【コミカライズ】モブ令嬢は、ヒロインから逃げたい王子に頼られる
(12/14)後半に王子視点の話を追記しました。
皆様初めまして。私、クリスティーナ・ローゼンと申します。ローゼン男爵家の次女という、貴族としてはいてもいなくてもかまわない・・・そんな立場に生まれました。
10歳の時に学園に入学し、今年で16歳。最終学年になった今年・・・ふと、前世の記憶とやらが甦っただけのモブです。そう、モブです。大事なことなので2回いました。もう一回言っておきましょうか。モブです。
前世の記憶が甦ったのは今年の春。転入生が入ってきたのがきっかけです。彼女の名前はリズ。貴族ではないので姓はありません。ですが、その名前を聞いた刹那、私はふと思い出したのです。
あれ? これ「ときめいて魔法学園」のプロローグじゃね?
と。そして思い出した前世の記憶の数々・・・なんでもっと早く思い出さなかったんだ、とは思いましたが、思い出したところで何ができるわけでもなく。何せ私はモブなもので。そう。ゲーム内の「クリスティーナ」は、記憶に欠片も引っかからないほどのモブなんです。
学園生活を舞台にした乙女ゲーム、ということで、主要キャラクターの他にも何人かの学生がいました。けれど彼・彼女たちに名前が与えられることはなく、ほとんどがガヤという名のモブ。ところどころで歓声を上げたり、噂話を盛り上げるためのモブ。そのモブの一人です、どうもこんにちは。
・・・そろそろ口調が疲れてきたので、普段の喋りに戻します。
ここまで言っておいてなんだけど、モブであることは全く問題ない。私は男爵家の次女。家の中では大切に育ててもらったとはいえ、家の外ではいてもいなくても問題ない存在。それが男爵家の次女。上級貴族の人たちに目を付けられず、かといって一般市民の目の敵にされないよう、目立たずひっそりと学園生活を終えて、領地に戻ることのみを目標としたこの私。モブでいいです。モブがいいです。このままあと1年無事に過ごしたいと、そう思ってはいたんだけど・・・
・・・気になっちゃうじゃないですかぁ。だってゲームの世界ですよ? 本当にゲーム通りに世界が進むのか気になりません? 気になるでしょ? 目の前で繰り広げられる恋愛を無視するなんて、無理でしょ?
ということで、思い出したメインシナリオの場所に、こっそりと通い始めて数か月。この国の第一王子や、公爵家の跡取り、将来の大魔法使い様に、騎士様など。知っている通りに進む攻略対象たちとのシナリオに、本当にゲームの世界なんだなぁ、と実感した時、それは起きた。
「クリスティーナ様、少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
「あ、はい」
なぜかヒロインであるリズに話しかけられました。
え、なんで? 私なんかした? 身に覚えがな・・・あれ、もしかして覗きがバレた? 身に覚えがあった、どうしよう!!
そんなことを考えている間に、私たちは人気のない裏庭へ。て、典型的だ・・・
「クリスティーナ様」
「は、はひ!?」
・・・声が裏返った。なにこれ恥ずかしい。
だけど恥ずかしがっている間もなく、リズが驚きの言葉を言ってきた。
「貴方、私と同じ転生者ですね?」
「・・・・・・・・・・・・はい?」
ワタシトオナジテンセイシャ? ワタシトオナジ・・・転生者!?!?
「え!? 嘘でしょう!?」
驚きを隠せない私の前で、彼女はじーーっとこっちを睨み付けながら、
「その反応・・・間違いないようですね。ちなみに私は日本の女子高生です。交通事故で死んで、気が付いたらこちらにいました」
「女子高生!!」
えーー! 花の十代! そんな若いうちに死んじゃったの!? 可哀想!!
ちなみに私はOLでした。家に帰ってからの記憶がありません。・・・過労死じゃないよ。違うよ、たぶん。・・・・・・たぶん。
私の反応を見て、疑惑を確信に代えたのだろう。それはそうだ。こっちには「女子高生」なんて言葉はない。学校はここ一つしかないので、小学校・中学校・高校と別れてすらいないからだ。「学生」は「学生」。だから「女子高生」の意味が分かる私は、それだけで普通じゃないのだが・・・
「転生者ならおわかりでしょう。このゲームのヒロインは私。名前も聞いたことのない貴女は、ただのモブだということが」
「・・・はい?」
今なんて言いましたか、このヒロインは。
「モブがストーリーに出しゃばらないでください。毎回毎回ちょろちょろと視界に入って鬱陶しい。二度とメインストーリーのある場所に近づかないでくださいね」
言いたいことは言い終えた、とばかりに、リズが颯爽と立ち去っていく。残された私はぽかんとその背を見送るばかりだ。
だって・・・え? えええええ!? あれがヒロイン!? あんな子が!? 転生者っていっても、もうちょっとこう・・・ええええ!?
百年の恋も冷める、とはまさしく今の私に相応しい。いや、恋してたわけじゃないけど。だけど、さすがにあれは引くわ。あんな子の恋愛になんて興味持てないわ。あーー・・・。
・・・いつまでここにいても仕方ない。私は隠しきれないショックを胸に抱いたまま、とぼとぼと歩き始めた。
*****
のが、昨日のこと。私はなぜか今、この国の第一王子エスメラルダ・クリフォート殿下の前にいます。
「気を楽にしてくれ。とって食べたりはしないから」
「はぁ・・・」
にっこり笑顔で言われても、何をどう楽にしろと? っていうか、なんで殿下? 意味が分からない。
ちなみにここは学園内のカフェテリアだ。人払いを済ませているのか、周囲には誰もいないのがまた怖い。
困惑しっぱなしの私の前で、殿下が優雅に紅茶を飲んでいる。うっわ、さすがメイン攻略対象。様になるわぁ。趣味じゃないけど。
心を落ち着けようと、私も目の前に置かれた紅茶に手を伸ばした。そして一口。
「・・・おいしい」
うわ、なんだこれ。美味しい。今まで飲んだことのない紅茶だ。くっ、流石王族。紅茶一つにしても、茶葉が違うな、これ。羨ましい。
「ありがとう。君の言葉は素直だね」
「え、あ」
あ、やっばい。貴族たるもの、本音は隠せと教えられているのだった。いや、でも紅茶が美味しいくらいはよくない? 問題ないよね? うん、ないない。大丈夫。問題ないない。
とはいえ、こちらは前世OL。つまり王子は年下。気恥ずかしさを咳払いで誤魔化して、恐る恐る口を開いた。
「あの、それで、用件というのは?」
私のようなモブが、王子に呼び出しを受ける理由はない。心当たりなんて皆無だ。まさか王宮勤めのお父様に何かあったのだろうかと戦々恐々と尋ねれば、
「ああ、君に聞きたいことがあって」
「聞きたいこと、ですか?」
お父様のことではなかったのはいいが、殿下がわざわざ出向いて聞きたいことってなんだ?
思わず鸚鵡返しに尋ね返せば、殿下はまたにこりと笑った。
「テンセイシャ、って何だい?」
「ぶっ!」
あ、っぶな! 今思わず紅茶噴き出すところだった! よく耐えたぞ、私! すごいぞ、私!!
ハンカチで口元を抑えながら体勢を整える。落ち着け、落ち着くんだ。
「殿下が何をおっしゃっているのか、私にはさっぱり・・・」
「昨日、リズ嬢と裏庭で話していただろう? 知らないはずがない」
見てたんかーーい!!
ええ、ちょっと待ってほんと意味わかんない。なんで殿下が裏庭なんて場所にいるんだ。そして乙女たちの会話を気にするんだ。理解がまったく追いつかないんだけど!?
私の困惑がわかったのだろう。今まで殿下の後ろに控えていた従者の人が、助け舟を出してくれた。
「実は、リズ嬢の行動が少々度を越しておりまして・・・対応に困っているのです」
「え? た、例えば?」
「学校だけならばよいのです。狭い校内、偶然遭遇する確率もありましょう」
いや、狭くないです。全然狭くないです。建物だけで何棟あると思ってるんですか。うちの屋敷よりも広いですよ、この学校。
だなんてツッコミはとりあえずは置いておく。話は最後まで聞いてからだ。
「ですが、休日も行く先々に、まるで殿下の訪れを予見するかのようにリズ嬢もいらっしゃるのです。そのため、業務にも支障が出始めており、お疲れが溜まっておいでです」
あーーー・・・理解した。なるほど、ストーカーみたいなものですね。言葉は濁されていたけど、そういうことですね。殿下狙いだったのか、あの子。
そりゃそうだよね・・・ゲームとしては攻略対象に会わないと好感度なんて上げようがないから足繁く通うけど、ゲームの中に生きている人たちにとっては、行く先々で出待ちされてるだけである。怖い。怖いにもほどがある。それも、殿下は休日は王太子として働いているのだ。当然、「王子」のスケジュールなんてトップシークレットのはずで、市井上がりのリズが知りうるはずがない。
これは怖い。完全なストーカーだ。それも、ただ話しかけてくるだけで襲ってくるわけでもないのだから、無理矢理排除するわけにもいかない。ストレスも溜まるというものだ。
「ご愁傷さまです・・・」
「そう思うなら、あの子が『同じ』と言っていた『テンセイシャ』について教えて。君はあの子がいく場所がわかるのか?」
殿下の声からは、切実な思いが感じ取れる。それは逃げたいですよねぇ。うーん、でもまさか「前世」の話なんて信じてもらえないだろうし、ここが「ゲームの世界」というのも説明できない。ストーカーに悩む人の前で、「ゲーム内の決められたストーリーなんですよね」なんて言えるはずがない。無理無理。
とはいえ、困っている人を前に何もしないということもできないわけで。
「『テンセイシャ』というのはわかりませんが、今週末は騎士団の視察に行かれては?」
本来ならば。今週末は城下でヒロインとのプチイベントが発生する日だ。休日に偶然ばったり遭遇、じゃあ一緒にお茶でも飲もう! という本当に細やかなプチイベント。これは1ヶ月に1回、決まった日にちに発生するイベントで、お茶を飲みながら話して好感度アップ、好感度が上がっていくと偶然ではなく対象者からデートに誘われる・・・というやつなのだが、リズに疲れてる殿下には、一緒にお茶なんて到底無理だろう。私だってストーカーとお茶なんて嫌だ。無理だ。
私の言葉に、殿下が大きく目を見開いた。次いで、従者の人に素早く目配せし、従者の人もすぐに頷いた。
「すぐに手配いたします」
騎士団の視察、といっても、こちらもプチイベントだ。騎士団の鍛錬は誰でも見ることができるので、リズが訪れることもできる。ただし、殿下ではなく、攻略対象の騎士であるラインハルト様とのデートイベントだ。
そして、王族である殿下ともごく稀にではあるが騎士団で遭遇していた。うちの兄様も騎士団で何度か殿下にお会いした、と言っていたし、予定が多少変わるくらいいだろう。
「感謝する」
「それは、スト・・・彼女に本当に会わなかったらでいいですよ」
だってこれで彼女が気まぐれに場所を変えていたら目も当てられない。いてもいなくても怖いとか、もはや恐怖のヒロインだ。
私の言葉に殿下が笑う。それは今日初めての素顔のように見えた。
*****
そして訪れた週末。そして月曜日。私はあの日と同じく、殿下に呼び出されました。
「本当に感謝する!!!!」
どうやらリズに遭遇せずに済んだらしい。全力で感謝されて、私はへらりと笑顔を返した。
「いえいえ、私は思った場所を口にしただけですから」
そう、それだけの話。感謝されるのは嬉しいけれど、そこまで大げさな感謝は求めていない。
私の言葉に、殿下が目を見張るのが分かった。けれど、それも一瞬のことで、ふと表情を崩した。すぐに引き締めたものに戻したけど、もったいない。素の時のほうが可愛いのにな。
「それで、今週のことなんだが」
「先週行けなかった場所に行かれては? 今週なら大丈夫だと思いますから」
「そうか!」
うっわ、めちゃくちゃ嬉しそう。よほど心理的に辛かったんだろうなぁ。ちょっとは救われるといいんだけど。
「では私はこれで」
用件は済んだし帰ろうと腰を上げたら、殿下に不思議そうな顔をされた。・・・ん? まだ何か用件が?
「急ぎの用事でもあるのか?」
「いえ、特には・・・何か他にご用件が?」
「いや、何もないなら茶くらい飲んでいかないか? 珍しい茶葉が手に入ったんだ。礼にしては安くて申し訳ないが、一杯どうだ?」
珍しい茶葉。
一瞬迷った末に、腰を下ろす。殿下が噴き出したのが見えたけど、見なかったことにした。
だって、この世界の紅茶は美味しいのだ! 本当に! それもこの間の紅茶の味を忘れられない身としては、殿下が勧める珍しい紅茶なんて気になるじゃないか!!
自分自身に言い聞かせながら、出された紅茶に手を付ける。・・・うん、おいしい。
「お茶請けもあるぞ」
「・・・いただきます」
くっ・・・そんな目で見るな! クッキーもおいしいです!!
*****
殿下とストーカー対策のために週一回の頻度で会うようになり、美味しい紅茶とお菓子をごちそうになること数回。恒例となっているストーカー対策会議に、殿下がやってこなかった。
おや? と思うが、相手はこの国の第一王子。忙しくて会う暇もないのだろうと結論付けて、その日はとっとと帰宅した。
そして翌日。呼び出されて「昨日は悪かった」と謝ってきた殿下の顔色は、明らかによくなかった。
「今すぐ帰って寝てください」
開口一番、そう言ってしまったほどである。だが、殿下はふらふらと椅子に座って、ゆっくりと首を横に振った。
「大丈夫だ。少し疲れが溜まっているだけだから」
「まっすぐ歩けない人が何言ってんですか。倒れてからじゃ遅いんですよ」
王子が倒れた、なんて一大トピックだ。それも学校で。笑い話にもならない。やめてほしい、絶対に。
それにこの時代に車なんてものは当然ない。移動は徒歩、馬、馬車のどれかに限られる。歩けない人を運ぶ手段は馬車しかないわけだが、いかんせん、舗装技術も整っていないために道はデコボコ。そのためとても揺れる。快適さなんて欠片もない。体調不良の人が乗れば、それだけで体力を消耗するだろうくらいには酷いものだ。
つまりは少しでも元気な今のうちに帰る、というのが一番なのだが。
「でも、部屋を出たらあの子がいるし・・・」
「あーー・・・」
この部屋は殿下の学園内最後の砦だ。第一王子としての義務のため、学園の一室を借りて執務室として使っている。つまり、殿下が許可した人しか入れない場所だ。なのでリズの話をするにはもってこい、ということで、人払いが必要なカフェテリアからこちらに場所を移していた。モブの私にとっては、誰に見られるかわからない場所より、こちらのほうがずっとありがたい。
ちなみに、ゲーム内では殿下との好感度を上げた後半には入ることが可能となる。が、ストーカーと化しているリズの入室を許可するような殿下ではない。そのため、最近はリズは部屋の出入り口や、建物の出入り口で待ち伏せをするようになっていた。
・・・なんというか、ほんと、お疲れ様です。
「なら、少しでも横になってください。ほら、こっち来て」
自分が座っていたソファを開けて、殿下を招き寄せる。広いソファは殿下が横になっても問題ないのだが、殿下は座ろうとせずにじーっとこっちを見てきた。
「・・・病人の我儘だと思って、ダメならダメで拒否していいんだが」
「はいはい、なんですか?」
「・・・・・・膝を、貸してくれないか?」
・・・・・・ナンダッテ?
膝? 膝を貸してほしい? つまりはあれか。膝枕というやつか?
うーん・・・貴族令嬢というか、一人の女性として、頷いてはいけない気がする。殿下もわかっているのだろう。最初にちゃんと拒否権をくれた理由も理解した。
・・・でも、そんな捨てられた子犬みたいな目で見られたら、断れるものも断れないんですが。
「・・・今日だけですよ」
しぶしぶ。本当にしぶしぶと承諾すれば、殿下が驚きに目を見張った。まさか承諾されるとは思ってませんでした、っていう顔だ。くっ、今からでもなかったことにしてやろうか。
そう思いながらも、体調が悪い殿下をずっと立たせておくわけにもいかない。私は立ち上がったばかりだったソファに腰を下ろすと、
「どうぞ」
と、ぽんぽんと膝を叩いた。それを見た殿下が、まだ何かを躊躇っている。何かを言おうとして、口を閉じる・・・ということを何度か繰り返し。
おずおずと、隣に腰かけて、ぱたんと体を倒してきた。
「・・・借りる」
「はい。帰宅時間には起こしますね」
さすがにこちらを向こうとはせず、テーブルのほうを向いて瞳を閉じる。なんだか弟を思い出すなぁ、と思った瞬間、私は殿下のさらさらの髪を撫でていた。殿下が若干体を強張らせたけれど、私の口からは安心させるように子守唄が零れ落ちる。
「いい子、いい子ね、お眠りなさい。明日また元気な笑顔を見せて頂戴ね」
母親が歌っているのを真似て、弟を寝かしつけていたのはもう何年も前のことだ。けれど、殿下もよほど辛かったのだろう。強張っていた体から、徐々に力が抜けていく。そして規則正しい呼吸音だけが聞こえてくると。
私は子守唄をやめて、殿下のさらさらの髪を堪能したのだった。
*****
その次の日。遠目に見た殿下は、体調も戻ったのかハキハキと動き回っていた。うん、いいことだ。
そして私たちの関係も変わらず、ストーカー対策のために週一回の会議を続け、リズともあまり会わないままに日々が過ぎ。
ついにこの日がやってきた。私たちは今日、この学園を卒業するのだ。
卒業式は、前世のように厳かに行われるものではない。ここは貴族の通う学校。貴族が好きなものと言えば――
そう、パーティーである。
「うっわぁ、綺麗」
目の前に広がるのは、豪華なシャンデリアと色とりどりに着飾った学生たち。貴族はともかく、ドレスを用意できない市井の学生にはちゃんとレンタルもある。レンタルとはいえ豪華な礼服やドレスには変わりなく、彼ら・彼女らも楽しそうだ。
そんな場所にいたら、自然とテンションも上がるというもの。私は壁際で楽しそうな皆を見ることで、自分も楽しむことにした。
・・・いや、別に逃げてるわけじゃないよ。うん。だって卒業パーティーということは、ゲーム内でのエンディングということだ。今日この日、ヒロインであるリズはプロポーズを受けて、学園生活を終了する。・・・のだが、あの子のプロポーズ現場にもはや興味はない。正直なところ、今日も休んでやろうかと思ったのだが・・・
卒業生だからね。あの子のために休むのもバカらしくてね。参加したというわけです。なのであの子を視界に収めないようにしつつ、だけどパーティーは思う存分楽しまなくては! とりあえず、ご飯かな!!
いそいそと移動して、並べられた料理の数々に目を輝かせる。ああ、こんなの家じゃ絶対に食べれない。市井の出の子たちもそうなんだろう。私と同じように目を輝かせながら、一つ一つ味わって食べている。いい笑顔ー。わかるー。これ美味しいね。ああ、このスコーンも絶品。ジャムもおいしい。紅茶が欲しいー。
美味しい料理の数々に舌鼓を打っていると、不意に場内の音楽が変わったことに気が付いた。舞踏会が始まったのだろう。このダンスがプロポーズのきっかけになるので、私としてはできるだけ離れたいイベントだ。
よし、料理はお皿にいくつか盛った。このまま中庭に行こう。あそこならテーブルも椅子もあるし、ゆっくり食べれるはず。・・・と思ったのだが。
「見て、殿下よ!」
「殿下がこっちにくるわ!」
「へ?」
周囲のざわめきに思わず視線を送れば、確かに殿下がこっちに歩いてきている。え、もしやリズが近くにいたりする? もしくは追いかけられてる? え、やだやだ、来ないでほしいんだけど!?
そんな私の願いも空しく、目の前に来た殿下は、私の持っているお皿を見て苦笑を浮かべた。
「君はいつでも食べてばかりだな」
「そんなことないと思いますけど!?」
「いや、美味しそうに食べる君は、見ていて気持ちがいい。いっぱい食べておくれ」
いーやーー! 公衆の面前でなんてことを言うんだ、このバカ王子! 食い意地張ってると思われたらどうしてくれるの!?
持っていたお皿を反射的に隠して、料理の並ぶテーブルの上に置く。くっ、流石の私もこの状況で美味しく料理を食べれるはずがない。視線が。視線が痛い。やめて、モブには辛い。痛い痛い。
「おや、もういいのかい?」
「・・・さすがにこの状況で食べれるほど肝は座ってません」
というか、一刻も早く逃げたいです。あ、リズだ。やばい。すんごい勢いでこっち走ってきてる。ひええ!
「で、殿下・・・」
ちらりと視線を殿下の後ろに送りながら呼べば、すぐに理解したのだろう。殿下は苦笑して、
「ああ、わかってる。大丈夫、すぐに済むから」
「はい?」
すぐに済むって、何が? それよりも早く逃げたほうがいいのでは?
こてんを首を傾げた私の前で、殿下が膝を折る。・・・え!?
「クリスティーナ・ローゼン嬢。どうか私と一曲躍って戴けませんか?」
「・・・・・・へ?」
周囲から大絶叫が聞こえた気がするが、え、待って。そんなことどうでもいい。何言ってんだ、この王子。
ぽかんとしてしまって反応が遅れた。ら、殿下はこれ幸いとばかりに、勝手に私の手を握りしめた。
「了承してくれてありがとう。さぁ、行こう」
「へっ!?」
いやいやいや、了承なんてしてないし! 踊りたくなんてないし!! ちょっと、待って。ああー! 私のご馳走が!! 誰か助けて!! 私はモブ! こんなこと聞いてないんですけど!!
そう思っても、助けてくれる人なんてもちろんいない。そりゃそうだ。この人は王子だ。引き摺られるように連れ出されたダンスホールで、問答無用で始まったダンス。腰に触れた手のぬくもりに、私はやっと我に返った。
「いや、ないでしょ!? 何してんですか!?」
「だって、君と踊りたかったんだ。君、こういうイベントには出てこなかったし、学生生活最後の思い出作りくらいいいだろう?」
くっ・・・その目はずるい。いつぞやと同じく、捨てられた子犬みたいな目。そんな目で見られて、しかもすでに踊りだしたダンスホールの中で、急に「やめました」なんてできるはずがない。ずるい!!
言いたいことはいっぱいあるし、ぐるぐると頭の中を廻るだけで言葉にならない。・・・周囲からの視線が痛い。「誰だあれ?」「さぁ?」という声まで聞こえてくる。ああ、もう! 学生生活最後の日に、なんて大失態!! 今までずっと目立たずに生きてきたのに、なんで最後の最後にこんなことになるんだ!?
モブの私には、周囲の声も視線も痛すぎる。特に殺しそうな目で見てくる約一名が怖い。めちゃくちゃに怖い。誰だって? リズに決まってるでしょう、そんなもの!
「大丈夫、君に危害は加えさせない」
私の思考を読んだように、殿下が耳打ちしてくる。思わず顔を上げれば、そこにはにこりと笑う殿下の姿。
・・・いや、待って! 嫌な予感がする!!
「私のクリスティーナ。どうかこの先も、私と共に歩んでくれないか?」
・・・・・・それエンディングのプロポーズのセリフーーーーーーーーーー!!!!
「何がどうしてこうなった!?!?!?」
混乱した私は、もはや心の声を抑えることなんてできなかった。
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※ここから王子視点です
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私の名前はエスメラルダ・クリフォート。この国の第一王位継承者、第一王子である。
学生生活も、王太子としての仕事も順調。婚約者がいない事だけが欠点と言われるが、そんなことは些事に過ぎない。私が選ばなくても、いつか父上が政略結婚を組むだろう。特別に好きな人などいないし、できるとも思わない。政略結婚のほうが楽だと割り切って、責務を果たすだけのことだ。
そんな王子としての職務に励む私には、困りごとが一つある。
「エスメラルダ殿下! ごきげんよう!!」
それが彼女、市井上がりのリズだ。我が魔法学園の転入生。市井の生まれとはいえ桁外れの魔力があるらしく、今年になって急遽転入してきた娘。
その彼女に、なぜだかわからないがとても懐かれてしまった。
「ご、ごきげんよう・・・」
思わず上擦った返事になってしまったが、許してほしい。彼女の勢いは、正直怖いくらいのものがある。というか怖い。今も目前に満面の笑顔がある。
普通では絶対にありえない近さ。これが命を狙ってきた刺客だったら対処のしようもあるのだが、そんな意図はないらしく、ただただ困惑するばかり。
「申し訳ないが、急いでいるのでこれにて失礼する」
「え、そんな! もう少しだけお話を」
「失礼する」
慌てて距離を取って、速足で立ち去るのが精一杯。こんなことをほぼ毎日、休憩時間のたびに繰り返しているのだ。いい加減、疲れもするというものだろう。
「うっわ。相当参ってんな」
私の安全地帯である執務室。行儀が悪いと思いつつも机の上に突っ伏していたら、ノックもせずに入ってきたラインハルトに笑われた。だが、勝手知ったる相手なので、私はそのままの状態で彼を睨み付ける。
「そう思うなら、彼女をどうにかしてくれ」
「エリーザ嬢の言うことも聞かなかったんだろ? 無理だな」
・・・だよなぁ。
エリーザというのは、公爵家の長女だ。もっといえば、私の婚約者候補の一人である。幼いころから礼儀作法やマナーを叩き込まれている彼女には、リズの行為は看過できないものだったらしい。だからこそ一言注意をしたらしいのだが。
「悪役令嬢きたーーーーーー!」
と意味不明な言葉を叫んで、まったく聞く耳を持たなかったらしい。まったくもって意味が分からない。悪役ってなんだ。私にとっては今の君のほうがよほど悪役に相応しいのだが。
これには流石のエリーザ嬢もドン引きしたらしい。後日話した時に、
「あれに付き纏われてるなんて、お可哀想に・・・」
と、同情しか宿してない目で言われた。初めてエリーザ嬢に向けられた眼差しに、どんな表情や言葉を返したんだったか・・・自分では全く覚えていない。
とにかく、犠牲者は少ないほうがいい。できるだけリズには近寄らないように言い聞かせ、その日は別れた。あれから数か月経ったが、どうしても気になるのだろう。エリーザ嬢が根気よく何度か言い聞かせていたようだが、効果なし。すまない、エリーザ嬢。せめてもの詫びに、今年の誕生日のプレゼントは弾むことにしよう。
そんな状態で、誰の言うことも聞き入れないリズ。校内だけではなく休日まで行く先々に現れる彼女に、私はもうお手上げ状態だ。
「あ、でも一つ良い情報やるよ」
「・・・なんだ?」
ラインハルトのいう良い情報なんて、どうせ妹が可愛いとかそういう話だろう。そう思って真面目に聞く気がなかったのだが、彼が口にしたのは全く違うことだった。
「クリスティーナ・ローゼン嬢ってわかるか? 男爵家の」
「・・・?」
「わかんないか。地味だもんな」
ローゼン男爵家。うーん・・・王宮で聞いたことがあるようなないような。しかも娘となると、まったく聞き覚えがない。
だが、その子がどうしたというのだろう? 無言で先を促せば、ラインハルトは飛び切りの情報を教えてくれた。
「昨日、リズ嬢と話してるところを見たやつがいるんだけど、その時『テンセイシャ』だの『私と同じ』だの言われてたらしいぜ。リズ嬢が一方に捲し立ててただけらしいけど」
「テンセイシャ?」
「意味は俺も知らない。でも、クリスティーナ嬢には通じてるぽかったって。リズ嬢の言葉がわかるなんて初めてだろ? 彼女に相談したら、なんとかしてくれるかもしれないぜ」
「! わかった!!」
こうなったら藁にも縋る思いだ。クリスティーナ・ローゼン。しっかりと覚えたからな!!
*****
ラインハルトの助言を受けて頼ったクリスティーナ嬢は、よく言えば大人しい、悪く言えば地味な娘だった。特別美人というわけでも、可愛いというわけでもない。どこにでもいそうな娘、というのが、第一印象だ。
見知らぬ令嬢にいきなり話しかけるのもどうかと思い、城からローゼン男爵家に所縁があるという男を連れてきた。クリスティーナ嬢に声をかけてくれたのも彼だ。どうもクリスティーナ嬢は気付いてなかったようだが。なんというか・・・リズとは違う意味で独特な令嬢だ。
けれど、彼女のくれた情報は、久しぶりに穏やかな休日をもたらしてくれた。
感謝は自然と態度に出た。全力で礼を告げれば、彼女は笑って受け入れて、今週のアドバイスもくれる。けれど、それだけだ。見返りなど求めずに立ち去ろうとした彼女を呼び止めたのは、無意識だった。
なぜ呼び止められるのかわからない、といったきょとんとした顔が返って来る。悪いが私もわからない。だが、口は勝手に「礼」と称してお茶を勧めており、彼女は一瞬だけ迷った素振りを見せたけれど、素直に乗ってきてくれた。
美味しそうに紅茶を飲む彼女の、なんと微笑ましいことか。次いで城から持ってきたクッキーも勧めれば、こちらも美味しそうに食べていく。そんなにも美味しかっただろうか、と食べ慣れたそれを摘まめば、いつもと変わらない味がした。
はずなのだが。緊張から解放されたせいか、口は自然と「うまい」と告げ、クリスティーナ嬢も「本当に」と幸せそうに返事をくれる。その笑顔が、強く印象に残ることになった。
週末の平和確保のため、それからも週一でクリスティーナ嬢に相談を持ち掛けた。最初の一度だけであれば偶然ということもあっただろうが、2度、3度とリズに会わない週末が続けば、彼女を頼る以外の術など残るはずもない。
けれど、それ以上に。週に一度。彼女に会う日を、私は楽しみに思うようになっていた。
お互いに慣れてきても、クリスティーナ嬢は最初に会った時の印象そのままの娘だった。目立つことは良しとしないせいか、全員参加の学校行事で姿を探すことも難しい。どこかにいるはずなのに、見つからない。本当に気配を隠すのがうまかった。彼女曰く、
「モブですから」
とのことだが、モブとは何のことなのか・・・聞いても説明が難しいといわれるので、ローゼン領独自の言葉なのだろうと理解した。だが、モブとやらのお陰で、誰かに目を付けられたりすることもないらしい。私の執務室に通っているのも、同じ建物の中に職員室や図書室があるお陰か、誰かに勘ぐられたこともないと言っていた。
・・・正直なところ、それでもこの部屋に入るところを見られることはあるだろうと予想していたのだが。そんな話も全く聞かない。私と彼女の繋がりは、誰にもバレることがないまま続いていった。
「・・・ラインハルト?」
そんなある日。学園内を移動している時に、ふとラインハルトが女性と話しているところに出くわした。背の高いラインハルトに隠れて顔は見えないが、あの服は明らかに女性のものだ。
珍しいな。陽気な彼が人に囲まれているのは珍しくないが、女性と二人というのは珍し・・・
「よお」
「え、殿下?」
「・・・・・・は?」
ラインハルトの後ろから顔をのぞかせたクリスティーナ嬢に、思わず低い声が出た。私の反応を見て、たまらない、とでもいうかのように吹き出すラインハルトを反射的に睨み付けかけて・・・クリスティーナ嬢の前だということを思い出し、ぐっと我慢する。
「君がラインハルトと一緒なんて珍しいね」
代わりに笑顔を浮かべれば、なぜか彼女は一瞬だけ引きつった後、慌てたように表情を取り繕った。
「ハンカチを落としてしまったようで、ラインハルト様が教えてくださったんです。お陰ですぐに気付けました」
ありがとうございます、と頭を下げるクリスティーナ嬢に、ラインハルトは「いいよ」と笑っている。それを聞いて、クリスティーナ嬢は明らかにほっとして、全身の力を抜いて笑っていた。
・・・なんだこれ。なんだかざわざわする。思わず拳を握りしめたら、気付いたラインハルトがへらりと笑った。
「じゃあ、俺たちは行くな。もう落とすなよ」
「はい。気を付けます」
「いい返事! ほら、戻るぞ、殿下」
ラインハルトに腕を捕まれ、はっ、と我に返る。引き摺られるように歩き出していた私は、慌ててクリスティーナ嬢に声をかけた。
「クリスティーナ嬢、また来週!」
「はい」
ひらひらと振られる手に応えるように、私も片手をあげる。それを驚いたように見ながらも。
視界から消えるまで、彼女はずっと手を振ってくれていた。
*****
あの時の違和感はなんだったのだろう。初めてのことに戸惑い、考え込んでしまったら、数年ぶりに体調を崩した。医者曰く、「知恵熱」らしい。知恵熱。これもまた初めてのことだった。
父上たちの「仕事はいいから寝ろ」という言葉に甘え、週末を寝込んで過ごすことになった。が、それでも完治せず、クリスティーナ嬢と約束のある月曜日なのに外出は許されなかった。使いを出そうと思っていたはずなのに、薬の影響なのか睡魔に勝てずに眠ってしまったようで、起きたら夜で絶望した。
そのおかげで7割方回復した私は、翌日登校するなりすぐさまクリスティーナ嬢に約束を取り付けたのだが。
「今すぐ帰って寝てください」
謝罪を口にした王子に向かって、開口一番に言う言葉ではないと思う。だが、その声音には心配しか含まれていない。だから私も咎めるようなことはせず、リズを言い訳にもう少しだけ居座ることにした。
それでも、クリスティーナ嬢は私を休ませることを譲れないらしい。だからこそ口から零れた言葉には、自分でも驚いた。
「・・・・・・膝を、貸してくれないか?」
クリスティーナ嬢が驚いているのがわかる。自分で言っておいてなんだが、私自身も驚いたんだ。彼女の驚きは、察して余り得るものがある。
まるで子供のような我儘だ。だが、私はもう16になった。成人はしてないとはいえ、子供と呼ばれるには不平がある。
仮に婚約者同士だとしても、こんなことは強請らないだろう。強請るとしても、確実な人払いをして、誰も来ない保証があって初めてできることだ。だから、断られても仕方ないと思っていたのだが。
「・・・今日だけですよ」
渋々とではあったが、了承してくれたのが信じられなかった。
何を言われたのか分からず、頭の中で彼女の言葉を反芻する。繰り返し、繰り返し。その間に、彼女はなんとソファに座り直して、ぽんぽんと膝を叩いて来るように促してきた。
・・・いや、ダメだろう。いや、だが、了承までの間も短くなかったか? まさか慣れているのだろうか? いや、そんなまさか。彼女に限って、そんなことはないと思いたい。こんなことは了承してはいけない、危機管理はどうなっているんだと問い詰めたいのに、どうしても言葉は出てこなかった。
「・・・借りる」
結局、折れたのは私のほう。折れた、という言い方は正しくない。理性よりも、欲求を優先した私が悪いのだから。
おずおずと体を倒せば、柔らかな手のひらが頭を撫でてくれる。そのあまりの優しさに、思わず涙が零れそうになった。そして、ここ数日間ずっと考えていたことが、急に明確な言葉になった。
ああ、私は彼女のことが好きなのだ。
理解すれば、ずっと抱いていた感情もすとんと腑に落ちた。だから毎週彼女に会える日は楽しみだったし、ラインハルトと二人で話しているのは気に入らなかった。嫉妬というのはこういうものなのか。なるほど、これはあまり味わいたくないものだ。
優しいクリスティーナ。目立つことが嫌いな彼女にこの感情を伝えれば、きっと逃げてしまうだろう。駄目だ。そんなことさせない。彼女のいない世界など、もはや何の色もない。起きたら、すぐに計画を立てなければ。ただ、今は。
世界一優しい子守唄を聞きながら、久方ぶりの安らかな眠りを味わった。
*****
あの日から、私の日常は一変した。できるだけクリスティーナ嬢の傍にいたいと思うようになり、初めてリズの気持ちを理解した。なるほど、彼女は自分に対してこういう感情を抱いていたのか。やりすぎは恐怖の対象だと教えてくれた彼女には、今は少しだけ感謝している。
やりすぎてはいけない。彼女を怖がらせるつもりは欠片もない。それでも我慢できずに彼女を探すが、人目のあるところでは彼女は上手に私を避ける。驚くほど上手に避ける。ある時は人ごみに紛れて姿を消し、ある時はエリーザ嬢や他の公爵・侯爵令嬢の近くを通って、皆が私に話しかけるように仕向けてくる。
「目立つことが嫌い」だとわかっていて近づく私が悪いのだが、これが地味につらい。へこむ。仕方ない、作戦変更だ。
美味しいものが好きなことはわかっている。彼女とのお茶会に持ち込むお茶やお菓子のグレードを上げたら、すぐに気が付いたようだ。
「今日のお茶、いつも以上に美味しいです」
そう言ってにこにこと食べる彼女を見ていたら、避けられた悲しみなど一気に吹き飛んだ。やっぱり食べている姿はとても可愛い。癒される。
それからというもの、愛の言葉や宝石の代わりに、お茶とお菓子をあげ続けた。ラインハルトは「餌付けか」と笑っていたけれど、これくらいいいだろう。彼女にかけたお菓子代など、エリーザ嬢の贈り物に遠く及ばない。それなのにこれだけの幸福をくれるのだから、安すぎるくらいだ。
そして、この日がやって来る。学園生活最後の日。卒業パーティーだ。
父上たちに許可はもらった。私の思いを伝えたら驚いた顔をしていたけれど、「お前が選んだ相手なら」と了承してくれた。優しい両親に、この時ほど感謝したことはない。
そして、今日こそはクリスティーナ嬢を見落とすことはできない。食事にも手を回し、クリスティーナ嬢の好きそうなものを取りそろえた。これで彼女は確実に食事のできるエリアにいるだろう。ドレスの色や柄も把握済み。今日こそは逃がすつもりはない。
会場を見渡せば、色鮮やかな人々が目に入ってくる。公爵令嬢のエリーザ嬢のなんと目立つことか。華やかで気品があって、美しい。けれど、私の目は今、会場の隅で色とりどりの料理に目を輝かせている人に釘付けだった。
「ふっ・・・」
あまりにも嬉しそうなその様を、しばし眺めるだけで満足する。私が動けば、彼女はもう料理を楽しむ余裕などなくなるだろう。それではあまりにも可哀想だ。せっかく彼女のために揃えたのだから、思う存分味わってほしい。
それにしても、本当に美味しそうに食べているな。これだけ幸せそうに食べてもらえるなら、用意した甲斐がある。私も一つ呼ばれてみようか・・・と、考えたところで、気が付いてしまった。
・・・・・・リズがものすごく睨んできている。これは早めに動いたほうがよさそうだ。
歩き始めれば、人垣は自然と私を避けてくれる。自分が王子だということは忘れていない。いるだけで目立つ存在。それが私。
そして、今日から君も同じ場所に立ってもらおう。
私が近づいていることに、どうやらクリスティーナ嬢も気付いたようだ。私と手に持ったお皿を交互に眺める姿に、思わず苦笑が零れてしまう。
「君はいつでも食べてばかりだな」
「そんなことないと思いますけど!?」
「いや、美味しそうに食べる君は、見ていて気持ちがいい。いっぱい食べておくれ」
心からの本音だったのだが、どうやら口に出してはいけない言葉だったらしい。彼女は一瞬だけ呆けた顔をした後、ふるふると震えて持っていた料理を隠してしまった。
「おや、もういいのかい?」
「・・・さすがにこの状況で食べれるほど肝は座ってません」
まぁ、そうだろうな。注目されることに慣れていない君には、今の状況は辛いだろう。
と思っていたら、明らかにクリスティーナ嬢の様子が変わった。同時に背後からわずかな殺気を感じる。確かめるまでもない。リズだろう。
「で、殿下・・・」
「ああ、わかってる。大丈夫、すぐに済むから」
「はい?」
助けを求めるような彼女の声に、私はにこりと笑って膝をついた。
「クリスティーナ・ローゼン嬢。どうか私と一曲躍って戴けませんか?」
「・・・・・・へ?」
たっぷりと間をおいて紡がれた言葉の、なんと間の抜けたことか。そんな様さえも可愛いと思うのだから、私もどうかしている。
王子から見知らぬ令嬢へのダンスの誘いに、周囲から絶叫が聞こえてくる。だが、それも今だけだ。そう思うと、弾む心を抑えきれない。
何が起きているのか理解できないのだろう。いまだに呆けたままなのをいいことに、私はさっとクリスティーナ嬢の手を握りしめた。
「了承してくれてありがとう。さぁ、行こう」
「へっ!?」
少しだけ引っ張るようにエスコートした先は、ダンスホール。腰に手を回して踊り始めれば、クリスティーナ嬢はやっと我に返ったようだった。
「いや、ないでしょ!? 何してんですか!?」
想像通りの反応には、想定通りの返答を。
「だって、君と踊りたかったんだ。君、こういうイベントには出てこなかったし、学生生活最後の思い出作りくらいいいだろう?」
自覚があるのだろう。苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、それ以上の言葉は飲み込んでくれた。
初めてのダンスは、私にとっては嬉しく、彼女にとっては苦いものになった。まぁ、こうなるとわかっていて誘った私も悪いんだが、それにしても「誰だ?」という声の多さにこちらが驚く。・・・いや、1年前までは彼女の存在を知らなかった私がいうのも可笑しいか。いかに彼女が目立たずに過ごしてきたのかがよくわかった。
だが、今日、この日をもって、そんなこともなくなるだろう。私の卒業パーティーのダンスパートナー。今日はもう彼女以外と踊るつもりもない。確実に噂は広まるだろう。それでも、在学中に比べれば害は少ないはずだ。今日まで待った私を褒めてくれてかまわない。
上機嫌な私の前で、唐突に腕の中の体が震えた。と同時に感じる殺気に、何が起きたのかはすぐに理解する。
「大丈夫、君に危害は加えさせない」
力強く紡いだ言葉は、効果があったのだろう。私を見上げてくる瞳は潤んでいて、安心させるように私は笑った。
そして、彼女を守るための言葉を口にする。
「私のクリスティーナ。どうかこの先も、私と共に歩んでくれないか?」
数秒の間。
「何がどうしてこうなった!?!?!?」
何がどうなろうと、この結果は必然だと思うよ。
その言葉を飲み込む代わりに、私は思い切り微笑んだ。
*****
あの日から、数ヶ月が経った。私の傍には、残念ながらクリスティーナ嬢はいない。
卒業パーティーの翌日、クリスティーナ嬢は逃げるように領地に帰っていった。「ように」というのは語弊がある。おそらく、実際に逃げたのだろう。私からではない。不特定多数から受ける好奇の視線からだ。
「目立つの嫌だって散々言いましたよね!?」
とは、あの日何度も言われた言葉だ。だが、彼女は「目立つのが嫌だ」とは言っても、「プロポーズが嫌だ」とは言わなかった。それを前向きにとらえて、彼女が帰った次の日に、一通の手紙を彼女に送った。
突然のことに驚かせてしまったことの謝罪と、注目を浴びたことへの謝罪。あとは、私がどれほど君を想っているかをしたためた手紙に、思ったよりも早く返事が返ってきた。
が、その内容は予想外だった。
「あんな手紙、恥ずかしくて読めるか!」
という言葉を何重ものオブラートに包んでいた。なるほど、彼女が男慣れしているとは思わないし、していてほしいとも思わない。いきなりすぎたか、とこちらに関しては反省した。
だが、返事はそれだけではなかった。彼女は数枚の便せんを同封してくれていて、領地に戻ってから何をしているか、ということが楽しそうに綴られていた。なるほど、これはいい。彼女が楽しそうに過ごしている姿を思い浮かべて、自然と笑みが零れていた。
そこからは、お茶会の代わりのように文通が始まった。彼女の領地との距離のせいで、週に一度なんて贅沢はできない。それでも、二週に一度は届けられる手紙と、贈る手紙。宝物が増えていくようで、離れていることも苦ではなかった。
そして、今日。私の誕生日のパーティーを名目に、久しぶりにクリスティーナ嬢が王都にやってくる。
恐る恐る出した招待状への返事は、すぐに届いた。「卒業パーティーの二の舞は絶対に嫌だ」との内容で。・・・うん。わかっていた。わかっていたから、王宮勤めの父親か兄にエスコートを頼んでの参加を勧めれば、「それならOK」との返事をもらった。それからは、日々が過ぎるのが待ち遠しく、やっと今日が訪れた。
始まったパーティー。次々と訪れる招待客の挨拶を受けながら、彼女が目の前に来た時、思わず喜びが前面に出てしまった。
「クリスティーナ嬢!」
「うっ」
・・・前面に出すぎていたらしい。後退って兄の後ろに隠れてしまった彼女に、自分の態度を反省する。
感情を抑えることには慣れている。怒りも悲しみも抑えて笑えるよう、幼いころから言われてきた。けれど、喜びを抑える術は教えられていないのだから、多少漏れるくらいは許してほしいというものだ。
「こら、クリス」
兄のクリード・ローゼン殿に咎められて、クリスティーナ嬢がおずおずと出てくる。そして、
「・・・お、お誕生日おめでとうございます、殿下」
と言ってくれたものだから。もう感情を抑えるなんて無理だった。
「ありがとう。君の言葉が一番嬉しい」
素直な言葉を口にすれば、また小さく呻くクリスティーナ嬢。けれど、今度は兄の後ろに隠れようとはせず、ぐっとその場に留まってくれた。
しばらく見ない間に、少し大人びただろうか。淡い水色のドレスは、目立ちたくない彼女を表しているようだ。けれど、十分に可愛らしい。似合っている。そう言いたいのだが、言えば彼女が困ることはわかっているので、口にしたのは別の言葉だ。
「クリス、と呼ばれているんだね」
「え・・・? あ、はい。家族はみんなそう呼びます」
なるほど。いいことを聞いた。
「私もそう呼んでもいいかい? 私のことは是非エルと呼んでくれ」
「絶対呼びませんし、呼ばないでください」
返事は即答。あまりにも早い返事に、思わず笑い声をあげてしまった。
ああ、やっぱりいいな。素直な彼女の言葉は、裏を読む必要がない。手紙もいいけど、やっぱり実際の彼女が一番いい。
「駄目かい? 絶対に?」
「・・・わかってやってますよね!?」
ああ、わかっているとも。君が縋る目に弱いということは。リズの対策を教えてくれた時も、体調を崩した時も。君は私を見捨てなかった。そんな君だから、こんなにも愛おしい。
けれど、これを口に出すつもりはない。代わりににこりと笑えば、「うー」と小さな声で呻き始めた。
「クリス、殿下に挨拶したい方々は他にもいっぱいいる。僕たちはそろそろお暇しよう」
そんな彼女を庇うように、クリード殿が肩を抱いた。・・・兄妹とはいえ、近くないだろうか。それに、私はもっと彼女と話していたいのに、邪魔された気持ちだ。
けれど、彼女にとっては救いの言葉に聞こえたのだろう。ぱっと輝いた目で兄を見たかと思えば、
「そ、そうですよね。では、御前失礼いたします」
「失礼いたします」
ドレスの端をつまんで優雅な礼をするクリスティーナ嬢と、騎士団の最上位礼である敬礼をするクリード殿。ここまでされては、引き止めることなど私にもできない。
「ああ。またね、クリス」
にこりと笑顔で見送れば、驚いた顔のクリスが振り返った。そして、少しだけ迷った後。
音もなく、唇だけが動かされる。
『またね、エル殿下』
・・・・・・君はそろそろ、私に対して惑星魔法クラスの攻撃力があることを自覚してほしい。
思わず駆け寄ろうとして、他の者に遮られる。今はそれどころじゃない、と叫びたいのに、王子という立場は忘れていない。そして今日は私のためのパーティーだ。そんなことは許されないのもわかっている。
ぐっ、と唇を噛み締めて、すぐに表情を取り繕う。クリスはもう、完全に人に飲まれてしまった。これでは、もう一度彼女と話すのは難しいだろう。
けれど、たった一言。否、音にさえならなかった言葉が、頭の中でぐるぐる回る。音になっていないのに、私にはしっかりと彼女の声が聞こえた気がした。
あああ、もう。次は絶対に二人きりで会えるよう手配するから、覚悟しておいてくれよ!!
デイリー1位やウィークリー5位など、ランキングに入っていました。
1位なんて初めてだったので思わずスクショしました。
ブクマ・評価・感想などありがとうございます!!
感想で質問や続きのご要望があったので、補完する王子視点の話を追記しました。
合わせて楽しんでいただけたら嬉しいです。
(ちゃんと補完できているといいんですが・・・)