零落して死にかけてた御曹司の腕に生えてるレアキノコがほしいと医術師が叫んだので
ヒスイは医術師だ。
定住しての開業医ではなく、旅から旅の根無し草。
もちろん請われれば留まって(偉い人の許可もとって)施療院的な施設を開いたりもするけれど、永住はしない。期間が来たら、また旅の空。
だっていろんな病状を診たい。
いろんな薬のタネを知りたい。
いろいろ、いろいろ、知って学んで身につけて、いつかは家族を根絶やしにしてくれたあの病に打ち勝てる、特効薬を作りたいのだ。
だから、ヒスイは今日も己の生業に精を出す。
たとえそこが土と泥と火薬と汗と血とついでに刑罰にまみれた地下こと鉱脈の採掘現場、一生そこを出られることのない罪人たちが集められた劣悪極まりない環境下でのお仕事だとしても。
いや、正直、話を持ってこられたときには、ちょっと迷った。
断ろうかなって思った。
だけどもしかしたら、そういう環境下でこそ見られるもの得られるものがあるかもしれないって、一念発起してやってきたのである。
……そうしてまさに、その甲斐はあった。
「責任者ー! 責任者のかた、ちょっと来て! この隅っこで今にも死にそうになってるひと、私に売ってくださーい!!!!」
役務中の囚人をまとめてつっこんどく牢屋もとい汚部屋のひとつで、バンザイキメて雄叫ぶほどの、成果が。
☆☆
カイト・バナードは公爵家の嫡男だ。いや、嫡男だった。
頭もキレるし外面もいいし、政策にも秀で、縦横のつながりも疎かにしない、優秀な跡取りだと目されていた。
ただ難点は、そうした素晴らしい自分にあてがわれた婚約者が分不相応な者であったこと。家柄は釣り合っていても、性格が合わない。初対面から、こいつとは絶対に相容れないと閃光が走ったほどだ。まあそれでも仮面夫婦として取り繕うことはできるだろうと、暗黙の了解をもって関係は成り立っていた。
そこにつけこまれた。
貴族子女の義務として通う学園にて遭遇したひとりの少女――当時はほんとうに運命の女性だと信じて想いを交わしていたのだけれど、実は隣国の間者だった――の手の上で転がされてしまったのだ。彼女ひいては隣国の謀略のために、いいように使い捨てられた。やらかした愚行は数知れず、だ。
結果、廃嫡ならびに囚人労役刑をくらうというありさまである。
そこに至る過程で婚約者には当たり前に愛想を尽かされたし、家族からはゴミを見るような視線を投げられた。ほんとうなら今、バナードの姓を脳裏に浮かべることすら罪なのだろう。
判決を言い渡した裁判官が言うことには、これでも温情があったのだという。
間者の女が、カイトや他の者を操るために、秘薬を使っていた。思考をにぶらせ、誘導に抗えなくなるような。その分は、差し引いてくれたらしい。
とはいえカイトほどのやらかしをした者はいなかったので、そこは自身の蒙昧さを思い知るしかない。
……かくしてカイトは、終身苦役として、鉱脈の採掘員となった。
が、あんまりにも環境が悪すぎて、あと、貴族生活していた体には酷過ぎて、あっさりと使い物にならなくなった。使えなくなった囚人に手を掛ける余裕はねえ、とは、責任者のポリシーらしい。それでも動けるうちは他の奴の世話をしろよと、体を拭かされたり、折れた針とほつれまくる糸で服の修繕をさせられたりした。
言われた以上はと取り掛かったが、結局、貴族出身は使えねえなと嗤われた。
そうしてそのうち、本当に動けなくなった。使えないものになった。
大部屋の隅に転がされ、うつろに虚空を見上げるカイトが思うのは、いつ死ねるのだろうかということだった。
……婚約者だった彼女や、自分を見限った家族のことは、考えなかった。
へたに未練を抱いては、死後に変な念を飛ばしかねないだろうから。
…………でもせめて尻の痛みは置いていきたい。
散らばる思考でわりと切実なことを思っていた、ある日。そのとき。
力なく投げ出していた腕を握られた。
ああ、とうとう廃棄所に投げ込まれるのか。
覚悟を決めたカイトの耳を震わせたのは、だが、こんなところにあっていいとは思えないほど歓喜あふれる命の輝きに満ちた、初夏を告げる鳥のような清々しい声だった。
「このひと売ってください!!」
……内容はひどいものだったが。
☆☆
わけ分からんという顔でやってきた責任者に、ヒスイは熱弁を奮う。
「つまりですねこのひとの腕に生えてるこれ! このキノコ! ほんとうは動物の死骸にしか生えなくて! 一回採取したらそこで終わりなの! でもすっごい貴重で! 薬師の間ではほんっとレアもので! いい薬がつくれて! こんな瀕死とはいえ生きてるかたから生えてるなんて奇蹟! もしかしたら連作できるかもしれないから! 将来の医学のために! ぜひ!! 売ってください!!!」
――しまいには土下座もキメたヒスイの説明が終わっても、やっぱわけ分からんという顔しかしなかった責任者は言った。もう使えねえし、適切な対価を払ってくれるならいいと。
Q:適切な対価とは。
A:高級奴隷ひとりぶんプラス年期満了までの収入相当額
「買った!!!!」
「マジかよやった!!!!」
脳内で計算機を弾いたヒスイは、各国共通預金機関から振出できる手形をその場で切った。各国を股にかけて名を轟かせる医術師を舐めてもらっては困るんだぜ。
魔術処理によって偽造も改変もできない強固なプロテクトがかかった代物だ。責任者はくさっても責任者、一応それ系の知識もあったようで、モノのたしかさを確認したあと受け取った。
それで晴れて、キノコの生えた囚人ことたぶん青年は、ヒスイの所有物になったのだ。
「ところで、栽培ってどうすんだ?」
「腕だけ取り除いてプランターにします!」
ドン引かれた。
☆☆
一連のやりとりをぼんやりと、それでもどうにか聞き取っていたカイトは思った。
腕だけ残して本体廃棄されるに違いない、と。
それでもいいかなと思った。
どうせ、そろそろ死ぬだけの物体と成り果てていたのだから。
――――でも。
「はい、ここが私の研究室ですよ! 帰るのすっごく稀なんですけど師匠が残してくれたので手入れは大丈夫! ようこそようこそ! ええっと、カイト、ですね! さっそく処置しますよそこに寝てー!」
所有者の家に連れて行かれて。処置台に寝かされて。
「おやすみなさーい!」
睡眠の意味で寝かされて。
「はいおはようございます。処置完了しました。気分はどうですかー、麻酔酔いしてませんかー?」
……起きてしまった。
「見えますか? あれがカイトの腕です。大事にするからね!」
……腕はたしかになくなっていた。
「それから、分かるかな。ちょっと指曲げてみて……そうそう上手。うん、ちゃんとつながってますね。はい、ぐーぱー、ぐーぱー。指たててー、いち、にー、さん……よしよし」
……腕が生えていた。
「義手だよ。ふふふふ、私の自信作!」
疲れてるだろうからひとまず休んで、と、話を切り上げて寝かされた。
次に目が覚めたときには体を拭かれて服を着せられていた。……こびりついていた汚物の感触がないと物足りない自分に、少し怯えた。
「はい、胃に優しいものから始めようね。あーんします? 自分でがんばります? 腕のリハビリにもなるよ!」
ゆっくり、一生懸命食べる横で、所有者が説明の続きをしてくれた。
「切り離した腕は魔術処理をして、今もカイトから栄養素を送れるように繋がってるの。調整して瀕死状態を保てるように……キノコ生育に適した環境を維持してるんだ」
気になって、尋ねた。
「えー? まるごとプランター? いやいや何考えてるんですか、そんなのめんどうくさい! 人間ひとりと腕一本、どっちが楽に維持できると思うの!」
背中を撫でられた。
「安心して。むしろカイトには元気になってもらわなくちゃいけないから! キノコの苗床としてりっぱに生涯をまっとうするって使命があるんですからね!」
貴重なキノコをゲットして興奮する数日を過ごしていた所有者がある日、真っ赤になってやってきた。カイトがベッドから起き上がれるようになったころのことだ。
「……ごめんなさい……はしゃぎまくりました……」
身をちぢこめて謝罪するつむじと弱々しい声に、驚いた。
今まで見ていた所有者はどこいった。中身が入れ替わったのか、変なものでも食べたのか。問えば、研究者として盛り上がりすぎただけで、ふだんはこんな調子だという。
「……はしゃぐ期間が長すぎやしませんか」
「それだけ貴重なんだよ! ……なんですよ」
瞬時に変貌した所有者を見て、なるほどと納得した。
動けるようになった自分はどうすればいいかとも、ついでに尋ねた。
終身刑務からも破棄されて売り払われた自分に何ができるものかと――こっそり、腕だけ確保されてまたどこぞ奴隷市場にでもまわされるかとも思ったが、そんな回答はされなかった。
「プランターの管理はつまり、カイトの健康管理です。だから、カイトは私の目の届くところに暮らしてください。それさえさせてくれれば、自由にしてもらっていいですよ」
目の届くところとは?
「連絡が定期的にとれるなら、近くの街でもいいんですけど……」
「…………」
「無理ですよね。うん、じゃあ、ここで一緒に暮らしましょう。助手してください。いろいろお仕事もあるし」
元気になったら、旅にも出ましょうね。
そう言って笑う所有者の――名前をそういえば、聞いていなかったと、このときようやくカイトは気づいた。
そういえば名乗ってなかった! と恐縮する所有者のつむじを眺めてしばらくのち、カイトは彼女の名をくちにする権利を得た。
何もかも己の愚行で失って命もこれきりと思ったカイトだったが、それでもまた、手にできるものがあったのだ。
「……ヒスイ様」
「様やめて!!」
たからものとも思ってくちにしたはずが、即座に却下されてしまったけれど。
「いいですか私は奴隷とか下僕とか召使いではなくプランターと未来の助手を手に入れたのです。プランターと助手は様付けなんてしないんです」
「そもそもプランターは語らないと思う」
「あ、その調子でしゃべってください」
うっかりツッコミを入れたら、気に入られてしまった。
☆☆
貴重なキノコのプランターをゲットしたら優秀な助手までゲットできたヒスイの毎日は、おかげさまで充実している。
カイトは賢くて機転も利いて、なんでこのひとあんなとこに突っ込まれるようなことしたのって不思議になるくらいの優良物件だ。ついでに顔もいいから、女性のお客様から贔屓にしてもらえることも増えた。一部の男性からも人気だが、カイトはちょっと嫌がっていたりする。こっそり尻をかばうような仕草をするので、ああ……と、なまあたたかい気分になるヒスイである。
「肛門に効くお薬、ありますよ」
「……、……、……っ」
涙目で受け取ってくれた。
そんな一幕もあったが、ヒスイとカイトはおおむね仲良くやっている。
彼の体調もしっかり管理してきた甲斐があってととのってきたので、そろそろ、また旅に出ても大丈夫だろう。プランターは置いていく。ここまでの研究成果で、環境さえ守っておけば下手にちょっかい出さなくても生えて育って抜けて落ちてまた生えて……と循環することが分かったからだ。
ちなみに、落ちた分は別の容器を設置して乾燥まで自動で処理できるようにした。つまりオールフリーキノコプランターの完成である。技術って素晴らしい。
そうして育ったせっかくのキノコだが、いまのところ販売予定はない。
「大騒ぎになりそうで……」
「まあ、折を見て小出しにするとかでいいんじゃないか」
「そうですね」
永遠に瀕死状態の腕を眺めるカイトは平然としたもので、すっかり馴染んだ義手を器用に操っている。見よあのサインの文字の美しいこと。どういう教育を受けていればこんな教養が身につくというのか。
訊いてみたい。でも訊きにくい。
訊いたら話してくれるだろうか。
でも好奇心だからなあ。
などとぼんやり考えていたら、ふと、カイトがヒスイを見ていた。
視線がからむ。
ヒスイは、目が合ったなあと素直に受け止めた。
カイトは、――――
「……なに」
ふぅわりと。
泥と土と火薬と血と汗と涙と罪と、ついでに尻の痛みもないような表情で、瞳を細めてくちもとをゆるめた。
うん。訊けないな。
昔話は、語り手がこう言わなければ始まらない。
むかしむかしあるところに、そう彼が口にしたら心置きなく聞かせてもらおう。
だからヒスイものんびり笑う。
「私にもそういうきれいな字の書き方、教えてください」
「誰かに付いたりしなかったのか?」
「我流ですよー」
ヒスイは医術師だ。
病で家族を失ってたまたま心優しい医術の師匠に拾ってもらった医術師だ。
その家族が未知の病原体を持ち込まれ滅びた皇国であったことをカイトに話していないのだから、きっとお互い様である。
……いつか。
皇国関連の騒動とかどっかの公爵家関連の騒動とかが降り掛かっててんてこまいになるのなんて、まだふたりは知らない。
医術師と助手は、穏やかに日々を暮らしている。
ありがとうございました。書きたかったテンションは書けました。