3.悶々スキャット-3
エレベーターが開く。博物館とは打って変わった喧噪に、僕は委縮する。このBIGBOXという商業ビルの施設を含め、ゲームセンターの類にはほとんど行ったことがない。きっとパチンコやボウリング場にも同じ反応をしてしまうのだろう。
「よっしゃ、まず何からやる?」
カウンターのある施設の中央、両替機で幾らかのお札を硬貨に砕いた。心なしか楽しそうなビスカは、僕に聞こえるように少し声を張る。彼女は来慣れている様子だ。
「よく分かんないけど、クレーンゲームとか?」
「いきなり金のかかるゲームをご所望だな。いいよ、UFOキャッチャー」
土曜日だけあっての人だかりをすり抜ける。外の暑さとは違った、人間の密度と機械の熱が生み出す人工的な暑気。ギラギラとした独特の空気感、メダルゲームがジャックポットを告げて大量のコインを吐き出している。格闘ゲームだろうか、レバーをガチャガチャ激しく動かす青年と、それを取り囲む血気盛んな集団。はまる人ははまってしまうのだろう、この空間は特別だ。
「おら、こっちだって」
物見をしながらえっちらおっちらと白い後ろ姿を追っていたら、ビスカに右手を引かれた。四つの指で握られて、熱気にあてられた頭がちょっと冴える。
クレーンゲーム機の群像、僕には巨大な水槽が沢山並んでいるように見えた。ただし、中に入っているのは熱帯魚でもシーラカンスでもなくフィギュアやぬいぐるみだ。
「どれか欲しいもの、ある?」
「うーん、僕には何が何だかさっぱりだけど。どれが取りやすいとかあるのかな」
「店によるんだよな。フィギュアとか取りにくいって言われがちだけど、アームの強さは店側で設定できるから、存外簡単に取れる時もある。無難なのはこういう、爪を使ってずらして落としていくタイプ」
ビスカが指差した水槽には僕の知らないアニメのキャラクターのフィギュアが入っていた。
「ずらして落とす、直接持ち上げるのではなくて?」
「さっきも言ったけど、UFOキャッチャーのアームの強さは店側で自由に調整できるから、こういう箱物の景品は大概持ち上げられるほどの強さには設定されてない」
「なるほど、勉強になる」
どうやら箱をUFOキャッチャーの掴む部分に引っかけて、少しずつずらして穴に落とす仕様らしい。
「つまり百円入れるだけでは取れない」
「景品には原価ってものがある。元が取れないんだな、百円では」
そりゃそうか、ゲームセンターも商売だ。
「何にせよ、知らないキャラクターのフィギュアは要らないよ。欲しくないものを取っても仕方がない」
「それもそうか。ああ、こいつも取りやすいかも」
ビスカが次に案内してくれた水槽にはタコ焼き機が入っていた。パーティグッズのそれに近い、真っ赤な箱。
「重そうだけど、大丈夫なのかな」
「これが意外といけるんだ」
そう言うとビスカはポケットからボロボロの財布を取り出し、百円玉を投入する。彼女がボタンを押すとクレーンは右へと動き、突如反動で揺れながら止まった。ビスカがボタンから手を離したのだ。
「ちょっとずれたかも」
僕には巧拙が分からないから、彼女の言を信じるしかない。これは、ちょっとずれた状態なのだ。その後、ビスカは正面から見たまま、奥行を決定するボタンを押した。ボタンを離すと前後に揺れながらクレーンが立ち止まり、箱に向かってが降りていく。箱のほぼ中央を捕らえ、アームが箱の両脇を鷲掴むが、クレーンが上昇すると箱がするりと手前に落ちていった。箱は手前に少しずれた、どうやらこれを繰り返して景品を手前の穴に落としていくみたいだ。
「根気の必要な作業だね」
「ゲームにさえ必要なんだ、地道な作業。ほれ」
ビスカは僕に筐体の前を譲った。
「いや、僕はうまくできそうにないからいいよ」
「大丈夫さ、失敗したら豪快に笑ってやるから」
ビスカのこういうところに僕は依存してしまうのだろう。
ビスカから二百円受け取り、僕は五百円玉を投入した。百円で一回、五百円なら六回プレイできるらしい。素晴らしいシステムだと思う。一つ目のボタンを押した。
「おいおい、押しっぱなしにしなきゃ駄目だって」
「あ、ごめん」
先ほどビスカのお手本を見ていたにも関わらず、典型的で初歩的な失敗を僕はしてしまった。ボタンを押した後、すぐに手を離してしまったのだ。ボタンを押している時間だけクレーンは稼働する。僕の操縦するクレーンは、本当にいいの? と問いかけるように、その場で左右に少しだけ揺れて立ち止まった。
「これはもうどうしようもないの、かな?」
ビスカに恐る恐る訊く。
「まぁ、これは授業料」
安くついたものだ。
二回目は押しっぱなしで箱の位置に沿った場所にクレーンを動かした。悪くないんじゃねぇの、という呟きが右肩越しに聞こえる。僕は右手を目いっぱい伸ばして、筐体の左側に回り込んで、奥行きを目視で確認しながらボタンを押した。水槽の中でクレーンはキュルキュルと小気味よく前進する。
「ストップ」
ビスカの合図で、咄嗟に手を離す。どうやら動かし過ぎたようだ。
「まあ、これで多少は前に行くさ、多少は」
「悪かったね、クレーンゲームをやるのはこれで二回目なんだ」
ビスカの言う通り、多少は箱が穴に近づいた。ビスカがやりたそうに目線をボタンに向けていたので、僕らは交代した。
ん、とビスカは鼻から声を出してボタンを押す。左手で操作していた。中指でボタンを押す時、人差し指の付け根もぴくりと反応しているようだ。ビスカに左の人差し指があったらここに二人で来ていなかったことを考えると、ビスカには申し訳ないのだけれど、人差し指が失われて良かったと思ってしまう。これは悪い考えだ。ビスカはいつぞやに、自分は悪い側の人間だと言っていたけど、それに関して言えば僕もそうだろう。と言うよりも全ての人間がその時その時の主義主張や行動や思い付きで、善悪の境界を行き来しているのではないだろうか。その境界さえ、人によって線の引き方は違うに決まっている。
クレーンが箱の中央よりやや後ろを掴む。こうして箱を穴に追い込む行為は、景品を欲する僕らにとっては善いことでも、店側にとっては悪いことなのだろう。いや、店側にとってはお金を既に投入されているのだから、完全に悪いことではないはずだ。幾ら投入するかによって善悪が変わるのだとしたら、中々に人間らしくていいじゃないか。
ガコン
結局僕らはプレイ権を三回分余らせてタコ焼き機を手に入れた。ビスカが手に入れた景品を筐体の下から取り出そうとしたその時だった。ガランガランと、商店街のくじ引きで当選した時と同じハンドベルの音が耳元で鳴り響く。
「景品獲得おめでとうございます!」
女性の店員が僕らの後ろで構えていたようだった。続けざまにシャツについたピンマイクで景品獲得のあらましを店内に放送する。
「プライズコーナーのUFOキャッチャーにてタコ焼き器が――」
「うるせぇ」
ビスカが店員の放送に苦言を呈して遮る。途端にビスカの声が波状に広がったのか、店員のみならず僕らの近くに居た人々が会話を中断する。一瞬、ゲーム音だけが鳴り響く空間が醸成された。
「あ、ごめんごめん、やったー、うれしー」
明らかな棒読みでビスカが喜びを表明すると、店員は僕らにすみませんとひとしきりお辞儀をしてそそくさと立ち去ってしまった。ビスカの言葉にはこういう魔力があるようだ。声優や歌手よりも政治家の方が向いてるかもしれない。
「ちょっときつく言い過ぎだったね」
ビスカにやんわりと提案する。彼女の言葉にはやすりをかけた方がいい、尖り過ぎだ。
「でも、うるさかったしなぁ」
ビスカは反省はしているけど後悔はしていない様子だった。右手の脇にタコ焼き機の箱を抱えている。




