1.善悪のララバイ-3
「おいしいよ、そんなに見つめなくても」
「そか、そりゃあ良かった」
ビスカは笑った。彼女の料理はいつもおいしい。
部屋の中央、辛うじて二人分の食器が置ける小さなテーブルを挟んで向かい合う。ビスカは器用だ。教師に矯正されたとはいえ元々は左利きだったらしいが、利き手の人差し指がないのに豚を生姜焼きにできるし、レジ打ちもできるし、公園の砂場で城を作ることもできる。
「ボケっとせず味わって食べなさい。いつまでも、あると思うな、親とあたし」
字余りだ。僕が指摘する前に矢継ぎ早に彼女は話す。
「何考えてたか当ててやろうか。あれだろ、クリスマス・キャロル」
「あたらずといえども遠からず、かな。ちゃんと全部読んだの?」
僕は彼女の肩越しに本棚を見る。ロシア語文法初級編とリトルピシュナに挟まれたクリスマス・キャロルは血で汚れている以外は新品と同等の状態だ。
「馬鹿野郎、何事をするにも時季があるだろ。クリスマスに読むんだよ、クリスマス・キャロルなんだから」
「去年のクリスマスに読めばよかったじゃないか」
「あたしキリスト教徒じゃないし」
論点をずらすのは彼女の得意技だ。
「それじゃいつまで経っても読めないよ」
彼女がカトリックに改宗する姿を想像しようとしたが、黒い髪の彼女を想像するのと同じくらい無理なことだった。
ビスカはクリスマス・キャロルに限らず、本を読まない人だ。だというのに負けず嫌いで興味の触手だけは立派に備えているから、僕の本棚をめちゃめちゃに荒らす。どれも数ページ読んだら、疲れたとか飽きたとかあたしにはまだ早いだとか、言い訳を本一冊一冊にラベリングして元あった場所とは違うところに片付ける。彼女の言い訳を帯にして本屋に並べれば、たちどころにその本屋は経営不振に陥るだろう。
「読みにくいんだよ、あれ」
箸を皿の上にかちゃりと置いて、彼女はため息交じりに答える。読めないなりに向き合おうとはしているようだ。ビスカは食器を重ねて立ち上がった。僕もそれに倣って遅れて台所に向かった。
変わらない日常、繰り返しの毎日、それらが退屈だと嘆く人がいる。僕はそれを羨ましく思う。日々は目まぐるしく変化して、寸分違わず昨日と同じように今日を生きることなんてできない。天気、季節、湿度、政治情勢、ラッキーカラー、コンビニの品揃え、変わらないものはない。僕はそれら一つ一つの変容にいちいち怯えてしまう。誰かが毎日マニュアルを配布してくれればいいのに。今日は昨日と比べてどこがどう変わるからこのように振舞いましょう、と逐一記されているタウンページの数倍はあろう分厚いマニュアルが欲しい。それを読み耽っている間に明日になればいい。
「今日も何も変わらなかった、下らない一日」
ビスカは僕の部屋から収奪したロフトスペースに梯子で上がりながらあくび交じりに総括した。見上げるスウェット姿に、一日が終わったことを感じほっとする。
「電気消すよ、いいかい?」
僕の問いかけにビスカは、んー、とどちらとも取れる生返事をする。僕はベッドに潜り込んでスマートフォンに充電器を差し込んだ。フォン、という充電中を示す音が僕の手元と上方から同時に鳴る。リモコンの消灯スイッチを押した。
スイッチをオフにすれば、部屋は暗くなる。視覚を失うとたちまち他の五感が鋭さを増す。特に聴覚は鮮明さが研ぎ澄まされ、普段なら気にしない部屋が軋む音や道路を駆ける車の排気音、自分が寝返る時に発生する衣擦れ音さえ煩わしくなる。聴覚をオフにする機能があったらと思うが、目覚ましが聞こえないのも困る。
「なあ、起きてるよな」
聴覚をオフにしていたら、ビスカの上からな問いかけにも気付けなかっただろう。
「眠れないの?」
仕方なく返答した。寝っ転がっていると、存外声が出にくいものだ。
「明日地球が滅びると自分だけが分かっていたとして、ヒバコなら何がしたい?」
無理問答でもしようというのだろうか。唐突で脈絡のない質問に少し考える。明日苦しみにもがくくらいなら、特に用事のないこの世界とは早めに別れてしまった方が得策だ。
「その日のうちに死ぬかな」
結論をまとめて答えた。
「せっかく自動的に死ねるのに」
「それは、明日の死に方によると思うよ。隕石が墜落して息をつく間もなく死ぬってんならまだいいけど、バイオハザードが起こって徐々に滅びていくんなら苦しくない死に方を考えるよ」
「じゃあ質問を変えよう。照明のスイッチをパチンと押すみたいに、コンセントを引っこ抜くみたいに、電池を無理やり外すみたいに、ぱったりとなんの苦しみもなく死ぬとしたら」
苦しまずに死ねる、それは願ったり叶ったりなことだ。それなら死の前日、何か行動を起こしてみてもいいかもしれない。
「そしたら、どうだろう。世間体でやってこれなかったことをするかな」
「例えば?」
例を挙げようと思考するが、中々出てこない。
「難しいね」
やり残したと思うようなことはなにもないからだろう。やり残しというのは人生というものに向き合った人間が至る結論であり、その過程で気付くことは断じてないからだ。僕はといえば生きるということと向き合うことがないまま成人を迎えてしまった。向き合わないためにしてこなかったことといえば、人と向き合わないための波風を立てるという行為か。特に僕みたいな臆病者は、自らを傷つけないために、他人を傷つける行為に対してひどく消極的だ。ただ、それをどう言葉で説明したらいいか分からない。僕は考えあぐねて答える。
「漠然としか言えないけど、最低に悪いことかな」
法に従い隅っこで暮らしてきた人間にとって、最も縁のないことが犯罪行為だろう。




