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死にたがりのキャロル  作者: ナツグ
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9.頽廃リサイタル-2

 リハーサルと聞くと本番と同じように演奏して、最終確認をするのかと思っていたが、存外あっさりしたものだった。楽器のセットをして、立ち位置を確認して、順番に音を出して、音響を確認したらお終い。試しに合わせたのはサビの一節だけだった。


「ベース、じゃねぇや、キーボードのボリュームもうちょっと上げられますか」


 ビスカがマイク越しに音響スタッフに声をかける。それ以外にこれといった調整を頼むことは誰もなかった。がらんどうのステージは思っていたよりも広く、五百人くらいは入れそうだった。もしそれだけの人が見に来たらと思うとちょっとぞっとする。空っぽの方が音は良く響くし、このまま誰も来なければいいのに、とさえ思ってしまうのだった。


「珍しく緊張してんな」


 リハーサルが終わってはけた後、騒々しくなり始めたバックヤードでアブミに指摘される。


「そりゃ、ずっと日陰者だったからね」


 アブミはガハガハと笑った。周囲の何事かという視線が集まっている気がして、気恥ずかしい。


「バーカ、ここだって日陰だよ」


 アブミは僕の胸を右の拳で小突いた。それが、果たしてこのライブハウスが地下にあるから物理的に日陰であるという意味の、アブミらしからぬジョークなのか、この規模のライブハウスで演奏する程度ではまだまだバンドとしては日の当たらない場所にいる、という意味なのか、それとももっと別の意味なのかは分からないけど、なんだかその一言で変に安心してしまった。


 カトレアさんが、ちょっと早いですが着替えてきます、と言って更衣室に消えてしばらく経った。丁度開場する時間が過ぎたくらいだ。楽屋は出番が近づいてピリピリした空気感だった。



「ディケンズの方、いらっしゃいますか!」



 運営スタッフが楽屋に慌ただしく入室してきて、大声で僕らのバンド名を呼ぶ。


「ディケンズならあたしたちだけど」


 楽屋の出入口に近いところで煙草を吸っていたビスカは、呼ばれた途端肩をビクリと上げていたが、何事もなかったかのようにスタッフに対応した。それを見て僕とアブミはビスカの方に向かう。丁度着替えが終わり、黒いワンピースドレスと頭に赤い花――多分カトレアの花だ――の髪飾りを付けたカトレアさんが、事態に気付き僕らの元に駆け寄った。スタッフから早口で説明を受けた。


「つまり、最初のバンドがいつまで経っても来ない、次のバンドが直前の仲違いで出演をボイコット、だから三番目のあたしたちがトップバッターになるってこと?」


 ビスカが要領を得ないスタッフの説明をかいつまんだ。


「そういうことはもっと早く言えよ!!」


「まぁまぁ、仕方がないですよ。トラブルがあったってことはまだ開場してないですよね? 何分後にスタートですか? え、開場しちゃったんですか?」


 ディケンズの当初のライブ開始予定時刻は二十時頃だったが、大幅に前倒しになり、今すぐ出て準備して欲しいとスタッフは話している。


「えっと、これも僕が初めてなだけで、よくあること、なのかな?」

「んなわきゃねーだろ、とっとと行くぞ!」

「これだからバンドマンは」

「それを私たちが言っちゃいますかね」


 思い思いの文句を言いながら、ステージへと走る。ディケンズ最初のライブは、せわしないスタートを切った。


 スポットライトはあまりに眩しくて、客席の様子はほとんど分からない。ただ、凄まじい熱気はライトから発せられるものだけじゃないことは分かる。会場の人々は銘々にかまびすしい、開演に浮かれているみたいだった。


「こんばんは」


 ビスカの声をマイクが拾う、すぐさま客席は静かになった。その分、自分の心臓の音がやけに大きく感じられた。落ち着け、どれだけ舞台照明が眩くとも、ここは日陰、僕の居場所だ。


「アリアドネでもハウル・アンド・ハイドレンジアでもなく、ディケンズです」


 会場が少し沸いた。僕らの前に出演するはずだった二つのバンド名だ。舞台に立つビスカ自体を見るのが初めてで、それを後ろから見ることになるとは、思わなかった。


「とんだハプニングに巻き込まれたのに、あたしたちには一曲しか歌わせてくれないんだから、聖夜だってのにケチなもんだよな。まぁ、いいや、あたしサンタクロース信じてないし」


 ボーカルとして、最前に立つ彼女には、どんな景色が見えているのだろう。ビスカの右後ろからでは窺い知ることはできない。


「始めようか。あたしたちのメリークリスマスを。死にたがりのキャロル」


 ビスカが曲名を告げると、左から四カウントが聴こえる。ワン、トゥー、スリー、フォー。最初の爆弾が、起爆した。




 どんな演奏になったのか、覚えていられないほどたどたどしくて、緊張感を振り切ることはできなくて、感情を演奏に込めるなんて余裕もなくて、それでも僕らのステージは終わった。向こうでは鮮烈な残響と共に、次のバンドがセットアップを開始していた。


「これで、終わりか?」


 舞台袖、汗を頬に垂らし、ビスカの言葉が僕を穿つ。まだ息が荒い。


「納得、いかない?」

「全部出し切ったさ、出し切ったつもりだけど、まだ、足りない。こんな一撃じゃ、中途半端だ。これは、最高でも最低でもない」

「まだ、次があるだろ? あるよな?」


 少なくともアブミは、ディケンズを続けていきたいらしかった。


「僕も、次があって欲しいよ。でも、そのためには」


 少し疲れた。あと、もう少し、息が整ってから。楽屋に戻って壁に寄りかかり、休憩をとる。スマートフォンで時刻を確認すると、十九時二十六分になったところだった。そろそろ行かないと、そう思って辺りを見渡したが、カトレアさんもビスカもいなかった。


「あれ? 二人は?」

「ああ、カトレアは気分悪いからって、外の空気吸いに行ったぜ。ビスカはそれを追いかけて行ったよ」

アブミはステージの方を向いて、次のバンドの演奏が始まるのを待っていた。

「ごめん、ちょっと様子見てくるよ」


 アブミの肩を二階叩いて、二人を探しに階段を駆けた。


 人波で溢れた吉祥寺のクリスマスイブは、僕を異常分子として弾き出そうとする。進もうと踏み出してもかき分けられない雑踏の海をイルミネーションが照らした。急いでいるのにゆっくりとヨドバシカメラの前を通り抜ける。サンタクロースの格好をした女の子がスマートフォンのキャンペーンをやっていた。手を繋ぐ者も一人で歩く者もそうでない者も、みな歩くことと並行して手元にある小さな画面に注目している。どこかで聴いたようなクリスマスソングが街のいたるところで混濁と流れ、ファミリーレストランの前で金髪のカップルが喧嘩をしていた。二人が駅の方にいるとは限らないけれど、クリスマスツリーの灯りの幻影に吸い寄せられるように、僕もそっちへ向かった。いつか、カトレアさんが言っていた、路上ライブをやっていたという、シャッターの下りた銀行の前。



「もう、遅いんですよ! もう、無理なんです」



 カトレアさんの叫喚が聴こえて、咄嗟に路地に隠れる。ほんの少し先に、カトレアさんとビスカが向かい合っていて、人々は二人を避けるように流れた。その隙間から微かに窺える。カトレアさんは、泣いていた。


「今日の二十時、後少しで、日本中、もしかしたら世界中でパニックが起こります。私が、私が殺すからです」


 出てくるタイミングを見失ってしまった。どういう状況か分からないけど、ビスカはカトレアさんから自白を引き出したみたいだ。カトレアさんが僕らにずっと隠してきた秘密。


「冗談なら、最高につまらないぞ」


 顔は見えないけど、ビスカの声は良く通る。二人の向こうでクリスマスツリーは事情など露知らず煌々と輝いていた。


「冗談じゃないです。ビスカさんは、気付いているんじゃありませんか? あなたのスマートフォンが発火したことと、あなたの勤めていた工場が火災に遭ったこと、その関連性について」

「その話と今の話に何の関係があるのか分からないけど、そりゃ、確かにあたしも考えてはいた。かつての同僚があたしのスマホと同じ症状の故障を起こしていたことと、あたしのスマホがボヤ騒ぎを起こしたことの関連性について。でもそれは――」

「全て、私がやったことなんです。私の父は、あの工場の元請け会社に勤めています。何度も顔を出していたでしょうから、もしかしたら見たことがあるかもしれません」

「……カトウさん、確かにいたな、まさかカトレアの父親だったとは思いもしなかった」


 それは、僕が及び知らない事実だった。火災のあった工場、ビスカと全く同じ故障をしたスマートフォン、そしてカトレアさんの父親がビスカが勤めていた工場と関わりがあったこと。


「父は仕事が第一の方でした。大手電機メーカーだか何だか知りませんが、ほとんど家にいませんでしたよ。教えてもらったことと言えば、パソコンの使い方くらいです。私ね、いつまでも家庭を顧みない父に、ちょっと悪戯したくなったんです。ある日、父は家に一つだけ書類を忘れて仕事に出かけました。あなたの勤めていた工場の職員のリストです。そこには灰咲睡蓮さん、あなたの名前とメールアドレスなどの連絡先もありました」


 二人が話す隣で信号が赤になる度に人が溜まり、一定のリズムで吐き出されて行く。疑似的な循環器がそこにはできていた。


「それで、あのブザーか。あたし含めリストにある人全員に、ウイルスでも添付したメールを送ったってことか?」

「ええ、いつも思い立っては踏ん切りがつかずにいたのですが、ビープ音を鳴らすくらいなら、大した迷惑にはならないだろうと思って。それに、本当にうまくいくかなんて分からないですし。私、本当はあなたの本名知らなかったんですよ。でも、スーパーでたまたま出会ったあの日、あなたのスマートフォンが私の仕組んだプログラムの命令と同じように、三十秒間チープな悲鳴をあげたので、もしかしたらって。あなたが工場で事故を起こして指を失った話と総合して、先ほどのリストとビスカさんの年齢などから照合してあなたイコール灰咲睡蓮と推定することができました」


 ディケンズを組む前から、ギタリストとして誘う前から、既にカトレアさんの掌中にビスカのスマートフォンはあったということだ。



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