6.ファイア・イン・グロウル-4
ここでファイア・イン・グロウルは終了です。
「は?」
ビスカが眉を吊り上げてこっちを見る。構わず僕は続けた。
「クリスマス・キャロルを作ればいいんだよ。僕らが出会ったきっかけじゃないか」
「いや、きっかけではあるけど、それはどういう意味?」
「キャロルって讃美歌っていう意味があるんだ。読んだんじゃないのかい?」
「いや、読んだけどさ。讃美歌って教会とかで歌うやつか?」
「そう。僕らなりの讃美歌だ」
ビスカは血で汚れたクリスマス・キャロルを本棚から抜き出した。
「過去を顧みて、現在を見つめて、未来を変える。そういう意味でのクリスマス・キャロルなら大賛成」
それから僕らはクリスマス・キャロルの内容を話し合い、それを自分たちに当てはめていった。
「あたしたちが会ったのは、吉祥寺の本屋」
「血塗れの手のひらから分離した人差し指が出てきた時は、吐きそうだったよ」
「あたしはお前の反応が思っていた以上に薄くてびびったよ。その後、繊細な作業が要求されるからって理由であたしは仕事を辞めて、行く当てもないからお前の部屋に駆け込んだ」
「隣に住んでたっていう事実でこっちはびっくりしてたのに、養ってくれとは恐れ入った」
「でもさ、実はあたし、ヒバコが隣に住んでるって知ってたんだよ。本屋で会う前から」
「そうなの? なんで声かけてくれなかったのさ」
「かけたし、すれ違いもしたさ。でもお前は全くこっちには興味を示さず、死んだような目をしてた」
僕は当時のことを思い出す。あの時は今以上に鬱の傾向が強くて、一番僕が死に魅入られていた頃だったと思う。
「あの時はよっぽど死にたいと思ってたからなぁ」
「でも、そのおかげであたしはヒバコに興味を持ったんだ。どうにかこいつの顔をこっちに向ける方法はないかってね」
「だからといって人差し指をもいで見せつけてくるのはあんまりじゃないか」
「それは本当に事故だったんだって! 大いに利用させてもらったけどな」
ビスカは左手を膝の上に乗せて俯いた。
「正直、ビスカのことが最初は怖かったからさ。大人しく従っておいて、本当にやばそうならすぐ警察を呼ぼうと思ったんだよ。でも、生活面だけじゃなくて切羽詰まっているように見えたから」
「まぁ、ヒバコの言葉を借りれば、あの時はよっぽど死にたいと思ってた」
ビスカの生き甲斐はバンドでの演奏と、その奥にある、あらゆる感情の発散にあったのだと思う。指を失ってからしばらくの間、ビスカは今よりもイライラしたり落ち込んだりすることが多かった。
「クリスマス・キャロルに準えて、僕らの過去の咎めるべき点は?」
スクルージの咎めるべき点は商売と金に溺れてしまったことだった。
「あたしたちの感情は抑えることができないのに、それに溺れていたこと、かな」
ビスカらしからぬ詞的な回答だった。
「そうかもね。怒ったり、悲しんだりすることは反射みたいなものだから、止めようがない。でも、その感情に浸り続けることは、回避できたはずだ」
「次は、現在の話?」
彼女は話を進めた。
「そうだね。今ちょうど僕たちは作詞という作業をしているけど、これはいつだったか惰性で生き続けてしまっている僕らにピリオドを打つことの延長にあったはずだ」
「最高に善いことと、最低に悪いこと」
「うん。幸か不幸か、具体的な方策に迷ううちに、ビスカはカトレアさんと知り合い、僕はアブミと出会った」
「おかしな話だよな、死ぬためにやってることが、新しい結びつきを作っているんだから」
「結びつきを断っていくことで人は死んでいくのにね」
「なんだか、あたしたちの死にたいは、存外否定しなきゃいけないものじゃないのかもしれない」
ビスカの言う通りだ。
「もしかしたら、そこが一番重要なのかも」
「この曲であたしたちが主張することは、クリスマスに水を差すことだけじゃなくて、死にたい感情をないがしろにしないこと?」
「この感情が僕らを引き合わせてくれた、カトレアさんやアブミを含めて」
ネガティブな感情が必ずしもネガティブな方向へと人々を導くわけではないのだ。
「未来のことは、分からないな」
「でもさ、例えば本当にこのままクリスマスを終えて死ぬことになったとしても、この気持ちに素直になれていたんなら、それはそれで良いと思う」
死亡を希求する心は、僕にとってはほとんど生まれ持ったものだった。物心ついた幼少期から、僕は漠然と自分が消えてしまうことばかり考えて来た。それが普通のことじゃないと知ったのは、いつ頃だったかな。この感情に浸り続けて思考停止していたこと、この感情を否定してきたことは、僕の生を苦しめ続けていた。スクルージのように君子豹変とはいかないけど、この感情と最後まで付き合うことができるのならそれが本望だと思えた。
「死にたいという生き方の肯定」
「それが僕たちがこの歌を通じて伝えたいこと。そしていつか言っていたけれど、きっとこの曲が爆弾なんだ」
「クリスマスにそんなネガティブな曲を聴かされたらたまったもんじゃないな」
「でも、生き方を顧みる最高の爆弾、でしょ?」
僕らを繋ぎとめる唯一の感情、希死念慮。今思えば、この感情がなければ僕らは出会えていなかったし、生きていなかったかもしれない。作詞中も何度も口論になったけれど、伝えたいことは一緒だった。いつの間にか、この曲を作った時と同じように、閉め忘れた窓から朝日が流れ込んでいた。
「なぁ、今日、暇?」
シャッターを下ろし、カーテンを閉め切り、絶望的な眠気の中で僕らは布団にもぐった。でも、達成感やら昂揚感やらでどうにも眠れない、それはビスカも同じだったようでロフトベッドの上から彼女の声が落ちて来た。
「暇、じゃないよ。君もだろ?」
「あたしさ、今から職場に急用で休むって伝える。レッスンは一件だったし」
「何をするつもり?」
「ヒバコが良ければ、今日、歌のレコーディングをしたい」
「……今日はバイトはないし、講義は必修じゃないし試験のない二コマだ。さぼろうと思えばさぼれる。むしろ今まで休まず出席していたのがおかしなくらいだよ」
「午後六時から、ボーカルブースで予約するぞ」
「いいよ、寝坊厳禁だね」
僕らは逆転した夜に、死んだように眠った。
ビスカはスタジオに入るなり、すぐにウォーミングアップに入った。簡単な準備運動から入り、低音から高音に向かって、自分の使う声を一つ一つ確認する。しなやかで美しい歌声は、鏡に跳ね返って部屋中に乱反射し、浸透していく。それは僕の胸の内とて例外ではない。
「さぁ、いつだって始められるぜ」
ビスカは革のジャケットを脱いで、ヘッドフォンを装着した。
「それじゃ、始めようか」
「そう言えば、この曲のタイトルは?」
「クリスマス・キャロル、ではクリスマスにしか歌えなくなっちゃうから、死にたがりのキャロル、でどうかな」
「いいね、あたしたちにぴったりだ」
僕の答えも、ビスカの答えもこの詞の中にあると信じて、僕らは爆弾作りの最終工程を迎えた。後はいかにこの曲をクリスマスの人々に聴いてもらうか、それだけだ。




