103. 侍女として
「さて母上殿、あまりここにいるとレビンがやってくるかもしれませんし、僕は二人の不毛な言い争いに付き合いたくないので自分の業務に戻りたいのですが」
ステラへの襲撃と、独り言というていのヨルダへの助言を済ませたことで彼らの目的は果たせたようで、エリオは早々に部屋の出入り口前に移動していた。本当にレビンが来る前に引き上げたいらしい。
「ああ、お疲れ様。戻りなさい」
一方のローザはまだどっしりと椅子を占領しており、エリオに向かってしっしと追い払うように手を振った。
「僕もそうしたいところですが、母上殿がよそ様に迷惑をかけ過ぎないうちに回収して帰還せよ、と当主から言い渡されているのですよ」
「……フェルグめ。自分がステラに会えないから嫌がらせだな」
ローザは初めて苦い表情を浮かべ、渋々立ち上がった。傍若無人の塊のような彼女も、当主の言葉は聞くらしい。
それでも、迷惑をかけ過ぎないうちに、という、迷惑をかけることを前提とした言い回しから当主の気苦労の多さがうかがえる。
「さてステラ、私は引き上げないといけないんだが、レビンに愛想が尽きたらいつでもおばあちゃんを頼りなさい。軍隊とも渡り合える戦闘技術を仕込んでやるから」
「え、本当ですか?」
「それ俺も混ぜて!」
「母上、前途ある少女を第二の自分に仕立て上げようとするのはやめて下さい。そしてステラも、ユークレースの君も、そんな誘いに目を輝かせないで下さい」
これまでほぼ無表情の延長線上にいたエリオが、戦闘技術という言葉に食いついたステラとアルジェンに対して明らかに呆れた表情を浮かべた。
「……戦闘技術の継承は却下しますが、いずれ君の従兄弟たちに会いに来て下さい。あの猪の化身が我が家の代表だと思われるのは非常に不本意ですから」
エリオの言葉にステラは頷いた。さすがにあの祖母が規格外な存在であることはステラにも分かるが、今まで自分には縁のないものだと思っていた『親戚』が暮らす場所には興味があるので一度は訪ねてみたい。
(それと、従兄弟といえば……)
「あの、エリオさんはアグレルさんのお父さんなんですか?」
「ああ、そういえばアグレルと面識があるのでしたね。彼は僕ではなく、一番上の兄の子どもです」
「ああ、じゃあ女装で王子に口説かれそうになってたのはアグレルさんじゃなかったんですね」
「…………ええ、違います。……ちなみに僕の子どもは君よりも年下です」
一瞬固まったエリオはきゅっと顔をしかめた。きっとステラと同じようにドレス姿のアグレルを想像したに違いない。
「何にせよ、王女殿下の計画がうまく運んで、君が自由に過ごせる日が来るよう願っています」
エリオはそう言うと、ステラの頭にぽんと手を載せて軽く撫で、かすかに微笑んだ。
ステラが「ありがとうございます」と笑い返したところで、「ああ!」とローズが声を上げた。
「なにをどさくさに紛れてステラに触ってるんだ。私だって触ってないのに!」
「このくらいの年の女の子の頭を撫でる機会など今後なさそうなので、記念に」
真顔で言ったエリオに、ローズは神妙な顔で「なるほど」と頷いた。
「――確かにそうだな。よし、私にも撫でさせなさい」
威圧感のある笑顔で命じられ、ステラは「はい……」と大人しく頷くことしかできなかった。
***
「まるで天災のような人ね、あなたのお祖母様は」
ローズによって撫で回されグシャグシャになった髪をシルバーに直してもらっているステラを眺めながら、ヨルダがやや憐れむように言う。
「私も祖母がああいう方だと初めて知りました……父から家族の話を聞いたことがなかったので」
ローズは抵抗する気力を失ったステラを撫でまくり、さらに抱き上げてぐるぐると振り回し――やっと満足した彼女から開放されたのが半時ほど前だった。
その後リヒターがエリオを呼び止め、今後の二つの家の体制についての話を始めたので、ステラは暇になったローズに再び興味を持たれる前に二階の書斎に避難していた。
避難したかったのはヨルダとシルバーも同様だったらしく、ステラと一緒に引き上げてきている。子どもたちの中で応接間に残ったのはリシアだけだ。
アルジェンは『軍隊とも渡り合える戦闘技術』を覚えられてしまうと困るという理由でリヒターが退室を命じたため、現在ふくれっ面で書斎机に腰かけ、頬杖をついている。
「フェルグ・クリノクロアとは面識があるけれど、彼はとても物静かで厳粛な雰囲気の方よ。……夫婦は似るものだなんて言うけれど、どう考えても嘘ね」
両親揃ってローズのような性格だったら……などと考えるのも恐ろしい。そんな家庭環境だったらステラだってレビンのように家出を考えていただろう。
「でも、これであなたが話題のクリノクロアの女の子だって確定したということよね」
ヨルダは逃さないぞとばかりにまっすぐにステラを見つめて微笑んだ。
ステラは小さくため息をついて頷く。(一応)隠していたことが盛大にバレて若干後ろめたいが、もう隠し事をしなくていいというのはホッとする。
「……はい。すみません、隠していて」
「いいえ、謝る必要はないわ。むしろ他人にペラペラと喋らないというのはとても素晴らしいことよ」
ヨルダは優しく微笑む――が、その微笑みになにか裏があるように見えるのは気のせいだろうか。
「あのね、ステラ。さっきライムのところで打ち合わせた通り、私はこれから王宮に戻って国王陛下に公式な謁見を申し込むわ。シルバーとの婚約をほのめかすためにね。それはいいのだけど、問題はその後でね……」
「――ステラを自分の盾にするつもり?」
ヨルダがなにかを言いかけたところに、シルバーが棘のある口調で口を挟んだ。
「盾……そういう言い方はしたくないけれど、実際のところそうなってしまうわね。情勢が変わることに焦った――特に私の弟あたりは、私を害そうとしてくるでしょうし」
ヨルダは自嘲気味に口の端を上げた。
王城の中、特に王族の居住区域内では基本的に武器の持ち込みが禁じられている。だがそれでも(ステラのように)隠し武器を持ち込む人間を完全に遮断することは難しいし、精霊術であれば武器がなくても攻撃することができてしまう。
ヨルダはそれで、ステラに身辺警護をさせたいのだ。クリノクロアの血を引くステラが近くにいれば、少なくとも精霊術による攻撃の心配はしなくてよくなる。
「恥ずかしいことだけど、私の周辺の侍女や侍従はあまり信頼できないの。兄弟や王弟妃殿下の息がかかっている人間が入り込んでいるから。今までの私は後継者争いの外にいたから攻撃対象にはならなかったけれど、これからはそうはいかない。だから、絶対に信頼できて、かつ戦える人に護衛として付いていてほしいの。――ステラにお願いできないかしら」
「それ、戦えるってなら、ステラじゃなくてセグでいいじゃん」
アルジェンが頬杖をついたまま口を挟んだ。
ステラの戦闘技術はあくまでも自分の身を守る範囲のものなので、物理攻撃を仕掛けられたら防ぎきれない可能性のほうが高い。その点、セグニットは完全に護衛のプロなので、精霊術のことを加味してもステラより適任である。
だがヨルダは首を振る。
「セグニット・ホワイトは城の中で面が割れているから駄目よ。他の候補者を警戒してますって喧伝して回るようなものじゃない」
「だって警戒してるじゃん」
「建前というのは大事なのよ。家族を信用せずに独自に護衛を付けるってだけで『王たる資質が~』なんて言いだす人間がいるから。……それに女性じゃないと部屋の中にまで付いてきてもらえないでしょう。身の回りの世話をする侍女に刺客が混ざっているということもあり得るのよ」
「じゃあセグが女装すればいいじゃん。化粧すればバレないって」
ステラの頭の中でアグレルに引き続きセグニットが女装を披露する。メイド服に、ヘッドドレス姿だ。アルジェンは自分で言っておきながら爆笑し始める。
ヨルダもステラと同じような姿を想像したらしく、口元を隠してコホンと咳払いをした。
「……あんながっしりした侍女なんて注目の的でしょう……。着替えや入浴もあるんだし……。とにかく! ステラなら、その特徴的な髪色さえ隠してしまえば普通の女の子に見えるわ」
「普通の人に見えても、こんなタイミングでいきなり現れた侍女なんて怪しまれるよ」
ムスッとした顔のシルバーがすかさず反論する。だがヨルダはふふんと笑う。
「ちょうど商会や福祉活動の話を公にする予定なのだし、以前から商会の仕事を手伝ってくれている子だと言えばいいわ。『今後の業務展開を見据えて、侍女としてしばらく付いてもらうことで王族や貴族のマナーを勉強させたい』とかね」
「……自分の髪を結ぶのもままならない不器用な侍女なんて無理がある」
「うっ……」
シルバーの言葉が胸に刺さるが、現在進行系で髪を結ってもらっているステラには反論の余地もない。
一般的に侍女といえば髪のセットやメイク、服や装飾品の手入れなど、器用さを求められる場面が多い。そのどれも、ステラは満足に役目を果たせる自信がなかった。
「あら酷い言い方ね。ステラ、そんな口の悪い男は見限って私のところへ来なさい。あなた賢いみたいだし、本当に商会で働いたらいいわ。大丈夫、私が生涯養ってあげるから」
「え、かっこいい……痛っ」
ステラが生涯養うという言葉に思わずときめきを覚えた瞬間、髪の毛を数本ピッと引っ張られた。髪をいじっているシルバーがわざとやったのだ。
ささやかだが鋭い痛みに思わず恨めしさを込めてシルバーを見上げると、「ああ、ごめんね」と、綺麗な微笑みが返ってくる。
「私はそういういやがらせもしないわよ、どう?」
「どう、と言われましても……」
商会への就職はひとまず置いておいて、ヨルダの護衛は実際必要だろうし、単純に精霊よけとしてステラはたしかに役立つだろう。
しかし、引っかかるのがエリオの言っていた『呪術』の話である。
「護衛のことは父に相談させて下さい。王弟妃殿下の呪術のこともありますし」
「ええ、分かったわ。あなたの家の呪いに関わることだものね」
ヨルダはそれ以上食い下がることなく、すんなりと頷いた。一方のシルバーはまだ不満顔で、ステラの結い終わった髪をピンと弾いた。
「監禁されたレビンさんがすぐ帰ってくるとは限らないけど。――はい、できた。リシアとお揃い」
「不吉なこと言わないで……あ、ホントにお揃いだ。ありがとう」
自分の髪を触ってみると、リシアと同じお下げ髪になっていた。ステラが自分でやると太さもまちまちであちこちから毛が飛び出てしまうのに、きっちり綺麗な三つ編みになっている。
嬉しくて指先でいじっているところに、ちょうどリシアが書斎に入ってきた。
「リシア見て! 同じ髪型にしてもらったの」
「あ、本当……えへへ、ステラ、可愛い」
リシアに駆け寄りくるりと回って見せたステラに、リシアのはにかんだ笑みがこぼれ落ちる。
そんなふうに無邪気にじゃれ合う少女たちを眺める少年たちの表情は、完全に緩んでいた。
別に羨ましいわけじゃないわよ……と、ヨルダは若干やさぐれた気分でそんな彼らを眺め、ため息を落とした。




