第98話:彼氏の威厳を示すのは難しい
少しだけ飲み過ぎた一ノ瀬の合格祝いを兼ねた飲み会の翌日。
寝ている時の体勢が良くなかったのか、俺は割と早めに目が覚めた。
一ノ瀬は気持ちよさそうに寝息を立てている。
流石に俺の身体の上は寝心地が悪かったのだろう。すぐ隣で丸くなっていた。
しっかりと布団をかけ直したら少し髪を撫でる。
俺は起こさないようにゆっくりとベッドから抜け出した。
幸いにして酷い二日酔いではなさそうだ。まずはシャワーを浴びることにした。
そして歯を磨いたら、電気コンロに片手鍋をかけてお湯を沸かす。
その間に、冷蔵庫から玉ねぎを取り出して適当に刻んだ。
お湯が沸いたら、だしの素を溶かして刻んだ玉ねぎを投入する。
さらに冷凍庫からカットしめじを取り出して凍ったまま投入。
玉ねぎが透き通るぐらいまで火が通ったら、火力を落とした。
液体の味噌を入れて味を調える。最後に乾燥わかめを適当につまんで入れた。
一ノ瀬が朝ご飯を食べないことは知っていた。
だけど深酒した翌日は胃に何か入れた方が良い。味噌汁だけでも大分楽になる。
……何より、俺自身が味噌汁を飲みたかった。
「高木くん……?」
一ノ瀬の声がしたので慌ててベッドに戻る。
「ごめん、起こしちゃったか?」
「むううう……」
例のごとく、寝ぼけているようだ。
このパターンは抱き着いてくる。俺はそう察知して自ら彼女に近寄った。
「もう! 勝手に居なくならないでよ……」
そう言った後、一ノ瀬は予想通り抱きしめてくれた。柔らかくて気持ちが良い。
優しく頭を撫でると満足したのか、彼女は再び眠り着ついた。
あーもう、本当に可愛いなあ。折角なので隣に寝転んで布団をかけ直す。
どうせ春休みで大学に行く必要もない。俺もご相伴にあずかることにした。
布団の温もりよりも一ノ瀬から伝わってくる温もりがたまらない。
心の底から安らぎを感じて、幸福をかみしめる。
きっと、これ以上に幸せなことなんてこの世界に存在しない――。
「あああああ!」
俺の微睡は悲鳴によって終焉を迎えた。
「んー? どうした一ノ瀬」
「高木くん……、ねえ、昨日のこと……」
一ノ瀬は何故か顔を真っ赤にしていた。
「ああ、昨日のお前は凄く可愛かったぞ。でも俺が居ない時は飲み過ぎるなよ?」
「忘れて!」
一ノ瀬は毅然とした態度でそう言った。
「お願いだから忘れてよ! もう嫌だ、恥ずかしくて生きていけない!」
「大丈夫だよ、俺は困らなかったし。でもお前がそうして欲しいなら忘れるよ」
そう言って頭を撫でる。昨日のあれは素面の一ノ瀬からすると醜態なのだろう。
「……シャワー浴びてくるね」
「おう、行ってらっしゃい」
やはり、酒は良くないな。一ノ瀬も身に染みて分かったことだろう。
ある意味、大学に入学する前にこの経験が出来て良かったのかもしれない。
飲み会で羽目を外すとどうなるか……、安全な状況で知ることが出来たわけだ。
とはいえ、それでも不安は尽きない。人間は何度でも同じ過ちを繰り返す。
一ノ瀬がシャワーを浴びている間、俺は味噌汁を温めておいた。
上がってきたところを見計らって、お椀に盛り付ける。
フリーズドライの刻み葱を振りかけると見た目が良い。
「何コレ?」
「味噌汁だよ。二日酔いは大丈夫か?」
「うーん……、ちょっと気持ち悪いかも。でも大丈夫」
そう言いつつ、味噌汁を呑む一ノ瀬。風呂上がりの良い匂いがした。
「あ、美味しい。なんか良いね、こういうの」
「気持ち悪いのも少しは良くなると思うよ」
個人的に二日酔いの朝は味噌汁でかなりの元気が出る。
「ふふふ、ありがとー、高木くん。でもコレ、普通は逆だよね……?」
「そんな前時代的な事を言うなよ。
俺は『毎朝、味噌汁を作らせてくれ!』ってプロポーズする男だぞ?」
「それ、あんまり格好良くないよ?」
「相変わらずだな、昨日はあんなに素直だったのに……」
今思い出してもドキドキする。たまにで良いから酔いつぶれて欲しい。
「高木くん! 次にその話をしたら、殺すからね?」
「ごめんなさい、許してください」
やはり、素面は野獣のような女の子だった。
「ごちそうさま。この後、どうするの?」
「おそまつさま。どうしようか? もう1回寝る?」
「……エッチな事考えてるでしょ」
「しょうがないだろ、昨日は何もしてないんだから」
「もう! ……いいけどさ。でもそればっかりなのもなんかヤダなあ」
「ん、じゃあ少し散歩でも行くか? 桜も咲いているし」
「いいねー、その後はゲームしたい!」
「わかった、じゃあ帰りに昼飯の買いだしをして戻ってこよう」
俺達の日常は実にありきたりだった。特別な事など何もない。
もちろん、時には旅行に行ったり遊園地に行ったりすることもある。
けれど、大抵はこうやってのんびりとした時間を一緒に過ごすだけだ。
俺は彼女が傍にいるだけで、そのすべての時間を愛しいと感じていた――。
「ただいまー。ごめんね、今日はちょっと遅くなっちゃった」
「おかえり。1年生なのに忙しそうだな、大丈夫か?」
あの後、一ノ瀬の一家は関西へ引っ越した。
都合、彼女は大学の女子寮に住んでいる。
これは過去の世界と同じだ。彼女の父親が転勤することになったらしい。
一ノ瀬が大学に合格するまでは単身赴任をしていたそうだ。
弟であるやっくんも母親について行ったので一ノ瀬はこっちでは独りである。
最初は不安そうにしていたが、大学に入ってしばらくすると慣れたようだ。
女子寮は相変わらず苦手らしいが、友人は多いと聞いている。
学校では男友達と行動することが多いと言っていた。
……なんだか、色々と心配である。
「うん、大丈夫だよ。でも調べ物が大変なんだー」
「ネットが使えれば楽になるんだけどな……」
なお、この頃はまだ英語版でやっとまともな検索が出来る程度の時代だった。
頑張れば俺の学校で出る課題のソースコードぐらいは検索出来たけどな。
誰でも何でも調べられるようになるのはもう少し後の事だ。
「ネット? なんかD大生っぽいね」
「確かにそうだな。でも、もう少ししたら一気に普及すると思うよ」
ここで未来の話をしても悲しいだけだった。
「しばらくは遅くなりそうか?」
「うん……。でも慣れればもうちょっと早く出来るようになると思う」
一ノ瀬は要領が良い。彼女がそう言うのなら大丈夫だろう。
「調べ物にもコツがあるよな。
俺の大学にも図書館はあるから、少しぐらいなら手伝うぞ?」
なお、一ノ瀬は割と頻繁に俺の家に泊りに来ている。
過去の世界で一緒に住んでいた時と似たような感じだ。
ただ、今の俺の部屋はとても狭い。ふたりで過ごすにはちょっと窮屈だろう。
……それはそれで、距離が近くて悪くは無いのだけど。
「いいよー、浅井君も手伝ってくれるし」
「また、その男か……」
浅井君。一ノ瀬の目の前に座っていたという男友達の1人である。
大学生のファーストコンタクトは意外と「席が近い人」である場合が多い。
そもそも、同じ大学に在籍している時点で自分と近い人間なのだ。
同じように勉強し、似たような将来を描いている人が集まっている。
わかりやすく言うと、理系大学に文系の人はいない。
だから、きっかけがあれば、誰であれ親しくなりやすいのだ。
「ヤキモチ焼いてるの? 大丈夫だよ、ただの友達だから」
一ノ瀬は安心してみせているけど、とてもそうとは思えない。
「向こうがそう思っているとは限らないだろ」
「もう! そういうの、恰好悪いよ?」
うう……なかなか手厳しいな。でも彼女がこういう人間だと知っている。
「分かったよ、でも、もし何かあったら言ってくれよな?」
「……だーかーら。そういうのじゃないの!
ちゃんと『彼氏がいる』って言ってあるし!」
一ノ瀬、世の中はお前が思うほど誠実じゃないんだ。
彼氏が居ても好きになってしまう人だっている。
それは相手を諦める理由にはなるかもしれない。
けれど、誰かを好きにならない理由には出来ないと思う。
俺だってそうだった。お前を好きでいることは止められなかったんだ。
「高木くんはさ。男子は皆、私のことを好きになると思ってるんでしょ?」
「だって、お前は可愛いから……」
「馬鹿なの? 普通の人は私なんか見向きもしないんだよ」
「そんなことは絶対にない! 知り合えば皆お前のことを好きになる」
俺はお前のことをそういう人間だと思っているんだ。尊敬している。
「もう……、面倒くさいな」
「ごめん、悪かったよ。これ以上は言わない」
だから、そんなうんざりしたような顔をしないで欲しい。普通に傷つく。
「そうして! 今なら怒らないであげる」
大丈夫、この程度の喧嘩未満のいさかいなら何度もしてきた。
「うん、じゃあ、お詫びに何か作ろうか?」
こういう時は話題を変えるに限る。
「うーん、それじゃハンバーグが良い!」
「わかりました、準備します。お酒も飲むか?」
「お肉には……赤ワインだよね?」
すっかりお酒を飲むのが当たり前になってしまった。
「了解、ちょっと待ってな、買い出ししてくる」
「あ、一緒に行こうか?」
基本的に優しいところは変わらないんだよな。
「良いよ、お詫びなんだから。お前も疲れてるだろ。シャワー浴びて待ってて」
「ん、分かった」
どうやら、機嫌は戻ったようだ。
買い出しをしながら色々と考えてしまう。
多分、俺がダメなのは間違いない。どうしても人生最悪の日がチラつく。
今の一ノ瀬とは、はっきり言って過去の世界よりも良い関係だ。
正直言って、これ以上ないぐらい上手くいっていると思う。
この状況で相手を疑うなんて、失礼この上ない。それは解っていた。
それでも、やっぱり怖いんだ。いつか居なくなる、その感覚が消えない。
せめて、一ノ瀬の男友達と知り合いにでもなれれば違うかもな。
けれど彼女はそういった干渉や束縛を嫌う。この手は使えない。
「ただいまー」
「おー、早かったね」
「作る物が決まってれば時間はかからないよ」
スーパーも近い、徒歩で5分もかからなかった。
いつも通りの手順でハンバーグを作る。その間、一ノ瀬はテレビを見ていた。
なんだか良いなあ、この感じ。俺の時間が彼女のためになる、それが嬉しい。
「お待たせ」
「わーい、ハンバーグだ!」
はしゃぐ姿が子供みたいだった。相変わらず可愛い。
「明日は学校あるからワインは1本な」
「えー、2本じゃないの?」
普通の人はひとり1本は飲まないんだぞ。
俺としてはむしろ一ノ瀬には酔っぱらって欲しい。
だが、流石にそれを目的として飲ませるのはずるいと思う。
大学に合格するのは医者になるための1歩であってゴールじゃない。
俺はこの先も、彼女の足枷ではなく支えになりたいと思っている。
「朝起きるの辛くなるぞ?」
「うーん、それじゃ仕方ないか」
分かってくれてほっとした。ふたりで食べる夕食は美味しく感じる。
食事の合間に一ノ瀬は大学での話をしてくれた。
嬉しそうに話す顔がたまらない。合格出来て本当に良かったな。
しかし、友人の話になると大抵は「浅井君」だった。
どうもかなり面倒を見てもらっているようだ。
居眠りしたら起こしてくれるらしい。お昼もよく一緒に食べるそうだ。
ふむ、この間はコーヒーを奢ってもらったのか。まあ、それぐらいなら……。
調べたレポートを見せてくれる。女子寮に居る時はたまに電話をくれた。
何度かふたりで飲みに行きたいと言われたけどちゃんと断った、と……。
「おい、ちょっと待て、それはアウトだろ!」
「何!? どうしたの?」
いかん、思わず声に出してしまった。もうこれ以上は追及しないと言ったんだ。
胸の内に留めるつもりが、我慢できなかった。
「いや……、何でもない、気にするな」
しかし、一ノ瀬よ。それは流石に好意を持たれているだろ、分かれよ。
それに飲みに誘って断わられた時点で相手も分かれと言いたいところだ……。
どうしよう、コレ。駄目な案件に間違いない。手を打ちたいが何も出来ないぞ。
「……もしかして、またヤキモチ?」
「そうだけど……、ごめん。もう言わないって言ったから気にしないでくれ」
俺は一ノ瀬を不機嫌にしたくない。
それに言ったところで、どうにかなるものでもないだろう。
「ねえ、それじゃあさ、今度、私の大学に来る?
浅井君を見れば高木くんも安心すると思うんだ」
彼女がこんな提案をするのは珍しい……、というより過去には無かった。
「良いのか?」
「……あんまり良くないけど、高木くんに変な我慢させるのも嫌なの」
ああ、なんだ。口こそ悪いけど、ちゃんと歩み寄ろうとしてくれていたのか。
「じゃあさ、今度迎えに行ってもいいか?」
「うん、良いよ。その時に紹介するから、一緒に帰ろ」
その言葉が凄く嬉しかった。
「一ノ瀬……」
「ただし、ちゃんと恥ずかしくない恰好してきてよ?」
しかし、見事に釘を刺されてしまう。悪い顔しているなあ。
「うぐ……それは、出来るだけ頑張ります」
かくて、俺は一ノ瀬の学校で「浅井君」と直接対決をすることになった。
……嫌だな、俺、そういうのには全く向いてないんだけど。
でも、一ノ瀬の彼氏であるという立場をそう簡単に譲るわけには行かない。
――後日。
俺は一ノ瀬の学校のカフェテリアに居た。
我がD大よりもはるかに華やかだ。さすが都会の大学……。
多摩地区の中ほどにある片田舎の大学とはわけが違う。
それにしても緊張する。なんだろう、俺は何故こんな試練を受けているのだ。
元々、俺は人見知りなんだぞ。穏やかでのんびりとした何もない日々を好む。
それに良く考えたらこれは失策かもしれない。こんな俺に何が出来る?
悠人みたいなイケメンが出てきたら絶望するだけだ。
渦中の人である「浅井君」と対峙した時にどうするかを必死で考えた。
――これは俺の女だから、手を出すな。
駄目だな。この台詞が許されるのはイケメンだけだ。俺には似合わない。
――うちの一ノ瀬がお世話になっています。これからも仲良くして下さい。
これも駄目だ。爽やかな笑顔が似合うメガネのイケメンじゃないと効果がない。
――コイツが良い女だからって、惚れてくれるなよ?
アホか。これは髭が似合うイケメン用だ。そもそも口調が違う。
「はあ……」
思わず、ため息が出た。
やっぱり、俺はこういうのに向いていない。
器用貧乏……、役に立たない才能だな。そもそも人に誇れるものなどないのだ。
「高木くーん!」
遠くから一ノ瀬の声が聴こえた。迷わずに振り返る。
後ろには男子が3人、女子はいない。
なんだか、俺達のグループとちょっと似ているな。
「お待たせ」
「気にするな、大して待ってないよ」
とりあえず、余裕を持って答える。
「あー、コレ、さっき話してた私の彼氏です……」
一ノ瀬はそう言って俺を紹介する。
「高木です、すいません、お邪魔して……」
俺はそう言って頭を下げた。
3人のうち、2人は長身、1人は一ノ瀬より少し高いぐらいかな。
幸いなことに全員、一ノ瀬の好みとは少し違っていた。
そのことにホッとする自分は嫌いだ。俺に他人の外見を評価する資格は無い。
「植村です、よろしく」
長身の内の1人は浅井君ではなかった。背は高いがひょろっとしている。
「河口です」
なんと、浅井君は長身ではなかったのか。河口君は一番一ノ瀬の好みに近い。
けど、アイツはたらこ唇が苦手だと言ってたはずだ。
「浅井です……その、よろしく」
彼は眼鏡をかけていて、俺と似たような風貌だった。
なるほど、見れば安心する、か……。
全然違うよ、一ノ瀬。きっと安心したのは浅井君の方だろう。
俺を一目見て思ったはずだ。「アイツで大丈夫なら俺にも可能性がある」と。
とても見下すことなど出来ない。一途で優しさそうな人だった。
誰が見ても、好感を持てる。そんな雰囲気を持っていた。
「えっと……」
俺は言葉を失う。駄目だ、何も思いつかないよ。
彼氏らしいところを見せつけて、一ノ瀬の事を諦めてもらいたい。
これは徹頭徹尾、俺の我儘だ。彼の事を傷つける、残酷な行為だと思う。
俺は「それが彼のためにもなる」なんて言わない。
それは偽善であり、自己の正当化だ。今回の事は俺の都合に他ならない。
だから……何て言えばいいか分からなかった。
「一ノ瀬は俺には勿体ないぐらい良い子なんだ。いつも優しくしてくれる。
だから、その……、これからも仲良くしてもらえると、俺も嬉しいです」
威厳の欠片もない態度である。でも、俺が絞り出せた言葉はこれだけだ。
「あはは、もう! 相変わらず冴えないねえ、高木くん」
一ノ瀬は笑いながら俺の肩を軽くはたいた。
「そう言うなよ、今日はもう帰れるのか?」
「うん、今日は大丈夫。皆で飲みにでも行く?」
そうすれば、少しは挽回できるかもしれない。
「いや……、出来れば帰りたいかな」
けど、無理だろう。俺はきっと気を使うだけで終わってしまう。
「え、そうなの? じゃあ、一緒に帰ろうよ」
「良いのか? 時間取ってもらったのに何か悪い気がする」
元々は俺が言い出したことだ。
「良いよー、別に。今日は元々、そこまでするつもりじゃなかったし」
「そっか、なら良かったよ」
そういって俺は左手を差し出した。一ノ瀬は黙って荷物を俺に預ける。
頭を撫でたり、抱き寄せたりはしない。それはきっと一ノ瀬が嫌がる。
「じゃあ、すいません、今日は連れて帰ります。今度、よろしくお願いしますね」
「ふふふ、何で敬語なの? 高木くんの方が学年上なのに」
そう言われても、初対面の相手だからな。
「じゃあ、またね、梨香さんに……高木さん」
「またねー!」
浅井君の挨拶に一ノ瀬が笑顔で手を振って答える。……罪作りなヤツだ。
そして、俺たちは3人から離れてふたりになる。
「ね、大丈夫そうでしょ?」
お前の目はどうなっていやがる。そう言いたい気持ちをぐっとこらえた。
「うん、皆、良い人そうで安心したよ」
「ねー、そうでしょ!」
嬉しそうな顔だ。まあ、今日はこれでいいか。
「今夜は何を食べたい?」
「うーん……たまには鍋とかどうかな?」
「いいね、水炊き鍋かチゲ鍋か……、ポトフってのも良いな」
「お、ワインに合いそう!」
だからお酒をメインに考えるのは止めなさい。
結局、俺は何がしたかったのか。良く分からなくなってしまった。
彼氏の威厳を見せて、一ノ瀬に寄りつく相手をけん制する……?
よく考えたら、俺に威厳は無いのだった。
むしろ、姿を見せることは逆効果だったかもしれない。
しかも一ノ瀬は人前で手を繋いだり腕を組むのを嫌う。
仲の良さを見せつけることも出来なかった。
「えへへー、たまにはこうやって一緒に帰るのも良いね!」
「じゃあさ、時々は迎えに来ても良いか?」
俺も、一緒に帰れるのは嬉しかったんだ。
「そんなに私のことが心配なの?」
「うーん、それもあるけど……、ちょっとでも一緒に居たいんだよ」
これは偽りのない本心である。
「ふーん……、じゃあ、高木くんが暇なときは来てくれる?」
「ああ、そうさせてくれると嬉しいな」
結局、俺に出来るのはこのぐらいなのかもしれない。
縛られることが嫌いな一ノ瀬に干渉することはしたくなかったんだ――。
「……最近、浅井君が冷たい」
ある日の夜、布団の中で一ノ瀬がぼそりと言った。
「ん? なんだ、何かあったのか?」
「そういうわけじゃないんだけど……、電話かけてこなくなったんだよね」
何故だろう。俺の妨害工作は見事に失敗したはずなのだが……。
一ノ瀬はどことなく寂し気な表情だ。少しだけ胸が痛む。
「そっか……。寂しいか?」
「んー、ちょっとだけ。あ、でも勘違いしないでよ?」
「大丈夫だよ。そういうのは何となくわかる」
他人からの好意が嬉しい、そんな気持ちまで否定する気はない。
どうしたって思い出してしまう。奈津季さん、元気にしてるかな……。
今年の夏休みには会える。それを楽しみだと思っている俺だっているんだ。
「やっぱり……俺のせいかな?」
「そんなことないと思うけど……」
でも、一ノ瀬に原因があるとは思えない。
「友達は何か言ってた? 俺のこと」
「んー、別に何も。でも最近は『旦那さん』って呼ばれてるよ」
「へ? どういうことだ? 俺、1回しか会ってないよ」
「なんかね、長年連れ添った夫婦みたいだからだって」
……そうなったのか。まあ、熱愛カップルには見えないだろうけど。
でも、なんだかちょっと嬉しいな。傍目からはそう見えるのか。
「ごめん、それじゃ多分、俺のせいだ」
「意味わかんない。でもまあ、いいか。断るのも悪かったし」
「意外と軽いな、平気なのか?」
「うん……だって、私には高木くんが居るからね」
その信頼がとても嬉しかった。
「……女子寮で寂しい時はメールくれよ。電話するからさ」
「んー? でもそういう時は大抵、高木くんはバイト中じゃない?」
言われて気がつく。一ノ瀬が家に来ないのは俺が居ないからだ。
「そうだった……」
「安心してよ、私、そこまで寂しがり屋さんじゃないから」
今も続けている深夜バイト。まさかそこがネックになるとは……。
「えいっ!」
彼女はそう言って抱き着いてきた。ずっと一緒にいるのに嬉しくたまらない。
甘くて優しい、一ノ瀬の匂いがする。
「どうした?」
「充電してるの」
こうやって抱きしめられると、どうしても意識してしまうな。
「……高木くんってさ。意外と見境ないよね?」
「申し訳ない。お前と違って俺の方は寂しがり屋なんだ」
春休みはずっと一緒だったのに、もっと一緒に居たいと思う。
「もう、しょうがないなあ……。そんなにしたいならいいよ?」
一ノ瀬は少しだけ、恥ずかしそうにそう言った。
「お前は本当に天使だな」
「ばーか!」
俺は相変わらず悪態をつく一ノ瀬を優しく抱きしめる。
彼氏の威厳は示せなかったけど、結果は何とかなったと思う。
綱渡り感は否めない。でも、これで良いのだと思った。
俺はもう、2度と彼女を失いたくない。
そのために必要なのは誰かの足を引っ張ることじゃないだろう。
ただ、目の前にいる一ノ瀬を大切に想い、愛することだ。




