6.ファイア・イン・グロウル-1
「駄目だな、駄目駄目だ」
「駄目駄目、かな」
「駄目駄目ではないだろ、駄目かもしれんけど」
吉祥寺のリハーサルスタジオに集まったのは、僕とビスカとアブミの三人だった。残念ながらカトレアさんは日程の都合がつかなかったので欠席だ。アブミはドラムの前に座り、僕らはそれを挟むように立って、童顔の男を見下ろしている。
先日、カトレアさんに急所の一撃を喰らった日、カトレアさんに音源を聴いてもらった時とは異なる反応をアブミは示した。
「具体性を欠く指摘はヒバコには厳禁」
「ああん? じゃあ簡単に説明させてもらうが、人間の手足は四つしかないんだ。このBメロのフィルインとサビのラスト、音が五つ以上同時に鳴ってる」
アブミの指摘を受けて、僕はもう一度譜面を確認する。確かに、指摘された部分は実際に演奏するのには不可能なアレンジになっていた。ドラムという楽器の構造上、同時に出せる音は四つまでなのだ。
「ここだけじゃないぞ、ここや、ここもだ。パソコンでちまちま作るからこうなるんだよ」
「そーだそーだ」
「お前は気付けよ!」
アブミが茶々を入れるビスカに突っ込む。言葉遣いは乱暴だが、素は良識的な人なのかもしれない。
「だから、ここはこうする」
即興でアブミがアレンジを変更する。こちらの方がメリハリがあってよほどいいように感じた。むやみやたらに音を増やせば盛り上がるというわけでもないのだ。
「こんな感じで、できなさそうな場所は変更してもらえると助かるよ」
「ついでに駄目駄目な場所は変更すっからな」
アブミの小さな体躯ではドラムに埋もれてしまっているように見えるが、一度彼がドラムを演奏すれば、その存在感は圧倒的だ。何よりもパワフルで、独特のノリがある。
「性格に難はあるけど、それと反比例して実力者」
「反比例? それは褒めてんのか?」
「あと、実力に反比例して馬鹿」
「流石に今のは悪口だってわかるぞ、撤回しろバカ!」
シンバルの音がスタジオ中に突き刺さった。この二人と一緒にバンドをやっていくのは大変そうだし、故にカトレアさんが不憫だと思う。
「そう言えば、そのカトレアってののギターはどうなんだ? そもそも何人なんだ?」
時折デモ音源を再生して確認しては、ドラムの譜面を変更する。その作業がひと段落着いたところでアブミが質問してきた。
「ちょっとだけ演奏を聴いたけど、僕は上手いと思ったよ。それと、カトレアさんは日本人だよ、ビスカが変なあだ名を付けたらそれが定着したんだ」
「なるほど、俺と同じだ」
「同じ?」
言葉の趣旨を理解できず、訊き返す。
「こいつ、誰彼構わず変なあだ名を付けるんだよ! 俺もその被害者の一人」
「スティックで人を指差すな。照れる」
「褒めてねえって!」
アブミの本名は安孫子文雄、名字のアビコの頭のアとフミオのフミをとってアブミ。危なっかしいことと乗馬器具の名前とを掛けているらしい。
「すなわちトリプルミーニング」
一昔前に流行った推理ドラマに出てくる探偵役の教授と同じポーズをビスカはとった。
「どや顔してっけど、一度もうまいって思ったことないかんな」
「アブミって言葉の響きだけで付けて、理由は後付けってところかな」
ビスカはなおも傍若無人な表情で、アップライトピアノに後ろ手をおいた。どうにも反論の言葉を見つけ出せず、もどかしさを誤魔化しているようだった。
「ま、いいや。試しに録ってみねぇ?」
アブミはドラムの前に腰掛け直した。
「録音はしてみたいけど、機材がないよ」
「バカ。店員に言えば、借りられるぞ。このDAWなら、簡単に収録できるんじゃねぇか?」
言葉の端々に罵詈雑言が加わるのも、そういうものだと慣れてしまえばなんとも思わない。これがアブミの喋り方なのだと思いつつ、彼の提案に乗ることにした。
「そうだね、せっかくだし」
ワン、トゥー、スリー、フォー、乾いたリムショットがこだました。
「そうなんですか、早くお会いしたいです」
新しくドラムの生音がミックスされたデモ音源を一緒に聴いた後、当然ドラム奏者の話になり、アブミについて簡単に紹介した。
「言葉遣いはきついけど、基本的には良識のある人だから」
「お馬鹿さんだけど」
ビスカはいじっていたスマートフォンをこたつの上に投げ置いて言った。
「それは君が言えたことじゃないだろ」
「デコピン」
ビスカに咎められて、額に中指の爪が当たる。今はベッドに僕とビスカが腰掛けて、ワークチェアにカトレアさんが座っていた。机の上には彼女が持ち込んだ水筒が置かれている。時刻は夜八時。日中から何もしていないと後悔がこみ上げ始める時間だ。
「次はギターの収録ですね。アレンジの変更があったようですが、新しい譜面はありますか?」
「ああ、そうだったね。ちょっと待っててよ」
カトレアさんは中々に鋭い。細かいギターのアルペジオの変更にも気付いたみたいだ。僕は本棚に向かって、ファイルを取り出した。百均とかで買える、薄っぺらいクリアファイル。楽譜以外の資料は全部抜いて、こたつの上に置く。僕はカトレアさんにファイルごとギターの譜面を渡した。
「えと、ありがとうございます」
戸惑いながらカトレアさんはファイルを受け取った。気を利かせたつもりだったけど、クリアファイルは別に必要なかったみたいだ。
それからカトレアさんはゆっくりと譜面をチェックした。ワークチェアを足で左右に回転させながら楽譜を読み込む様子はなんだか可愛らしい。




