37 魔神王が逃げ出した後の話
兄上が転移魔法で大賢者の塔に逃げるように帰ってしまった後、僕たちはローラシアの神域に取り残されてしまった。
これでいいのかな?
兄上の力で、神域の全てが支配されてしまい、この星のすべては兄上のものになった。
普通の人間ができる範囲を超えている。
というか、この世界にいる神様でもできないことを、兄上は平然とやらかしてしまった。
大賢者の塔にいる高位魔神でも、ここまで簡単にできることじゃない。
相変わらず、兄上のやることの規模がおかしすぎて、ついていけない。
ところで、取り残された僕の傍には、ローラシアの主神代理様がいる。
この世界を管理している、偉大な女神であるはずのアルシェイラ様がいる。
「ああ、魔神王様が行ってしまわれた。あの黒い瞳に、汚物を見るような目で見下されるたびに、私はとても幸福になれたのに……」
神話だと、神々は偉大な存在ということになっているけど、現物を知ったことで、僕は理解した。
この女神様に関わってはいけない、と。
なので、僕は足早に女神様の近くから離れることにした。
兄上に倣って、この場は逃走だ。
アルシェイラ様から逃げた先には、天にまで届く巨大な樹が生えていた。
神域に来たときは、青い空が広がっていたのに、今では兄上のせいで暗黒の空になっている。
その空に向かって、天高く伸びている木だ。
まるで世界樹を彷彿とさせる。
ただし、さっきの兄上が原因で、木の葉が全て黒く染まっていた。
兄上がここに来るまでは、緑色の葉が生い茂っていたのだろう。
「世界が滅びる、滅びない、滅びる、滅びない」
「私も手伝う」
プチプチプチ。
そんなところで、クレトとイリアの2人が、飛行魔術を使って空を飛びながら、木の葉を毟り取っていた。
「2人とも、そんなところで何してるのー?」
僕は地上から、空にいる2人に大声で尋ねる。
「今日、世界が滅びるかの花占い中ー」
「私の大火力を炸裂させてみせる」
花占いというか、葉っぱ占い?
クレトが凄く物騒な占いをしている。
イリアの方は、僕も何を言っているのか、意味が分からない。
まあ、あの2人だからね。
ただ、葉を毟るのを止めたほうがいいと思う。
ただ、僕だと弱すぎるので、クレトに何を言っても全く相手にされず、終わってしまう。
イリアも、僕のいう事は全然聞いてくれない。
僕、塔の中ではすごく弱いから……
それでも、言うことはいておかないと。
「2人とも、その樹の葉っぱは絶対に取らない方がいいよ。その木だけ、明らかに他の樹と違うよー」
世界樹にそっくりだし、ここまで背の高い樹は、この神域に存在していない。
絶対に、神域の中でも特別な樹に間違いない。
「お、お二方、その樹はダメです。それはこの世界を創造された、創造神様なのですよ」
そこに、駄……女神アルシェイラ様がやってきた。
さっきまで兄上がいなくなって落ち込んでたのに、もう復活したみたいだ。
でも、樹の正体を聞いて、僕はビックリした。
「あれが創造神様?」
創造神様ということは、この世界を作られた、もっとも偉い神様だ。
でも、そんな偉い神様がどうして樹なんだろう?
「創造神様は、過去に我ら神々と原初の魔が争った後に、力の多くを失ってしまいました。創造神様が消えてしまえば、この世界ローラシアは滅びてしまいます。ですので、創造神様は自らの力が回復するまで、樹となって、力を蓄えておいでなのです」
「そんなことが……」
こんな話は初めて聞く。
神様の世界の事情を聴いて、僕は驚いた。
神様であれば何でもできる。
そんな風に思っていたし、現に大賢者の塔にいる魔神の皆は、好き勝手して生きているメンバーばかりだ。
皆、僕なんかとは桁違いの力を持っていて、誰にも服従することなく、自由奔放でいる。
もちろん、兄上には最低限従うものの、兄上も魔神たちの行動を、すべて制しているわけではなかった。
「まあ、それはただの建前なんですけどね」
「えっ!」
そこで、女神アルシェイラ様の態度が急に変わった。
「あのクソジジイ。チョイ悪親父を気取って、私たち女神に鼻の下を伸ばしてばかりだったのですよ。しかも、原初の魔が現れると戦いは他の神々に丸投げして、自分は神界の最奥に引きこもって、ビクビクしてただけ。あまつさえ、戦後の荒廃を目の当たりにすると、後始末を私たちに全部丸投げして、樹になってだんまりを決め込みやがって。この引きこもりのクソジジイ」
ゲシゲシ。
女神の神々しさなんてゼロ。
険のある表情になって、女神アルシェイラ様は創造神様の樹を足蹴りし始めた。
気のせいか、創造主様の樹が少し萎れてしまったように見える。
「ケッ、萎れるくらいなら、ちゃんと主神の座に戻って、この世界の管理をしろってんだ」
た、態度悪い、この女神様。
僕は思わず、その場から一歩引いてしまった。
この女神様、世界の管理でいろいろストレスをため込んでいる。
創造神様が情けなさすぎて、苦労してるんだな……
「ねえねえ、この樹を切り倒したら、世界が終わるの?」
そんな僕たちに、今まで葉を毟り続けていたクレトが尋ねてきた。
「え、ええ。ですから、どれだけ腹立たしくても、さすがに創造神様の樹を倒すわけにはいかなくて、困っているのです」
この女神様、世界が滅びなければ、創造神様の樹を斬り倒す気満々なんだ……
「ふーん、斬り倒したら、世界が終わるんだー」
そしてクレトはクレトで、いつもの陽気な顔に、さらに元気のよさそうな笑顔を浮かべた。
クレトの姿に、僕は不安を覚えてしまう。
「ク、クレト……」
「パンパカパーン、神殺しの槍―!」
どこからともなく、クレトが槍を取り出した。
「それはまさか、私たち神を殺せる槍では!」
槍を見て、女神アルシェイラ様が顔を真っ青にする。
ああ、やっぱりろくなことを考えてない。
「ふっふーん、今日ここで、この世界は最後の時を迎えるのだ。さあ、世界よ、この時をもって滅びてしまうがいいー!」
「だ、ダメだよ、クレト。そんなことしちゃ!」
クレトの暴走に、僕は慌てて止めに入る。
僕は飛行魔法を使って、空中にいるクレトのもとに、慌てて飛んで行って止めようとする。
だけど、僕が力づくで止めようにも、クレトはあっさり僕を避けてしまう。
そこにイリアもやってきた。
「よかった。イリア、助けて……」
「ムウーッ、クレトのバカ。私の大火力で、世界を終わらせるの!炎魔法・深淵の最奥の……」
期待したのが間違いだった。
イリアはイリアで、とんでもない破壊魔法を唱え始めようとする。
「イ、イリアもダメだよ。世界を終わらせちゃダメだー!」
どうして2人とも、世界を終わらせるなんて物騒な考えに行きつくんだ!
と、とにかく何とかして止めないといけない。
けど、僕がどうやってこの2人を止めたらいいんだ。
「おやクレト、ちょうどいいところにいましたね。ここに名酒鬼殺しがあるので、ぜひ飲んでいきなさい」
そこに、メフィストがやってきた。
手には、酒が入っているらしい瓶を持っている。
「ほえっ、お酒ぇー」
さっきまで、世界を終わらせる気満々でいたのに、フラフラと空中を飛びながら、メフィストのもとへ飛んでいくクレト。
「ささっ、グイっと行きなさい。どんどん行きなさい。ほらほら、酒瓶ごと飲んでしまいなさい」
クレトの口に酒瓶の口を突っ込んで、次々に飲ませていくメフィスト。
「え、ええっ!」
一体何をしてるの?
そう思う僕の前で、酒瓶が空になると同時に、次の瓶をクレトの口へと突っ込むメフィスト。
「あなたたちも、このバカにどんどん酒を飲ませなさい。ほら、女神と大天使なんだから、女の色気も使って、このバカを酔い潰しなさい」
「えっ、お姉さま?」
「駄神ども、ボケっとしてないで、私の命令に従え!」
「は、はいいっ」
あのメフィストが、取り乱しながら、周囲の女神と大天使たちに命令する。
僕の知るメフィストは、いつも冷酷で、僕を見る目は、まるで虫でも見るかのように見下している。
兄上に対するときはそんな目をしないが、僕から見たメフィストは、常に冷酷で、恐ろしい相手だった。
口では、僕に対して敬語を使うけど、それはただの上辺でしかない。
そんなメフィストが、今はクレトに矢継ぎ早に酒を飲ませることだけをしている。
そしてメフィストに命令されて、ローラシアの神々が、クレトの周囲に集まって、次々にお酒を飲ませ始めた。
この神域にいて気づいたけど、ローラシアの神々はみんな女神で、天使も女性しかないない。
多分、原初の魔との戦いが激しすぎたせいで、神域にいた男神は、既にいなくなってしまったのだろう。
「ワッホーイ、グビクビグ、ヒックー。ウイーッ」
「ささ、クレト様、どんどんどうぞ」
「はーい」
「私のお酒も、飲んで下さい」
「うんうん、どんどんちょうだい。いっそ、樽ごとちょうだーい」
目の前で、女神と女天使たちに囲まれ、どんどん酒を飲んでいくクレト。
完全にザルで、飲む速度が全く落ちない。
これって、夜のお店だよね。
大賢者の塔の商業フロアに、こういう夜のお店があるのを知ってる。
「ええい、樽ごと飲みたいなら、どんどん飲め、このバカ!」
そしてメフィストは、冷徹さも冷静さもかなぐり捨てて、樽ごと酒を、クレトに飲ませだした。
「ええっ、どうしてこうなるの」
さっきまで世界破壊しようとしていたクレトが、酒を飲まされ続けている。
「ハウアー」
「イ、イリアー」
それと創造神様の樹を、魔法で破壊しようとしていたイリアだけど、なぜか空から落ちてきた。
地面に激突しては、ただでは済まないので、慌てて僕がキャッチする。
よく見ると、クレトに酒樽を飲ませているメフィストの指が、一瞬だけイリアに向けられていた。
何をしたのかは分からない。
だけど、僕が理解できない領域で、魔法か何らかの手段を使って、イリアをこんな風にしたのだろう。
メフィストは、兄上の次に強いから、こんなことが簡単にできてしまう。
僕では、逆立ちしても真似できない。
「グーグー」
「ふうっ、やっと寝ましたね、このバカ」
僕がイリアに気を取られていた間に、酒を飲まされまくったクレトが、酒瓶を抱えたまま、地面でうたた寝し始めた。
「……えっ、どういう事?」
まったく意味が分からない。
「お姉さま?」
と、女神アルシェイラ様も、不思議そうにしている。
「このバカは、昔から酒を飲ませまくると、寝る癖があるんですよ。こんなところで世界を終わらせては、主からお叱りを受けてしまいますからね。私がこのバカとやり合えば、余波だけで、創造神の樹なんて消し飛んでしまいますし」
メフィストは悪態をついて、やれやれと言った。
「このバカを、今すぐ大賢者の塔に送り返しなさい」
そしてメフィストの命令で、高位魔神の1柱がクレトを抱え、大賢者の塔へ転移する。
「おかわり―」
転移する直前、クレトが寝ぼけながら大声を出していた。
腕を思い切り伸ばして、それがクレトを抱えていた高位魔族の顔面に、パンチとなって当たる。
転移する直前だったので気のせいかもしれないけど、クレトに殴られた高位魔神の顔面が凹んでいた。
見間違いかと慌てて目をこすったけど、その時には転移して、2柱の姿は神域から消えていた。
み、見間違いだよね?
でも、これで事なきを得た。
「お、お姉さま、世界を救っていただいてありがとうございます」
「僕からも、お礼を言わせてくれメフィスト」
普段はあんなに冷たいのに、なんだかんだ言って、メフィストもこの世界のことを思っているんだと、僕は思った。
女神アルシェイラ様と一緒に、僕もメフィストにお礼を言う。
でも、早とちりだった。
「気にしなくてもいいですよ。この世界が消えてしまえば、主の奴隷が大量に消え去ることになります。フフフッ、この世界はもはや主の物。これからは、この星の全ての者が、偉大なる主を賛美するようになるのです。ええ、私がそのように、この星を創りかえますから。フフフフフ」
「……」
世界破壊よりはましだけど、メフィストがやろうとしていることも、かなり酷いことだと思う。
「さすがです、お姉さま。私もその案に大賛成です。偉大なる魔神王様のために、この世界の人間全てが、魔神王様を崇拝するようにしましょう」
なぜか女神アルシェイラ様まで、メフィストの案に凄く乗り気になっていた。
興奮から鼻の穴を大きく開いていて、美人の女神様がする顔じゃない。
「駄女神のお前にしては、殊勝な心掛けですね」
「えへへっ、お姉さまに褒められちゃったー」
……
こんな女神様が世界の主神代理だなんて、この世界の未来は暗いかもしれない。
「あ、兄上―」
僕では、メフィストも女神アルシェイラ様も止められない。
情けないけど、僕はこの場からいなくなってしまった兄上に、今すぐこの場に戻ってきて、助けて欲しかった。




