2.不意打ちインサート-1
床に転がったプラスチックコップを拾って立ち上がると頭痛が走る。咄嗟に出るのはいつも左手。幾ら気を付けようとしても、一度染みついてしまった習性は治しようがない。いや、かつての仲間の言葉を借りれば、あたしは治そうとすらしていないのか。
ベッドの上、ベランダに続く窓から惜しみなく降り注ぐ太陽光。煩わしいのでカーテンを閉める。既にヒバコの姿はどこにもない。彼のタイムスケジュールは基本的には二つだけ、大学とアルバイト。大半の人間はヒバコに対してつまらない人間だという感想を抱くに違いない。
実際、一般的な日本人という顔の見えない誰かが定規をヒバコに当てれば、面白味のない人間だという結論に至るだろう。苗字が珍しいことでぎりぎりマイナス点を逃れる程度だ。ただそれは外面の上から無理やり定規を押し付けただけに過ぎない。そういった横暴ができるくらいにはあたしたちは鈍感で、ヒバコは敏感だ。
台所でコップに水を注いで一気に飲み干す。無機質な東京の水道水。冷蔵庫を開けるとラップされた卵焼きとサラダが入っていた。どうやらこれをチンして食べろということらしい。当てつけにコップを転がしたままにする男にもこういう甲斐甲斐しさが備わっていることに感動すら覚えた。
電子レンジでチンされて死ぬのは滑稽じみて悲惨だ。熱いのだろうか、痛いのだろうか。回転する皿に乗せられて、命がけのピエロ。悪趣味だが、こういう死に際の想像だけがあたしに生を実感させてくれる。何を思うかはその人の自由。
チン。妄想の中のピエロが死んだ。
朝昼兼用の食事のことをブランチというらしい。時刻は十時半、微妙な時間だから、これは暫定的ブランチ。せっかく人が食事をとろうというのに、頭痛が苛む。原因は耳をつんざくビープ音だった。
ビー、ビー、ビー。
スマートフォンだ。あたしの携帯電話が大音量で鳴っている。こんな音、アラームにも入っていない。矩形波で、音程はおそらくF♯。そんなことはどうだっていい。スマートフォンを右手でつまみ上げる。
鳴りやんだ。
特に何かボタンを触ったわけではない、ホームボタンを押すとパスワードの要求画面が液晶に表示された。何もなかったと素知らぬ顔だ。それからしばらくボタンを押したりタッチパネルをスライドしたりベッドに投げつけたりしてみたが、特に変化は起こらない。釈然としないが、あたしの生活に差し障るようなことはない。精々、被った実害はブランチが冷めてしまったことくらいだ。
食事を済ませて、洗濯機を回して、軽く部屋を掃除して、洗濯物を干す。最初は反抗期の娘みたいにあたしの衣類、特に下着を触ることを拒否していたヒバコも最近ではぽいぽいと片付けてしまう。狭いベランダに二人分の衣類。晴れよりは曇りや雨が好きだったが、二人暮らしで洗濯物が溜まりやすくなってからは晴れを望むようになった。情緒よりも利便性が優先されるのは人間らしい。あたしはあくまでも人間。左手の中指と親指でヒバコの靴下をつまんで、洗濯バサミに差し込む。東京の昼下がりに、あたしは煙草の火をつけた。
ゴールデンバットには当たり外れがある。毎回外れを吸う度に加湿しておけばよかったと後悔するが、まずい煙草があるからうまい煙草が輝くのだと耐える。今回は外れ。
ヒバコのささやかな勉強机は本棚の隣にある。とはいえあたしがこの部屋に居ついてから、彼が勉強している姿はほとんど見たことがない。机の上には小さなパソコンとささやかなモニター、それを挟むようにスピーカーが二台、ヘッドホン、装飾の薄いランプ、それとキーボードが二つ。片方は文字がいっぱいプリントされているやつ、もう一つは白鍵と黒鍵が一定のリズムで配列されているやつ。
文字を打つ方のキーボードを触っても面白くないので、適当な白鍵を押す。分かっていたが音は鳴らない。キーボードはUSBでパソコンと繋がっているから、パソコンをつけて音が出せるソフトを起動しなければ使い物にならない。休みの日や早く帰ってきた日には、ヒバコはこのパソコンで曲を作っている。
パソコンで曲を作れることは素直に尊敬するが、ヒバコは音楽というものを知らないし、せっかく作った曲もネットに放流すらせずお終いだ。きっと自分好みの曲を作ることが目的で、他人の曲が聴きたいわけではないし、自分の曲が他人にはどう聴こえるかにも興味がないのだろう。人はそれを自己満足という、あたしもそう思う。原宿のスイーツの写真にフィルターをかけてSNSにアップロードするよりかは文化的だとは思うが。文化的自己満足。
ヒバコの曲はジャンルとしては電子音楽の一種、ダブステップと言われるものに近い。一定のパターンにそって刻まれるシンセ音、千切れそうな重低音のベース、サビ前で連打されるバスドラム。彼の曲を聴いてからこの手のジャンルの曲を聴くようになったから、詳しくは知らない。第一、曲を聴かせてくれたのもつい最近のことだ。ヒバコ自身、あたしに指摘されるまで自分の曲がどのジャンルに属するのかよく知らなかったらしい。
安っぽいキーボードを眺めて、もしもあたしにピアノが弾けたらと一瞬考えるが、ピアノだってギターやベースと同じ理由で断念せざるを得ないだろう。人差し指がないことは楽器をやる上で致命的だ。指を失ってしばらくの間はどうにか弾けないか模索したが、それはできないことを証明するという苦しい時間だった。特にギターはどうしようもない、バレーコードがてんで弾けなくなる。ベースにも言えることだが、バランスが取り辛くなるのも大きなハンデとなった。指板を押さえるだけが指の役割ではなかったのだ。これは指を失ってみないことには分からないだろう。ドラムはそもそも得意ではなかったし、スネアを強く叩こうとする度にスティックが左手からすっぽ抜けた。
もしかしたらもっと努力すればいずれの楽器だって指が一本足りなくても弾けるのかもしれない。努力不足。本当にギターやベースが好きなら左利き用のそれらを弾けば、ピックを中指と親指でつまむ難しさを除けば他の問題は解決するのかもしれない。そこまでしようとしないのは音楽に対する情熱が足りないからなのだろうか。情熱不足。
そんな葛藤に苛まれたこともあった。今はなんとも思わない。指も別に痛くない。鈍感だ。
やることがないからヒバコの勧めに従って本棚からクリスマス・キャロルを取り出す。相も変わらず赤黒い染みが読み手の意欲を削ぐ。血痕は一年以上経った今でも呪いのようにあたしをこの本から引き剥がそうとしている。
いつだったか、ヒバコの気持ちを珍しく忖度してこの本を捨てようとしたことがあった。汚いし、どうせ読まない。この本を見る度に彼にカフェでの出来事を想起させるのも申し訳なかった。せめて新しいのを買ってくればいいと思ったのだが、ヒバコはこの本を捨ててしまうことを拒否した。真意は計り兼ねる。
ヒバコのベッドに腰かけて本を開く。すぐに目を細めて寝っ転がる。ばふっと鳴って左肩が布団に沈む。昔の文章だからか一々仰々しいし、語り手の存在感が強い。元々漫画くらいしかあたしは読まないのだから、これだけ文字がびっしりだとそれだけで目が眩むのだ。それでも文字を追っていればなんとなく内容は入ってくる。マーレイという人物が死に、その仕事仲間のスクルージというケチな爺が、儲かっているのにクリスマスを祝うことを毛嫌いしている。あたしもクリスマスがそんなに好きではない、父親やサンタクロースを含め、男からまともなプレゼントをもらったことがない。与えたこともないのだから当然と言えば当然だ。