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死にたがりのキャロル  作者: ナツグ
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2.不意打ちインサート-3

ここで不意打ちインサートは終了です

「うん、ヒバコに女がいるとは思わなかったな」


 麦茶のパックが入ったレジ袋を、ヒバコの自転車かごに乗せる。日は暮れて、空が青くぼんやり光っていた。


「そんなんじゃないよ、ただの友達。僕の学科は男子より女子が多いから、必然的に女子と仲良くやっていく必要があるんだ」


 ヒバコは自転車のロックを外して、スタンドを蹴り上げる。下り列車がぷしゅーと息を吐いて駅から出ていく。


「友達、ね。もっと学生っていうのは他人行儀なもんだと思ってたよ」


 あたしは大学に通ったことがないからこれは偏見だが、大学というのは高校や中学なんかと違って、難しい研究をするために行くものであり、クラス分けなんかもないだろうから学生同士の付き合いはもっとビジネスライクなものだと考えていた。踏切があたしたちの行く先を阻んで、カンカンという小気味の良い警告音が街を揺らす。


「そんなことないさ、昔のことは知らないけど、今の大学生は少なくとも表向きは仲良くしようと振舞っているよ」


 大学にはあたしの知らないヒバコの世界があるのだろう。あたしはヒバコが何の勉強や研究を大学でしているのか全く知らない。知ったところであたしとヒバコの間にある隔たりが明確になるだけだ。カンカンカンカン、この先進むなかれ。



「途中まで読んだよ、クリスマス・キャロル」

「そう、どうだった?」

「まだ感想が出てくるほどのところまでは読んでねぇよ。ただ、今のクリスマスと昔のクリスマスはずいぶん様子が違う」

「そうだね、それは日本とイギリスの違いもあるかもしれないけど」

「あと、けちんぼにはなりたくねぇもんだな」

「はっはっは、そうだね」

「でもスクルージがクリスマスにむかつく気持ちも分かる」

「それは、なぜ?」


 踏切の警告音が途切れ、遮断器が上がる。溜まっていた人々がそれぞれの行き先へと交差する。


「聖夜の馬鹿騒ぎに水を差してやりたい」

「結局、やっかみじゃないか」

「やっかみじゃねぇよ、クリスマスの幻想から目覚めさせてやるんだよ」


 ヒバコの押す自転車は、線路の上を通ると小さく跳ねた。


「そうだ、それが最高に善いことだ」


 これは天啓だ。しかも最低に悪いことと最高に善いことがひとまとめにできる。


「クリスマスに爆発を起こせばいいんだ」

「僕にはそれが最高にも善いことにも聞こえないんだけど」

「正義ってのは人や時代によって変わるんだよ」


 あたしは何かの漫画で読んだそれっぽいせりふを拝借した。


「まぁ、いいや。ところで今日、肉じゃがでいいかな」

「なんで買い物中に訊かないんだよ、好きだからいいけど」



 だんだん日が暮れるのが早くなっていく。あたしたちは終わりに向かって歩き出した。





 ドラムを蹴り飛ばすと打楽器とは思えないほど不快な打撃音が歪に連鎖する。アブミがあたしを尖った目で睨みつける。まるであたしがドラムを蹴ったみたいな目だ。



「撤回しろよ。今すぐ」



 アブミが鼻息を荒げる。リハーサルスタジオにはアブミとあたしの他に三人のバンドメンバー、全員があたしを見ている。



「しねぇよ。こんなのあたしがやりたい音楽じゃない。お前らが変わらないんなら、あたしはこのバンドを抜ける」

「演奏が下手ならそう言え、音楽性が合わないってんならどう合わないのか話せ、何が気に食わねぇんだよ」

「……さぁ、分かってたらこんなこと言わねぇよ。ただ、一つ言えることがあるとすれば、楽器を大事に使えねぇような奴と、音楽なんかできない」


 ドラムスティックがあたしの足元で跳ねて、二つに分かれた。


「楽器もできねぇ、曲の一つも書けねぇくせに偉そうなこと言いやがって」

「曲が書けないのはお互い様だろ」

「ぶっ殺すぞ! 人差し指も協調性も無いお前をバンドに引き入れてやったのは誰だと思ってんだ!」

「その節はありがとうございました」



 目を細めてアブミを見つめる。またやってしまったと思う。誰かを助けることより誰かを傷つけることの方が得意なあたしの声。アブミの甲高い怒声があたしに近づこうとする前に、他のメンバーによって引き留められた。誰の声だろうか、今日のところは取り敢えず帰ってくれ、また改めてこの話はしよう、と言う。あれからあたしは一度も彼らの顔を見たことがない。



 場面がごとりと暗転し、いつの間にかあたしは部屋にいる。見慣れたシンプルな内装の八畳間の椅子に座っている。誰かがあたしの髪を拭いている。


 何があったの?


 背後からの問いかけ。あたしは、何て答えたんだったっけ? オレンジ色の照明がやけに暗い。


 そうかな、ビスカなりの理由があったんじゃないの?


 カーテンの向こうから雨音が聴こえる。心地よいノイズ。


 だけど?


 あたしは何を言ったのだろう、どんな言葉をあいつに投げつけたのだろう。


 それは、僕もだよ。君が生きてるから――


 ヒバコは、何て答えた? 訊き返そうと呼び止める前に、視界は真っ暗になった。





「おはよう、僕はもう学校に行くからね」



 近い天井、それよりそばにヒバコの顔。ロフトのはしごの上であたしに顔を出しているようだ。


「夢かよ」


 呟いて上体を起こす。頭はぎりぎり天井に当たらない。背中に肌着がぴっとりとくっついていて鬱陶しい。


「悪夢でも見たの? すごい汗。シャワー浴びてきなよ」


 ヒバコは文字通りきょとんと言いたげな顔だ。あたしが壊した、あたしの居場所の夢。


「ん、悪いようで善い夢だった」


 そして、あたしが手に入れた新しい居場所の夢。


 ギシギシとはしごを降りる。ヒバコは格好から察するに、もう出かけるつもりのようだ。リュックサックを背負おうとしている。


「バスタオル、出しとくから」


ヒバコが玄関へと消えようとしている。呼び止めなければいけない。そう、直感的に思った。


「あのさ」


 じゃあ行ってくるね、とヒバコが言い切る直前に声をかける。


「次の土曜日、バイトないんだろ。あたしもないんだ。久々にお互い丸一日オフなんだし、ちょっと遠出しようぜ」

「全然いいけど。珍しいね、ビスカがそういう提案するなんて」


 いつ自ら壊してしまうとも分からないあたしの居場所を、少しは能動的に楽しもうと思った。これは心変わり。


「決定ね。いってらっしゃい」


 ヒバコが扉を開けると、風が吹き込み髪を撫ぜる。


「うん、行ってきます」


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