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もしも人生をやり直せるとしたら俺は過ちを繰り返さない  作者: 大神 新
俺は一ノ瀬梨香と添い遂げる
12/18

第94話:やはり遊園地は気の合う友人と行くべきだ(前編)

「ちょっと待って、高木ちゃん。それはおかしいよ!」

 事情を話した俺に対して麗子(れいこ)の第一声はそれだった。


「普通に『俺の女に手を出すな、2度と近づかないでくれ』でいいと思うぞ!」

 康平(こうへい)は興奮気味に大声を出す。落ち着いてくれ。


「康平!」

「な、何だよ、麗子……」

 しかし、やはり麗子には弱いようだ。


「たまには良いこと言うじゃない!」

「まあな!」

 何だかこのふたりのやり取り、見てて和むなあ。


理絵(りえ)悠人(はると)が言っていること、100%間違ってるから! 縁を切りなさい」

「いや、でもさ、そうすると予備校に友達が居なくなって一ノ瀬が困るから」

 俺が毎日行けるのなら、それでも良いんだけど……。


「それにさ、毎回彼らの誘いを断る俺が疎ましいのは仕方ないだろ」

「それはそうかもしれないけど……!」

 麗子は歯がゆそうな顔でこっちを見ている。


 やっぱり、大学の皆は俺に味方をしてくれた。

 とても居心地が良くて、ほっとする。

 きっと、ここに居る皆は俺が間違っていても味方してくれるだろう。


「高木君の言うことは間違ってないと思うけど、君は間違っている」

「どういうこと?」

 神戸(じんと)さんは至って真面目な表情で、不思議な言葉を言った。


「君は神でも仏でもないだろ。正しいとか間違っているとか関係ない。

 嫌な事をされたら、怒って良いんだよ」

 珍しく強めな語気に少し驚いた。


 ……まいったな、ちょっと泣きそうだ。

 そっか、俺は怒れば良かったのか。

 素直に「嫌だ」とか「ふざけるな」とか言っても良かったんだな。


「で、いつ行くの?」

「夏期講習の後って言ってたから、8月の終わりか9月の頭ぐらいかな」

 今からだとひと月半ってところか。


「じゃあ、ちょうど私たちも夏休みか」

「そうだな、まあ俺はずっと予備校に通うつもりだけど」

 色のない夏休みになりそうだけど一向にかまわない。


 悠人(はると)達をけん制したい、という気持ちもあるにはある。

 だけど、一番大きいのは純粋に一ノ瀬に会いたいという想いだ。

 少しでも幸せな時間を大切にしたい。ただ一緒に居たいと願う。


「時間と場所、決まったら教えてね!」

「んー、分かった。……って、もしかして来るつもりなのか?」

 麗子は不敵な笑みを浮かべている。


「折角だからね。どうせ行っても何も出来ないと思うけど」

「そうそう、遠くから見守るだけだ」

 康平もか。……やっぱり、楽しんでないか、コイツら。


「ふふふ、ついに俺が不良をやる時がやってきたか」

「いや、お前、すでに顔が割れてるだろ!」

 確信した。神戸(じんと)さんは不良をやりたくて仕方ないのだ。


「大丈夫、グラサンするから!」

「そこじゃない! 声と身長でバレるから!」

 何故か自信満々なところが信じられない。


「……まあいいや、せいぜい骨を拾ってくれ」

 そう答えると、全員がにやりと笑った。


 皆が何を考えているのか、イマイチ良くわからないけれど。

 不思議だな、何だかとても頼もしい気がした。



 ――そして、約束の日がやって来る。


「おー、着いたあ!」

 そう言って元気に大地に降り立ったのは一ノ瀬だ。


 結局、あの後も予備校生活は何となく続いていた。

 一ノ瀬と悠人(はると)、理絵さんは順調に仲良くなっている。

 そんな中、俺だけがどこか少し浮いている、そんな感じだった。

 正直言って居心地が良いとは言えない。

 それでも、一ノ瀬を放って置くことなど到底出来なかった。


「へー、高速バスって意外と快適なんだな」

「だねー、思ったより簡単に着いちゃった」

 理絵さんと悠人(はると)も機嫌は良さそうで安心する。


 今回のツアーは俺の方で全面的に手配した。

 高速バスを使っているが、行先はそこまで遠い場所じゃない。

 一ノ瀬が行きたがっていた富士急ハイランドだ。

 俺としてはふたりで来たかった。けれど一ノ瀬が楽しめるのならそれが一番だ。


「なんか、初めて来る場所ってドキドキするね!」

 無邪気な表情が可愛い。


 夏休みも頑張っていたからな。模試の結果も悪くなかったらしい。

 せっかくだから、少しは息抜き出来ると良いのだけど……。


「よし、じゃあFUJIYAMA乗るか!」

「おー、いいねえ!」

 嬉しそうな一ノ瀬とふたりでさっさと列に並ぶ。


「おい、アレに乗るのか……?」

「いきなり!?」

 何故かふたりとも及び腰だった。


 結構、息が合っているじゃないか。

 いっそのことふたりが付き合えばいいのに、などと思ってしまった。


「絶叫系、苦手なの?」

「あー、いや、俺はどちらかと言うと高い方が、ね……」

 悠人(はると)はどうも、高所恐怖症のようだった。


「私は酔いそうで……」

「理絵も駄目なら、止めておくか?」

 それもわかる気がするな、下から眺めてもとんでもない動きをしている。


 楽しみにしていたけど、仕方がない。

 人には苦手なものがあるのだ。


「俺は行きたいなー。梨香(りか)が隣に座ってくれれば大丈夫だと思う」

 おい、悠人(はると)、なんだその意味不明な理由は。


「悪いから私も付き合うよ。悠人(はると)が梨香の隣なら私は貴文(たかふみ)と乗る!」

 ……こいつ等、結託してないか?


「うーん、本当に大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫!」

 白々しい返事だった。


 まあ、いいか……。アトラクションで隣に座れないぐらいは我慢してやるよ。

 予備校でも、終始こんな感じで中々ふたりで居られなかった。

 そんな状況に少しずつ慣れ始めている自分が怖い。


 しかし、並んでいる間は結局4人には変わりがなかった。

 一ノ瀬とは普通に話せるから、会話をしている時間は悪くない。

 無言になるよりはよっぽどマシだ。

 他人からはダブルデートにように見えるのかな……?

 でも残念ながらひとりだけ低スペックなのが混ざっている。


「楽しみだねー! 何せ世界一だよ、ギネスブックだよ!」

「天国に一番近いコースターだっけ。俺もちょっとドキドキするよ」

 彼女の笑顔が見れるのなら全てのことが些細なことだ。


「お前ら、マジか? 怖くないのか?」

「それも含めて『楽しい』なんだよ!」

 今日の一ノ瀬はずっとテンションが高い。


 やっぱりここに来ることにしたのは良かったと思う。

 彼女がとても楽しみにしていたのが手に取るように分かった。


「はい、じゃあここまでです、4人ですか?」

「そうでーす!」

 残念ながら、俺たちの直前で定員になってしまったようだ。


 ……ここではぐれることにならなくて良かった。

 内心、分断されたらどうなるか不安だったのだ。

 先に降りたふたりで何処かへ行かれてしまったら、探すのも大変だろう。

 まあ、流石に分断されそうになったら後ろの人に譲るつもりだったけど。


「じゃあ、一番前は梨香と悠人(はると)ね!」

「おおやった! 先頭だ!」

 一ノ瀬は大喜びだったが、悠人(はると)の表情は険しい。

 せっかく先頭車両で一ノ瀬の隣なんだから嬉しそうにしろよ。


 俺は仕方なく理絵さんの横に座る。


「ヤバイ……、怖くなってきた」

 安全装置が下ろされると、みるみる理絵さんの顔色が悪くなっていく。


「大丈夫か? 怖かったら上に着くまでは目を閉じてなよ」

「それはそれで怖いよ!」

 結構必死な声だ。……流石にこうなると心配だな。


 そして、コースターはカタカタと高度を上げていく。

 ……長い。どこまでも上がっていく。正直、少し甘く見ていたかもしれない。


 ――カタカタカタカタ……。


 止まった場所は凄まじい高度だった。遊園地の敷地が全部見える。

 そして、富士山は相変わらず美しかった。


「やー、ちょっと待って! マジで待って!」

 コースターが止まると理絵さんの絶叫が響く。


 うん、これはちょっと怖いね。この高さから落ちるなんて……。


 ――ゴオオオオ!


 風の音が色々とかき消していく。ああ、これは楽しいな。

 身体中にかかる風圧が凄まじいスピードを実感させる。

 コースターから見える景色は止まることなく、直ぐにコーナーが迫って来た。


「きゃー! 楽しいー!」

 一ノ瀬の絶叫が聞こえて来る。


 対して、理絵さんと悠人(はると)はもはや黙り込んでいた。

 ……やっぱり、一ノ瀬の隣に座りたかったな。


「理絵、大丈夫?」

「貴文……怖い、死ぬ」

 大丈夫、流石にこの程度で人は死なない。でもちょっと可哀そうだった。


 ジェットコースターを降りると道中で撮影された写真が見れる。

 一ノ瀬は手を離して笑っていた。流石だ。

 悠人(はると)と理絵さんは目をつぶっている。そして俺は、普通の顔だった。

 ……我ながら面白くない。


「あははは! 高木くん、なんで無表情なの!?」

 予想外に一ノ瀬は大爆笑だった。まあいいや、お前が笑ってくれるなら。


 しかし、悠人(はると)と理絵さんはぐったりしていた。

 俺と一ノ瀬は顔を見合わせて、ふたりのことを気に掛ける。


「大丈夫か? ごめん、調子に乗って……。少し休もう」

「あっちにベンチあるよ」

 俺たちは一ノ瀬が指を指した方向に移動することにした。


「ごめん、梨香の前なら格好つけられると思ったけど……。あの高さは無理だ」

 悠人(はると)がそう言うのもわかる。俺ですら恐怖を感じる高さだった。


「ごめんねー、私だけ夢中になっちゃったよ」

 そう言って、悠人(はると)の背中を撫でている。


 ……看病しているということは理解できるよ。

 だけど、一ノ瀬が他の男に触れるのはやっぱり嫌だな。


 対する理絵さんはさっきから、ほとんどしゃべっていない。


「大丈夫?」

「酔った……」

 仕方なく俺が様子を見る。かなり辛そうだった。

 

 恐るべし、FUJIYAMA、開始早々に戦闘不能者を出してしまうとは。

 ……っていうか、アレ、今まで乗った中で一番怖かったぞ。

 でも、一ノ瀬は「もう1度乗りたい」って思っているだろうな。

 この状況だ、流石に言い出すことはないだろう。

 どこかのタイミングでもう1度、今度はふたりで乗れれば良いのだけど……。


「悪いから、しばらく3人で回ってきなよ」

 身勝手な事を考えていたら理絵さんからそんな提案が出た。


「いや、いいよ、元気になるまで待ってるからさ」

「そうそう、気にしないで」

 俺と一ノ瀬はふたりで理絵さんの様子を見ることにした。


「でも……悪いよ、いいから皆は楽しんできて」

「……じゃあさ、理絵の傍には交代で着くようにしようか」

 殊勝な理絵さんに悠人(はると)がそう提案する。


「えー、でも……」

「いいからさ、貴文、最初はお前な。頼んで良いか?」

 一ノ瀬の言葉を遮って、悠人(はると)が言った。……結局、こうなるのか。


 悠人(はると)と一ノ瀬をふたりきりにはしたくなかった。

 でも、流石にこれを断る気にはなれない。

 一ノ瀬には今日一日、楽しんで欲しかったんだ。

 俺となら、いつでも一緒に居られる。だから……。


「分かったよ、仕方ないな」

 俺は、そう答えてしまった。


 言い出した悠人(はると)が残るべきだろ、そう言えない自分がいる。

 俺は昔から、そうだった。自分が不利益を被ることに、抵抗が無い。

 悠人(はると)と俺、どちらと過ごすのが一ノ瀬にとって楽しい時間になるのか。

 頭はそればかりを考えていた。


「じゃあ、頼んだぞ!」

「高木くん……」

 そして俺は一ノ瀬の手を引く悠人(はると)を見送る。嫌だな、こんな自分。


 いつか、ふたりが付き合うようになったら……。

 俺はずっとこんな気持ちでいなきゃいけないのか。

 嫌でも過去の触れられない日々を思い出してしまう。

 涙が溢れてくるが、こんなところで流したくはない。


「理絵、大丈夫か? ちょっと待ってな、何か飲み物買ってくるよ」

 俺はそう言って、自動販売機へ向かった。


 乗り物酔いだからな、麦茶辺りがいいだろう。

 ペットボトルを買ったら理絵さんの元に戻った。


「貴文ってさ……、優しいよね」

 何故か、しみじみとそう言う理絵さん。


「そうか? 普通だろ」

「いや、なんて言うか……、騙すのが悪いというか……」

 騙す……? どういう意味だ?


「ちょっと待って、もしかして、平気なの?」

「あー、うん……。私も絶叫系は好きだから……」

 青い顔してたのも、演技だって言うのか?


「……まあいいよ、じゃあ一ノ瀬達と合流しよう」

「待って! 少し酔ったのは本当なの!

 ただ悠人(はると)と梨香をふたりにしてあげたくて……」

 相変わらず、押し付けの善意に巻き込まれたのか。


 ――嫌な事をされたら、怒って良いんだよ。


 神戸(じんと)さんの言葉が頭の中に浮かぶ。


 俺は怒るのが嫌いだ。だから大抵の事は許す。でも一ノ瀬のことだけは駄目だ。

 彼女は俺だけではなく一ノ瀬も騙した。それは、どうしても嫌な事だ。

 アイツは今日を楽しみにしていた。皆で回りたい、ただそれだけだったんだ。


「理絵さん、何で俺は一番大事な一ノ瀬を放っておいて……。

 全く興味のない君と一緒に居なきゃいけないんだ?」

「貴文……?」

 突然の俺の反目に、理絵さんは驚いたようだった。


「その呼び方も止めてくれ。俺と君は名前で呼び合うほど仲が良いわけじゃない」

「なんで? ちょっと止めて、なんか怖いよ?」

 たちまちに険悪なムードになる。俺だって、こんな風に人に接したくはない。


「そんなの知らないよ。俺は一ノ瀬を探す。そっちは勝手にしてくれ」

「待ってよ! どこに行ったのかもわからないんでしょ?」

 理絵さんは俺の腕を掴んで止めた。


「携帯電話がある、電話して聞くさ」

「お化け屋敷だよ! 悠人(はると)、ああいうのには強いから……」

 言われて、背中に冷たい物が走る。あのお化け屋敷は駄目だ!


「何でそんなところに連れて行くんだ!? 一ノ瀬は暗闇が怖いって話したろ!」

「だって、定番じゃん! 悠人(はると)が居れば大丈夫だよ!」

 未だに俺を食い止めようとしている理絵さんの腕を振り払った。


「何で人が嫌がることを平気でするんだよ!」

 俺は叫んで走り出した。きっともう、手遅れだろう。それでも俺は走った。


「待ってよ、貴文!」

 理絵さんは追いかけて来たけど、元運動部の俺にはとても追いつけやしない。

 あっという間に見えなくなった。


 お化け屋敷に着いたら、すぐに受付をする。

 だが、予想外の問題が発生した。


「あの、原則としておひとり様では……」

 そんな縛りがあったのか! 理絵さんを置いてきたのが悔やまれる。


「すいません、その……先に入った人が心配で……」

 俺が必死に事情を説明すると別のスタッフが出てきてくれた。


「特徴を教えて下さい。こちらで探してみます」

 言われて俺は悠人(はると)と一ノ瀬のペアを説明する。


「長身で短髪、褐色の男と、長髪で細身、色白の女の子です」

 俺が息を切らせながら説明すると、スタッフは優しく対応してくれた。


 無線で中に居る人とやり取りをしているようだ。

 俺は黙ってそれを聞いている事しか出来なかった。

 なんで俺はいつも無力なんだろう。


「どうやら、リタイアされたようで、すでに出られていますよ」

 と、教えてくれた。


「ありがとうございます!」

 俺は礼を言って、すぐにリタイアの出口へ向かう。


 とにかく、一ノ瀬が心配だった。泣いてないだろうか。

 アイツは暗闇に加えてお化け屋敷も苦手なんだ。

 しかもここは機械ではなく人間が脅かしてくるタイプ、耐えられるわけがない。


 全速力で出口に回り込むと、やっと彼女を見つけることが出来た。

 声をかけようとして、状況に絶句する。

 一ノ瀬は悠人(はると)に抱き着いていた。後ろに回した手が彼の洋服を掴んでいる。


 もう嫌だ、他の男と一緒に居る姿を見たくない。

 それでも俺は、意を決してふたりに近づいた。


「梨香……」

悠人(はると)……?」

 ふたりの声が聞こえてくる。


 そして、悠人(はると)は一ノ瀬にキスをした。その姿は、恋人同士にしか見えない。


 まただ。また、真っ白になった。

 頭を何かで殴られたみたいに、意識が濁っていく。

 立っていられなくて、膝から崩れ落ちる。

 辛うじて、地面には手を着くことが出来た。


 大丈夫だ。

 俺は必死になって、自分にそう言い聞かせた。

 悠人(はると)と一ノ瀬は3年後には別れる。

 そうだ、そういう過去だった。だから、それまで待てば良いんだ。

 手紙も指輪も渡してある。就職した後、俺たちはきっとまた会える。


 それに、友達関係だって続ければ良い。

 そうすれば、顔を見ることも、声を聴くことも出来る。

 触れ合うことは難しいかもしれないけど、一緒にいる時間は貰えるはずだ。

 だから、大丈夫……。


 俺と一ノ瀬は2回しかキスをしていない。

 夏の夜と、春先の夜。きっと上書きするのは簡単だ。

 生徒会執行部での思い出も、3年間しかない。

 ふたりが付き合っている間に、きっと全部、消えてしまう。


「嫌だ……」

 言っても無駄なのはわかっている。


 どんなに願っても、どんなに頑張っても、失ったものは戻らない。

 俺はまた、駄目だった。それだけだ。


 後は頑張って、ずっと傍に居れば良い。

 あの頃のように、触れられないままでも、傍に居れば……。


「うぐ……」

 胸の奥が痛い。絶望が心を支配していく。


 そうだ、俺は知っている。あの日々がどんなに辛かったのか。

 半年と保たなかった。あっという間に心がズタズタに引き裂かれる。

 どうしよう、涙が止まらない。


「うああああ!」

 俺は、耐えきれず慟哭した。

 みっともない、色んな人に見られている。それでも……止められなかった。


「貴文……?」

 理絵さんが息を切らせて走ってきた。そしてこっちを見ている。


 ああ、良かったね、君の思い通りになったよ。

 そんな皮肉が思いついたけど、もう何も言えない状態だった。

 涙がひたすら溢れてくる。


「ごめんね、私……、そんなに梨香のことが大事だったなんて……」

 今さら、何を言っているんだ。何度も踏みにじったのは君たちじゃないか。


 どうして、そんなに簡単に他人の一番大事なものを奪えるんだ!

 憎しみをぶつけてやりたかった。怒鳴り散らして、泣き叫びたい。

 でも……俺は知っている。そんなことをしても、何も得るものは無い。

 一ノ瀬はもう、返ってこないんだ……。


「貴文、ごめん、俺……」

 その声にハッとなる。


悠人(はると)!?」

「俺、お前たちの事、ちゃんと解ってなかった」

 そう言った悠人(はると)は落ち込んだ顔をしている。


 その表情に困惑していると携帯電話が鳴った。慌ててポケットから取り出す。

 でも手が上手く動かなくて、地面に落としてしまった。

 動揺が全身を駆け巡っている。それでもなんとか拾い上げて、電話に出た。


「高木くん……、どこにいるの?」

 一ノ瀬の声が聞こえた。


「一ノ瀬? お前は何処だ?」

「理絵がいたところ……。どこ行っちゃったの?」

 彼女の声はかすれていた。泣いている!


「今すぐにそこに行くから、待ってろ」

 俺はそう言って、理絵さんと悠人(はると)には目もくれずに走り出した。


 一ノ瀬のことが、何よりも大事なんだ。

 そう思っていたのに……。どうしてこうなってしまったのだろう。

 相変わらず、涙が止まらない。けれど、構っていられなかった。

 今の感情が何なのかわからない。悲しいでも嬉しいでも切ないでもなく。

 ただ、胸の奥が痛かった。一ノ瀬と居ると、いつも知らない感情に出くわす。


「高木くん……!」

 ベンチに座った一ノ瀬がこっちに気がつく。


 その顔が見えるなり、俺は走り寄って座ったままの彼女を抱きしめた。


「ごめん、一ノ瀬。すぐに追いかけたんだ。だけど……」

悠人(はると)にキスされた……。もう嫌だ、私……」

 一ノ瀬は震えていた。俺と一緒だ。


「高木くん……ごめんね、私、最低だ」

「何でお前が謝るんだよ。お前は何も悪くない」

 また、俺は一ノ瀬の頭を撫でてあげることしか出来なかった。


「何でそんな風に言えるの!?」

「お前が好きだからだよ」

 俺には許す以外の選択肢はない。愛しているんだ。

 だから一ノ瀬が幸せになれるのならそれでいい。


「意味わかんない! 好きだったら嫌でしょ、こんなの!

 私ね、高木くんがなっちゃんとキスしたって聞いた時、凄く嫌だったの。

 高木くんがどんなに私の事を好きでも別れたいって思ってた」

 俺は、その言葉を聞いてまた泣いてしまう。


 一ノ瀬はそんな俺の頬に優しく手を添えてくれた。

 少しだけ冷たいけれど、心地良い温もりが伝わってくる。


「高木くんも、私が悠人(はると)とキスしたの、本当は凄く嫌なんでしょ?

 私の事、嫌いになってもいいんだよ……?」

 頬に添えられた細い手に、俺は自分の手を添えた。


 俺は大人だ。だから、大抵の人には過去に別な相手が居る事を知っている。

 こんな事を言ってしまったら、まともな付き合いなんて出来なくなるだろう。

 でも、多分、目の前の一ノ瀬が望んでいるのは、そういう理屈じゃない。

 彼女は感情……、心の話をしているんだ。


「ごめん、お前の言う通りだ。俺はお前を独り占めしたい。

 だから凄く悔しくて、悲しいよ……。許せない気持ちが無いと言ったら嘘だ。

 でも、俺は一ノ瀬に居なくなって欲しくない。それだけじゃ、駄目かな?」

「高木くんは私の事、許してくれるかもしれないけど……。

 私はそういうの絶対に許さないよ? それでもいいの?」

 一ノ瀬は俺の眼を真っすぐに見て、そう言った。


「お前、馬鹿なのか? 俺がお前以外の人に惹かれるわけないだろ」

「……ごめんね、高木くん」

 彼女はそう言って、俺の胸の中に深く顔をうずめた。


「私、高木くんを泣かせてばっかりだ。駄目な彼女だね」

「ばーか、俺は嬉しくて泣いている方が多いよ。ありがとうな、一ノ瀬」

 頭を撫でながら、俺は自分で言った言葉を噛み締める。


「ねえ、高木くん。私の事、好きで居てくれる……?」

「大好きだよ、一ノ瀬。お前の事が、本当に好きなんだ」

 そうだ、俺は今、ちゃんと嬉しい。お前に触れて居られる今が大切だ。


「もう少し、こうして居てもいいか?」

「うん……良いよ。特別に許してあげる」

 どうやら、一ノ瀬の方は少し落ち着いたみたいだ。


 俺たちは涙が止まるまで、しばらくそうして居た。

 大丈夫、まだ一緒に居られる。その事がただ嬉しい。

 なんだかとても優しい時間が流れた。


「でも、ちょっと恥ずかしいかな」

 その言葉で、我に返る。


 そういえば、ここは公衆の面前だった。

 俺は急に恥ずかしくなって一ノ瀬の隣に座り直す。


「ごめんな、完全に一杯一杯だった」

「ふふふ、いつものことじゃん」

 全くもって、みっともない。これのどこが大人なのか。


「でもちょっと残念、今日、凄く楽しみにしてたのにな……」

 一ノ瀬は少し寂しそうにそう言ってうつむいた。


 きっと、彼女は皆でわいわいと賑やかに遊びたかったのだろう。

 今から悠人(はると)や理絵さんと合流するのはキツイよな。

 まあ、たまにはふたりきりっていうのも悪くないか……。


「お、居た居た! 高木ちゃん、さっそく会えたね」

「なあ、麗子。なんか、凄いお邪魔感がするんだけど……」

 このタイミングで茶々が入るのが、実に俺達らしい。


「麗子、康平……?」

「もしかして、何かあったの?」

 康平の間の抜けた顔と麗子の心配そうな表情に、心底ほっとする。


「お前らさ、そこで声かけちゃ駄目だろ?」

 後ろからやって来たのはサングラスをかけた神戸(じんと)さんだ。


「ろっちさん……?」

 顔を上げた一ノ瀬は神戸(じんと)さんをみて即座に判別する。


 やはり、サングラスに彼が期待する効果など微塵も無かった。

 速攻で正体を見抜かれているぞ。


「梨香ちゃん、違うよ? 俺は不良の番長、『神戸(じんと)さん』だ」

「あはは、いつも面白いねー」

 なんだろう。何も面白い事はないのに、彼が作る空気は確かに面白かった。


「ねえ、高木くん! 私、もう1回、FUJIYAMAに乗りたいな!」

 一ノ瀬は意地悪そうに、そう言った。すっかり元気だな。


 彼女は「女の子の顔」を俺には見せてくれない。

 でも、この「悪い顔」はきっと、俺にだけしか見せないのではないか。

 なんとなくだけど、そんな気がした。


 どっちかって言うと……、俺はこっちの顔の方が、好きだな。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 一ノ瀬、自分がお化け屋敷が全く駄目なことは、自覚がなかったのでしょうか。。。 一ノ瀬、相手の浮気は許さないが、自分は(また)浮気するかも宣言??? [一言] やはり緩いガードを突破さ…
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