波の音が見えない町
都会でしか過ごしたことのない人間は都会の外側に何があるのかを想像することができません。それを風刺しました。
「波の音が見える」
突然祖父がそんなことを呟いたとき、ついにボケたかと眉を顰めた。
昔のように孫を可愛がらなくなった祖父は徐々に寡黙になり、交流が減り、知らぬうちに病院の一室でただただ窓の外を眺めるだけの声出す人形となっていた。お見舞いに来てもあまり口を開かなくなった。そんな祖父を私はつまらない存在と思っていたものだから、病院を訪ねるのも億劫に感じていた。父と母に無理やり連れられなければ、絶対に相手になんてしなかっただろう。
大学の授業を理由に逃げた兄が羨ましいと考えていたところで、突然そんな言葉が出てきたものだから、思ったことがそのまま表情に出ていた。そんな私と対照的に、両親は熱心に「どう見えてるの?」と尋ねている。ボケた祖父のためになんでそこまで一生懸命相手にするのかと娘ながらに呆れていた。
「おじいちゃんに挨拶なさい」
帰り際に母に諭されて渋々ながら「また来るね」という。やっと今日の苦行が終わったと思い、スマホで学校の友達に連絡を送ろうとした。
「そろそろだな」
なんの脈絡もなく突然父が淡々と口にしたものだから「何が?」と反射的に聞き返していた。
「おじいちゃんのお迎えが近そうだ」
思わずスマホから目を離す。
「なんでわかるの?」
怪訝な表情で聞けば、母が言葉を補ってくれた。
「長く見えてなかった波の音が見えるようになったからよ」
その言葉に首を傾げたのは言うまでもない。なぜならまるで随分前には見えていたとでも言っているようだから。あまりにも突拍子のない言葉に「変なの」と鼻で笑って再びスマホに目を戻した。音は聞こえるものであって見えるものじゃない。そんな当たり前のことすらまるで分っていない三人に私は心のどこかで馬鹿にしていた。その感覚を崩されたのは翌日に病院から祖父の訃報が届いた時だった。
祖父の葬式は淡々と行われた。涙を流す両親と対照的に兄と私はどこか他人事のようだった。あまり関わらなくなってからというもの、私たちは祖父に対してなんの愛着も持っていなかった。だから兄は葬式のあと、親戚たちから離れたすきにまるでくだらない行事が終わった後であるかのように大きな欠伸を見せていた。それでも私は兄ほど退屈には感じなかった。きっと先日の祖父たちの言葉が頭の中に染みついていたからだと思う。
私はおかしなことを聞こうとしていると自覚しながらも、両親に尋ねてみた。
「音って見えるの?」
その問いを耳に入れたいとこたちは気がふれた人間を見るかのように私を見つめていた。どこかで既視感を覚えていると、先日私が三人に向けた目そのものだと気付いた。ただ面白いのは大人たちで、どこか納得したように私の両親の答えを待っていた。そして父は彼の父の話を始めた。
私の祖父は上京者だった。高度成長の頃に親の出稼ぎで流れ着いた田舎者たちの一人だった。元は瀬戸内海に面する兵庫の港町に住んでいた子供だったらしい。上京する十歳の時までコンビナートで荒らされ魚が減っていく瀬戸内の海を目の当たりにしていたそうだ。そのときに感じた憤りを父は子供の頃によく聞かされていたらしい。
上京した祖父は田舎者として埼玉のベッドタウンに暮らすようになった。住んでいた団地は上京者のるつぼのような場所だそうで、同じ故郷を持つ者は誰一人としていなかったらしい。学校では元から住んでいた子供たちと上京者の子供たちとの間でどこか軋轢があったようで、田舎者と呼ばれた子供たちは日替わりでいじめを受けていたそうだ。祖父もその一人であったのだけれども、彼はそんないじめっ子たちを心のどこかで見下していたらしい。
「波の音も見えない西洋かぶれの東京人」と。
祖父には関西特有の矜持というものがあって、食も芸術もありとあらゆるものが関東では劣っていると信じていたそうだ。自分たちが起こした戦争で自分たちの街を焼き捨てた東京の人間の子供たち。自然も文化も何から何までアメリカから輸入したものばかり。そんなことにすら気づかず上京者を田舎者と呼んで馬鹿にするそんな子供たちが滑稽に見えていたらしい。そして子供たちは祖父の心のうちなど知る由もなく「音は聞くものだ」と馬鹿にしたそうだ。
けれどもそんな祖父に共感した子供たちもいた。その人たちは共通して上京する前は港町に住んでいた。波の音も見えないのかと関東人と戦っていたそうだ。尤も相手の子供たちも教師もアメリカかぶれの関東育ちだったから味方はそれ以上増えなかったらしい。そして祖父も徐々に東京という色に染まっていき気づけば波の音も見えなくなったそうだ。
それを聞いて、けれども質問に答えられていないことに気づいて、私は波の音が見えることの意味を改めて尋ねた。すると今度は伯父が答えてくれた。
「五感は最後、脳波に変換されるだろ? 別々の五感であっても脳を介すると同じ波長になっていることがあるんだ。例えば、色は目で見えるもの、温度は身体で感じるものだよね? でも赤いものを見ると体が熱く感じて、青いものを見ると身体が涼しく感じることがあるよね。その感覚がある意味逆流するんだ。熱いと感じるときに赤が見えて、涼しいと感じるときに青が見える、みたいにね。おじいちゃんは十歳まで港町に暮らしていたから、そのときまで海の波を目で見て、波の音を耳で聞いて過ごしてきた。それが東京に来てからも頭に残って、波の音が耳にも視界にも残っていたそうだよ。海のない埼玉でも故郷の波のうねりが文字通り目に浮かんだままだったらしい。波長という形でね」
その話を聞いた私はどこか分かったような分からないような感覚に陥った。
分かったような気がするのは、絶対音感を持っている女の子の友達を持っているからだと思う。彼女は音を聞いたとき、その音がなんの音なのかを細かく言い当てることができた。まるで音が文字のようになって現れているかのようにすらすらというものだから、それを見るたびに彼女は音という名の文字を見ているんじゃないかとよく感じていた。
そしてそれでもわからないと感じる理由は私自身が東京という色に最初っから染まっている人間だからだと思う。生まれも育ちも埼玉で、中学に上がってから今に至るまで、東京の私立学校と塾に電車で往復する毎日を送っている。首都圏という大きな町はどこもかしこもいたるところに私の父や祖父、さらにその上の世代が作り上げてきたコンクリートによって、自然や田舎から切り離され、私はその中で暮らさせられている。コンクリートの中という狭い世界。そこで大人たちから叩きつけられた教科書の文字を読まされること。それが私の十数年の人生だった。そんな私からすれば海を見たことがあっても、それに十年間も囲まれる暮らしなど想像することなんてできるわけがなく、祖父が何を感じていたのかをこの瞬間共有することなんてできなかった。
私は今になって初めて、祖父との交流が減ったことを悔やんだ。もし祖父から直接この話を聞けていたならば、今の私では感じられない何かを耳伝いでも補うことができたかもしれない。そんな私の想いをよそに、いとこたちは父と伯父の話に飽きたかのようにいつの間にかスマホのゲームで遊んでいた。
親戚と別れて自宅に帰る。兄はリビングで大学の友達に飲み会の予定を立てるための電話をしていた。私はそんな兄を無視するようにお風呂に入った。湯船に浸かりながら大人たちの話を頭の中で反復する。今の私はコンクリートのない暮らしもスマホのない暮らしも想像することができない。常に何かしらの人工物と関わっている。ものという形のあるものか勉強という形のないものかの違いだけで。
ふと思い立って湯船の水を手にすくい上げ、それをそのまま壁へと投げた。叩きつけられた水の音が風呂場で反響して耳の中を潜り抜ける。その反響音を聞いた私は、今この瞬間も作られたものに囲まれているんだと実感させられる。
元は自然のものだったはずのこの水もどこかの浄水場を通過した。外に出るときに感じる風もコンクリートのビルにぶつかりながら私の身体を包み込む。遠くの農家で育てられた動物や植物はトラックに揺られてスーパーに並び、どこかの工場で作られたお皿の上に並べられてから私の口に届けられる。
自然の世界にあったはずのものはどれも人工物に反響してから私たちのところに届いていた。今までの私はそのことに気づかずに過ごしてきた。これからはきっとそのことを気にせずに生きていくことになるんだと思う。祖父を憤らせた汚れゆく海を知らない私は作られたこの町に故郷という名の理想を当てはめることができず、東京の人間関係とスマホの世界に埋もれていくだろう。それが私にとって逃れられない日常だから。
自然の町から人口の町へと移り住み、自然が消されて、ものも概念もそして人も人工的な存在になっていくありさまを目の当たりにしたであろう祖父は、人工物しか見てこなかった私をどう見ていたのだろうか? きっとどう声をかければいいのか分からなかったのかもしれない。寡黙になった祖父はきっとコンクリの町にそうさせられたのだ。そんな祖父になんら近寄ってあげられなかった自分がふがいなく感じてしまった。
それでも私は心のどこかで納得をさせて、この町で明るく生きていくべきだと思った。家族も学校の友人もそしてスマホの中のチャット友達もこの町で培ってきた人間関係だもの。この町を否定してしまっては、今までの私を否定してしまうことになるのだから。
湯船から上がり、お湯がぶつかり合う音と、身体から床へと零れ落ちる水の音を聞いて、それらがどこか人工的に聞こえてしまうのは、きっと祖父の言葉がまだ耳に残っているからだろう。でもその音が今の私を形作る大事な音なのだ。たとえその音が見えなくとも。
感想をいただけますと幸いです。
5/23, 2:05 貴重なご意見をいただきました! ありがとうございます! それに合わせて、全体像が崩れない範囲で改稿してみました! ちゃんと反映されているかは分かりませんが!