悪戯
その日、俺は真夜中の山道を車で走っていた。
「ヤバいヤバい。早く帰んないと・・・」
仕事終わりに同僚と食事に行ったのだが、そこで思いの外話が盛り上がってしまい、帰りが遅くなった俺は睡眠時間の減少を恐れていた。
通勤路として使っているこの山道は、道幅はそこそこ広いのだが付近に民家はなく、この時間帯になると通行するものは殆どおらずかなり不気味だ。
しかし、この道をほぼ毎日使ってる身からすれば不気味さなど既に慣れ、寧ろ他に通行車がいない分速度を出すのに好都合とすら思っている。
そうこうしている内に山道に設置された数少ない街灯が見えてきた。
眼前に迫るオレンジの光に少しばかりの安心感を覚えながら街灯を通過する。
その瞬間、俺の顔から一気に血の気が引いた。
位置のずれたルームミラーに映る後部座席に何かいる・・・
この場所でこんな時間だ。勘弁して頂きたい。
見なかったことにしたいのは山々だが、そのまま平常心を保ち続ける自信はない。
俺は覚悟を決め、再び迫りくる街灯を見据えた。
そして、通過のタイミングでルームミラーを見る。
後部座席にいたのは薄汚れたクマのぬいぐるみだった。
「なんだぬいぐるみか・・・」
俺は安堵して深く息を吐いた。
「・・・いや、待て。」
あんなクマ知らないぞ?
いやいやいや、マジで勘弁してくれよ。なんでだよ・・・あ。いや、待てよ・・・そうか、犯人は同僚だ。あいつはたまにこういう悪戯をするからな。全く困ったもんだ。ビビって損したわ。これはもう明日の仕事でジュースの一本でも奢ってもらわないと・・・っていうかマジで悪戯であってください。
後部座席のクマは同僚の悪戯である事を祈るように言い聞かせながら帰宅した俺は、翌日の準備もそこそこにさっさとベッドに潜り込んでしまった。
奇妙な夢を見た。件のクマが自ら歩いて部屋に入ってくるというありふれた内容。
「ん。」
気づけば朝になっており、枕元に置かれたスマホのアラームがけたたましく鳴っていた。
やや寝不足気味の重い身体を起こし、アラームを止める。
「あれ?」
傍らに妙な感触がある。
手探りで感触の主を掴み視界に入れる。
「悪戯じゃなかったよ。チクショウ・・・」
それは後部座席に置いてきたはずのクマだった。
俺は震える手でクマをベッドに置くと、マッハで身支度をして家を飛び出した。
「ふぁっ!?」
車に乗ろうとした俺は跳び上がった。
クマが後部座席にいる。
え?瞬間移動?分裂した?
「ええい!とにかく会社に行かんと・・・何もしないでくれよ。」
理解が追いつかない頭を無理矢理現実に引き戻した俺は、クマに一言頼むと車に乗り込んだ。
「おはよう。どう、怖かった?・・・いてててて!」
何の問題もなく会社に到着した俺はヘラヘラ笑う同僚に対し、問答無用でコブラツイストを掛けた。
どうやら悪戯ではあったらしい。
「てめぇ!あれ、マジで曰く付きなもんじゃねぇか!」
「え?ちょっ・・・どういうこと?」
「マジ?あれ、ゴミ捨て場に捨ててあったやつだぜ?」
事情を聞いた同僚は半信半疑といった様子だ。
「マジだったんだよ。とにかく、会社帰りにお祓いに行くから、してくれそうなとこ今日中に調べといてくれ。」
「お、おう・・・」
やや引き気味に同僚は答える。
「あと、慰謝料としてジュース一本!」
「珍しい物を持ってきましたね。」
その日の夕方。同僚が調べた神社を訪れると、境内の掃き掃除をしていた神主が俺を見るなりそう言った。
その口ぶりからしてここは信用できそうだ。
「ええ、はい。これなんですが、供養して頂けますか?」
俺は手に持っていたクマを神主に差し出した。
「んー・・・供養ねぇ・・・」
神主は手に取ったクマをまじまじと見つめ、渋い顔をする。
「これはあなたがお持ちになっていた方が良いでしょう。」
「は?」
クマを返された俺は目が点になった。
「確かに憑き物は憑いていますが、悪い物ではありません。寧ろこの手の物は無理矢理祓う方が良くないんです。」
「いや、あの・・・なんて言うか、正直気持ちが悪いんですが・・・」
俺はクマに聞こえないように口元を手で隠し小声で言った。
「まあ、お気持ちはわかりますが、これはそういう物なんです。逆に大事にして差し上げれば御利益がある事もありますよ。」
「御利益ね・・・」
納得が行かぬまま帰された俺は信号待ちの車中で助手席にシートベルトを締めて座るクマを見て、神主の言葉を思い出した。
「とりあえず、手元に置いとくなら洗った方が良いよな。」
なんとなくクマが喜んでいるような気がした。
「・・・大事にするから行く先々に現れたり祟ったりしないでね。」
こうして、俺とクマの奇妙な同居が始まるのであった。