107. 分かってたけど
ヨルダに謁見の許可がおりたのは翌日の昼過ぎだった。
通常であれば最低数日から最長数週間待たされるので、丸一日で準備が整うというのは異例の速さだ。
国王側もヨルダがなにを言い出すのか、ある程度予想していたのだろう。
この謁見の場でヨルダはシルバー・ユークレースとの婚約と、王位継承候補に名を連ねることを国王に奏上する。
こちらの計画通りならば、この後すぐユークレース当主とシルバーが事実確認のために城へ召喚されるはずだ。
加えて、同時進行でライム・ダイアスがダイアス当主にユークレースに関する色々な噂をあることないこと吹き込む手筈になっているため、近く『ユークレースを非難するための』臨時議会が招集されることになる。
その臨時議会でダイアスおよび王弟妃の罪を詳らかにし、二者を国の中枢から追放、そしてヨルダの後継者としての地位を確立させる――というのがこれからの流れだ。
問題は、そんなヨルダの動きに焦った王弟妃側や王子側が、ヨルダを直接害そうとする可能性があること。
いくら政治的な地位を盤石にしたところで、ヨルダ自身が闇討ちされてしまえばそれまでだ。
それを防ぐのがステラの役目――なのだが。
(まさに今、別室にいるしなあ)
今ステラはマールと一緒に玉座の間に隣接する控えの間にいる。
許可さえ出れば付き人が同行することもできるらしいのだが、今回謁見の許可が出たのはヨルダだけだった。そのためステラはヨルダが戻ってくるまでここで待たなくてはならない。
身分の違う相手を守るのは中々に難しい。
美しく着飾ったヨルダが玉座の間に入るのを見送り、ステラはマールと共に控えの間に入った。謁見が終わる頃に再び玉座の間の前へ行き、ヨルダが出てくるのを叩頭した状態で迎えるのだ。
ちなみにステラもマールも使用人にすぎないため、こうやって控えの間にいる間も座ることなどできず、美しい姿勢を保って立っていなければならない。普段なかなか使わない筋肉を使うし、筋トレにいいかもしれないな――などとステラがとぼんやり考え始めたところで、玉座の間の中にいる人々の気配が揺れた。
(お、始まった)
それとも終わったのだろうか。
熱に浮かされた、あるいは冷水をかけられたかのような抑えた囁きがいくつも重なって、控えの間にも微かに届いてくる。
国王を始めとしたお歴々方は、ヨルダがユークレースと繋がりを持ったという事実は把握していても、婚約と後継者への立候補がセットで来るとは思っていなかったらしい。
普段とは違う玉座の間の様子に、ステラと同様に控えの間で主人を待つ使用人たちだけでなく、大きな扉の前を守る騎士たちすらも戸惑った様子でチラチラと周囲を窺っている。
騎士たちなどは特に、異常が発生したら即座に室内に飛び込んで重鎮達を守らねばならない立場なので、一体なにが起こっているのか気が気でないのだろう。
かたん。
さざなみのようなざわめきがゆっくり引いたあと、少しだけ時間を置いて扉が小さな音を立てた。
外の人々が皆固唾を呑んで事態の推移を見守っていたせいで、その小さな音は異様に響く。
「!?」
扉の隙間から顔をのぞかせた騎士は、戸惑いと好奇心の入り混じった視線が自分に集中していることに一瞬ビクリと怯んだ。が、彼はすぐに気を取り直し自分の役目をまっとうした。
「……ヨルダ王女殿下、ご退室です」
その言葉でマールがステラを見て頷き、先に玉座の間の扉の脇に移動すると、優雅に頭を垂れた。ステラも慌てて、だが周りからそれを悟られないよう、なるべくゆったりとした動きでマールの横に立って頭を下げる。
今度は扉が大きく開かれ、部屋の中からヨルダのカツカツと迷いのない足音が聞こえてきた。
「ふたりともご苦労様」
足音はステラたちの前で止まり、ヨルダの声が頭上から降ってきた。それを合図に、一呼吸置いてマールが頭を上げる。ステラもそれに習った。
「すぐに部屋へ戻るわ。楽しい楽しい家族の晩餐の準備をしないと」
「まあ……、晩餐でございますか」
家族の晩餐――要は家族で食事をするだけだが、ヨルダの表情とマールの驚いた様子を見るに、どうもとても珍しいことらしい。ヨルダはため息交じりに続ける。
「ええ。家出から戻った娘の話を聞きたいのですって。……リン、同行してもらうわ」
「私ですか?」
「そう、あなたよ」
わざわざ指名されるとは思っていなかったステラは、思わずヨルダに確認してしまう。
さすがに国王と王妃まで揃った食事時に襲われはしないだろうから、周辺にいる関係者たちの顔や気配を覚えておけということだろうか。
なんにせよ、食欲など裸足で逃げ出すくらい殺伐とした食事風景なんだろうな……と思いながら、ステラは無理やり笑顔を作って「かしこまりました」と頷いた。
***
「ユークレースと……王女殿下が婚約ですか……?」
信じられないと目を丸くしているのはライムの父のカルク・ダイアスで、その前で不機嫌そのものの顔をして腕を組んでいるのは祖父――ダイアス当主のグライン・ダイアスだ。
「以前から事業に手を出していたが、本気で玉座を狙うつもりだったとはな。しばらく王宮から姿を消していたのもユークレースの差し金だろう」
「ですが、ユークレースはなぜ……彼らは旧家の中でも特に王家と一線を引いていたじゃないですか」
カルクの反論にグラインはフンと鼻を鳴らした。
「ミネットが奴らに手を出したからな。報復のつもりだろう」
「ノゼアン・ユークレースも王女殿下も聡明で冷静な人たちですし、そんな理由で動くでしょうか」
「お前は表面しか見ないから駄目なんだ。実際に子供に危害を加えられたのはリヒター・ユークレースの方だぞ。あの男なら感情で動く。ノゼアンはあれの姉に手を出したせいで、リヒターに頭が上がらんのだ」
「そ……そうでしょうか……」
「王女は王女で、ミネットが上に立ってしまえば自分はどこに嫁に出されるか分かったもんではないから焦ったのだろう」
強く言い切るグラインに、カルクは眉を下げて「そうですね……」と答えた。これ以上言ってもグラインが怒り出すだけだからだ。
昔は敏腕経営者だったグラインだが、年々思い込みや決めつけが激しくなり、今はもう人の話などほとんど聞かなくなってしまった。
なまじこれまで成功を積み重ねてきた自分の手腕に自信があるから、間違いを認められないのだ。
ライムは小さくため息を落とす。
自分が幼い頃の祖父の姿を覚えている彼女にとって、耄碌したとしか言えないこの姿を見せつけられるのは悲しい。だが、今はそのほうがありがたい。
「お祖父様、そのことに関連して、お耳に入れておきたい話があるんだけど」
「そのこと? 王女のことか? そういえばお前は王女と多少親交があったな」
「ミネットおば様と……クリノクロアのこと」
「クリノクロアだと?」
「ええ。ユークレースが政治に口出しするなら、クリノクロアは黙っていないでしょう」
「そうだな。近く議会で審議されるはずだ。……だがそこになぜミネットの名前が出る?」
「クレイス殿下が……」
ライムはわざと言葉を止める。
深呼吸を一つ。
「……クレイス殿下がこっそりと教えてくださったんだけど……ミネットおばさまとクリノクロア家との交渉が進んでいて、クレイス殿下はむこうの娘と結婚することになるかもしれないんだって……」
ライムは瞼を伏せ、両手を胸に当てる。絶妙なタイミングで仕込んでおいた水の雫が瞳からこぼれ落ちた。
――その一滴で、それまでライムがなにを言い出すのかと眉をひそめていたグラインの顔色が変わった。
「なんだって!?……だがミネットのやつ、どうやってクリノクロアと……!?」
(どうだ私のこの名演技。映像で記録してあの銀髪に見せてやりたいくらいだな!)
あまりにも予想通りすぎる祖父のリアクションに、ライムは目を伏せたまま心の中でぐははと哄笑する。だが勝負はこれからだ。
「しばらく前からユークレースの末端が怪しい動きを見せていたのを、ミネットおば様が自分の情報網で掴んでいたらしいの。それがどうも、よくよく調べてみたら関係していたのは末端だけではなかったみたいで……」
「その情報を利用して交渉したということか」
「……」
ライムには『末端』も『怪しい動き』も一体何なのか分からないが、リシア・ユークレースが「末端の方で、そう見えるような疑わしい動きをさせます」と言っていたので、祖父が改めて調査すればそれらしき『怪しいなにか』が掴めるようになっているはずだ。
だからライムは含みを持たせた視線で祖父を見つめ返す。
ライム自身は何一つ肯定しないし、言質など取らせない。ただライムが推測から喋った内容を、グライン・ダイアスがそう思い込んだというていにするのだ。
そのために、もしものときライムが決定的な言葉を口にしていないと証言してくれる要員として父が同席しているタイミングを選んだ。
ライムの父は良くも悪くも愚直で、商売には向かない。だがこういった証言をしてもらうならこれほどの適役はいない。
「父さん少し落ち着いて……」
「これが落ち着いていられるか!!」
ライムの曖昧な言葉に誘導され、グラインの頭の中ではミネットの裏切り、クリノクロアの方針転換、そしてユークレースによる国家乗っ取り――という虚像が面白いくらいに大きく膨れ上がってゆく。
「国王陛下の号令を待たず、ダイアスの権限で議会を招集して。……全てを詳らかにする時だよ、お祖父様」
ライムはまっすぐに祖父を見つめた。
(ああ……分かってたけど、嫌な役だな)
この気持ちの苦さを、一生覚えておこう。
いつか自分が、こうならないように――。




