第95話:やはり遊園地は気の合う友人と行くべきだ(後編)
あの後、俺達は結局合流して遊ぶ事になった。
悠人と理絵さんについてはとりあえず考えない事にする。
ちょっと酷い気もするけど、仕方ないだろう。
「なあ、ろっち。君は、高所恐怖症じゃなかったか?」
「高木君は高所恐怖症の本質を分かってないな。
怖いのは高度よりも『落ちそう』って感覚なんだ。
コースターみたいに安全が確保されていれば大丈夫なんだよ。
逆に手すりの無い階段とかガードレールの無い崖の方がよっぽど怖い」
なるほど、そういうものなのか。ちょっと良くわからない世界だな。
「あああああ! 待ってくれ、これは無理だ!」
カタカタと登る途中で神戸さんは悲鳴を上げた。
「いや、だから俺は散々言っただろ」
隣に居る一ノ瀬が笑いをこらえ切れなくて泣きそうになっていた。
なんか、意外と神戸さんがライバルに思えてきたぞ……。
こんな事言ったら、ここに居る全員に笑われてしまうだろうけど。
そして、ジェットコースターは走り出す。
一ノ瀬は相変わらず、盛大な悲鳴を上げていた。
うん、楽しいな。やっぱり……お前と一緒にいるのが一番だよ。
「あはははは! ろっちさん、凄い顔、面白い!」
写真の神戸さんは引きつった顔なのに、しっかりとピースサインを出していた。
「しかし、これはヤバイな……」
「予想以上だわ」
康平と麗子もダメージが大きかったようだ。
「一ノ瀬は大丈夫か?」
「高木くんは大丈夫?」
同時にお互いを心配する。そして、その裏にある気持ちも一致していた。
「もう一回行くか?」
「うん!」
俺たちは顔を見合わせて、ふたりで頷いた。
その場に居た全員が「勝手にしなさい」と思っただろう。
友人たちはベンチに座りながら俺たちを見送ってくれたので列に並び直す。
「高木くん、あのね、お化け屋敷、超怖かったよ……」
「ああ、やっぱりそうなんだ、噂には聞いているよ」
一ノ瀬は俺の袖を握りながらそう言った。
「高木くん……、ああいうの、実は苦手でしょ?」
「何で知っている?」
基本的に、俺はお化けなど信じていない。でも怖いものは怖いのだ。
「前に文化祭で一緒に行ったとき、やせ我慢が見え見えだった」
「……変なところだけ鋭いよな、お前」
他人からの好意には鈍感もいいところなのに。
「ねえ、今度一緒に行こうよ?」
「何でだよ、お前の方が苦手だろ?」
相変わらず、意味が分からない。
「だってー、高木くんが怖がっている所はみたいんだもん」
また悪い顔をしていた。そのために自分が怖いのも我慢するというのか。
「まあ、お前が行きたいのなら、構わないけど」
「えへへー、やっぱり高木くんはいいねー!」
相変わらず、何を考えているかよくわからない。けど、可愛いからいいか。
並んでいる間すら、一ノ瀬と一緒なら楽しい。
そして、俺達は3度、世界一のジェットコースターを堪能した。
「……流石に、連続で乗ると三半規管が揺れるな」
「えー、意外と軟弱だね、高木くん」
ちょっとした乗り物酔い状態な俺に対して、一ノ瀬は元気そうだ。
「高木ちゃん、それが普通よ。私は1回でそんな感じ」
「むしろ、よく2回も乗れるよな……」
麗子と康平はおかしなものを見る目をしている。
「さて、じゃあ園内を少しぶらぶらするか」
神戸さんの言葉に一ノ瀬が不安そうな表情を浮かべた。
「あー、ごめん、俺たちはこの辺りにいるよ」
「高木くん……?」
心配そうな顔をしないで欲しい。
「今は悠人と会いたくないだろ?」
「うん……」
下手に動き回って鉢合わせしたくなかった。
ここで辺りを警戒しておけばいつでも逃げられるだろう。
一ノ瀬と一緒に居られるのなら、別に無理に遊園地を回る必要もない。
そんなことを考えていたら、一ノ瀬の携帯が震えた。
「電話……悠人からだ」
「出なくていいよ、そんなの」
麗子が不安そうな一ノ瀬をたしなめる。
「でも、……私たちのこと探してたら悪いし」
「梨香ちゃん、ちょっと貸してー」
康平はそう言って一ノ瀬の携帯を取り上げた。どうする気だ?
そして、何事もないように電話に出る。
おい、ちょっと待て……。
「梨香か? 今どこだ?」
「知るか、ばーか! お前は勝手にしてろ。2度とかけてくんな!」
そう言って、電話を切った。あの……康平さん?
「おい、康平。それはやりすぎだろ」
「いいんだよ! あー、すっとした」
まだ事情も話していなかったのに、なんて事をするんだ。
「イケメン、死すべし!」
「そもそも、高木ちゃんにかけてこない時点でアレだよね」
いや、悠人もそんなに悪い奴じゃないよ? ただ、俺の恋敵であっただけだ。
「はい、梨香ちゃん」
そう言って神戸さんは一ノ瀬にサングラスを渡す。
「これをかけていれば見つからなくて済むよ」
「えー!? 本当……?」
一ノ瀬、騙されてはいけない。彼は面白がっているだけだ。
「ふふふー、どう?」
「……意外と似合うな」
色白で身長が高いから外国人みたいだ。
「高木ちゃんは眼鏡を外せば大丈夫じゃない?」
「お前な、これは顔の一部なんだぞ」
しかし、背に腹は代えられないか。
「後は皆で移動してればわかんないよ」
「これで何の問題もないな」
いや、そうは言っても……。
確かに、今日一日はそれでも良いだろう。
だけど明日からあの2人には予備校で普通に顔を合わせるはずだ。
流石に一ノ瀬もこのままでは気まずいのではないだろうか。
「高木くん、帰り、どうしようか……?」
「ああ、そのことなら心配いらない。安心しろ」
一ノ瀬は帰りのバスのことを心配しているようだ。
確かにチケットはある。これはツアーで購入したものだ。
席と時間が決まっているから、否が応でも合流することになるだろう。
だけど、大学の友人たちがここに居る以上、そちらは問題にならない。
「明日のことは明日考えればいいんだよ」
神戸さんは、さも無責任そうに言った。
彼の言うことも一理あるかもしれない。大学の夏休みは9月いっぱいまである。
しばらくは一緒に予備校に行けるんだ。なんとかなるだろう。
「じゃあ、理絵さんと悠人には悪いけど、楽しもうか」
「うん……!」
ようやく、いつもの笑顔に戻った気がする。
それから俺達は1日を思い切り楽しんだ。
たまにはこうやって、時間が経つのを忘れるのも悪くない――。
「よーし、じゃあ帰るか」
「おう、宜しく頼む」
そう言って俺は神戸さんについていく。
「えっ、バス停そっちじゃないよ?」
心配そうな一ノ瀬に、神戸さんがサムズアップを決めた。
悔しいが、こればかりは恰好良い。身長は低くても、心は大きい男だ。
「後ろ、3人だとちょっと狭いかな?」
「梨香ちゃんは細身だし大丈夫でしょ」
そんな話をしながら駐車場へと向かう。
「バスのチケットは少し勿体ないけど、3人も5人も大差ないからな」
「助手席は麗子でいい? 康平は寝てしまいそうで嫌だ」
そう言って、神戸さんは運転席へ乗り込んだ。
「あー、俺が乗ろうか? 免許は無いけど運転の知識はあるぞ」
「お前は梨香ちゃんの隣に居ろ!」
怒られてしまった。
神戸さんは浪人生時代に運転免許を取得している。
彼の「浪人中は結構、遊べる」という発言は伊達ではない。
「じゃ、遠慮なく。一応、真ん中に座るね」
「え……! 神戸さん、運転できるの!?」
ああ、ついに「ろっちさん」では無くなってしまった。ちょっと寂しい。
「ふたりはどこで下ろせば良い?」
「流石に大学近くで良いよ、そっから電車で帰るから」
高速道路を飛ばせば1時間ぐらいだろう。
「じゃあさ、談合坂のサービスエリアで夕飯を食べようぜ」
「いいねえー、運転代わってやれないのが申し訳ないよ」
なお、神戸さんは車も運転もサービスエリアも大好きだった。
「ねえねえ、高木くんも早く免許取ってよ!」
「あー、分かった。お前が大学受かったらすぐに教習所通うよ」
そう言えば、一ノ瀬とドライブに行くことは無かったな。
俺が免許を取ったのは社会人になってからだ。
仕事をしながら教習所に通うのは結構面倒だった。
理由はお金の問題である。親に工面してもらうのが悪いと思ったのだ。
だけど……今思えば学生のうちに取っておくべきだった。
「じゃあ、免許取ったらレンタカーでどっか旅行行くか?」
「いいねえー!」
嬉しそうな顔だ。やっぱり未来の話をするのはいいなあ。
「なあそれ、俺達も便乗していいか?」
「もう康平! そこはふたりきりにしてあげなよ」
またしても麗子に突っ込まれる康平。俺はこのやり取りが好きだった。
「いいよー、来て来て! 高木くんとふたりよりそっちの方が楽しいと思う!」
「一ノ瀬、それは地味に傷つくから、やめてくれ」
言葉ではそう言いながら、俺は一ノ瀬の意図も願いも知っている。
ひとりで居るのは簡単だ。ふたりで居るのも難しくない。
でも、皆で居られる時間は、とても貴重なのだ。
だから、出来るのなら皆で居たい。きっと彼女はそう考えている――。
サービスエリアに寄って夕飯を食べた後、俺はこっそりと外に出た。
一ノ瀬は皆と楽しそうに話をしている。
これなら少しぐらい、放っておいても大丈夫だろう。
夏は日が長い、まだ空は明るかった。気温の高さには少しうんざりする。
引っ切り無しに車が出入りする広い駐車場に背を向けて建物の裏手へ行く。
ここなら人通りも少ない。
面倒な事はさっさと片付けるに限る。俺は携帯電話を取り出した。
しかし、コール音が鳴る間はどうしても緊張してしまうな。
「貴文!?」
「だから、その名前で呼ぶの止めてくれって言ったろ」
この時間だと、まだ彼女たちはバスを待っている頃だ。
「ねえ、まだ怒ってるの……? ごめんね、私たち……」
「こっちこそ、ごめん、理絵さん。もっと早く連絡するべきだったと思う」
ふたりを憎む気持ちがないわけじゃない。
でも、今の俺なら冷静に話せるはずだ。
ふたりの心境を考えると放っておく気にもなれなかった。
自分でも、甘いと思う。でも、俺だって逆の立場だったことがある。
一ノ瀬に彼氏が居ることを知っていながら……離れられなかった。
一緒に旅行にも行ったんだ。そんな俺だって、本来なら許されないだろう。
あの頃の俺は、滅茶苦茶だった。なのに今回もそれをしようと考えたんだ。
一ノ瀬が悠人の事を好きだったとしても、傍に居たいと願っていた。
そんなの、……卑怯だよな。
「俺たちは先に帰ったよ。そっちは大丈夫か?
チケットはちゃんと渡したよな。悠人も近くに居る?」
「うん……、大丈夫。もうすぐバスも来るよ。悠人もいるけど……代わる?」
理絵さんは理性的だった。さすが、女の子。
「俺は話したくないけど、悠人が話したいって言うなら聞くよ」
「ちょっと待ってね」
この状況で電話を代わるとは思わなかったけど、思いの外、話が進んだ。
「貴文? ごめん、俺さ……色々と勘違いしてた」
「知るか、ばーか。お前は勝手にしてろ」
俺は康平の台詞をそのまま言った。
「俺、そう言ったけどさ。せめて一ノ瀬の同意は取ってくれ」
「貴文……悪い!」
その言葉を吐きながら、自分自身は同意を取っていないことを思い出す。
でも、俺達は付き合っているんだ。アイツは、そういうのをとても大事にする。
今の俺はそれを良くわかっている。
「順番がおかしいだろ。普通にやれば俺はお前には勝てないのに」
「違うよ、貴文。まともにやったら、お前に勝てるわけないだろ」
悠人は俺が想像もしていなかった言葉を言った。
「はあ? イケメンが何を言ってんだ?」
「3年近くも付き合ってるヤツが何言ってるんだよ」
なるほど、そういう事か。
「悠人が3年かけたら、多分負けたぞ」
「馬鹿か、お前。そんなの耐えられるわけないだろ」
言われて、気が付いた。そうだな、それはたしかに無理だ。
「なあ、俺は手を引くけどさ、理絵は許してやってくれないか?」
「どういうことだ?」
そもそも、理絵さんが諸悪の根源な気がする。
「っていうか、俺はもうお前たちと付き合うの辛いよ。
でもさ、理絵は梨香と貴文のことが気に入ってるんだ」
いやいや、引き裂こうとしてたでしょ。
「後は理絵の声を聞いてやってくれ。俺はこれで最後だ」
「……わかったよ。でもあえて言おう。一ノ瀬を泣かせた事は絶対に許さない」
電話越しでため息が聞こえた。
もしも、好きになった人が違っていたら、普通に友達になれたかもしれない。
……いや、逆か。きっと知り合うこともなかったのだろう。
「貴文……じゃなくて、高木君。理絵です」
「あー、うん、そっちの方がしっくりくるね、ありがと」
理絵さんの声は震えていた。
悠人も彼女も、友人には困らないはずだ。
俺達に拘る必要はない。ここで縁を切っておくのが得策だと思う。
「梨香と話したい……駄目かな?」
「今は駄目。でも、話したいことがあるのなら俺はちゃんと聞くよ?」
理絵さんの必死を無下にしたくはない。
「うー……。じゃあ、聞いて下さい。
私、梨香は高木君のことを男として見てないと思ってた」
辛辣な感想だ。でも、そう思われても仕方がないのかもしれない。
「だからね、このままだと高木君も苦しいだけだと思ったの。
梨香も本当は悠人の事が好きだって思ってた。だけど、ごめんね。
全部、私の勘違いだったんだね……」
色々と思うところはある。でも、なんだか憎めなかった。
「私、梨香も高木君も、その友達も好きなんだ。
だから……良かったら、これからも友達でいさせて欲しい」
都合の良い事を言っているのは本人も解っているのだろう。
「俺は別にいいよ。一ノ瀬には後で聞いてくれ。
だから、今日は気をつけて帰るんだぞ」
「へっ!?」
理絵さんは間の抜けた声を出した。
「いいの?」
「そう言っただろ。ただ、一ノ瀬が嫌がっても俺は知らないからな」
でもきっと、アイツはそんなことをしないと思う。
「……意地悪!」
「じゃあ、また明日な」
俺はそう言って、電話を切った。
そして、こっそりと皆のところに戻る。
……思っていたより時間がかかってしまった。
「おかえりー、どこ行ってたの?」
「ただいま。後で話すよ」
一ノ瀬の何気ない言葉が嬉しい。まるでここが俺の帰る場所みたいじゃないか。
「よし、じゃあ高木君も戻ってきたし、そろそろ帰るか」
「そうね、今なら暗くなる前に着くんじゃない?」
俺達はぞろぞろと神戸さんの車に乗り込んだ。
「あと少しで着くと思うけど、眠かったら寝ててもいいぞ?」
「ううん、皆に悪いから頑張る」
そうは言っても一ノ瀬は眠そうだった。
神戸さんの運転は加速も減速も緩やかで心地よい。
彼は普段から時々、車に乗っていると言っていた。流石に手馴れている。
車窓に映る空の色は少しずつ茜に染まっていく。
一ノ瀬だけではなく、俺も少し眠くなってきていた。
隣に、彼女が居る。漂ってくる甘い匂いがそれを助長させていた――。
「お疲れ様ー!」
無事に大学近くのインターチェンジを降りた後。俺たちは校内で解散となった。
神戸さんはそのまま運転して自宅まで帰るらしい。
「なあ、麗子、少し飲みにいかないか?」
「アンタ、そればっかりじゃない。でもまあ、いいか。付き合ってあげる」
おお、なんか良い雰囲気だ。
「いいなー!」
「気持ちはわかるけど、俺たちは帰るぞ」
可哀そうだけど仕方ない。
外はもう暗くなり始めていた。
俺は一ノ瀬と一緒に駅に向かい、電車に乗る。
「ねえ、高木くん。家って学校の近くなんでしょ?
わざわざ送ってくれなくても……」
「お前は俺と一緒に居たくないのか?」
毎回、無意味な気の使い方をするんだよな。
「いつも一緒に居るからいいじゃん! 明日も予備校来てくれるんでしょ?」
「それはもちろん行くよ。でも今日は話したいこともあるし……」
悠人と理絵さんのこと、伝えておきたいと思ったのだ。
電車は少しだけ混雑していた。
話している間に席が空いたので一ノ瀬だけは座ってもらう。
俺は吊革につかまりながら、彼女の方へ身体を傾けた。
隣にいるより、対面している方が話しやすい。
「あ、そうだ! サービスエリアで何してたの?」
「理絵さんに電話してたんだよ。ちゃんと帰れるか心配だったからさ」
一ノ瀬も気になっていたと思う。
「ふふ、やっぱり高木くんだねー。何か言ってた?」
「理絵さんはまだ仲良くしたいってさ。悠人は……もう話したくないそうだ」
俺は出来るだけさらっと伝えた。
「そっか……」
「ごめん、余計な事だったか?」
理絵さんはともかく、悠人のことは今は思い出したくないだろう。
「ううん、いいよ。むしろ、ありがとう。なんかごめんね、巻き込んじゃって」
「いや……俺も当事者だよ。守ってやれなかった」
もっと、自信を持っていれば、あんなことにならなかったかもしれない。
「違うよ、きっと私が悪かったんだ。私がもっとしっかりしてれば……」
「そんなことないよ、一ノ瀬。お前は何も悪くない」
思いつめた顔をしないで欲しかった。
「私ね、次からはちゃんと『彼氏いる』って言うようにする。
あと、他の男の人とふたりきりにならないように気をつけるね」
「一ノ瀬……?」
話をしていたら、電車はあっさりと一ノ瀬の最寄り駅に着いてしまう。
「今日はここでいいよ! いつもありがとう」
やっぱり、どこかおかしい。いつもの彼女じゃない気がする。
一ノ瀬は束縛されるのが何よりも嫌いだったはずだ。
それは俺の知っている彼女であって、今の彼女とは違うのかもしれない。
何せ、過去の世界と今は大きく変わってしまっている。
だけど、この違和感は払拭出来なかった。
「頼むよ、もう少し一緒に居させてくれないか?」
「……明日も会えるでしょ?」
やっぱり、いつもと違う。そう確信した。
一ノ瀬が断るのは最初だけで2回目はいつも応じてくれる。
今日は本当に1人になりたいみたいだ。
彼女はしつこくされるのも嫌いだった。
だから、俺は3回目は言わない。それはもはや、暗黙の了解なのだ。
「……大丈夫か? 俺、お前の事が心配なんだ」
普段の俺だったら、食い下がることも無く手を振って電車に乗っただろう。
だけど、今日はそれが出来なかった。
一ノ瀬の事なら何でも理解出来る、そんなわけじゃない。
ただ、ずっと見てきたんだ。今が普通じゃないことだけは分かる。
「高木くん……、何でわかるの?」
「ごめん、俺、ちゃんとわかってないよ……。でもさ、嫌なんだ。
お前が辛そうにしてたり、悲しそうにしてたりするのは見過ごせない」
何を考えているかまではわからない。
情けないな、ずっと一緒にいたはずなのに……。
「今日は高木くんの家に泊まりたかったな……」
相変わらず、予想していなかった言葉が飛んでくる。
「家の近くまで、送らせてくれるか?」
「うん、そうして欲しい」
そう言われてやっと、俺は改札口を出ることが出来た。
駅の構内から外に出ると空はすっかり暗くなっている。
夏の夜はアスファルトの匂いがして心地よい。
今日は手もつながず、腕も組んでいない。少し離れてふたりで歩く。
なんだか高校1年生に戻ったみたいだ。
それでも俺は、一緒に歩くこの時間が変わらずに嬉しかった。
ずっと、こんな穏やかな時間が続いて欲しいと願う。
「怖かったの……」
夜道を歩きながら、一ノ瀬はぼそりと言った。
その言葉が意味するのはお化け屋敷のことじゃないだろう。
きっと、悠人……というよりは男という生物に対して抱いたものだ。
「振りほどこうとしても、全然だめだった。嫌だって声も出せなかったんだ」
「ごめんな、助けてやれなくて……」
本当に俺は駄目だな。肝心な時に役に立っていない。
「俺の事も怖いか?」
俺だって、男だ。一ノ瀬に悠人と同じことをしたいと思っている。
「ううん、高木くんは怖くないよ。馬鹿なの?」
「そ、そうか……」
キョトンとした顔をされてしまった。
やっぱりコイツ、俺を男として見てないんじゃないか?
「悠人って私の事、好きだったのかな?」
「やっぱり気がついて無かったのか」
思わずしれっと答えてしまった。
「知ってたの!?」
「まあ、な……。でも俺から言うのは違うだろ。なんかズルい」
告げ口しているみたいだ。でも今思えば伝えておけば良かった。
そうすれば、一ノ瀬があんな目にあうことも無かったかもしれない。
過去に無かった選択肢はことごとく外している気がする。
やはり、俺は何事も上手く出来ないんだな。
「そっか、それであんな不安そうな顔してたんだね」
「俺、そんな顔してたか?」
一ノ瀬は特に怒ることも無く、納得したような顔をしていた。
「あははは! 何言ってんの、泣いてたじゃん!」
「そういえば、そうだったか……」
我ながら情けない話である。でもまあ、笑い飛ばしてくれる方が楽だ。
話に夢中になっていると、すぐに一ノ瀬の家の近くまで来てしまった。
今日はここまでかな……。
公園に行こうと言ってくれることをつい、期待してしまう。
「エッチな事、考えてるでしょ?」
「いや、流石に今日は考えてないよ」
彼女の恐怖心をあおりたくはない。だから俺は頭を撫でた。
「俺は、お前の事が凄く大事だと思っているからさ」
「なんか子ども扱いしてない?」
ちょっとむくれた顔も可愛いな。
「そんなわけあるか。俺はお前を尊敬しているよ」
「……ねえ、ここじゃアレだから公園行こう」
そう言われると、期待してしまう。我ながら、単純だ。
一ノ瀬は無言で俺の前を歩いた。何を考えているんだろう。俺は後に続いた。
街灯が後ろ姿を照らす。彼女の輪郭に沿って揺れる長い髪が綺麗だった。
そして、ベンチの前でその歩みを止める。くるりと振り返ってこっちを向いた。
夏の夜に綺麗な白い肌がうがぶ。大きな瞳がじっと俺の目を見ていた。
「キスしてもいいよ?」
それは……またしても予想外だった。怖かったんじゃないのか?
昼間のことを思い出させてしまいそうで心配になる。
でも、一ノ瀬は揺ぎ無く、真っすぐにこっちを見ていた。
……いいだろう、上書きしてやる。
「ん……」
俺は黙って近寄り、彼女の望み通りにした。
少し離れて、顔を見る。すると一ノ瀬は小さく笑ってキスを返してくれた。
そして、何度も何度も同じことを繰り返す。
「んー!」
いつの間にか抱き合っていた。一ノ瀬の腰に手を回して身体を支える。
呼吸をするのも面倒に感じるぐらい、お互いを求めあった。
とても長い時間、そうしていたように感じる。
それはまるで今まで進まなかった時間を補うようだった。
「なんかさ……、恋人同士みたいだね」
「そうじゃなかったのか!?」
一ノ瀬は悪戯そうに笑う。ああ、やっぱり好きだな、その顔。
「ずっとこうして居られたら良いのにねー」
「俺も全く同じことを思っているよ」
抱き合っているのも幸せだった。
「やっぱり、エッチな事考えるんじゃん!」
「いや、それはお前もだろ?」
そう言うと一ノ瀬は真っ赤になる。
「ち、違うよ馬鹿!」
照れた顔の彼女はそう言って俺から離れ……。
――ドスン!
いつものヤツが飛んできた。コイツのボディブローは真剣に痛い。
「お前なあ……」
「何よ!?」
さっきまでのムードは一体、どこへいったのか。
「ん……!」
「少しは安心できたか?」
頭を撫でて、出来るだけ優しい声を絞り出す。
「うん……。ありがと」
「俺も、嬉しかったよ。ありがとう」
今日はこれで良い、そう思った。
「じゃあ、帰るか」
「うん、そうだね……」
ふたりで公園を後にする。道に出たら、手を振って別れるんだ。
少し寂しい気もするけれど、大丈夫。明日もまた会えるんだ。
「続きは、大学受かってからだよね……。私、頑張るから!
絶対に高木くんの家に泊りにいくんだ。そしたら1日中一緒に居られるよね」
その言葉に、俺の顔は真っ赤になった。
まったく、コイツはいつもいつも、俺の予想の斜め上を行く。




