3.悶々スキャット-5
悶々スキャットはここで終了です
「さっきの話、正気?」
高田馬場駅に向かう道中、人ごみの中でビスカに問う。ゲームセンターの熱気は都会の夜気へと姿を変え、涼しい風が秋の装いを纏っていた。あの後、BIGBOXでは一応予定通り買い物もしたのだけれど、互いに気乗りせず、これといって何かを購うということもなかった。
高田馬場駅の前にはティッシュを配る者、宗教勧誘をする者、アコースティックギター片手に拳を掲げる者、首相の独裁を断罪する署名を集める者、様々な人でごった返していた。
「あたしはヒバコのことを転がしてるつもりはねぇよ」
「そっちじゃなくてさ。僕が曲を作るって言う話」
「正気。だけど、どうせ無理さ。ヒバコに曲が作れないってことじゃなくて、アブミがメンバーを揃えられるわけがない」
「その、アブミ君は――」
「アブミ、呼び捨てでいいって。本人もその方がありがたいと思うはず」
アブミ本人の気に障るかどうかは本人に確認するより他ないので、暫定的に呼び捨てで呼ぶことにする。
「アブミは、そんなに人脈がないのか」
「人脈以前に、粗暴過ぎるからな」
「それをビスカが言うのもどうかと思うけどね」
ビスカのデコピンが僕のこめかみに炸裂した。
「痛っ。でも彼はドラムを叩けるんだろう、バンドなんだから他に必要なのはギターとベースかな」
「どちらも厳しい。なんせギターやベースをやる連中はあたしと関わりたくないだろうから」
結局君の問題なんじゃないか。声に出すと攻撃が来るので言わないでおく。
「でも、ビスカはバンド活動したいんだろう?」
これは、僕の歪な願望でもあるのかもしれない。彼女が自分の能力を発揮する場ができることは、彼女にとって善いことだ。ただ、それでビスカが部屋での役割をバンド活動にかまけて放棄されては困る。これは僕にとって悪いことだ。でも、ビスカの死にたいという気持ちは、音楽で発散するしかない。僕は彼女に死んでは欲しくない、少なくとも彼女が僕の部屋から自立してくれるまでは。だから、善い悪いを天秤にかけたら、ビスカにバンド活動をしてもらう方が、僕にはありがたいのだ。
「やりたくねぇわけじゃないけど」
「だったら、君から納得のいく人を探していくしかないんじゃない? アブミに全部押し付けて、また壊してしまうよりは、その方がずっといいよ」
「そう、かもな」
ビスカは時々天邪鬼だ。お互いのやっていることに関して口出しをしない、という不文律がいつの間にかできていたけど、終わりが近づいている僕らだから、こうしてちょっかいを出しても構わないだろう。このままビスカがバンドを続けて、ゆくゆくはどんな形であれ彼女の作り描くもので収入を得て、僕の援助の必要もなくなって、自立していく。そうすれば僕はいつもの生活に戻ることができる。それが、僕の望み――、なのだろうか。
「少なくとも、曲が完成するまでは死ねないね。これはきっと、試金石なんだよ」
僕らに生きる値があるのか、僕らが死にたいと思わなくなれるのか。
「精々、最高の爆弾になることを祈るさ」
もしかしたら曲そのものが爆弾に成り得るのかもしれない。いずれにせよ、クリスマスまでに作らなきゃならないみたいだ。
ビスカと暮らすようになってから、一年が経とうとしている。当初は食い扶持が無くなった彼女をしばらく養う代わりに、職が見つかったらすぐに出ていくという約束だった。それが今ではこうして二人で出かけるようにさえなった。彼女の居ない普通が、想像できなくなりつつある。いや、それがどうしたというのだ。別に、それでも構いやしないじゃないか、どうあがいても僕は死にたいから逃れられない。彼女の居ない普通が有り得ないなら、それを区切りとすればいい。彼女は歌っている限り死ぬことはないんだ。ビスカが死ぬ必要はないのだ、死にたいなら自分一人が死ねばいい。
「悪い、ちょっと買い忘れたものがあったから、先帰っててくれ」
無心で改札に入っていたため、ビスカが隣にいないことに気付いていなかった。改札を挟んで向かい合う僕らを急かすように、人波が僕を押し流していく。
「すぐ帰って来てよ!」
辛うじてそれだけ伝えて、僕は雑踏に流されることにした。考え過ぎだ、僕は考え込む癖がある。そう言えば、クリスマス・キャロル、どこまで読んだか進捗を聞いていなかった。ビスカが帰ってきたら、まずその話をしようと思う。




