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2-1

 ヘーゼルダイン辺境伯領に来てまず安堵したことといえば、王都で流行っている華美で堅苦しいドレスを着なくてよいと言われたことだ。

 北部地方はその厳しい寒さゆえに、女性も股のわかれたズボンを穿く風習がある。もこもことした着心地の良い裏地がついていて、脛を包み込むブーツも安定感があり歩きやすい。裾の長い上衣を何枚か重ねて、腰をサッシュと飾り紐で絞れば普段着の完成だ。


「わあ、動きやすい。てっきり毎日コルセット着けなきゃいけないのかと……」

「昨晩はどうでしたか?」

「ゴホッ」


 私が機能的な衣服に感動していることなどお構い無しに、侍女のタルホが髪を整えながら淡々と尋ねてくる。

 思い切り噎せてしまったが、監視役のタルホには一応報告はしなければならないので、私はぼそぼそと昨日のことを話した。


「……寝てしまわれたのですか? …………あのわずかな時間で?」

「しょ、しょうがなかったのよ! あのベッド、寝心地良すぎて誰でも一瞬で落ちると思う!」


 普段から安い宿で寝泊まりしている身としては、夜中に一度も目が覚めず、起床したときに体がどこも痛くないベッドなんて初めてだった。子爵家のベッドもなかなかだったが、きっと北部の羽毛布団が格別なのだろう。

 ベッド談議はさておき、初夜で何も起きなかったのはウォード子爵にとって痛手かもしれない。一方、三ヶ月での離婚をご希望のケイトリンお嬢様からは、よくやったと褒められる状況だろうか。

 こんな依頼をするなら親子できちんと方針を固めてほしかった。このままではどちらかが不満を抱くことは必至だ。私は一体どうすれば依頼を完了したことになるのだろう。



「あれ?」


 億劫な気分で食堂へ向かうと、アーノルド様の姿がなかった。てっきり先に来ていると思ったのに。


「奥様、おはようございます」

「お、おくっ……?」


 私のことかと振り返ってみれば、にこやかな笑みを浮かべた青年がそこに立っていた。この半端なく目立つ緑色の髪の毛、確か結婚式に参列してくれていたような。


「ええと、あなたは……」

「申し遅れました。私は辺境伯様の補佐をしております、エルヴェと申します。以後お見知り置きを」


 エルヴェの丁寧な挨拶に軽く頷くと、彼はすぐに食堂の椅子を勧めてくれた。


「あの、エルヴェ。へんきょ……アーノルド様はどちらに?」


 エルヴェを呼び捨てにするのも、アーノルド様の名前を呼ぶのも全く慣れないおかげで、ぎこちない話し方になってしまう。

 しかし補佐官の青年は眉を顰めることもなく、爽やかな笑顔で質問に答えてくれた。


「辺境伯様はつい先程、魔獣討伐に赴かれました」

「えっ」

「街道付近に小規模の群れが現れたようです。すぐお戻りになると思うので、ご心配なく」

「そ、そう……」


 だからこのまま優雅に朝食を召し上がれと?

 これがヘーゼルダインの日常なのかと私が頬を引きつらせていると、あっという間に料理が運ばれてきた。

 北部で好まれるという鹿肉のステーキに、ほかほかと湯気をたてる山菜のスープ。朝からがっつりしたメニューにも思えるが、昨日の結婚式以降ほとんど何も食べられなかったことを考えると妥当な量だろうか。

 作法を思い出しつつ鹿肉を口に運ぶと、その柔らかさに驚く。何度か自分で鹿を狩って食したことはあるが、これほど美味しくなかった。いつも血抜きが上手く行かず匂いもキツかったし……たまに魔獣の肉の方が美味しいのではと思ったことすらある。あちらは毒がある個体が多いから処理がまた大変なのだが。


「美味しい……」

「それはよかった」


 しかし私は最後の一口を食べたところでハッとする。

 もしや貴族のご令嬢は朝から完食などしないのだろうか。ケイトリンお嬢様はいつも朝夕の食事を残していたし、昼過ぎのお菓子ですらひとくちふたくちで止めていた。あれが単なる少食なのか好き嫌いなのか、はたまた淑女特有のマナーなのか判別がつかない。

 私がフォークを下ろして恐る恐るエルヴェを見てみると、彼は空になった皿をちょっと意外そうに眺めていた。やはり間違えた気がする。


「あ、お、お腹が空いていたからちょうどいい量だったわ、とても美味しかった!」


 早口で料理の感想を述べた私に、エルヴェは口角を上げて応じた。


「お気に召していただけて何よりです。お部屋に戻られますか?」

「あ……ええと、よければここの案内をしてもらえるかしら。何をすればいいかも分かっていないし」

「でしたら私が」


 アーノルド様の補佐官を案内役にさせてもいいのだろうかと疑問に思ったものの、他に名指しできる人間もいないので私は大人しくエルヴェの厚意に甘えておいた。


 ヘーゼルダイン城は数百年も昔に建てられた城塞で、増改築を繰り返して今の形に落ち着いたそうだ。

 尖塔に穿たれた弓兵用の射眼はもちろん、千年以上前に使われたであろう非常に古い投石器が保管されていたり、現在では製造技術がない錬成剣──魔石を使用した特殊な武器──などが宝物庫に眠っていたりと、歴史的遺産としての価値も高い。

 総括すると、ここは贅を凝らした貴族の屋敷というよりも、とにかく戦に特化した建物だとエルヴェは語る。


「もしかすると子爵家のお屋敷よりも飾り気がないかもしれませんね」

「え? いや、そんなことは……」


 城の内部に造られた聖堂はとても美しかったし、壁や柱など至るところに施された彫刻も、歩いていてつい目を惹かれてしまう。

 私はあらゆる芸術作品に明るくない。そのため子爵家に飾られていた絵画や煌びやかな装飾を見ても「高そうだなぁ」という感想しか湧いてこなかったのだが、ヘーゼルダイン城は遠い過去を追体験しているかのようでなかなか胸が躍る。

 だからといって、エルヴェの後ろから外れて勝手に見物すると品位を疑われてしまうような気がした。私は目だけをきょろきょろと動かしながら、できるだけ平静を装って説明に耳を傾ける。


「東階段を上ると物見の塔がありますが……あそこは炎の魔石がないので、もしも行く機会があればしっかり厚着してください」

「物見……何か見えるの?」


 エルヴェの口調はどことなく、私が物見の塔に全く用事がないという前提で話しているように聞こえたが、気になるのですかさず質問しておく。

 すると馬のしっぽのように垂れた緑髪が揺れ、また意外そうな笑みを浮かべたエルヴェが振り返った。


「『竜の涙』ですよ」



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