108. 地獄のような晩餐会
「姉上の行方が分からなくなって宮殿内は大騒ぎだったのですよ。姉上は王家の一員なのですから、皆が心配するということを忘れないでください」
天使のような愛らしい顔を曇らせ、ラティート第二王子がヨルダに声をかけた。それに対し、ヨルダはほんの少し申し訳なさそうに眉を下げてから、弟を安心させるように優しく微笑んでみせた。
「心配させてしまってごめんなさい、ラティート。王族の責任の重さは、あなたよりも長く生きている分よく理解しているわ」
「でも、不慮の事故や身分の高い者を狙う犯罪に巻き込まれた可能性もあるのですよ。せめて誰かに行き先を教えるか、護衛を付けなければ危険です」
さらに言い募るラティートの言葉に、ヨルダはゆるゆると頭を振った。
「古くからの知人を頼っていたから大丈夫よ。……情報というのは知る人間が増えればそれだけ危険も増えるものだし、知らせる相手は少なくしておきたかったの。それに、あなたに余計な心配をかけたくなかったし」
傍から見れば、お互いを思い合う麗しき姉弟の会話だ。
しかし、彼らの言葉はすべての言葉に裏がある。ステラに馴染みのある言葉に置き換えてみると――
『王宮から抜け出すなんて王族としての自覚がないんじゃないか?』
『あなたよりは自覚あるから心配いらないわ』
『いっそ事故や犯罪に巻き込まれればよかったのに。むしろ場所が分かったらこっちからけしかけたのに』
『あんたが護衛に手勢を潜ませてるのは知ってるわ。人為的な不慮の事故を起こそうと狙ってる犯人に行き先教えるわけないでしょバーカ』
――というところだろう。
このラティート第二王子がまた、声変わりもまだしていない十三歳という紅顔の美少年であり、本当に天使のように見えるからまたタチが悪い。事前に絵姿を見て「こいつは本当に性悪で残酷よ」とヨルダに言われていなかったら、きっとステラは彼の笑顔にころりと騙されていただろう。
「だけど驚いたよ。ヨルダがユークレースの男性と婚約とは」
次に口を開いたのはヨルダの兄、ラグナ第一王子だった。
彼は雪の結晶のように儚げな美青年で、確か年齢は十八歳。困ったことに面食いのステラはうっかり気を抜くとじっと見入ってしまいそうになる。
身分の高い人々は婚姻相手の条件の一つとして、顔の良さをかなり重視していると聞いたことがあるが……彼らを見る限り、その話はかなり信憑性が高いかもしれない。
「彼らは私達とは距離を置こうとするのに、よく口説き落としたね。まあヨルダは綺麗だから、年頃の男だったら放っておかないだろうけど(どうせ女の体を使ってたらしこんだんだろ?)」
「あら、お兄様ほど美しければその可能性もあったかもしれませんね。メイドたちにも人気があるという話が私のところにも届いていますもの。私などとてもおよびませんわ。……普通に、何度も話すうちに意気投合したのです(見た目を利用してメイドに手出しするような下世話なあなたと一緒にしないでほしいわ)」
――と、この会話の間、国王夫妻メイド執事も含めた全員が上品な笑みを顔に貼り付けているのだ。
(……うわあー……地獄……)
なにも食べていないのに、お腹いっぱいどころか胸やけまで感じる。よくもまあこんな中で食事ができるものだ。
のっけからこんな言葉による殴り合いを続けて、ひどくなりすぎると王妃がやんわりとストップをかけてそこから仕切り直す。
そんな無益で胃に悪いセッションが繰り返され続けているため、ステラは早々に会話内容の解読を諦め、室内にいる人々の観察に意識を切り替えていた。
食堂の中にいるのは執事と給仕専門の使用人が五人、部屋の扉の内外には騎士が各二人で系四人。
そしてその他に、ヨルダを抜いた王家の四人それぞれに側仕えが二人ずつ付いている。
そのうち、国王に付いている二人と、王妃、ラティート第二王子に付いている各一人はそれなりに腕が立ちそうだ。
ちなみにラグナ第一王子に付いている二人は、よほど実力を隠すのに長けた達人でない限りは普通の――マール曰くどちらも「完全なる顔採用」の――女性である。
ラグナ第一王子自身はあまり王位継承に興味がないようで、身辺警護に関しても本人はかなり無頓着らしい。それでも外に出るときは周囲が警護を付けさせているようだが、今は家族の食卓ということでお気に入りの娘たちを連れているのだろう。
彼は先程からヨルダに色々と嫌味を言っているが、どうやらこれはヨルダの政治的な立場の変化に対して思うところがある……というよりも、この言動が彼の常態らしい。
(そりゃあ、役立たずとか無能とか言われるわ……)
そして困ったことに、彼は目新しい側仕えの侍女――つまりステラに興味を持っているらしく、ステラに対しなんとも熱い視線を向けてくる。一度うっかり目が合ってしまったときなど、背景に花の幻覚が見えるくらい妖艶な微笑みを浴びせられた。面食いの心を弄ぶのは止めてほしいものである。
……逆に、ラティート第二王子のほうはチラリともステラのに目を向けてこない。完全にヨルダしか見ていないのだ。
もしかしたら、ヨルダが見慣れぬ側仕えを連れていることに気付いてすらいないかもしれない。
ぼんくらな兄さえどうにかすれば継承順位の高い自分が王位に就けると信じていたのに、『優秀な姉』というダークホースが現れたことにおかんむりなのだ。器用なことに、終始笑顔を貼り付けたまま不機嫌オーラを放っていた。
(そしてご両親……国王陛下と王妃殿下は見て見ぬ振りか……)
王妃はどことなくヨルダを気にかけているようだが、国王は全員に対してフラットな対応――というよりも全員と一定の距離を置いているように見える。
ヨルダが口にしていた、事なかれ主義というのはこういうところなのかもしれない。それとも、ステラには分からないだけで王室ルールがあるのだろうか。
(何にせよ地獄。そしてお腹すいた……!)
使用人が食事にありつけるのはもちろん主人の後なので、とんでもなく美味しそうな料理の並んだテーブルを眺めながら立っていなければならない。提供される料理は毒見を挟んでいるせいでやや冷めていて、そのおかげで立ち上る匂いが弱いのがせめてもの救いである。
そんな地獄のような晩餐会が、地獄なりの平和さで終了する頃には、ステラの胃は空腹と心痛でシクシクと痛みを訴えていた。
***
「どうだった、リン。楽しい晩餐だったでしょう?」
部屋へ戻る廊下でヨルダに笑顔を向けられ、ステラは思わずため息をついてしまった。
「……私には高度過ぎました」
「ふふふ、あなたずっと渋い顔をしていたものね」
「え!?……す、すみません」
そんなに露骨に表情に出ていたのか。
ステラは思わず自分の頬に手を当てた。笑顔を貼り付けるのは無理だったとしても、顔をしかめるのはさすがにまずい。
顔に出ないように頑張ったのに……と、頬をむにむにつねっていると、微笑みを浮かべていたヨルダがついに軽く吹き出した。
「大丈夫よ、私はあなたの普段の表情を知っているから分かっただけで、周りからは『緊張して表情が硬い』くらいに思われていたんじゃないかしら」
「そうだと良いんですけど……」
「それにしてもお兄様があなたに興味津々だったわね。普段は綺麗系の女性ばかり連れているから、たまには可愛い系に手を出したくなったのかも」
「はは、ご冗談を……」
ヨルダの軽口にステラは口を引きつらせた。先程ラグナ第一王子が連れていた美しい女性たちを見たあとで、そんなふうに思い上がれるほどステラは身の程知らずではない。
普段王宮内では見かけないような庶民臭い人間を見て、生物として興味を持ったというならまだ理解できるが。
「自己評価が低いのね。あなたは、あなたを可愛い可愛いと言い続けている人の言葉に、もう少し耳を傾けるべきだと思うわ」
「? そんな人はいません」
キョトンとした顔になったステラに、ヨルダは「なにを言っているのだ」とばかりに眉をハの字に下げた。
一瞬、ステラの脳裏に「天使」「お姫様」とうわごとを言う人物の顔がよぎったが、すぐに振り払う。ヨルダはレビンとは面識がないはずだ。
「……もしかしてあの男、あなたには直接言っていないの? 私にはさんざんのろけてきたのだけど」
「のろけ……!?」
「その反応は、つまり言われたことがないのね。……あの様子だと、あなたには憎まれ口ばっかり言っているのでしょう」
「えー……」
ヨルダの言う『あの男』とは、どう考えてもシルバーのことだろう。
思い返してみれば可愛いと言われたこともあった気もするが、正直よく覚えていない。少なくとも甘い雰囲気で言われたことがないというのは断言できる。
(っていうかシンってば、王女様に対してのろけてたの!?)
ステラの前ではそんな素振りなどまったくなかった。ついでにいえば、彼はステラがヨルダに付いていくと決めたあとは露骨に不機嫌で、まともに口も聞いてくれなかった。
一体どのタイミングで、そしてなにについてのろけていたのか――。
「彼があなたのことをどう言っていたか、聞きたい?」
ヨルダはそう言って、ものすごく楽しそうにニンマリとした笑みを浮かべた。
(き、気になる……でも本人不在で聞くのは申し訳ないような……いやでも、シンだって私のいないところで話してたんだし)
一瞬の遠慮と葛藤は好奇心によって綺麗に消え去る。だって他人のことではなく自分のことを聞くのだから、何の問題もないではないか。ステラは勢いよく片手を挙げ、キラキラ輝く目をヨルダに向けた。
「聞きた……」
いです、と続けようとした口を、ステラはパッと閉じた。同時に、挙げていた手もそろりと下ろす。
そんなステラの様子に、ヨルダは不思議そうに首を傾げた。
「……リン?」
「誰かが来ます。……三人。多分ラグナ王子殿下とそのお付きの方々です」
「お兄様が?」
ヨルダの顔には今までの楽しげな表情から一転して、不信感と警戒心が浮かびあがる。
この廊下の先にはヨルダの部屋がある区画しかない。ラグナ第一王子の区画は別の建屋だということもあり、きっと彼がこの廊下を使うのはとんでもなく珍しいことなのだろう。
だが、この気配や歩き方は間違いなくラグナ一行のものだ。
「部屋に戻って対応しますか?」
いくら無能呼ばわりされているとはいえ相手は王子だ。立ち話ではなく部屋できちんともてなすべき相手である。
ただ、普通は使用人が先に訪ねてきて、訪問の先触れをしてから本人がやってくるものだ。そのセオリーを無視しているのは向こうなのでもてなし云々は気にしなくてもいいだろう。
それでも今の距離なら、少し急ぎ足で部屋に戻れば、彼らが到着する前にマールが素早くお茶を用意してくれるはずだ。
ステラがヨルダに判断を仰ぐと彼女は小さく肩をすくめ、今まで歩いてきた方向に体を向けた。
「……いいえ、ここで対応するわ」
「分かりました」
ステラは返事をして、ヨルダの斜め後ろに下がる。
ヨルダは腕を組んで仁王立ちしており、下がるときにちらりと見えた表情はひどく冷たかった。まるでこれから決闘でも行うかのような佇まいである。
(……兄弟がいるのって憧れたことあるけど、こんな殺伐とした兄弟は嫌だなあ)
空腹のせいか軽いめまいまで感じ始めていたステラは、げんなりとしながらヨルダの対戦相手を迎えるため背筋を伸ばした。




