9.頽廃リサイタル-3
頽廃リサイタルはここで終了です。
「あたしはてっきり、班長のワタナベ辺りが仕込んだのかと思ってたよ、そう、カトレア」
きっとビスカは細いまなざしでカトレアを見つめているに違いない。青いネオンが瞬く。
「うふふ、ごめんなさい。私、皆さんが思うほど良い子ちゃんじゃないんです。あなたのスマートフォンにも沢山悪戯しました。ほんとは発火させるつもりなんて無かったんですよ、ただあなたのスマートフォンを動かなくしよう、故障させようと思ってプログラムを組んだんです。どうなるのか気になっていたから、ヒバコ君があなたのスマートフォンの上に資料を乗せた時、試行結果が見えないからちょっとがっかりしていました。まさか、あんなことになるとは」
カトレアさんがビスカのスマートフォンを発火させたのだ。例えそれがカトレアさんの望む試行結果ではなかったとしても。
「それと、今日二十時にパニックが起こるってのは、どう関係があるんだ――ちょっと待て、カトレア、お前、もしかして!」
ビスカは自分で発言をしながら、カトレアが行ったことに気付いたようだった。
「そのコンピューターウイルスをばらまいたんじゃないか?」
「正確にはウイルスと言うよりロジックボムです。ビスカさん、あなたの仰る通り、もう既にインターネットの海に私のプログラムは放流してしまいました。どこまで広がっているかは分かりませんが、ちょうど今日の二十時に発動するように設定されています」
「信じられないよ、というより、信じたくないし、信じ難い。あたしが知ってるカトレアは、物分かりが良くて、器用で何でもできて、協調性があって、そして何よりも皆に優しい――」
「優しくなんかない! 優しさなんかじゃないんです」
カトレアの声が震える。時刻は十九時五十五分。
「信じてもらえないかもしれないですが、私には他人がどんな言葉を求めているのか、分かってしまうんです。ビスカさんは、私に今からでも全て嘘だと、そう言って欲しいみたいですね。これのせいで、私はどこに行っても潤滑油扱いを受けてきました。チームの輪を乱さない、協調性のある子だって。だから、いざ本音で話すと白い目で見られてしまうんですよ。そして分かったかのようにみんなこう言うんです、きっと疲れてるのよ、とからしくない、とか。ビスカさんが私のことを見つけてくれた、高田馬場での路上ライブは吹き溜まった私の本音や不満を吐き出すためにやっていました。おかしな話ですよね、そりゃ誰だって空気を読んで発言を控えることはあると思いますけど、私だけ自分の言葉で喋ることすらできないなんて。家でも、学校でも、誰と一緒に居ても、私はどこにもいない」
途切れることなく、街のあちこちでクリスマスソングが流れている。カトレアさんは白い息で言葉を紡いだ。
「欲しい言葉ならくれてあげます、悩みなんて所詮はその人が答えを用意しているものだから幾らでも解決してあげます。あなたが引き出したい言葉なら、どれだけでも用意してあげますよ! でも、宙ぶらりんになった私の好きや嫌いはどこにやればいいんですか? 寄せられたシワに飲まれるしかないんですか? 私は求められた言葉を投げつけるピッチングマシーンでも、ボタンを押したら答えを吐き出す自動販売機でもないのに!! ビスカさん、さっき言ってましたよね、私が器用で何でもできるって。でも、こんなことになるくらいなら、他人の声なんて聴こえない方が良かったんです。できない方が、よっぽど良かった」
最後の方は聴きとれたのか自信がない。呟きは雑踏に掻き消された。確かに、カトレアさんは周りに配慮することが得意だ。というよりも、得意過ぎたのだ。身長が著しく高いと巨人症と呼ばれるように、絶対音感の人が周囲の雑音の不協和に敏感になってしまうように、時として持ち過ぎることは障害になってしまう。
「あたしは、そんなことはないって思う。相手の求める言葉が本当に分かるって言うなら、大きな才能じゃないか」
ビスカの言は当然で、何もできない僕には何かができる人は羨ましい。ただ、カトレアさんの場合はその言葉は通らない。
「才能? お笑いですね、これは長所になり得るようなものじゃない、言うなれば短所、もっと言えば障害です。理不尽だと思いませんか? 人より明らかにできることが少ない障がい者が憐れみを得られるなら、人よりできることで不利益を被る人間にもそれなりに同情があって然るべきではありませんか? 見たくないものが見える人や聞きたくもないことを聞かなきゃいけない人は、果たして恵まれた人間なのでしょうか?」
「それとこれとは関係ねぇだろ! カトレアの言うことも分からんでもないよ、お前はお前なりに苦労があったんだろう。でもそれで自棄になって他人を巻き込むことはない。それにお前、言ってたじゃないか、抱えてるものを路上ライブで発散してきたって。それじゃ、駄目だったのかよ。さっき今日のライブ、人生最高に楽しかったって言ってたじゃねぇか、それじゃ、駄目なのかよ」
ビスカはがなり気味にカトレアさんの疑問に答えた。
「最高に楽しかった、からこそなんです。分かってますよ、結局どれだけ理由をつけたってこれは私のエゴです。私ね、死にたがりのキャロルの歌詞を読んで、本気で感動したんです。彼が、ヒバコ君がどんなことを考えているのか分かったから。ヒバコ君だけは、どんな言葉を求めているのか、全く見えない人なんです。そんな人、初めてで、どんな言葉をぶつけたらいいのか分からなくて。以前、お話したと思います。ヒバコ君が浪人してたのは、彼の自己紹介で知っていました。他の浪人していた方々が、敬語を使ったりせずに対等に話して欲しいって言うから、私、本当は敬語で喋った方が気が楽なのに、その方々と同様にヒバコ君と接する時はため口で話していたんです。でも、ヒバコ君はそんな私を見て、言ってくれたんです、無理せず話しやすいように話してくれればいいよって。それが、嬉しくって嬉しくって。普段は鈍感なのに、そういうところはちゃんと観察して汲み取ってくれるんです。これが本当のコミュニケーションなんじゃないかって、この人となら普通の人間関係を築けるんじゃないかって」
カトレアさんはイルミネーションの閃きと同時に、一呼吸置いた。
「それで、いつの間にか、私はヒバコ君のことを好きになってしまいました」
そんな風に想ってくれていただなんて、僕は全く気付かなかった。彼女の言う通り、僕はあまりに鈍感だ。己を呪いたくなる。
「私がのろまだったのが悪いんですよ。でも気付いた時には既に、ヒバコ君の隣にあなたが居ました。最初は悪い人に騙されているんだって思ってたのに、あなたもあなたでヒバコ君と同じくらい強烈で危うい魅力を持っていました。バンドの練習も、一緒にヒバコ君に悪戯したのも、タコ焼きパーティも、何もかもが楽しくて、アブミさんもビスカさんももちろんヒバコ君も、好きで好きで仕方がなくて、気付いたらもう路上ライブをしても全く発散できなくなってしまったんです。でもヒバコ君の隣にはいつもあなたがいる。もう、どうしたらいいのか分かんなくなっちゃって。それで――」
街の音が一瞬途切れた。偶然、色々な音の発生源の継ぎ目が重なったのだろう。
「――あなたの指があったら良かったのにって」
霞んでしまうほど小さな声。それはカトレアさんの悲痛な叫びだった。すぐに街中が混濁としたクリスマスの音楽を奏で、悲鳴を塗り潰した。
「もう、どうすることもできないのか? 今からでも解除できないのか、せめて被害を小さくするだけでもいいから! 嫌だよ、あたし、このままディケンズが終わるのも、あたしのせいでカトレアが犯罪者になるのも」
ビスカは髪を左手でひっかきながら、がなった。
「もう、なってますよ。工場の火災で亡くなった方がいらっしゃいます。あたしはもう人殺しなんです、後戻りできないんです。先ほども言いましたがプログラムはもう拡散されています。仕組みは至極シンプルです」
「円周率、だろ?」
僕は路地から飛び出して、二人の会話に割って入った。
「ヒバコ……君? いつから聞いてたんですか?」
カトレアさんの赤い髪が振り向きざまになびく。ビスカは白い髪を掻きむしる手を止めた。
「ごめんね、出てくるタイミングが分からなくて、ずっと君の話を聞いてた」
「おせぇよ、てめぇ」
ビスカの声は怒りと戸惑いと焦りで満ちていた。
「カトレアさん、君の用意したプログラムは、簡単に言えば、コンピューターに円周率の計算を強制的にさせ続けて、やがて計算で発生する熱で冷却の追い付かない機器を発火させる、そうでしょ?」
「……正解です。ですが、仕組みを知っていたところでどうすることもできないですよ、もう、もう遅いんです。後数秒で二十時です」
僕はスマートフォンで時間を確認した。
「そんなことないさ。それと」
画面の中でデジタル時計が二とゼロだけを表示する。
「お誕生日おめでとう」
時刻は二十時ちょうどになった。
吉祥寺駅の様子は見た目には変わらない。スマートフォンは発火はおろか停止すらしない。
街中が静かな変化に襲われる。ドラムスティックを打ち鳴らす音。
ワン、トゥー、スリー、フォー。それは、少し高い男の声だ。
街のいたるところにあるスマートフォンから、聞き覚えのあるイントロが流れ出す。
「ふふ、あっはっはっは、すげー、こいつは傑作だ!! やりやがったな、ヒバコ!」
ビスカの高笑いと共に、街中がざわめき始めた。場所によってはスピーカーからも同じ音楽が聴こえてくる。
吉祥寺の街は、死にたがりのキャロルに包まれた。




