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アフタヌーン・ドライブ(中年ドライバーとお嬢女子高生うっすら百合)

ほかの作品と多少毛色が違います。百合薄めの、ハートフル寄り。それでも良ければどうぞ。

 毎日が憂鬱だった。

 しかし漠然と、憂鬱に深度があるとしたら、私のはそれほど深くない。私の憂鬱など、深くあってはならない。そう常に自制が働き、私は従う。

 そんな些細な心持ちのほか、私にはできることが何もない。だからいつでも震えて、怯えているというのに。


「ねえまだ?」


 後部座席の少女は不機嫌な声を投げつける。

 まだ着かないから走り続けているんだと、ハンドルを握る私は心の中だけで気だるい悪態をつく。


「まだかって聞いてんの」


 無言で運転を続けていると、シートを蹴られたらしく背中に小さな振動が伝う。


「ねえ!」


 車内には二人きり。無作法な少女に注意をするには、私はくたびれすぎている。くたびれきった中年男の私も、デタラメに跳ね回るボールみたいな後部座席の少女も、広く高級なこの車内にはどちらも不似合いに思えた。


「いつ着く?」


 少女はまた蹴ったが、上等なシートがその振動を阻んで、カツンとローファーのつま弾く音だけが聞こえる。 


「ねえ!もう急がないと、陽が沈む!」

「奏さん、もうすぐ着きますから」


 努めて冷静に少女に言い聞かせ、私は咥えたままのタバコを噛み潰す。もちろん火は点いていない。車中で吸うなどあり得ないと奏に散々なじられ、私は従順にライターを引っ込めたからだ。

 彼女は、ふん、と不満げに鼻を鳴らしシートに沈み込む。

 彼女の運転手を始めて、もうすぐ二年になる。奏はもう十五歳になるはずだが、何不自由ないその生い立ちと環境からか、同世代の子達よりも幼く我儘だ。


「近道くらい知らないわけ?タクシーの運転手だったとか言ってたくせに」

「はあ」


 私は生返事でハンドルに意識を戻す。もうすぐあの交差点に差し掛かる。

 横をすり抜けていく対向車、まだ遠い信号機の赤い光。ありふれた車窓風景が私の神経を酷く毳立たせ、ハンドルを握る手を、全身を緊張させる。

 奏の言う通り道を変えようか。しかしこの道を、今日この日に避けることはあってはならない。

 一刻も早く到着してしまいたい。そう一番に願っているのは、奏ではなく私だ。

 私は、彼女の言う通り、確かにタクシードライバーだった。家は貧乏で働きながらなんとか高校を卒業したが、その後の営業マンの仕事は肌に合わず、行き着くようにタクシードライバーになった。こちらは向いていたらしく生活もそれなり落ち着き、結婚して娘も出来た。しかしそれも昔の話だ。

 車は もうすぐ交差点に差し掛かる。タバコを吸いたくて仕方がない。

 奏は打って変わって大人しくなり、外を眺めている。ガラスに写る自分の姿を見て、時折落ち着きなく前髪を直している。

 信号が青に変わった。

 直進していく対向車の隙間、交差点の角に、白と桃色の可愛らしい菊が揺れているのを見つけて身体が硬くなる。ひっそりと置かれているのは、供花だ。

 十年前になる。

 右折していた私の車の横面に、信号無視の対向車線が突っ込んできた。ぶつかった衝撃で私の車は歩道に乗り上げ、気が付いたら2人を轢いていた。若い母親と女の子の赤ん坊だ。私は茫然と救急車を見送り、運ばれた先で母親も赤ん坊も亡くなった。

 事故があったその時から、私の頭の中は真っ白になった。真っ白になったまま、するりと簡単に身を持ち崩した。私なりに誠実に積み重ねてきた毎日に裏切られた気がしたし、妻と娘の顔を見るのが辛かった。憂鬱の浅瀬で目を覚ました頃には職はなくなり、妻は娘を連れて出ていった。

 車窓の景色が再び滑らかに動き出す。

 右折し終えて、私は奏に気付かれないよう密かに、深い息を吐いた。十年も前のことなのに、今日も大丈夫だったと確かめずにはいられない。


「あ、この次のコンビニ寄る」


 奏の気まぐれはいつもの事だ。私を運転手に指名したのも奏だったが、それもまた気まぐれだろう。

 元同級生だった奏の父親のお情けで、運転手として拾ってもらいはしたが、まさか娘の方の送迎までやるとは思ってもいない。それは父親の方も同じだった様だが、奏が頑として譲らない。

 私も大いに反対したが、結局は娘に大甘な父親が折れて、


「そもそもお前が起こした事故じゃない。それに子供のころ、よく皆でうちに遊びに来てただろ? 俺んち金持ちだったから、影でやっかまれたりこっそり物盗られたり、結構嫌な思いもしたんだ。あいつら酷いよニコニコしてウチに来たがるくせに。でもお前は違った。第一に全然来たがらないし、遊びに来たときもずっと嫌な顔してただろ? だから信用してるんだ」


 と明け透けに笑い飛ばして許してしまった。

 しかしそんなものは彼の思い込みだ。彼の家は宝の山に思えた。彼が目もくれずに余らせている物でさえ、私には喉から手が出るほど欲しくて、だけど絶対に手に入らない物だった。

 単に私の気が小さくて、情けないだけなのだ。茫然と立ち尽くし、逃げることしか出来ない。それが私に出来る精一杯の抵抗だったというのみ。


「やっぱコンビニ寄るのやめた。この先でラテ買う」


 何度目かわからない、奏の進路変更にいい加減うんざりしていた。だけど私は大人しく従う。それが私の生き方だった。奏は、容姿こそ美しい母親に似たが、気分屋で我儘な気性は父親によく似ている。

 唐突に、彼女は身を乗り出した。


「ここか、そこの路地!曲がって」


 指示されるままにハンドルを切って、それからようやく気が付く。見覚えのある路地、進んだ先に駐車場がある。寺院の敷地内にある、こじんまりとした専用の駐車場だ。

 そこに見覚えのある少女がいて、こちらに向かって手を振っている。

 車を駐めるや否や、奏は一目散にドアを開き待っていた少女に抱きつく。にこにこと抱きしめられている少女は、他でもない私の娘だ。

 彼女たちの華やいだ抱擁を、私は運転席で唖然と眺める。奏と、彼女と同じ制服を纏う私の娘、日陽。二人が友人なのは知っているが、なぜこの場所にいるのだろう。

 睦まじく話す二人の隙を突くように、私は奏が開け放したままの後部ドアを閉じるため車を降りる。罪悪感がせり上がる。ここは、ここに眠っているのは、私が轢き殺した母子なのだ。ああ、逃げてしまいたい、今すぐに。

 しかしそんな私の背を引き戻すように、奏の批難めいた声が刺さる。


「あんたのパパ、運転のろい!遅れるところだったんだから」


 私の背は見るも惨めなほど小さく丸まっていただろう。痛いほど自覚する情けない背中越しに、ふわりと吐息が漏れるのが聞こえた。


「許してあげて。その代わり、パパの運転は世界一安全だから」

「ふーん、まあ日陽が言うならそういうことにしてあげる」


 奏が珍しく聞き分けの良い口ぶりだが、


「ねえ、もたもたしないでよ!」


 ほころんでいた私の心にまた、奏が矛先を向ける。不意を突かれて動揺した私は、反射的に彼女らを振り返る。


「というか日陽、もう二人で行こ!そのほうが私ずうううっといいんだけど」

「それはダメだよ、みんなで行かなきゃ。お墓参りなんだから」

「ええー」


 奏は口を尖らせつつも、日陽の腕を取り甘えている。


「なんで、ここだって知って……」


 私は情けなく蚊の鳴くような呟きに、ピシリと、


「ママに聞いたの。私たちもパパのこと精一杯謝ってあげるから、もういい加減許してもらって」

「ありがたく思いなさいよ」


 日陽に便乗して、顎を突き出す奏も、二人揃って墓前へと続く門戸をくぐっていく。


「……ああ、タバコが吸いたい」


 後部座席のドアを閉める小さな音と一緒に、私は憂鬱を置きざりにして二人の通った門戸をくぐった。

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