98. 止めるのは私の
「……かんしょう?」
興奮気味のライムの言葉がよく理解できずに、ステラはオウム返しをする。
干渉?――いや、その場合は「ユークレースの連中を」ではなく、「連中に」だろう。ということは、『鑑賞』?
(無力化して、鑑賞??? ダイアスってユークレース嫌いなんだよね?)
ステラの頭の上に「?」が飛び交う。
それに、ライムの表情はどう考えても悪意のあるそれではないのだ。
目を輝かせたライムが椅子の影から出て、ステラの方へとにじり寄――ろうとしたが、ヨルダが「ライム、ダメ。ステイ」とその襟首をつかんで引き止めた。
「はあ? なんだよユナ、私の長年の夢が叶うってのに邪魔すんなよ」
「あのね、彼女の横を見なさい。ものすごく殺気立っている人間がいるから」
ヨルダの言葉でライムの視線がステラの横にスライドする。つられてステラも、斜め前にいるシルバーを見上げる。
案の定、彼の目は完全に据わっていた。もしもここが精霊の多い場所だったらすでに軽い被害が出ていたかもしれない。
ライムはシルバーの様子に「ヒッ」と小さく息を呑んだが、すぐに気を取り直して目を吊り上げた。
「お、脅しても無駄だ。リシア・ユークレースが精霊術は使わないって言ったし」
対するシルバーは薄く微笑んだ。
笑っているのに無表情よりも怖いのはなぜだろう。
「物理的に排除しないとは言ってない」
「シン、やめなさい」
物騒なことを言い出したシルバーの腕を、ステラは慌ててペシペシと叩いた。これから協力し合おうというのに攻撃を宣言してどうするのだ。
「はいはい、どっちもストップ。そして今のは主にライムが悪いわ。推測を話した私の責任でもあるけれど」
「なんで私が悪いんだよ」
「こじれるから静かにしてくださる? それでね……事前にライムについて話したときの反応を見るに、リシアたちは知っているようだけど、改めて説明しておくわ。ご覧の通り、ライムはかなり重篤な美形愛好家なの」
そう言って、ヨルダは何とも言えない表情を浮かべた。
よく面食いだとからかわれるステラは『美形愛好家』という単語が他人事とは思えないのだが――ヨルダの表情とライムの様子、そしてリシアのハの字になった眉の角度から察するに、どうやらそういう軽い次元ではなさそうだ。
「ライムはね、とにかくキレイな人には目がないのよ。それなのに、困ったことに敵対しているユークレースは美形揃いでしょう? じっくり鑑賞したいけれど近寄るのは嫌、っていうジレンマを抱えているの」
「なるほど、長年の夢ってそういう……」
「そうなの。現状では遠くから眺めることしかできないから。……王城で定期的に開かれる、各家の当主が集まる会議があるのだけど、そこにライムはほぼ毎回顔を出しているのよ。出席する必要がないのに。――会議室のある建物から離れた、窓から会場内が見える部屋を確保して、双眼鏡でユークレースの当主を観察するためにね」
「涙ぐましい努力を通り越して変質者よね」とヨルダは頬に手を当ててため息をついた。
変質者と呼ばれたライムは不機嫌な顔で「ふん」と鼻を鳴らす。
「別に迷惑かけてないし、遠くから見てるのなんか、あちらさんだって気付かないだろ。そんなの見てないのと同じだって」
「だけどライム、リシアたちが知っていたっていうことは、つまり、あちらの当主は気付いていたっていうことよ?」
「……またまた。どうやって気付くのさ」
ライムが心なしか縋るような視線で「なあ」とリシアに賛同を求めたが、リシアは視線を泳がせる。何も言わなくともそれが答えのようなものだが、リシアは申し訳無さそうに目を伏せて口を開いた。
「と、遠くても、精霊が、教えてくれるので……」
「精霊……! どこまでも私の邪魔を!」
「覗きは邪魔されても仕方ないと思うわ」
「正論を振りかざすなよ。人のささやかな楽しみだってのに……」
ヨルダの冷静な指摘を受けたライムは若干涙目で呻いた。ヨルダはそのライムの肩を慰めるように叩く。
「私が言いたいことはつまり、このライムがクリノクロアの孫娘を見つけたとしても、ユークレース一族に対する遠距離からの窃視が近距離の凝視に変わるくらいだから安心してほしい、ということよ」
「いや、それはそれで安心できないけど」とアルジェンが突っ込むが、ヨルダは諦めを含んだ顔で首を振った。
「そこは我慢して。重要なのは、ライムが『クリノクロアの孫娘』を、ダイアス当主にも、王弟妃にも、もちろん私の兄弟にも突き出す心配をしなくていいというところだから」
「でも、その人はクレイス殿下との婚約を解消したいって聞いたけど。そのためには、代わりの花嫁を王弟妃に突き出すのが一番近道じゃないの?」
依然として不機嫌オーラを纏っているシルバーが冷たい声でそう言った。
「それなのに、突き出す心配がないって言えるの?」
シルバーの顔には、信用できない、とはっきり書いてある。完全に煽る姿勢のシルバーの態度に、ライムがまた怒り出すのではないかとステラはヒヤヒヤしたのだが、彼女は意外にも苦笑まじりに肩をすくめてみせた。
「お前の言いたいことは分かる。が、私は『そのつもりはない』と言うしかない。……ずっと立たせとくのも気分悪いし、その辺に転がってる椅子に適当に座れよ。全員。でもクリノクロア(仮)は私の隣な。ユークレースと向き合うんだからそのくらいの安心材料が欲しい」
そう言うなりライムは踵を返し、工具や設計図のようなものが乱雑に積み上げてある作業台まで戻ると、そこにあった椅子にドカリと腰を下ろした。そして、「(仮)はそこ」と、自分の横にひっくり返っている椅子を指さした。
ステラがシルバーの表情を伺うと、彼はまだ面白くなさそうな顔をしていたが、それでもステラがライムの隣に行くことを止める素振りは見せなかった。
恐る恐るステラが指定された椅子を起こして席につくと、他の面々も各々近くにある椅子を持ってきて作業台の周りを囲んだ。
奥側にヨルダ、ライム、ステラの三人、その向かいにリシアと兄弟が座り、セグニットはすぐに動けるよう、座らずに立ったままだ。
ライムは全員が落ち着いたのを見てから、お茶を一口飲んだ。――お茶はもともと淹れてあったもので、ライムの分しかない。ユークレースだけでなく、王女に対しても気遣うつもりはないらしい。
「――さっきそいつが言った通り、私がユナに協力する目的は婚約の解消だ」
「あ、あああの、一つ確認させていただいてもいいですか?」
リシアが小さく挙手する。ライムはティーカップを置いて、「どうぞ」とぶっきらぼうに返した。
「ダイアス家にとって、その婚姻は利益の大きいものです。ライムさんとダイアスの現当主の仲は良好と聞いていますし、解消を望む理由があるようには思えないのですが。なによりも、あの……く、クレイス殿下は、かなり、整った容姿の男性、ですし……」
ここへ来る前、ヨルダから婚約解消の話を聞いたときにリシアとシルバーは変な顔をしていた。
ステラはそのとき、なぜ彼らがそんな顔をしたのか気になっていたのだが、どうやらライムの普段の行動から考えて、美青年のクレイスとの縁談を断るというのが信じられなかったから、ということらしい。
「私もライムから婚約を白紙に戻したいって聞いたとき、聞き間違いかと思ったわ。ユークレースの人間ほどじゃないけど、クレイスだって城内の侍女たちに人気があるもの」
ヨルダも頷く。以前からライムと親しい様子のヨルダがそう言うのだから、かなりの異常事態なのだろう。
「うるさいな。私にだってこだわりがあるんだよ」
「こだわり?」
「鈍いやつに付き合うのは大変だって話」
「……まあ、たしかにクレイスは男女間の機微に勘の利くタイプではない、というよりも、だいぶ勘も気も利かないタイプよね」
クレイスのことを思い出しているのだろう。ヨルダはしみじみとつぶやいた。ライムはそんなヨルダを半眼で見つめ、「ああまあ、そういうことだよ」と投げやりに言って、机に頬杖をついた。
「それと、クレイス殿下が云々ってことだけじゃない。私の一番の目的は、いい加減ズブズブになってきてるミネット王弟妃殿下とお祖父様の繋がりを断つことだよ。婚約の解消は分断の足がかりになるだろ」
「……たしか、ダイアスの現当主は王弟妃殿下のご実家と付き合いが深い方ですよね」
リシアの質問に、ライムは頬杖をついたままちらりとそちらを見て、すぐにテーブルに視線を落とした。
「そ。ミネットおばさまは昔からちょっと危ういところのある人だったけど、王弟殿下が亡くなってからはもう酷いもんでさ。権力に取り憑かれちゃってるっていうか。――なまじ息子のできが良かったもんだから、夢見ちゃうんだろうけど」
「……そうね。もともと権力への執着が強い人だったけど、歯止め役になっていた叔父様……王弟殿下がいなくなってしまったから」
ヨルダは「叔父様が生きていらしたら、ここまでこじれなかったでしょうね」と困った顔で微笑んだ。その横でライムが大きなため息をつく。
「真っ当に政治活動してるんだったら勝手にすればいいんだけどさ、だいぶきな臭い話もちらほら聞くようになってきたんだよ。ユークレースも被害にあってるでしょ? そのきな臭いアレコレに、ほぼ間違いなくお祖父様が手を貸している。流石にそれは許せないよ」
「それで、内部告発で当主を失脚させようと? ……失脚となると、ダイアスの一族全体が打撃を食らうことになりますが……」
リシアが首を傾げ、ライムを見つめる。彼女の反応を見て、本心を探ろうとしているのかもしれない。視線をテーブルに落としていたライムはその視線には気付かず、ムスッと口をとがらせた。
「そんなの分かってる。私だって初めはもっと家族や家名へのダメージが少ない方法を探したさ。何度もお祖父様を説得しようともしたし。……でも、ダメだったんだよ。年取ると人の話を聞かなくなるって言うけど、まさにそれ」
「ダイアス家の中で、止めようとしているのはライムさんだけなんですか?」
「そうだね。今のダイアスって完全にお祖父様のワンマン経営でさ。お祖父様以外に家の細かい状況を把握してるのは、私と、お父様と、お祖父様の秘書くらい。……お父様はお祖父様を怖がって意見しないし、そもそもお祖父様から全く相手にされていない。秘書はお祖父様に心酔してるから対立するような意見なんて出すわけもない」
つまり止めるのは私の役目、と、ライムは肩をすくめた。
「……私も、急速に事業を大きくしたお祖父様の手腕は尊敬してるけど……ここしばらくのやり方は賛同できない。汚いやり方で大きくなるのは成長じゃなくて肥大でしょ。そんなぶよぶよの贅肉がついたダイアスなんて、私はいらないよ」
ライムは眉根を寄せて吐き捨てるように言い切った。その声に今までの勢いはなく、さみしげな響きに聞こえた。