102. ここからは私の独り言
もしやこの二人、一緒に馬車に乗ってレグランドへ行くつもりだろうか。
そんなステラの心配は杞憂に終わり、馬車を預けた農園の小屋に辿り着く頃にはローズたちは姿を消していた。あれだけ存在感があるのに、不思議なことに気がついたらいなくなっていたのだ。
それでいて、レグランドの兄弟宅に帰り着いて馬車を降りたら既にそこにいる――という神出鬼没ぶりを見せつけられ、ステラは自分の親戚の謎具合に少しおののいた。
「改めてきちんと自己紹介しよう。私はローズ・クリノクロア。クリノクロア家現当主、フェルグ・クリノクロアの妻だ。で、そっちの陰気なのは二番目の息子のエリオ」
陰気と言われたエリオが「どうも」と表情を変えずに頭を下げる。
急遽呼び戻されたリヒターは、じっと立っているエリオと長椅子に一人で堂々と足を組んで座るローズに軽く挨拶をしてから、少しだけ困ったような表情を見せた。
「当主に近いご夫人が出てきたということは、こちらと協力するというレビン氏の提案は棄却されたのでしょうか」
リヒターの質問はステラも聞きたかったことだった。しかしローズはすぐに首を振って否定した。
「いや、フェルグは了承したよ。こちらにとってそれほど悪い話じゃなかったからね」
「……『当主は』ということは、反対した方がいるということですね」
「そりゃまあね。うちも一枚板ってわけじゃないからさ。だが当主の決定が優先されるよ」
当主が正式に賛成したなら、反対意見があっても提案は概ね通るものだ。それなのにレビンは戻らず、当主の妻が来た。
(……すぐ戻ってくるって言ってたのに)
ステラはいても立ってもいられず、思わず口を開いた。
「あの、父さんは――レビンは一緒に来ていないんですか?……なにか戻れない理由が?」
ローズはなぜか驚いた顔でステラを見てから、質問には答えずに後ろに立っているエリオを小突いた。
「おお……ほらエリオ、女の子は可愛いな。レビンなんぞの心配をしているぞ。お前、親の心配なんてしたことないだろ」
「猛獣の心配をする必要がありますか?」
「私の子どもは態度も目つきも悪い奴しかいないな。どうしてだろうな」
ため息をついたローズの言葉を無視し、エリオはステラに視線を向けた。
「心配せずとも、レビンは無事です。ただそこの暴君によって足止めを食らっているだけですので、遠からず戻ってくるでしょう」
「足止め……ですか?」
「そう。私はどうしても可愛い孫娘に会いたかったから、邪魔する奴を地下牢に閉じ込めてきたんだ」
「……え、あの」
地下牢に閉じ込めてきた?
ローザが平然と口にした言葉はあまり日常生活で聞くものではなかった。そもそも、地下牢などという単語を物語ではなく実生活の中で聞いたのは初めてだ。
一体どういう意味ですか、とステラが通訳を求めてエリオを見ると、彼は少しだけ眉を下げた。
「うちは男系一族で、君の他は子どもも孫も全員男なんです。そこへひょっこりと帰ってきたレビンが娘の自慢をしたものだから、そこの猛獣が会いたいと騒ぎ出しまして――」
「レビンの奴、ステラは天使だなんだと言うもんだから、会いたくなるに決まってるだろ? それなのにあいつ、『ババアは娘の教育に悪いから会わせん』とか言いやがったんだぞ」
エリオの言葉を遮り、ローザは口をとがらせた。
ステラはレビンがあちこちで天使だの姫だのと言って回っている事実と、アルジェンが「ステラは天使」と復唱していることに頭痛を覚える。彼はレビンとの接点が少ないおかげでそのあたりのことを知らなかったのに。
「……騒いだんですが、レビンは拒否しました。それで腹を立てたそこの猛獣は、レビンに薬を盛って動けなくして地下牢に閉じ込めて来たらしいのです」
言葉を遮られたエリオは少し目を細めただけでそのまま話を続けた。だが、そこには再び聞き捨てならない単語が混じっていた。
「薬!? 地下牢!?」
「ええ。今のクリノクロアの拠点は古い城塞が近くにあるのです。普段は無人で、地下牢も使われていないのですが。そこに運び込んだ、と。薬は睡眠薬ですね」
「そ……そんなところに閉じ込めて本当に大丈夫なんですか……」
「城塞には限られた人間しか近づけませんので、アグレルあたりが見つけるのが早いか、本人が牢を壊して出てくるのが早いか、といったところでしょう。――ですが、僕らは残念ながら生まれた時からこの猛獣のもとで育っていますし、特にレビンは常にやりあっていたので、そういう仕打ちには慣れています。問題はないでしょう」
それは慣れていいものなのだろうか。……しかし、実際にその環境で育っているエリオが問題ないと言っているのなら問題ないのだろう(と思いたい)。
でも父さんが無事帰ってきたら少しくらい優しくしてあげよう……と、ステラは心に誓う。
「そう、問題ない。私は晴れてレビンの足止めに成功し、ステラに会いに来れたのさ」
そう言ってローズはステラに向かってニコリと微笑む。
行動の破天荒さが目立って気付かなかったが、女性としては高い身長とくっきりとした目鼻立ちはまるでモデルのようで、若い頃はさぞかし美女だったであろうことをうかがわせる。
だが、自分の父親を眠らせて地下牢に閉じ込めた相手に笑顔を返せるわけがない。ステラは眉を下げた微妙な表情で彼女を見つめ返した。
そのステラのリアクションに多少思うところがあったのか、彼女は少しだけ真面目な顔を作って言葉を続けた。
「……それと、可愛い孫娘に会うついでに、周りにいるユークレースの連中の実力を見ておきたかったんだ。結局のところ、状況によっちゃあ連れ帰るほうが安全だろう? それでエリオに調べさせたら元王族近衛だった奴がくっついてるっていうし、実力を試すにはちょうどいいと思ってさ」
エリオは各地で情報を収集する耳役をまとめている立場の人間で、ステラたちが王女を伴い動いていることは最初から筒抜けだったらしい。
ローズはエリオを脅迫してステラの居場所を掴み、襲撃しにやってきたのだ。――エリオは「僕は情報漏洩の責任を取って、猛獣のストッパー役としてここにいます」と遠い目をしていた。
「しっかし、セグニット・ホワイトだったか。元近衛なんてどんなお坊ちゃんかと思ってたら、それなりにやるもんだ。多少手加減したとはいえ負けたのは久しぶりだ。少年たちのほうは多少鍛錬が必要だが、年齢から考えたら上々だろう。ま、合格だな」
ローザはそう言って、楽しそうに口元を引き上げた。急に褒められたセグニットは苦笑しつつ軽く頭を下げた。
「ありがとうございます。……そういうあなたも過去に軍にいたことが? あなたの太刀筋は王国軍の型を崩したものですよね」
「ああ。軍に所属していたがフェルグと結婚する時に辞めたんだ。もう何十年も昔だが、従軍していた頃は血染めの薔薇という二つ名で呼ばれていた」
不穏すぎる二つ名に、ステラは嫌な予感しかなしない。セグニットとリヒターはその名を知っていたらしく、軽く目を見張って驚きの声を上げた。
「あなたが……。退役後行方が分からなくなっていると聞いていましたが、クリノクロアにいたんですね。軍におられた頃の武勇伝は色々伺っています」
「ん? 知ってるのか?」
「まあ色々と……」
濁したセグニットに、ローザは首を傾げる。『武勇伝は色々』のあたりで苦笑が混じっていたので、そういう武勇伝なのだろう。
しかし、せっかくセグニットが濁したというのに、エリオが続けてしまう。
「心配しなくとも、未だにろくでもない話が山のように残っていますよ。当時の大臣の頭を串刺しにしようとしただとか」
頭を串刺し……と、そのような逸話を知らなかった子どもたちは顔を見合わせる。
しかしローズは「そんなことか」と呆れたような声を出した。
「馬鹿なことばかり言う奴だったから、頭の中になにが詰まっているか見てやろうとしたんだ。実際には刺してないし、そんなの語り継ぐほどのことじゃないだろうに」
「槍を持って陛下の謁見室に乗り込んだ野蛮人は未だにあなたの他にいませんから」
「仕方がないだろう。本当は剣を持っていったんだが、入る前に没収されたから廊下に飾ってあった槍を使ったんだ。床に叩きつけたらすぐ折れた。飾り物は駄目だな」
「……そういう意味ではありません。それと要らない補足をありがとうございます。飾り武器は蛮族が振り回す用途では作られていませんからね」
ローズは軽くエリオを睨んでフンと鼻を鳴らした。
「まあ私の名前を聞いて思い出せる人間が多いなら好都合だ。――なあ、お姫様。ここからは私の独り言なんだが」
ステラもつい反応しそうになったが、ここでお姫様と言ったらヨルダのことだ。急に話の矛先が回ってきたヨルダはぱちりと瞬きをしたあと、こくんと頷いた。
「お姫様が敵対している連中の支持者は軍部所属が多い。連中が武力を盾に邪魔をするようなら耳役を通して知らせるといい。必要とあらば私が端から頭をかち割ってやろう」
「……それは」
「私を支持していただけるということでしょうか」という言葉をヨルダは飲み込む。ローズは独り言だと前置いているのだ。
それはつまり、表立っての助力はしないという意味である。
「クリノクロアは誰の支持もしない。私自身も王位だの派閥だのに興味はない。――ただ、うちの可愛い孫娘の友人が暴力に怯えるような事態は放っておけない、というだけの話だ」
「――……心強いです。ありがとうございます」
ローズは薄く微笑む。
「で、ついでにこっからは小言の多いうちの次男坊の独り言だ」
独り言という設定を守っているのか、エリオはヨルダのほうをチラリとも見ずに口を開いた。
「王女殿下は軍部よりも王弟妃殿下自身に警戒されたほうがいいかもしれません。彼女は随分と呪術に興味をお持ちのようですから」
「呪術に……?」
「だいぶ前から関連する書籍を蒐集しているようです。呪術は我々にとってのウイークポイントですので、クリノクロアを脅す目的かもしれませんが――呪いに対抗できるのはユークレースくらいですから、念のため、可能な限りユークレースの方々から離れないほうが良いと思います」
以上です。とエリオが締め括った後、ヨルダは難しい顔で黙り込んでしまった。
王弟妃、もしくはその息がかかった人間が呪術を使うとして、現時点で狙われる可能性が最も高いのは国王だ。玉座が空けば当然急いで次の王を立てることになる。そうなれば現状で一番有利なのは支持者の多いクレイスだからだ。
そして、ヨルダが継承者として名乗りを上げれば、彼女も狙われるかもしれない。
ヨルダが沈黙した理由は、家族や自分が呪いの標的になる可能性について思い悩んでいるからだろう、と、ステラは思った。
だが――。
「呪いで奪った玉座にクレイスを座らせるつもりなの、叔母様……」
ヨルダのその呟きには、深い悲しみと諦念が滲んでいた。




