番外:柴原、朱鷺野の研究室にて
「指摘事項はまあこんなところかな。はい」
朱鷺野先生はそう言って、レポートを返してきた。俺はそれを一礼して受け取る。
相変わらず、朱鷺野先生の指摘は適格だ。彼に見てもらうと、レポートの質が一段も二段も上がる気がする。彼にOKをもらえれば今期の成績も安泰だろう。
「…あ、ところで柴原くん。君に報告したいことがあるんだけど」
「?何でしょう…?」
「僕、結婚することにしたんだ」
「……………ええっ!!??」
予想外すぎて、俺は今しがた受け取ったレポートを取り落としていた。
「せ、せせせせせせ先生が結婚!?」
「…ちょっと、驚きすぎじゃない?そんなに意外だった?」
「ああああ当たり前でしょう!どれだけ美人に迫られても、死ぬほど縁談の話が届いても断り続けて来た先生が、結婚!?」
「僕もようやく仕事が安定したし、二十代も終わりに近づいているし…そろそろかなと思ってね」
せ、先生が結婚。あの先生が結婚…。
「…ち、ちなみに、お相手は?お見合いでもしたんですか?」
取り落としたレポートを震える手で拾い上げたが、
「相手はね、あのひよりちゃんだよ」
俺はレポートをもう一度落とした。
「えっ…ひよりちゃん…?って…まさか…」
「そうそう。去年お狐さまの時にお世話になった、吾妻ひよりちゃん。この夏休みにね、僕は彼女に求婚しに讃岐に行ってきたんだよ。それで、OKをもらったんだ」
そう言って笑う先生の顔は、なんというか…とろけていた。それはもうトロトロに。すりおろした山芋のように。こんな表情の先生、いまだかつて見たことがない。
「まだ彼女は讃岐にいて、しばらく会えないのだけど…そのうち結納をする予定だよ」
「……………先生、吾妻さんに惚れてたんですか?そんなこと、自分には一言も…」
「ほら、去年は讃岐から戻った後、あやかし狩りを断ったことで色々バタバタしていたろう?だから僕の進退がどうなるかわからなくて…彼女への気持ちは表に出さないようにしていたんだ。ごめんね、僕と柴原くんの仲なのに」
「…………」
先生。ずるいじゃないですか。あんなに真面目で健気な女の子、誰だって一度は嫁にしたいと思うじゃないですか。でも、あれだけ仕事してるんだし彼女は地元を離れたりしないだろうなとか、自分はまだ学生だしとか、色々思って俺は彼女をそういう目で見ないように努力してたのに…。
(先生はなんというかちゃっかりしすぎですね!?それに、先生があまりにも女っ気がないから実は女を愛せないんじゃないかとか、俺は内心先生のことめちゃくちゃ心配してたんですよ!?それなのに、こんな大事なことを一言も言ってくれないなんて、あまりにも冷たい…!)
俺は心の中で浮かんできた色んな文句を、ごくんと大きな音を立てて唾と一緒に飲み込んだ。
「そうそう、見てこれ。その時ひよりちゃんと一緒に写真を撮ったんだ。簡単には会いに来られないから、まずは写真だけでも僕の母や妹に見せようと思って」
そう言って、先生は写真を数枚、机の引き出しから出して広げて見せた。
一年前とあまり変わっていない吾妻さんと、その吾妻さんの肩を抱いた先生が、二人ともこれでもかというぐらい幸せをにじませた笑顔で写っている。
「…急にのろけがすごいですね先生。それにしても、吾妻さん懐かしいなぁ。あまり変わっていないですね。元気そうで安心しました」
「うん、元気だったよ。相変わらず仕事熱心だったな」
「そうですか…。そういえば先生、さっき妹って言いました?先生、妹さんがいらっしゃるんですか?」
「あれ、言ってなかったっけ?僕、妹が二人いるけど。妹の写真もあるよ。見る?」
先生は、今度は机の本立てから薄い手帳を取り出して家族写真を見せてくれた。
「二年前に僕が実家に帰った時に撮ったものだよ。母と、二人の妹が写ってる」
「うわぁ、美形と美人しか写ってなくていっそ怖い…!先生の妹さんも、相当な美人ですねぇ」
先生を囲むようにして、二人の美女が写っている。先生と同じように色素が薄めの明るい髪色をしている。目鼻立ちははっきりとしていて、長身だ。その傍に、上品そうな夫人も写っている。この人が先生の母親だろう。年齢の割には姿勢よく、やはり背が高くて美しい。
「ふふふ、自慢の妹だよ。でも残念、二人とももう嫁に行ってるよ。下の妹も去年ようやく嫁ぎ先が決まってね」
「べ、別にそういう意味で言ったわけでは…!けど、先生のお母様の髪の色は、普通の黒色なんですね。先生の見た目はお父様ゆずりなんですか?」
「いや、父も黒髪だよ。だからおかしな話だよね。僕たち三兄妹だけ、突然変異のようにこんな見てくれなんだ。母も昔は不貞を疑われて大変だったみたいだけど、顔の中身自体はちゃんと両親に似てるから、間違いなく彼らの子なんだよねぇ。不思議不思議」
「はぁ…そうですか。本当に不思議なこともあるもんです。先生が吾妻さんと結婚することになったというのも…本当に寝耳に水と言うか」
「そんなに意外かな?結構息は合ってたと思うんだけどね、彼女とは」
「もちろんそうですけど…。でも、どちらかというと兄と妹みたいな関係性だと思っていました。それがどうして急に…まさか去年、自分の知らないところで二人で密通してたなんて言いませんよね?」
「あー………」
先生が遠い目をした。
「えっ、冗談で言ったつもりだったのに、先生…?」
「彼女の名誉のために、僕からはノーコメントで」
(それ、全然名誉守れてません…)
なんだか、予想外すぎていまだに頭の中が整理できない。
「正直今、狐につままれた気持ちです」
「ははは、お狐さまだけに」
「べ、別に駄洒落を言ったつもりはないですよ!?けど、もういっそ先生の前世は狐だったんじゃないかと思えてきましたよ。髪の色といい、少し釣り目の目元といい、異性を惑わす魅力といい、女性に興味ないですみたいな顔しておきながら裏でちゃっかり素敵な嫁さんを掴まえてくる狡猾さ、肉食っぷりといい!」
「その言い草、ちょっとひどくない?」
「結婚式にはちゃんと呼んでくださいよ。というか、吾妻さんがこちらに来たら自分にも会わせてくださいね?自分だって、彼女に会って去年のお礼言ったり、近況を聞いたりしたいです」
「彼女に手を出さないって約束するならね?」
「もっと生徒のことを信用してください!」
「はは。冗談だよ。彼女も君に会いたがっているよ。結納を済ませたらいずれこちらで僕と暮らすことになる。彼女が帝都に来たら、その日のうちに三人で食事をしようじゃないか」
「ぜひ!お願いします!」
「それじゃ、先生。レポートを修正したらまた来ますね」
しばらく先生と雑談をして、ぼちぼちお暇することにした。
「ああ、またね」
俺はレポートを鞄にしまい、先生は机に広げていた写真類を片付けはじめた。その時、自身の家族写真を見て先生がぽつりと、「狐のような顔をした三兄妹…か」と呟いた。
「先生?」
「いや、何でもない。それじゃあまた」
俺は先生の研究室を後にした。
しかしまぁ、なんとめでたい話だろう。あの先生もいつかは結婚するだろうと思っていたけれど、相手があの吾妻さんだなんて…。
(めでたいにもほどがある…!)
自分のことでもないのに、嬉しくて顔がにやけた。二人とも穏やかで優しくて、真面目で仕事熱心で…とにかくお似合いだ。きっとあの二人なら、さぞ素敵な家庭を築くことだろう。生まれてくる子供もきっと可愛らしいに違いない。早く顔を見てみたい…ってそれはちょっと気が早いか。
俺は柄にもなく、鼻歌を歌いはじめた。
今日は本当に気分が良い。
終




