な天蓋は、真下から見ると軽い閉塞感がある。しかも脇に垂れた布はぴっちりと閉じ合わせられて外の様子が分からないため、なおさら狭く感じてしまう。
まるで閉じ込められているようだ。
(わざと周りから見えないようにしてるのかな。他の使用人に見られたらまずいのかも。……平民が王族のベッドを使った罪、とか)
そんなことを考えながら、ステラは体を起こすために身じろぎをした。
(外に誰がいるか分かんないし、なるべく音を立てないように、慎重に……)
しゅるる……
慎重に動こうとした途端に、上掛けとして体にかけられていた布が、細く高い音を立てながら滑らかな動きで滑り落ちていった。
(わ、私の知ってる布の動きじゃない……)
ステラの知っている布はもっとガサガサしていて、こんなふうにミルクのような滑らかな動きで滑り落ちないし、擦れたときにこんな綺麗に澄んだ高い音は出ない。
きっとこれは上質な、例えば絹とか、そういう――とにかくステラには縁のない――高級な物だろう。
想定外の高音でステラが固まったのとほぼ同時に、天蓋の向こう側からも微かな音が聞こえた。
どうやら、天蓋の外に誰かがいたらしい。――垂れた布に手がかかり、揺れる。
「目覚めたのね! よかった……」
布の隙間から顔を出した人物を見て、ステラはホッと息を吐いた。
「ヨルダ、さま……」
ここは彼女の部屋なのだから当然と言えば当然だが、顔を出したのはヨルダだった。
彼女はステラの全身を、頭のてっぺんからつま先までじっくりと見回し、そして大きく息を吐きながらへなへなとその場に頽れた。
「えっ、あっ、ヨルダ様!?」
ステラは慌ててベッドの隅まで這って行き、床に座り込んだヨルダを見下ろし――かけ、はたとそれが失礼な行為だと気付いて、自分も床に降りた。
「……もう、もう! あなた、本当に心臓が止まっているのだもの……あんなふうに何の説明もなく、ただ『大丈夫』だなんて言われて、はいそうですかと納得できるわけがないでしょう!?」
ベッドのふちに寄り掛かったヨルダは、隣にしゃがみ込んだステラを睨みつけながら捲し立てた。語気こそ強いが、その手は小刻みに震えており、彼女がいかに不安だったのかを物語っていた。
「も、申し訳ありません、説明をする余裕がなく……あっ、それよりもベッドを使ってしまって――」
「『それよりも』ではないでしょう!」
ステラの言葉を、ヨルダはややヒステリックな大声で遮る。それから深いため息をついた。
「……ひとまず、医師を呼ぶから診察を受けなさい」
「医師!? いえ、必要ありません!」
「ダメよ。万が一があっては大変だもの」
「でも、これは……」
「問答無用よ。――アストを呼んで」
うだうだと言いつのるステラを無視して、ヨルダは部屋の入り口に向けて声をかける。静かに控えていたので気付かなかったが、そこにはマールが立っていた。
「……かしこまりました」
ステラと目が合ったマールは、一瞬だけ視線をさまよわせた後、丁寧に頭を下げて部屋から出て行った。
「……あの、ヨルダ様? ちなみにアストという方はどのような方でしょうか」
「アストは私の主治医よ」
「しゅ……!」
やっぱり!! と、ステラは心の中で絶叫する。
王女の主治医などという雲の上の存在に、何の不調もないのにわざわざ足を運んで診てもらう――。
「やっぱり必要ありません!」
「心配しなくても、口は堅いわよ」
「いえ、そういうことではなく……」
困った顔をするステラに、ヨルダは「ああ」と相づちを打った。
「身分だとか、そういうくだらないことを気にしているのね」
「庶民の感覚では、くだらなくはないんです……」
「だからと言って、ここに町医者を呼ぶわけにもいかないでしょう? 我慢しなさい。……あなたが倒れてから、ほぼ一日経っているのよ。ただ眠っていただけだとしても異常がないかは確認した方が良いわ」
「い、一日……」
ステラの心の中に、「一日経ってしまった」という焦りと、「一日だけで済んだ」という安堵が同時に押し寄せる。
(あれ、ということは……)
日が変わっているのなら、既にユークレース一行が王城に到着しているはず――なのだが。
「あの、ユークレースはもう到着しているんですよね?……ヨルダ様、王城へ行かなくても良いのですか?」
偽とはいえ、表向きは婚約者となる相手とその家の当主が、はるばる国王に謁見しにやって来ているのだ。当然当事者の王女はその謁見に同席すべきだし、そもそもそういう予定だった。
その王女がここにいる、ということは、もしかしてなにかトラブルがあって、ユークレース一行の到着が遅れているのだろうか。それとも他に何か――。
「呼ばれたけれど、体調が悪いから断ったわ」
「た、体調が!? まさか呪いが……」
ステラに代償が発生したのだから、呪術は無効化できていると思っていたのだが、もしかしてそれだけではだめだったのだろうか。
真っ青になって詰め寄ったステラを、ヨルダは苦笑混じりに押し戻した。
「なんて顔をしているの。犯人に、呪術が成功したと思わせるためよ。元気に歩き回っていたらまた新しい手口で仕掛けてくるかもしれないでしょう?」
王弟妃――一応今のところは犯人Aとすべきだろうか――がいかに多くの手駒を抱えていたとしても、一国の王女に攻撃を仕掛けるのはリスクが高い。
現時点では十分な証拠がないとしても、何度も仕掛ければいずれどこかでぼろが出てくる。向こうとしてもそれは避けたいはず。
つまり、今回の呪いが成功したと思わせることができれば、少なくともしばらくの間は安全なのだ。
「それに、肝心の護衛役が倒れてしまったわけだし」
「あう、それは申し訳ありません……」
「申し訳なくなんてないでしょう。むしろ、いくら感謝しても足りないくらいよ。呪いがすぐに解けたのはあなたの功績なのだから」
と、ヨルダはそこでハッとなにか気付いて言葉を切り、探るような視線をステラに向けた。
「解けたのよね? あなたが代わりに呪いをかぶったから心臓が止まった……訳ではないのよね……?」
「それは大丈夫です。私の心停止は、呪いとは直接関係ないので」
「そう……それなら良かった……いいえ、だとしてもあなたは倒れたのだから、良くはないわね。ええと、とにかく――」
ヨルダはコホンと咳払いを挟む。
「私は今、襲撃を受けた精神的なショックのせいで寝込んでいることになっているの。お見舞いも全てお断り。しばらくこの部屋には主治医以外来ないから、安心してベッドを使って休んでちょうだい」
そう言われても、このようなあまりにもふわふわスベスベで上質なベッドでは、意識のある状態で横たわっても緊張してしまってちっとも休まる気がしない。
だが、ヨルダは「いいから寝ろ」とばかりにベッドを指さしている。
弱り切ったステラがノロノロと視線をベッドの上に向けたところで、部屋の中にノックの音――ステラには救いの音に聞こえた――が響いた。
「アスト様をお連れいたしました」
マールが開けた扉から入ってきたのは、動きやすそうなドレスを纏った老齢の女性だった。
主治医という言葉から、なんとなく白衣の男性を思い浮かべていたステラがぱちくりと瞬くと、アストは柔らかく微笑んで見せた。
医者というよりも、優しいおばあちゃんという雰囲気だ。
「来てくれてありがとう、アスト。彼女が患者よ。特に不調はないと言っているけれど、念のため診てあげて欲しいの」
「かしこまりました、おひい様」
「もう、おひい様はやめてって言っているでしょう……」
渋い顔をしたヨルダに、アストはうふふと笑って返した。二人はずいぶんと気安い仲らしい。
「マールもありがとう。ひとまず下がっていいわ」
「かしこまりました。……ですがその前に、ヨルダ様にお見舞いしたいと、シルバー・ユークレース様がいらしているのですが……」
「あら、思っていたより早く謁見が終わったのね」
「ヨルダ様はお加減が悪く、お見舞いは全てお断りさせていただいている、とお伝えしたところ、その……」
マールはそこで言葉を濁す。
「『御託はいいから、王女本人にお伺いを立ててきて』と……」
どういたしましょうか、とマールが無表情を保ったまま――おそらくシルバーの失礼極まりない態度への怒りを押し殺しているのだろう――ヨルダに問いかけた。
「分かったわ、応接間に通してちょうだい」
さらっと頷いたヨルダに、マールは悔しそうな表情を浮かべた。近くにいたら歯を食いしばる音が聞こえたかもしれない――そんな顔だった。
「ですが……っ、こ、こんなことを申し上げるのは、失礼であることは承知しておりますが……」
「構わないわ。言って、マール」
「あのお方はその、ヨルダ様を心配されて来られたようには見えませんでした……!」
「ええ、そうでしょうね」
「!? なぜ、そのような方と婚約なさるのです。ヨルダ様にはもっとふさわしい方が――」
「ユークレースの当主は精霊を使って情報を集められるから、シルバーもこちらの状況を把握しているのよ。私が傷一つないということも、その他のこともね――」
まくしたてるマールの言葉を遮ったヨルダは、そこでチラリとステラを見た。
「マールを押しのけてここまで無理矢理乗り込んでこなかった時点で、彼は最大限の譲歩をしているのよ」
「え……それは、どういう……」
マールの表情から怒りが抜けて、戸惑いの色が強くなる。ヨルダは苦笑しながら応接間がある方向を指さした。
「マール、彼の態度は腹立たしいと思うけれど、少し我慢してお茶でも出してあげてくれる? 私も着替え次第向かうから」
「……かしこまりました……」
まだ若干不本意そうなオーラを醸しながらも、マールは頭を下げて部屋を後にした。
「あの、ヨルダ様、私も応接間に……」
ステラはそろそろと片手をあげる。
シルバーがまたマールを怒らせるかもしれない。ストッパー役が必要なはずだ。
――決して診察から逃げたい訳ではない。
「だめよ。あなたはここで診察を受けて」
「あう……」
ヨルダに即座に却下され、ステラは肩を落とす。そもそも身体の全ての時間が止まっていたのだから、不調などあるわけがないのに。
「念のためよ。あなたに万が一のことがあれば、あなたの親族にも申し訳が立たないの。分かってくれる?」
「はい……」
「――それとあの男に、うちのマールに対して失礼な態度をとった仕返しをしないと」
最後にボソッとヨルダがつぶやく。
今、仕返しとかいう言葉が聞こえた気がしたが――?
見つめるステラの視線に気付いたヨルダは、楽しそうな笑みを返してくる。
「うふ、何でもないわ。あなたはなにも心配しなくて大丈夫。――ではアスト、その子をお願いね」
「委細承知しております」
敬礼したアストにうなずき、ヨルダは上機嫌な様子で部屋を出ていく。
それを見送ると、アストはすぐにステラを振り返った。
「さあさ、お嬢様。手早く診せてくださいませ」
「あ、あの、私はお嬢様というわけでは……」
少なくとも王族の主治医に敬語を使われるような立場ではない。もしや、アストはステラが侍女であることを知らされずにここに来たのではないだろうか。
ステラが今の自分の立場をきちんと説明しようと姿勢を正すと、アストは困った顔で頬に手を当て、首を傾げた。
「……おひい様があのようにご機嫌なときは、イタズラを仕掛けるときか、問題を起こすときです。心当たりがあるなら早めに合流した方がいい、というのがおひい様を昔から知っている年寄りからのアドバイスなのですが……」
心当たり。
ヨルダの『仕返し』という言葉と、シルバーによって大部分を消滅させられた船室のドアが脳裏にフラッシュバックする。
「お……お願いします……」
「ええ、ええ。お任せください。ではまず、床ではなく椅子に腰掛けましょう」
「……はい……」
仕事環境が変わってしばらく時間が上手く取れていませんでした。ゆるゆる連載続けていきますのでお付き合いいただけると幸いです<(_ _)>




