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もしも人生をやり直せるとしたら俺は過ちを繰り返さない  作者: 大神 新
俺は一ノ瀬梨香と添い遂げる
11/18

第93話:約束があれば、そこに向かって頑張れるはずだ

 大学に入ってから、すでに3ヵ月が経った。季節は春から夏に変わっている。


「おはよう、高木ちゃん」

「ああ、麗子(れいこ)、おはよう……」

 徹夜明けなので声が少しかすれてしまった。


 声をかけてきた麗子はキャミソール姿だ。

 暑いのはわかるけど、あまりにも色っぽいから止めて欲しい。

 目のやり場に困ってしまう。


「大丈夫か? ずいぶんと眠そうだけど」

「おはよう、康平(こうへい)。昨日バイトだったからなー、流石にキツイ」

 今日は必修科目の授業だから休めなかった。


 過去の世界の俺だったら、普通に代返を頼んだりサボったりしていただろう。

 あまり態度の良い学生ではなかった。

 けれど、せっかく授業料を親に払ってもらっているのだ。

 今の感覚だと、そう簡単に休む気にはなれない。


「1限はキツイよな。シフト変わったのか?」

「あー、うん。デートの約束とか言われるとつい、ね」

 神戸(じんと)さんは平常運転だった。


 バイトのシフトはバイト同士で交換することがある。

 俺の場合、酷いときは週5ぐらいまでは入ることがあった。

 ただ、あまり稼ぎすぎると今度は父親の扶養から外れてしまう。

 学生の時は何も考えなかったが、今は色々と気になることが多い。


梨香(りか)ちゃんとはうまく行ってるの?」

「まあ、ボチボチかな。今のところ、現状維持は出来ているよ」

 麗子は心配そうに聞いてきた。


 結局、デートに行くこともなく、予備校で会う日々が続いている。

 一ノ瀬と悠人(はると)理絵(りえ)さんのグループはかなり親密になっていた。

 何度か遊びに行く計画を立てていたが、俺が阻止しているという状況だ。


 息抜きが必要、その気持ちはわかる。

 けれど、一ノ瀬の受験勉強にはあまり余裕がない。

 志望校の難易度が高すぎるのだ。

 センターで8割と9割の間にある勉強量の差は半端ではない。

 彼女にやる気がある間は、息抜きよりも勉強を優先してほしかった。


 過去の世界で、一ノ瀬は2浪している。

 それを彼らのせいだと言うつもりはない。

 ただ、俺はもう2度と一ノ瀬の涙を見たくないのだ。


「でも進展はしてないんだろー?」

「それは、まあ……」

 康平の言う通り、男女の仲、という意味では全く進展していない。


「良いんじゃない? 実際に見ると高木ちゃんが大事にしたくなるのも分かるわ」

「だなー、あの子に手を出すってなんか背徳感がありそうだ」

 麗子と神戸(じんと)さんは一ノ瀬の事を見て少し意見が変わっていた。


「問題はイケメンのライバルだな」

「そこねー。もうさ、付き合ってることを公表しちゃえば?」

 麗子の提案も悪くないと思う。けど……。


「梨香ちゃんが嫌がってることはしない方がいいだろ」

 康平は俺の気持ちを代弁してくれた。


 こうなると神戸(じんと)さんの意見を聞きたい。

 俺は思わず、彼の方を見てしまう。


「高木君はどうしたいのさ?」

 神戸(じんと)さんはそう言ってくれた。


「ちゃんと話した方が良いと思う」

 やはり、嘘は良くない。それが俺の結論だ。


「なら、そうするのが良いと思うよ」

「そうだな、話すことにするよ。ありがとう、みんな」

 俺はそう答えて、教科書を開く。


 授業前にするような話じゃなかったかもしれない。

 でも、おかげで何となく覚悟が決まった。

 やっぱり、問題を解決するには誠意と真実しかないと思うんだ――。



 予備校に着いた後、俺はフリースペースで盛大に寝てしまった。

 深夜バイト明けの1限はさすがにキツイ。

 昼休みに仮眠は取ったし、電車での移動中も寝ていたが耐えられなかった。


「あれ、貴文(たかふみ)? 珍しいね、寝てるなんて」

「理絵? 授業は終わったのか?」

 理絵さんは珍しくひとりだった。いつもは大抵、誰かと居るのだが……。


「うん、私、文系科目は取ってないから。貴文はバイト明けかな?」

「ああ。そうだよ、そこ座る?」

 促すと理絵さんは俺の対面に座った。


 今日は髪留めを付けている。改めて見ても、可愛い女の子だ。

 一ノ瀬と違って、可愛いだけじゃなくどこか色っぽさも合わせ持っていた。

 性格は天真爛漫と言うよりは破天荒な感じだな。


「ちょうど良かった、話しておきたいことがあったんだ」

「それ、私もだよ」

 理絵さんの様子はいつもと少し違った。何だか妙な緊張感がある。


「どっちから先に話そうか?」

「貴文からでいいよー」

 口調は優しいが、どことなく、怒っている印象を受ける。


 なんだろう、ちょっと嫌な空気だ。

 俺、何か悪い事したかな……。実を言うと心当たりはある。

 このところ、俺と一ノ瀬は彼女たちの誘いを断り続けているのだ。


「その、俺と一ノ瀬のことだけど……」

「好きなんでしょ? 梨香のこと。見てればわかるよー」

 あっさりと先手を打たれてしまった。


「ああ、そうなんだ。それで……」

「でもね、梨香は悠人(はると)のことが好きだと思う」

 約束が違う。理絵さんは俺の言葉を最後まで聞かずに畳みかけてきた。


 そうじゃないと分かっていても、その言葉は胸の奥を貫く。

 俺はその未来を想像するだけで駄目なんだ。

 一ノ瀬が別の誰かを好きになって、居なくなってしまう。

 どうしても、人生最悪の日が頭を過る。


「違う、俺と一ノ瀬は付き合っているんだ。高校の頃からずっと……。

 ごめん、冷やかされるのが苦手だから、嘘をついた」

 俺は、胸に抱え込んでいたモヤモヤを理絵さんにぶつけた。


「ふーん、そうだったんだ。でもさ、梨香って処女だよね?」

「なっ!?」

 言い難い言葉をさらりと言う。


 理絵さんは一ノ瀬に似ていると思っていた。けど、そうじゃない。彼女は違う。

 そして、何となく理解する。過去の世界で再会した一ノ瀬は妙に大人びていた。

 おそらく、彼女の影響を受けていたのだろう。


「そんなの、付き合ってるなんて言えないでしょ」

「それは……そうかも知れない」

 理絵さんはいつもと変わらない表情で、バッサリと俺の言葉を切り捨てた。


 3年近くも付き合っているのに、未だにキス止まり。

 違うと断言できるほど、俺は恋愛経験が豊富ではなかった。

 一ノ瀬が今も傍に居てくれるのは、ただの同情心なのかもしれない。


「梨香は悠人(はると)みたいな彼氏が欲しいって言ってた。

 悠人(はると)もね、梨香の事が気に入ってるって言ってたよ。

 ふたりはねー、両想いだと思うんだ、私」

 それは理絵さんの思い込みだ。そう思っても言葉が出なかった。


「貴文はちょっと梨香に干渉し過ぎだよ。

 勉強は辛いんだし、少しは遊ばせてあげないと。

 ねえ、梨香のためにも、悠人(はると)のためにも別れてあげてくれない?」

「それは……出来ない」

 かろうじて、そう答えるのが精いっぱいだった。


「そっか、好きなんだもんね。仕方ないよね。でも、ちょっとこっち来てよ」

 そう言って理絵さんは立ち上がった。そして俺の手を引く。


「どこ行くんだ?」

「いーから!」

 俺は仕方なく、なすがまま彼女についていった。


「実はね、今日は授業無いの。ふたりっきりにさせてあげようと思って」

 そう言って、理絵さんは教室の前に立ち、扉を少しだけ開いた。


 それほど広くない教室の中で、一ノ瀬と悠人(はると)が並んで座っている。

 確かに授業は無いみたいだ。他の生徒はひとりも居ない、ふたりきりだった。


 参考書を開いて勉強をしている一ノ瀬の頭を悠人(はると)が撫でる。

 それだけでも衝撃的なのに、一ノ瀬は嬉しそうな顔をしていた。

 振り払って欲しいと思うのは我儘だろうか。


 悠人(はると)は調子に乗って一ノ瀬を抱き寄せる。

 止めてくれ! 思わず叫びそうになった。

 これにはさすがに一ノ瀬も反撃する……が、なんだそれは。

 ポカポカと弱そうなゲンコツを投げるだけ。

 いつものように「ドスン」と殴れば良いだろ……。


「梨香ねー、悠人(はると)の前では『女の子の顔』になるの。

 自分では気が付いてないかもだけど。貴文の前ではそうじゃないでしょ?」

 それは理絵さんの言う通りだった。


 一ノ瀬は俺に対してあんな顔はしてくれない。

 でも、黙って見ていたくなかった。とにかく、ふたりの中に割って入りたい。

 俺は教室のドアに手をかける。


「止めてよ、邪魔しないであげて!」

 その手を理絵さんが優しく握りこんだ。


 一ノ瀬と同じ、冷たい手。こんな風に握られたら、確かに逆らえない。

 俺は仕方なくドアから手を引いて、理絵さんの手を払う。


「私、ふたりが付き合った方が皆の為になると思うんだ。

 貴文も先の無い恋に拘ってないで早く別の人を探した方が良いと思うよ」

 理絵さんは、悪い人じゃない。言っていることも間違っていないと思う。


 でも、俺は……、こんなの認められない。

 皆の為? 少なくとも、俺の為にはならないよ。


 俺はやはり、予備校のグループでは不要な存在なのだろう。

 彼女は遊びに行く機会を潰そうとする俺を排除したいだけではないだろうか。

 それは一ノ瀬のためではなく、身勝手な都合に他ならない。


 ……でも、こんな反論をしても無駄だろうな。

 それこそ火に油を注ぐだけだ。彼女は彼女の正義の下に行動している。

 俺の言葉は、俺の存在は、彼女にとって悪でしかないのだろう。


「貴文……? ごめん、ちょっと言い過ぎたかな……」

 理絵さんは何も言えずにいる俺を心配してくれた。


 でも、これは矛盾だ。たった今、彼女は俺の気持ちを踏みにじった。

 それなのに何故、心配をするのか。そんな権利なんてないはずだ。


 だけど、俺はその気持ちも理解できなくはない。

 俺は知っているんだ。学生と社会人で大きく違うことがひとつある。

 それは付き合う相手を選べるか、選べないかということだ。


 学生はクラスメイトを選べない。

 だから、無理にでも付き合う必要がある……。

 そうではない。「付き合わない」という選択肢は常に残されているのだ。


 特に大学生や浪人生は取捨選択をしやすい。

 全ての人と仲良くする。そんな事は不可能だ。

 だから、自分と相性の良い人とだけ付き合えば良い。


 そうやって出来たグループは自分たちにとって都合の良い思想に流される。

 グループの中の正義が、まるで世界の正義であるように振る舞えるのだ。

 何故ならば、そこに反論を示す人が居ない。

 もしも居たのなら、それを排除して新しい人を加えれば良いだけだ。

 そうやって、居心地の良いメンバーだけでグループを維持すれば良い。


 でも、社会に出るとそうはいかない。

 上司や客先、自分の都合を顧みてもらえない相手とも付き合う必要がある。

 そんな時、自分都合の正義は通用しないし、賛同も得られない。


 だから、俺は理絵さんが矛盾を抱えたまま俺を心配する気持ちも分かる。

 彼女の理屈を否定することは出来ない。

 でも、だからと言って……肯定できるものじゃない。


「ごめん、理絵。言いたい事は分かるけど、それは出来ないよ」

「貴文……」

 俺は静かに、彼女の眼を見て言った。


 俺は君の物語の中に出てくる名脇役では無い。

 君と同じ主人公で、君とは違う思想を持った人間だ。

 俺には君とは同じように心があって、違う願いを抱いている。


「俺は一ノ瀬 梨香を愛しているんだ」

 そう言い放って、扉を開け放つ。


「一ノ瀬!」

「あ、高木くん?」

 目が合うと、少しだけ笑ってくれた。


 それだけで十分だ。俺は一ノ瀬を信じる。

 彼女に、そう言ったんだ。


「今日も来てくれたんだ」

「当たり前だろ」

 だから俺はツカツカと歩み寄って、一ノ瀬の隣に座る。


 誰に何を言われても、構わない。

 一ノ瀬が俺を拒絶しない限り、俺は彼女と一緒に居る。


「貴文、よくここが分かったな?」

「理絵が教えてくれたんだよ」

 悠人(はると)に、一ノ瀬を渡したくない。


 そのためには身勝手にもなるし、不格好でも構わないんだ。


「ありがとー、理絵!」

 一ノ瀬はそう言って笑顔で理絵さんに手を振っている。


 理絵さんは少しだけ複雑な表情をしたものの、笑顔を返した。

 そして、俺の隣に座る。


「ねー、貴文。ここ、ちょっと教えてよ」

「ん? それだったら一ノ瀬のが分かると思うぞ」

 俺は彼女の作戦には乗ってやらない。


「どれどれー? ああ、これはねー、こうするんだよ」

「あ、なるほど。ありがと、梨香」

 目の前で両隣の女の子が会話をするのはちょっとドキドキするな。


「一ノ瀬、今日はこの後、どうするんだ?」

「今日の授業は終わったよ。でも、もう少し勉強してから帰ろうかな、と」

 確かに、帰るにはまだ時間が早い。


「じゃあ、自習室行くか」

「うん、そうだね!」

 そう言って、ふたりで移動する準備を始めた。


「ねえ! いいじゃん、今日はここで勉強しようよ」

「そうだよ、梨香。一緒にやろうぜ」

 一ノ瀬を引き留めようとする理絵さんにも悠人(はると)にも、悪気はないのだろう。

 純粋に一ノ瀬のことを慕ってくれている。それは伝わってきた。


 それに、気持ちもわかる。ふたりだって、不安なのだろう。

 受験勉強はまだ続く。そして夏休みに入ったらさらに厳しくなる。

 現役の高校生もメキメキと力を付けてくる頃だ。


 受験勉強は孤独との戦いでもある。

 こうやって「勉強する」という名のもとに一緒に居るのはきっと楽だ。

 その時間はたとえ遊んでいても、勉強した気持ちになれる。

 時間が経つことへの恐怖も和らぐだろう。

 辛いことは知っている、だから俺はそれを甘えだと断ずるつもりはない。


「どうする、一ノ瀬? 」

「んー、皆と一緒に居たい。でも、私……」

 一ノ瀬の意志は分かった。だから俺は我儘を言う。


「行こう、一ノ瀬。ふたりには俺が付き合うからさ」

「うん……ごめんね」

 申し訳なさそうな表情の一ノ瀬を連れて、俺は教室を出た。


「ごめん、俺、また余計な事しちゃったかな……」

「わかんない……、何か嫌な感じになっちゃったね」

 一ノ瀬も何となく、不和を感じているようだ。


「そこはちゃんと話してみるよ。だから、安心してくれ」

「高木くん……。大丈夫? 今日疲れてない?」

 心配そうな顔でこっちを見る一ノ瀬。不思議だな、何で分かるんだろう。


「ん……」

「これで充電したから、大丈夫だよ」

 頭を撫でた。ほんの少し、肌に触れられるだけで良い。俺はお手軽だ。


「もう、ばーか」

 相変わらず、辛辣な態度だった。


 女の子の顔、か。確かに俺には見せてくれない。

 やっぱり、いつか、一ノ瀬は悠人(はると)に上書きされて居なくなってしまうのかな。

 その覚悟は出来ている。それでも俺は、出来るだけ一ノ瀬の傍に居たい――。



「貴文は何でそんなにも梨香に勉強させようとするんだ?」

 教室に戻った悠人(はると)は俺にそんな言葉を投げかけて来た。


 その質問に答える前に、俺には言っておきたいことがある。

 だから、俺はまっすぐに彼を見て言葉を紡ぐ。


悠人(はると)、俺と一ノ瀬は付き合っているんだ」

「は!?」

 予想外に悠人(はると)は驚いて見せた。


「いやいや、聞いてないぞ? 梨香もそんな感じじゃなかったし」

「冷やかされたくなかったんだよ」

 でも、もう隠しておく段階じゃないだろう。


「ふーん、でもなあ……。アイツ、経験ないだろ。お前、本当に好きなのか?」

 どうして、そうなるかな。一緒に居る目的はそれだけじゃないはずだ。


「好きだよ。いいだろ、別に。大事にしているだけだ」

「大事に、ねえ……。悪いけどさ、俺も梨香の事、好きなんだよ」

 それは、何となく分かっていた。悠人(はると)も遊びではないのだろう。


「俺は彼氏とか、そういうの関係ないと思っているから」

「うん、それでいいと思うよ。決めるのはアイツだ」

 俺がどんなに嫌だと思っても、どうにもならない。それは既に思い知っている。


「貴文はさ、梨香のどこが好きなんだ?」

「そうだな、優しいところ、よく笑うところ、元気なところ。いっぱいある」

 それこそ、数え上げればキリがない。


「うわ……ちょっと引くわ」

「お前、聞いておいてそれはないだろ。悠人(はると)は?」

 何故、こんな話をしなければならないのか。本当は聞きたくもない。


「そりゃ可愛いところに決まってるだろ」

「分かりやすいなあ。まあ、それで良いんだろうけど」

 結局、頭でっかちな俺は一ノ瀬のタイプではないんだよな。


「貴文はさー、何で梨香に手を出さないの?」

 理絵さんは割と直球だな。この話もあまりしたくない。


「アイツが望んでいないからだよ」

「付き合っているんでしょ? そんなのでよく我慢出来るよね」

 我慢か……。やっぱり、そう映るんだな。


「ねえ、知ってる? 梨香って耳の裏が弱いんだよ!」

「へえー、そうなのか。今度、攻めてみようかな」

 止めてくれ、そんな話をしないで欲しい。


 きっとふたりは、知らないのだろう。

 心の底から大切な人が居なくなってしまうことがどんなに悲しいことなのか。

 そして、その人にもう一度逢えた時、どんなに嬉しいのかを。


 心が壊れそうになるほど、誰かを愛して、報われなかった痛みを知らない。

 だから、ただ傍に居てくれることが、どれだけ幸せなのかを知らないんだ。

 ともすれば、それはある意味で……。


「不幸だな」

「貴文?」

 思わず、口に出してしまった。ふたりがキョトンとした顔でこっちを見ている。


「あ、いや、ごめん。なんでもない……」

 こんな言葉で誤魔化せるだろうか。


「しょげるなよ、別に今すぐ別れて欲しいとか言うわけじゃない」

 そう言う意味じゃないんだけどな。まあ、馬鹿にしたと思われなくて良かった。


「私は、その方が良いと思うけどなー」

「おい、理絵……」

 理絵さんを責めはするものの、悠人(はると)は自分の勝利を確信しているようだ。


 そりゃそうだろう。俺なんかに負けるとはとても思えないよな。

 俺も、彼に勝てるとは思えない。今はまだ、俺が彼氏だけど……。

 しばらくしたら一ノ瀬はきっと気づいてしまうのだろう。

 俺に向けているのは恋心じゃなくて、同情心なのだと。

 そうなったら、きっと全部、上書きされてしまう。

 俺と一緒に過ごした時間より、彼との今を大切だと思うようになるんだ。


「だって、梨香がかわいそうだよ。もっと遊びたいはずなのに……」

 理絵さんの言いたいこともわかるな。


 俺が居なければ3人で遊びに行ける。もっと楽しいことが出来るだろう。

 その方が一ノ瀬のためかもしれない。辛い勉強の日々を忘れて笑っていられる。


 俺がしていることは余計な事なのかもしれないな。

 たとえ2浪することになったとしても……。

 悠人(はると)と思い出を作る方が一ノ瀬にとっては幸せな事かもしれない。


「そうかも知れないね。でも、俺は一ノ瀬に夢を叶えてもらいたいんだ」

 でも、もう迷わないと決めている。我儘と罵られても構うものか。


「夢……?」

「アイツは、医者を目指しているんだ」

 一ノ瀬は自分の事を話したがらない。だから俺が勝手に話すのも嫌がると思う。


 それでも、俺はアイツのことを話した。物事を動かせるのはいつも真実だけだ。

 だから、俺は必要な事をちゃんと話すことにした。

 一ノ瀬の好きな事、嫌がる事も伝えておく。


 そうすれば、一ノ瀬が悠人(はると)を選んだ場合でも楽しく過ごせるはずだ。


「あと、仮面浪人の話も嘘だ。俺は一ノ瀬に会いにここへ来ている」

 これで言うべきことは全て言ったと思う。結構な時間が経ってしまった。


「……わかったよ。でも、何を話されても俺の気持ちは変わらない」

「それで良いって、言ったろ」

 俺に出来るのはここまでだ。あとは一ノ瀬が選べばいい。


「あ、居た! ずっとここに居たの?」

 教室の扉が開いて一ノ瀬が戻ってきた。


「うん、夏休みにさ、遊園地行こうって話してたんだ!」

 理絵さんは何事も無かったかのように嘘を言う。意外と頭の回転が早い。


「おー、いいねー! 1日ぐらいなら、いいかな?」

 一ノ瀬は何故か、俺の方を見て言った。


 別に俺の許可なんて取らなくてもいいんだぞ。

 そう思ったけど、頼りにしてくれるのは素直に嬉しかった。


「うん、良いんじゃないか? たまには息抜きも必要だろう」

 俺は一ノ瀬の気持ちを汲んで答える。


 お酒を飲まない遊びなら、別に構わないと思ったんだ。

 代わりに、俺とのデートは無しにすれば良い。

 これなら理絵さんの留飲も少しは下がるだろう。


「やったー! 楽しみだね!」

「うん、皆で行こうね!」

 嬉しそうなふたりが尊い……。でも、このイベントはひと悶着ありそうだな。


 結局、この後は遊園地イベントの話題で盛り上がってしまった。

 ……悠人(はると)に理絵さん、君たちはもう少し勉強しなさい。

 流石に、そんな言葉を言える気にはならなかった――。



「ふあ……」

「大丈夫?」

 帰路になって、やっと一ノ瀬とふたりきりになれた。

 この時期に真っ暗なのだから、本当に一ノ瀬は頑張っている。


「ごめん、ふたりになれてちょっと安心しちゃった。お前は大丈夫か?」

「うん、平気だよ。悠人(はると)と理絵、苦手なの?」

 苦手と言うか……今日はもはや、敵みたいな感じだったな。


「そんなことないよ。ただ、一ノ瀬と一緒だと心が安らぐなって思って……」

「また、そんなこと言ってる」

 でも、今日は本当に疲れたな。徹夜明けで授業に出て、嫌な話ばかり聞いた。


「一ノ瀬は、俺が居ない方が良いって思ったことあるか?」

 だからかな、余計な事を聞いてしまった。

 理絵さんに言われた言葉が胸に残っていたのだろう。


「何でそんなこと言うの……?」

 その声にハッとなる。一ノ瀬は今にも泣きそうな顔をしていた。


「ごめん、違う。今のは、その……」

「高木くんは、私が居ない方が良いって思ったことある?」

 俺の言葉を待たずに、同じ言葉を投げかける。


 その瞬間、息が止まりそうになった。

 一ノ瀬がまた居なくなったら、俺は……。


「これ、駄目なヤツだな」

「でしょー……」

 ふたりして、落ち込んでしまった。


 そして、その間に一ノ瀬の家の近くまで到達してしまう。

 正直、このタイミングで別れたくなかった。


「……公園、寄ってく?」

「いいのか?」

 一ノ瀬の提案に、心から助かったと思った。


「いいよ、でもキスしたら殺すから」

「どうして、お前はそんなに狂暴なんだ……」

 そういえば、初めてキスしてからもう1年近く経つんだな。


 ……確かに、全然進展してない気がする。

 でもそんなに悪い事なのかな。公園のベンチに腰を掛けて、隣に居てくれる。

 俺はそれだけで、今でもこんなに嬉しいのに。


「ごめんなー、また勉強の邪魔しちゃって」

「いいよー! 今日は予備校で頑張ったから休むつもりだったし」

 そう言って、軽く伸びをする一ノ瀬。彼女も少し疲れているみたいだ。


「幸せだな、俺」

「そうなの? 何もしてないのに?」

 やっぱり、分かってもらえない。


 そうか、きっと一ノ瀬も、悠人(はると)や理絵さんと同じなんだな。

 どんなに願っても、大好きな人と会えない苦しさを知らないのだろう。

 だからいつも、気持ちがちゃんと伝わらない。

 傍に居る、ただそれだけで、どんなに俺が救われているのかを……。


「うん、ちょっと怖いぐらい。……そっか、俺は怖いのか」

「どうかしたの?」

 一ノ瀬が心配そうにこっちを見てくれるのも嬉しかった。


 今はまだ、たくさん嬉しいことがある。

 これ以上になれたら、もちろん嬉しいけど……。


 平気なつもりだった。

 理絵さんに言われた「別れて欲しい」も悠人(はると)の「梨香が好きだ」も、別に……。

 気にしていないフリ、上手くやれてたと思う。


 でも……理絵さんの言っていた「女の子の顔」が離れない。

 悠人(はると)と一緒の時だけ見せる、俺の知らない一ノ瀬が大きくなっていく。

 俺は凄く我儘な事を言っている。やっぱり、一ノ瀬を独り占めしたい。

 誰にも、取られたくないんだ……。


 一ノ瀬が悠人(はると)と付き合うことになったら、もう、こうやって居られなくなる。

 抱きしめることも、手を繋ぐことも、頭を撫でることも出来なくなるのだろう。

 きっと、一緒に帰れない。予備校に来れなくて簡単に会えなくなる。


 今の俺は一ノ瀬の彼氏なのに。なんでこんなに弱いんだろう。

 強くなりたい。自信をもって一ノ瀬の彼氏だって言えるように……。

 なのに、自信に満ちた悠人(はると)の顔が怖い。理絵さんの言葉が怖い。

 確かに俺は、一ノ瀬に釣り合わない男だ。


 いつか一ノ瀬は遠くに行ってしまう。それが、怖くてたまらない。 

 離れたくないんだ。顔が見たい、声を聴きたい。

 あの時、理絵さんに会わなければ俺たちはずっとふたりで居られたのかな……。


「ごめん、何でもないよ」

 そう答えた時は、もう涙が止まらなかった。


「馬鹿なの? そんな顔して言っても説得力ないよ」

 一ノ瀬はこんな俺にも優しい。ハンカチを取り出して涙を拭いてくれた。


「何かあったんでしょ? 私に出来る事ある?」

「隣に居てくれるだけで十分だよ。ありがとな、一ノ瀬」

 笑顔を作ったつもりだった。


 でも、どうしても涙が止まらない……。

 優しくしてもらう程、これが無くなってしまうという恐怖が強くなる。


「高木くんは深夜バイト、向いてないよ。

 疲れてる時はさ、わざわざ来なくてもいいんだからね?」

「違うよ、疲れてる時こそ、お前に逢いたい。

 俺、本当にただ一緒に居たいだけなんだ。わかって欲しい……」

 向き合って話すだけで幸せだ。一ノ瀬は俺の眼を見てくれる。


 だから、顔が良く見えた。眉毛は薄くて、目がとても大きい。白い肌が綺麗だ。

 低い鼻に、少し荒れた唇、そのとなりには小さなエクボがある。

 可愛くて、たまらない。湧き上がってくる感情に歯止めがきかなかった。


「好きだよ、一ノ瀬」

「高木くんさー、馬鹿だね、ほんと」

 そう言って一ノ瀬は立ち上がった。そして両手を広げる。


「一ノ瀬?」

「はい、どうぞー」

 一ノ瀬は意地悪そうな表情で笑った後、そう言って目を瞑った。


「んっ……!」

「ありがとう、一ノ瀬」

 俺は力いっぱいに彼女を抱きしめた。甘くて優しい匂いに包まれる。


「ふふ、高木くんの匂いだ。私、これ好きなんだよね……。なんだか安心する」

「俺も同じだよ。ずっとこうして居たい」

 でも、きっと、この温もりはいつか無くなってしまう。


 それは、そんなに遠い未来ではないだろう。

 俺は悠人(はると)には勝てない……。だから、これは今だけだ。

 そう思うと、暖かい時間に恐怖が混ざる。

 もう嫌だ……。せめて、今だけは、ただ幸せだと思っていたい。


「ねえ、高木くん」

「なんだよ?」

 涙が、止まらない。こんなに優しくして貰えているのに……。


「大学、合格したらさ、高木くんの家に泊まりに行っても良い?」

「来てくれるのか……?」

 一ノ瀬の言葉で涙が止まった。本当に、魔法のようだ。


「何もしない温泉旅行して、その次は美味しいご飯を食べる旅行をするの。

 ろっちさん達と飲み会に行って、生徒会の皆とバーベキューするんだ」

「ああ、そうだな」

 全部、俺が一ノ瀬に贈った言葉だった。


「私、楽しみにしてるんだよ? ちゃんと叶えてくれるよね」

「当たり前じゃないか。俺が約束を破った事、あったか?」

 背中に回された手が、頭を撫でてくれる。


「私は高木くんのこと、信じているよ」

「うん、俺もお前の事、信じてる」

 優しい温もりが、不安と恐怖を溶かしていく。


 未来の約束……、それが果たされないことがあることも知っている。

 でも俺たちにとって、それは今を乗り越えるための力だった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 一ノ瀬、イケメンへのガードの緩さは健在ですね。悲しい歴史は繰り返してしまうのか。。。 寝取りアシストする気満々の理絵への憎しみが。本当にお前は何様のつもりなのかと。 イケメンと理絵が多浪…
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