6.ファイア・イン・グロウル-3
「そう言えば、この曲歌うのはビスカさんなんですよね」
「ぷは、そうだよ」
ビスカはペットボトルから口を離して答えた。
「歌詞はビスカさんが作るんですか?」
「いや、まさか。あたし作詞なんてしたことないし」
「それじゃヒバコ君が?」
「いや、僕だって詞なんて書いたことないから。ボーカルの人がやるべきなんじゃないかな」
歌ものの曲を書くこと自体が初めてなんだ。作詞経験など皆無だし、こういうのは歌い手が書くものじゃないのか。
「いや、作曲者が作詞もするのが相場だろ、バンドだったら」
「え、そうなの?」
僕はバンドの人たちがどうやって曲を作っているのか知らないから、なんとも言えなかった。
「うーん、どうでしょう。私個人としてはビスカさんの詞も見てみたいですが、この曲はヒバコ君に作詞してもらいたいですね」
カトレアさんはレモンティのペットボトルにキャップをして、僕を見る。
「あたしもヒバコの詞で歌いたいなー」
ビスカの棒読みに精が出る。
「と、取り敢えずこの件は保留にしておこうか」
作詞のことなどすっかり忘れていた。よく考えたらいつまでもチープなビープ音をメロディに据えておくわけにもいかないのだ。
「あ、夢中になってたらもうこんな時間ですか」
カトレアさんはスタジオの廊下の壁にかけてある時計を見上げていた。
「そういえば、この後予定が入ってるんだっけ?」
「ええ、大した用事ではないのですが。ごめんなさい、取り敢えず今日の収録はここまででも大丈夫ですか?」
何ら問題はない。二人のこだわりによって収録は長引いているが、僕としては全てのパートの録音自体は済んでいるし、これでレコーディングを終了してもいいくらいだ。
「じゃあ、先に帰っちゃっていいよ。片付けとか清算とかはこっちでやっとくから」
「申し訳ないです、それじゃお先に失礼します」
カトレアさんはギターやエフェクターを手際よく片付けてケースにしまい、最後にもう一度深々と礼をしてスタジオを去って行った。ちょっと急いでいるみたいだった。
「どうだった? カトレアさんは?」
「及第点だろ。ちょっと追っつかないところはあるけど」
楽器の弾けない二人がブースに残った。カトレアさんの演奏は、アブミのそれとはかなり性質が異なった。彼女のギターは繊細でのびやかだった。同じエレキギターでも、弾き手や弾き方で印象が変わるものなのだろう。
「それじゃ、あたしたちも帰りますか」
ビスカが伸びをして体を大きく捻る。
「おろ? これ、お前のか?」
体を捻ったまま中指でクリーム色の長方形の鞄を指し示す。ビスカの体の柔らかさに感心した。
「それは、カトレアさんのだね。忘れていったのかな」
彼女のノートパソコンのケースだった。当然、本体も中に入ったままである。ちょうどカトレアさんがギターを弾いていた位置からはアンプで死角になっていた。
「確認しておくよ」
ショートメッセージでカトレアさんの忘れ物の写真を撮って送る。もし必要ならすぐ持って行くけど、と文章も添えておいた。
それからスタジオを出て帰りのバスの中でカトレアさんから返信が来た。明後日取りに行くので、預かっておいてくれませんか? とのことだった。
作詞、それは主旋律に言葉を置く作業のことで、曲作りという工程の中で最も異質な作業だ。言葉は曖昧だと言われるけれど、音楽と比較すればかなり具体的だ。作り手が音楽で世界平和を表現しても、聴き手によっては破壊行為に感じる人もいるだろう。しかし言葉で表現することは簡単だ、世界よ平和であれ、武器よさらば、キープ・ザ・ピース、何だっていい。何より音楽で人を傷つけるのは難しいけど、言葉で人を傷つけるのはあまりに簡単だ。何が言いたいかというと、作詞は作曲することと性質があまりに異なる、それだけだ。
部屋のパソコンの前で簡単なミックスダウンが終わった音源を何度も聴き返す。しかしファミコンのようなメロディは何も喋ってはくれなかった。そう言えば、僕は何を主張したくてこの曲を書いたのだろうか。アブミや他のバンドメンバーにとって納得のいく、僕なりの曲を書くので精一杯だった。そもそも僕は何かを主張するために曲を書いたことがない。作曲とは僕の中で循環する、完結した、孤独な作業だったからだ。こたつの上でマグカップが二つ、コーヒーの湯気を吐き出していた。
「君は今まで、どんな歌を歌って来たんだい?」
こんな質問をビスカにすることになるとは思いもしなかった。ただ、詞という最もメッセージ性の強い部分を制作するのだから、ビスカの意見も取り入れる他ないし、だからこそ彼女の来歴を知っておく必要がある。
「作詞で悩んでるならあんまり参考にならないと思う。今考えるとすっげー馬鹿だけど、歌詞の意味も分からずかっこつけて英語の曲ばかり歌ってた。ANGRAとか」
知らないバンドの名前が出て来た。後で調べて聴いてみることにしよう。
「日本語の歌詞じゃない方がいいのかな?」
「そんなことはないさ。ヒバコが伝えたい言葉で書けばいい」
「その伝えたいことっていうのが難しいね。僕には伝えたいほどの中身がない」
背もたれに大きく寄りかかり、天井を見上げた。
「本当に駄目駄目。あのな、なんでアブミもカトレアも、お前の曲を演奏することをすんなり承諾したか、分からないのか」
「すんなり、とは承諾されてないと思うけど」
アブミに関してはボロクソ言われた上に結構な部分の譜面の書き直しを要求された。ギターにしたってそうだ。
「細かい変更はあったかもしれない。でも、中身が伴ってねぇやつの曲なんざ、イントロでくしゃくしゃに丸めてゴミ箱行きだよ」
「でもさ、実質あれは君と二人で作った曲だろ?」
「だとしたら、あたしも一緒に考えるからさ――、あれ、ちょっと待て、今のなし」
「いや、確かにこの耳で聞いたよ! ここまで来たんだから作詞も一緒にしようか」
思いもしないところで言質が取れた。ビスカは耳の穴に指を入れて掻いている。
「仕方がない、一緒に考えるか」
短い沈黙の後、ビスカは頷いた。作詞は共同作業ということになる。
詞を書こうって構えるから上手くいかねぇんだ、と息巻くビスカ。
「詞は詩じゃないんだから、音にさえハマってれば韻踏んでなくても、大言壮語をかまさなくてもいいんだよ」
「ほうほう、具体的には?」
「うーん、こう、誰かに会いたい、とか、君がいるから、とか見失ったものを探したり、本当の気持ちに気付いたり、光の射す方へ歩き出したり――」
「どこかで聞いたことのあるフレーズを並べただけじゃないか」
ビスカも作詞に関しては素人レベルだ。
「何かしら主義主張が必要なのかな。ビスカは物申したいこととかないの?」
「そうだな、右に倣えな風潮が嫌い。ハロウィンとかクリスマスとかバレンタインとか」
「なんだかその主張自体が世間の風潮に乗っかっただけに感じるよ」
インターネットなどで呪いのように唱えられる、同調圧力や全体主義への批判。僕は誰かの真似をしている人が悪いとは思えないし、逆に今の人間社会において全体を顧みずみんながやりたいことをやることの方がよっぽど危なっかしく思える。
「こんなんじゃ方向性も決まらねぇぞ!」
「それもそうだね」
僕らにしか、と言い切るのは大げさでも、せっかく二人で詞を考えるのだからその利点を活かすべきだ。僕らにしかないもの、あるいは僕らにはないもの。
「そうだ、クリスマス・キャロル」




