99. 王弟妃殿下とダイアス当主
王弟妃はダイアスの財力と技術力を利用したい。
一方のダイアス当主は、ライムとクレイスを結婚させてダイアス家の影響力を強めたい。
「――二人の利害は一致していて、完全なる共犯関係の運命共同体なの。どちらか片方だけ手を引かせるのは恐らく不可能でしょうね」
だけど、と言葉を切ったヨルダがステラを見た。
「今、王弟妃殿下とダイアス当主の間には亀裂が入り始めている。突然、いないと思われていたクリノクロアのお姫様が現れたから」
そう言ってニコッと微笑む。
ちょいちょいつついてくるのをやめて欲しい。――そう思いながら、ステラも何の話でしょうかという気持ちを込めてニコリと返した。
そんな白々しいやりとりを半眼で眺めていたライムが、面倒くさそうに口を開いた。
「ミネットおばさまにしてみれば、ユークレースに弱いダイアスよりも、クリノクロアのお姫様のほうが魅力的なんだよな。それにおばさまは、クリノクロアが王家側――王子のどっちかと組む可能性があると考えている。だから先に手に入れようと焦ってるんだよ。……私はクリノクロアが王位継承に口を出す可能性は低いと思うけどな」
その言葉にヨルダが頷く。
「最初に均衡を破ったのは王弟妃殿下自身だから、その可能性が看過できないのでしょうね。……人は自分と同じ基準で他人も動くと考えがちだもの。事実、私の兄弟の陣営も王弟妃殿下と同じようにクリノクロア獲得を目指して動き始めているもの」
困ったものね、とヨルダはリシアを見た。
「――けれど、ユークレースを始めとした旧家はどの家も、クリノクロアがそう簡単に応じるとは思っていないでしょう?」
「そうですね……。基本的に私達は、勢力の均衡を重んじて王家との過剰なかかわり合いを忌避していますから、クリノクロアも同様かと」
実際、レビンも王家と関わることに否定的だったし、お互い監視しあって均衡を守るのが役目というような言い方をしていた。それが古い家系の共通認識なのだろう。
「そうなんだよ。うちのお祖父様も、今まで沈黙を守ってきたクリノクロアがここに来て表舞台を揺るがすようなことはしないと考えてる。……だからお祖父様はミネットおばさまの焦りが理解できない。逆に、小さい頃から面倒を見てやった小娘が、つまらない言い訳を盾にして自分を裏切ろうとしているんだ、って思い始めてる」
そこで、それまで机の上のあちこちに転がっている金属の部品を集め、塔のように積み上げていたアルジェンが、その塔から目を離さずに口を開いた。
「小娘とか言い訳とか……爺さんとオバサンは仲いいんじゃなかったの?」
ライムはそんなアルジェンを見て、無言のまま拳を振り上げ――すぐに振り下ろした。
ドンッ! と大きな音を響かせて作業台が揺れ、制作中だった不安定な塔がガラガラと派手な音を立てて崩れ落ちた。
「……利害が一致してたから仲良くしてたってことだろ。どっちも我が強いし、思い込みが激しいタイプだもん」
「ああー、せっかく十個越えたのに」
「遊んでんじゃねえよ」
「ちゃんと話は聞いてるんだからいいじゃんか」
ちぇっ、と口をとがらせたアルジェンは床に転がり落ちた部品を拾い始め、「うわ、床きたねえ!」と悲鳴を上げた。
実はきれい好きなアルジェンがほうきとちりとりを探し始めたのを、すかさずセグニットが引きずり戻したところで、ヨルダが一同の顔を見回した。
「ゴホン。まあそういうことで、これから私達が大まかにどう動くか説明するわね……」
まず、とシルバーを見る。
「私は城に戻ってシルバーとの婚約について陛下に報告します。そう時間を空けずにユークレースは城に呼び出されるでしょうね。そこで、私は継承争いに参加することを表明します」
これまで前例はないが、恐らく国王の前で宣言をしたあと、正式に議会で発表することになるだろう、とヨルダは言った。
ヨルダは自分が継承レースへ参加することを、国王が反対しないと踏んでいるらしい。
――それほど、他の候補に問題があるということだ。
「当然周囲はユークレースが継承争いに介入してきたと思うでしょう。事実確認のために色々聞かれると思うけれど、ユークレースはそれについて、はっきりとは否定しないで欲しいの。肯定するかどうかはそちらの裁量に任せるわ」
リシアが頷くのを確認して、ヨルダは話を続ける。
「今回は偽装ではあるけれど、ユークレースが継承争いに介入して勢力図を書き換えるようなことになれば、クリノクロア必ずは反発するわ。だから、彼らがユークレースを妨害しようと動きだすのを避けるために、事前にクリノクロアの耳役経由で、それとなくこちらの計画に関する情報を流そうと思っていたのだけど……」
ちらっとまた視線が自分に向いたのを感じたが、ステラは断固としてそちらを見ないぞ……と視線を泳がせた。
「一応流通関係で伝手があるけど、もしもクリノクロアの人がこのあたりにいて、直接コンタクトが取れるならそれが一番確実なのよね……そう思わない? ステラ」
「はあ、いたらいいですね……」
「そうね。そこは一旦置いておいて――反発が起きると考えた継承争いの各勢力は間違いなくクリノクロアに近づこうとする。でも相手はあのクリノクロアだからね。国王陛下が認めて、なおかつクリノクロア家自体が応じなければ、話をすることすらできない」
そして、クリノクロアの動きが見えないことに皆がやきもきし始めたタイミングで、ライムからダイアス当主にニセ情報を流してもらう、とヨルダは続けた。
「ニセ情報って、具体的にどういう内容?」
シルバーがヨルダに問いかけると、ヨルダが答えるよりも先に、ガタッと音を立ててライムが立ち上がった。そして、か細い声で話し始めた。
「お祖父様、あのね……クレイス殿下から聞いたんだけど……ミネットおばさまとクリノクロア家との交渉が進んでいて、クレイス殿下はむこうの娘と結婚することになるかもしれないんだって……」
ライムは瞼を伏せ、両手を胸に当てた。それだけで小柄な彼女は一気に儚げな印象になる。
「まだ内々の話の段階で決定ではないけど、急な破談は私がショックを受けるかもしれないからって、クレイス殿下が配慮して事前に教えてくださったの……」
悲しげに瞳をうるませる。まるで恋を失った少女のように。
ライムは辛そうに顔を伏せ――。
「いいえお祖父様。今おばさまを問いただせばクレイス殿下が秘密を漏らしたと知られてしまうでしょう? クレイス殿下の立場が悪くなるようなことはしないで……――ってな!」
――次に顔を上げたときには、憎たらしいほどのドヤ顔になっていた。そして声も、儚げで守ってあげたくなるような少女のものから、偉そうで微妙にドスの利いた声に戻ってしまった。
「うわ……」
「引いてんじゃねえよ銀髪。そこは私の迫真の演技を褒め称えるところだろ」
ライムはシルバーを睨みつける。彼女の片手は、机の影でこっそりとステラの髪をつかんでいた。やはり精霊は怖いらしい。
「……まあこういう感じで当主と王弟妃の間の行き違いを増やして、亀裂を深くしていってもらうの」
「ダイアス当主を疑心暗鬼にさせて、王弟妃と詳細な情報交換をさせないということですね」
「ええ、リシアの言う通りよ。ライムにはさらに、このホーンブレンで手に入れたという名目で『ユークレースが犯罪行為に関与している』というニセ情報をダイアス当主へ流してもらうわ」
まだ立ったままだったライムはコホンと咳払いをすると、再び演技を始める。今度は使命に燃える正義の人、といった雰囲気だ。
「――でも、元はと言えばユークレースが介入してきたせいでクリノクロアが動くことになったんでしょう? ユークレースの介入を防げれば彼らは手を引くはずよ。……私、クレイス殿下と話をして、ミネットおばさまとも協力できるよう説得するわ。だからお祖父様には、臨時の議会を招集してユークレースの不法行為を糾弾して欲しいの!」
ライムは本当にそこにダイアス当主がいるかのように虚空を見つめ、力強く長尺のセリフを言い切る。ステラとリシアはその勢いに思わず拍手をした。
シルバーは、ライムと拍手をする二人を呆れた目で見て、ため息をついた。
「もう演技はいらない」
「せっかくサービスしてやったのに」
ふん、と鼻を鳴らしてライムはやっと椅子に座った。彼女のなかで事前に予定していた演目をこなしたのだろう。
「……で? その議会で逆にダイアスと王弟妃の罪を暴露して、一緒に失脚させるってこと?」
シルバーが首を傾げると、ヨルダは真剣な表情で頷いた。
「ええ。失脚まで行かなくとも、疑念を抱かせることができればそれでいいわ。旗色が悪いと察した連中は王弟妃から離れるでしょうし。それに、真面目なクレイスが母親を見限るきっかけになればいいの。目の曇ったマザコンでも、犯罪を暴かれてうろたえる母親を見れば目が覚めるでしょう」
「クレイス殿下が候補を下りれば、継承レースは王女の独走か」
「……王弟妃がああいう人でなければ、クレイスが王位についても良かったのだけどね……」
ヨルダはそう言って苦く笑った。
「まあそれは余談ね。大体の流れは分かったかしら」
「――ユークレースは王女支持の姿勢を見せること、それと、不正行為が疑われるような動きを見せること、というのが役目ですね」
「で、私の役目はダイアスが関わった犯罪行為の証拠集めと、お祖父様を煽ることだな」
ヨルダの言葉に、リシアとライムがそれぞれ応じる。
細かいところはこれから詰めるとして……と呟きながら、ヨルダが改めてステラを見た。
「あとは――クリノクロアが協力してくれれば完璧なのだけど……」
ステラが曖昧に笑って誤魔化そうと試みていると、突然ライムにガシッと肩を掴まれた。
「そうだ! クリノクロア(仮)のお前さ、いくら払ったら私に雇われてくれる?」
一瞬、なにを言っているのだろう……と、ぽかんとしたステラだったが、ワンテンポ遅れて意味を理解し、慌てて頭をぶんぶんと振った。
つまり、ユークレース鑑賞を手伝えということだ。
「雇われません」
「月給制でこのくらいならどうだ」
「……!」
ライムが手近にあった紙に書きつけた数字は、アントレルだったらリンドグレン母子が慎ましく半年は暮らせる金額だった。ステラの心のなかでなにかがぐらりと揺れ動く。
そのステラの揺れを察知したのか、アルジェンがシルバーの腕をつついた。
「シン、あいつ買収されかけてるぞ」
「は!? さっ、されてないよ!?」
とっさに否定したステラの声は若干裏返っていた。
「すすステラ、わ、私はもっと払うよ!」とややこしいことを言い出したリシアは、シルバーにお下げを引っ張られて強制的に沈黙させられる。
「……ステラ、戻ったらちょっと話しようか」
そう言ってニコッと微笑んだシルバーの顔は恐ろしいほど美しくて、ステラは「ヒッ」と息を呑んだ。
恐ろしいほど美しくて――普通に恐ろしかった。
「や……やだ……」
「聞こえない。――王女様、話の続きをどうぞ。脇道に逸れないでくれる?」
シルバーに張り付いた微笑みを向けられたヨルダは「わ……分かったわ」と視線をそらしながら(もうあの子をつつくのはやめよう……)と誓ったのだった。




