101. 襲撃者
剣を打ち合う音が続く中。ステラの視線は目の前の男の髪に釘付けになっていた。
ステラと同じ、薄桃色の髪。
そして、ステラと同じように、精霊術が効かない。
(クリノクロアの人? なんで私たちは攻撃されてるの? それに父さんは……)
アグレルと共に出発していったレビンの背を思い出したステラの背中に冷たいものが走る。もしも何らかの理由でクリノクロア家が敵対したのだとして――本家に行ったレビンは無事なのだろうか。
「きゃっ」
ヨルダが上げた小さな悲鳴でステラははっと我に返る。男が突き出した短剣がアルジェンの頬のすぐ脇を通り過ぎていったのだ。
兄弟二人に男は一人、という数的有利の状況だが、シルバーとアルジェンは武器を持っていない。それに精霊術に頼ることを前提としたアルジェンの動きには粗さが目立つ。男はそれでアルジェンを重点的に狙っているのだ。
逆に言えばシルバーのほうはフリーということになるが、こちらはなにがあってもヨルダを守らなければならない。他にも敵が潜んでいる可能性があるこの状況では、彼はヨルダから大きく離れるわけにいかず、動き回る男を攻撃するのが難しい。
ステラは袖を振って、内側に仕込んであったナイフを手の中に握り込んだ。
この小さなナイフは投擲用だ。相手を仕留めることはできないが、手元や足元を狙えば一瞬の隙を作り出すことはできる。
ナイフを投げる、絶好のタイミングは――。
一方のセグニットのほうはほぼ互角な打ち合いが続いていた。
一合、ニ合とお互いに弾き合い――その次で勝負が動いた。
打ち合う音の代わりに、ギインと震えるような音を立てて片方の剣が宙を舞ったのだ。
ステラの位置からは弾き飛ばされたのがどちらの剣なのか分からなかった。――そしてそれはアルジェンと向き合っていた男も同じだった。
彼の意識が、一瞬その勝負の行方に奪われた。
(今!)
ステラの手を離れたナイフは、吸い込まれるように男の手の甲に突き刺さる。
「――!」
短剣を握っていた手を刺された男は一瞬動揺して手の力を緩めたが、それでも短剣を落とすことはなかった。すぐにもう一度柄を握り直した。手袋に厚みがあって、小さなナイフの刃では皮膚にまで届かなかったのかもしれない。
――だが、アルジェンはその隙を見逃さなかった。
「ナイス!」
ニッと笑ったアルジェンが男の懐に飛び込み、握りかけの短剣を叩き落とした。同時に足払いを掛ける。
一瞬の油断を突かれ、足を払われた男は片膝を付いた。だが、すぐに立ち上がり――。
「そこまで!!」
突如朗々と響いた声で、男のみならず、そこにいた全員の動きがビタリと止まった。
「武器を下ろせ、エリオ」
声の主はセグニットに襲いかかっていた人物だった。背はおそらくレビンと同じくらいで、マントを羽織っていてもスラリとした体型が見て取れる。先程宙を舞っていたのはこの人物の剣だったらしく、手の中は空だった。
エリオと呼ばれた男は軽く肩をすくめ、持っていた短剣をくるりと回し、鞘に収めた。
それを確認したマントの人物は頷き、大きく息を吐いた。
「はあやれやれ。私も腕が鈍ったな」
その声は、ややハスキーだが、男性としては高めで――むしろ、女性の声に聞こえた。
完全に戦意を失ったらしく、全員の視線を受けながらぐぐっと大きく伸びをする。少なくとも、先程まで漂っていた刺すような殺気は綺麗さっぱり消えていた。
その様子にセグニットがためらいつつ剣の切っ先を地面に向け、アルジェンとシルバーも戦闘の構えを解く。
「さて、自己紹介でもするかな」
襲撃者の(おそらく)女性は全員の注目を浴びながら、のんびりとした声でそう言った。
彼女がマントのフードを降ろすと、柔らかそうな白い髪がこぼれ落ちるように広がる。――フードの下から現れたのは、年齢を感じさせる細かいシワが顔に刻まれた女性だった。
彼女はまっすぐにステラを見るとパッと笑顔を見せる。
「やあはじめまして、ステラ。私はローズ。君のおばあちゃんだよ」
「…………え?」
オバーチャン?
ステラの頭の中は真っ白で、ただひたすら大量の『?』がぐるぐると渦巻いていた。
ピンク色の髪のエリオという人は、精霊術が効かないことから考えて間違いなくクリノクロアの人間だと思われる。ならばこの女性もステラにとっての親戚の一人でる可能性が高い。自分でおばあちゃんと言うからには、言葉通り祖母なのだろう。
……しかし、一般的に祖母というものは、出会い頭に孫を攻撃してきたりしないと思うのだが。
(それとも『オバーチャン』って、なにかの隠語?)
 
言葉すら出てこないステラに、女性は「駆け寄ってきてくれてもいいのに」と残念そうに口を尖らせる。
――駆け寄るとは? 駆け寄ったあとは、一体なにをしたらいいのだろうか。動きを封じる?
ステラが固まっているのを哀れに思ったのか、エリオがため息交じりに口を開いた。
「……お言葉ですが、いきなり襲撃してきた猪が『自分が祖母だ』と主張を始めた場合、喜んで駆け寄るのは相当頭のネジが飛んだ人間か自殺願望の強い人間だけかと」
「あ? もしや猪というのは私のことか」
「おや、分かりにくかったですか? それとも化け物のほうがよかったでしょうか」
「この減らず口が」
急に口喧嘩に移行してしまったが、エリオの言葉から察するに、残念ながら本当にこの女性がステラの祖母であるらしい。
そこで、行き場をなくしていた剣をついに鞘へと収めたセグニットが、ためらいがちに口を開いた。
「……失礼、あなたが彼女の祖母だとして、先程の攻撃はどういう意図なのでしょうか」
「ん? ああ、ユークレースとやり合う機会なんてまずないから、一度戦ってみたくて」
「……は?」
あっけらかんとした答えにセグニットが困惑の表情を浮かべた。戦ってみたかったから攻撃した、などと言われて「そうですか」と納得できる人間はいないだろう。それに対し、分からなくて当然だとばかりにエリオが頷く。
「すみませんこの猛獣は戦闘行為を摂取して生きる生物なのです。理論的な会話は成り立たないものと思って下さい」
「エリオ、お前――」
「つまりこの人は、レビンの娘がユークレースの人々と共にホーンブレンにいると聞いて、孫娘の顔を見たい、ついでに暴れたいという欲求が押さえられず、先程の蛮行に及んだのです。そして僕は人質を取られて脅迫されて手伝いました。心より謝罪申し上げます」
エリオはローズに口を挟ませず、滔々と語り終えると丁寧に一礼をした。
気になる言葉がいくつもあるのだが、特に聞き捨てならない単語が混じっていた。ステラは眉をひそめる。
「人質を取って脅迫……?」
「人聞きの悪いことを」
ローズは大げさな身振りで天を仰ぎ、それからエリオを睨みつけた。
「ステラに会わせないつもりなら、お前の息子の一人を女装させて王家に送り込むと言っただけだろう」
「それを世間では脅迫というのです」
「オーバーな奴だな。面白いじゃないか。相手の家名につられて女装した男を口説く王子だなんて。やつらの性根が腐っていることがよく分かるだろ」
ステラはドレスを着たアグレルが王子に口説かれる姿を想像してしまい、たしかにそれは面白い、と思ってしまったが、続くエリオの強い口調で頭の中の映像を振り払った。
「面白い面白くないで国家と我が家の安寧を揺るがそうとしないで下さい」
「頭の固い奴め。フェルグの影響だな」
「父上の頭が固いのではなく、あなたの頭が液状なのです」
再び口喧嘩が始まってしまった。何なのだろうか、この人達は。ステラは戸惑いながらちらりとセグニットに視線を投げた。
セグニットも混迷を極めた表情を浮かべていたが、ステラと目が合うと小さく頷いて口を開いた。
「……ひとまず、ここでは目立ちますので場所を移したいのですが」
「おお、そうだな。エリオがグチグチ言うせいで目的を忘れるところだった」
「……」
エリオは微妙になにか言いたげな表情をしていたが、その口から漏れたのはため息だけだった。――その、微妙に悄然としたように見えるエリオに、ステラは声をかけた。
「あ、あの、エリオ、さん」
「はい」
レビンと同じ、琥珀色の瞳が興味深げにステラを見つめてくる。年齢的にはレビンより上だろう。――といっても、クリノクロアの人間の外見と年齢は釣り合っていないらしいのではっきりと言えないが。
それでもレビンは三人兄弟の三番目のはずなので、エリオは一番目か二番目の兄かもしれない。それならステラの伯父にあたる。
「ええと先程は、刺してしまって申し訳ありませんでした」
ステラは勢いよく頭を下げた。
エリオは攻撃する素振りを見せていただけで、実際には全く攻撃してこなかった。兄弟の動きに合わせて身をかわし、わざと当たらないように短剣を振るっていたのだ。
それに気付いたのはローズの声で動きを止めたあと、アルジェンが微妙な顔をしているのを見た時だった。
つまりあの戦闘で負傷したのは、ステラが刺したエリオだけなのだ。
なかなか返事がないことに不安になって見上げると、エリオは無表情のままゆっくりと頭を振った。
「君の判断に問題となる点はありません。警護対象から離れず、かつ飛び道具で味方が攻撃する隙を作りだすというのは適切な行動でした」
「あ、はい……」
「ああ、ナイフは返します。心配せずとも僕の怪我は軽傷です。それに、仮に僕が死傷したとしても、そちらがこちらの事情を勘案する必要はありません。こちらは君たちを襲撃し、そちらは応戦したということだけが事実です」
「ええと……はい」
切っ先を拭ったナイフを返されて、ステラはとりあえず頷いた。
ビジネスライクというのだろうか。エリオの口調はどこまでも平坦で、全く感情がうかがえない。
(どうしよう、クリノクロアの人って変な人しかいないんじゃ……)
ご機嫌でセグニットに道案内を命じているローズを見ながら、ステラは自分に流れているらしい血に不安を感じずに入られなかった。
 




