5.アコギとリメリック-3
ここでアコギとリメリックは終了です。
「あれ、それでどうして同棲してるんですか?」
「端的に言えば、あたしが生活の糧を失ってしまったから」
生活の糧、というのはもしかしたら収入源という意味だけではなくて、楽器を弾けなくなってしまったことによる精神的な部分も含まれているのかもしれません。
「あの頃と比べれば、お互い生き生きとしてるもんさ。ところで」
ビスカさんはしばらく黙って私の目を覗き込んできます。
「なんでしょうか?」
「カトレアとヒバコは同学年だけど、なんでヒバコに対して敬語なんだ?」
ですます調で話し続ける私に疑問を感じたのかもしれません。
「ヒバコ君は私と違って、一年浪人してらっしゃいますから。年上の方なんで、敬語で話しているんです」
実際は最初、ヒバコ君にはため口で話していたのですが、無理にそういう喋り方しなくていいよ、と彼に言われたので敬語に切り替えました。私はなるべく誰と話す時も敬語で喋りたいので、ありがたい限りです。
「ふうん。そう言えばこの前、大学の課題でひいひい言ってたぜ。この部屋でヒバコを勉強させるんだから、大したもの」
「ああ、プログラミングの課題ですね。最近は視覚的な、例えば映像だったりをプログラムを組んで作ったりしていますね」
「そう言うのは、今見れる?」
学術的興味が湧いたのでしょうか。ビスカさんは知らないものに対する好奇心が高いのかもしれません。こういう時は何を求めているのか誰でも簡単に分かります。
「ええ、できますよ。例えばこれとか」
私は自分のスマートフォンを取り出して、簡易的なプログラムを実行するアプリケーションを開いて、再生ボタンを押しました。
「簡単ですが、こんな感じです」
画面に古い映画の冒頭のように、ノイズの入ったファイブカウントが表示されます。英数字で、五、四、三、二、一、と白黒で表示されて、ゼロになるところでビープ音が鳴る仕組みです。
「これは面白い! そーだ、いいこと思いついた」
ビスカさんは私のプログラムを見た後、不敵な笑みを浮かべてヒバコ君のスマートフォンを取り上げます。
「これに、これを入れて、カトレアがそのタイミングでワーってやって、ヒバコがびっくり」
何を言っているのかよく分かりませんが、子供みたいな喋り方が何だか可愛らしいです。ヒバコ君がないがしろにしないのも分かる気がしました。
どうやらビスカさんは、私がこの部屋のどこかに隠れて、私のプログラムをヒバコ君のスマートフォンに表示させて、カウントが終わってビープ音が鳴ったタイミングで私が登場することで、ヒバコ君を驚かせようとしたいみたいです。
「ヒバコの情けないところ、見たくないか?」
正直見たいです。これは利害の一致でした。
本人不在の承諾が交わされ、私は早速ヒバコ君のスマートフォンに映像を表示する方法を考えつつ、ノートパソコンを起動します。この手のいたずらは手慣れたものでしたし、ヒバコ君のスマートフォンのパスワードが彼の生年月日だったのも僥倖でした。しかし、不運にもあと一歩のところでヒバコ君が帰って来てしまいました。
「やべ、隠れろ隠れろ!」
ビスカさんは無理やり私を押し入れの中に文字通り押し込みました。肩が痛いです。どこに何があるのかも把握できないまま、足音が近づいてきました。きっとヒバコ君です。
「ただいま、遅くなってごめんね。すぐご飯の支度するから」
「お帰り。まあご飯は後でもいいからとにかくシャワーでも浴びてきなよ」
ビスカさんは致命的なまでに棒読みでした。
「別にそんなに汗をかいたわけでもないんだけど。それとコーヒー飲むのは構わないけど、ちゃんとドリッパーやサーバーは洗っておきなよ。あれ、それ僕のマグカップだけど。それと、そのギターケースは――」
「まぁまぁまぁ! 汗臭い男は嫌われるぜ」
ビスカさんが無理やり脱衣所にヒバコ君を押し込もうとする様子が想像できます。それよりも、私が使っていたマグカップ、ヒバコ君のものだったのでしょうか? なんだか複雑な心持です、頬の辺りが熱くなってきました。
「もう出てきても大丈夫」
押し入れの戸が開き、そんなに中にいたわけでもないのに、照明がとても眩しいです。
「ヒバコ君は今どちらに?」
「シャワー」
確かに水音がキッチンへ続く扉の向こうから聞こえてきます。少し乱れた髪を手櫛で整えました。きっとビスカさんから見たら私の顔は、この髪の毛より真っ赤になっているに違いありません。
「早急に続きをやりましょう」
私は作業の続きに取り掛かりました。幸いなことにヒバコ君のシャワータイムが想像以上に長かったので、あっさりと作業を終わらせることができました。彼の言以上に、本当は結構汗をかいていたのかもしれません。
「さっきと同じ場所に隠れればいいですか?」
「ちょっと待って、場所作るから」
そう言ってビスカさんは押し入れの中を整理します。先ほどはちゃんと確認できていませんでしたが、ギターと、おそらくベースが二つずつ仕舞われていたようです。それらを寄せて場所を作ってくれました。
「存外、諦めも利かないんだ」
私が寄せられたギターケースを見ていたからでしょうか、ビスカさんが呟きます。
「ごめんなさい、ただ気になっただけなんです」
「無用の長物」
「そんな言い方しなくても――」
私の言葉を遮るように、ビスカさんは私を押し入れの中に入れました。さっきよりは優しかったです。
「じゃ、手筈通り頼みますよー」
ビスカさんは気だるげにそう言って押し入れを閉じました。数十秒後にヒバコ君が部屋に戻ってくるのが分かりました。ドアの開く音がしたからです。
「おい、忘れ物には気を付けろとあれほど言ったのに」
「初耳だよ、おっとっと。精密機器なんだから、投げないで」
「マグカップ、悪かったよ」
「うん、ん? ちょっとビスカ! このスマホ、画面がなんかおかしいって」
「ぷくく、んん、どうした?」
ビスカさん、既に声が震えています。
ビー、ビー、ビー。
ビープ音が鳴りました。直後、私は押し入れを思い切り開いて飛び出します。光が射しこんで、目の前にスウェット姿の人影、驚かす時は思い切って。
「わー!!」
我ながら間抜けな声だと思います。思い切り過ぎたのか、自制が利かず、何かにぶつかってしまいました。
「あっはっはっは! 傑作っ!!」
ビスカさんの笑い声が聞こえて、ようやく自分が何をしたのか分かりました。ヒバコ君はベッドに仰向けで倒れ込んでいます。
「えっと……。サプラーイズ」
ヒバコ君はまさしく茫然という面持ちでした。こんな顔をしているのを見るのは初めてで嬉しいのですが、けれども申し訳ないことをしてしまったという気持ちと、ヒバコ君にタックルをした時に絡まって抜けてしまった髪がピリピリと痛いのと、心の中はごちゃごちゃです。
「痛びっくりだよ、もう」
ヒバコ君は上体を起こして私を見上げます。そこからは何も感じ取ることができません。
これが、彼の魅力なのです。ヒバコ君は、見えにくいなんて甘っちょろいものじゃなくて、何を求めているのか、どんな言葉が欲しいのか、全く見えないのです。だから、気兼ねなく話したいことを話せるのです。
「お邪魔してます、歓迎していただけますか?」
「手荒い要求があったもんだね」
後ろではまだビスカさんが笑っていました。もうちょっとだけ早く、ビスカさんの存在を知っていればな、と思います。窓の向こう、ベランダには何もかかっていない物干し竿が寂し気に秋風を受けていました。




