稲富鉄砲隊
その日は朝から雲ひとつなく、弓木の城からも遠く阿蘇海を隔てて、天橋立が海に浮かぶようにと見える。
それでも、けっして真夏ような暑さは感じられない。
未明まで降っていた雨のためであろうか、山々の木々の青さが一層深く鮮やかに動いている。
東曲輪に集まった城の者達は、口々に義定を讃え頭を下げた。
その中を、一色義定、大江越中守と日置主殿介、徒兵およそ百名が、綺麗な隊列を組んで歩いていく。
城方の留守居役を任された者は松田頼道をはじめ、矢野籐一郎、赤井五郎らと、城主稲富直秀、そして新たに家督を命じられた吉原義清改め、一色義清である。
「まったく、祐直に結城をはじめ鉄砲隊の者共はこの大事なときにいったい何処をほっつき歩っているというのじゃ」
日置老人が、見送りのため居並ぶ者達の中に、彼らの姿が無いことに文句を垂れた。
「そう言えば、義兼殿の姿も見えんようじゃが」
越中守の言葉に、老人はさらに語気を強める。
「これも、殿が日頃あの者達に多分に眼をかけ、甘やかしているからでござりましょう。本日城へと戻りましたらこの主殿介、きつく申しておきましょう」
「主殿介殿が叱って下されば、義兄じゃや鉄砲隊も少しは言うことを聞くようになりましょう。まことに持って心強いかぎりじゃ」
こんな重臣達の不満にも、義定は努めて明るく言葉を返した。
一方。その頃滝上山の山頂付近では、昨日よりじっと潜んでいた祐直、桂以下稲富鉄砲隊百余名がにわかに動き出していた。
祐直が率いる主力本体は山頂付近に陣を構え、その一部は山の尾根伝いに海岸の方まで配置されている。
青戸弥平、禅儒坊率いる別働隊は、それぞれ宮津城にほど近い如願寺と秋葉神社まで進出し、前線での一撃を食らわす手筈を整えている。
祐直は本体の射撃手をそれぞれに配置する傍ら、四人で一組の狙撃隊を編成した。つまりは、狙撃手は一人で祐直、桂の他に垣崎新吾や佐波時輔などがあてられた。
残りの三人は、ただひたすらに弾込めをする係となる。そうすることで、狙撃手は五秒に一発の割合で八匁弾を撃つことができ、それが十五人ほどの隊列を成すと、敵もそう簡単には攻めてこれるものではなかった。
「結城、おぬしはわしのそばを離れるでない」
今日は祐直にしては珍しく、桂を自分の側に置いた。
いつもなら、開戦と同時にさっさと位置を変えてしまうのが祐直のやり方でもあったからだ。
稲富鉄砲隊のほぼ全員が配置に着いたときである。海岸線を当主一色義定の一行が隊列を組んで宮津城へと歩を進める姿が見えてきた。
隊列の先頭には大江越中守と日置の老人が馬に跨っている。
その後ろを馬の轡を取る者と小者とを四五人挟んで、烏帽子を被った義定が悠々と馬首を進めている。
これが戦場へと赴くときならば、まず先頭には長槍隊や騎馬隊がいるのであろうが、今日のそれは細川藤孝の見舞いと言うことでもあるのだ、徒兵も百名ばかりが義定の後ろを申し訳なさそうに従っている。
「何と、供はご老体が二人だけじゃと」
祐直がぼそりと呟く。
桂の眼にも、それはまったく無防備な一団として映っていた。
一行が宮津城下への入り口に差し掛かると、細川家の侍が四人ほど迎えに出向いていた。裃は着けているものの、下馬することなく義定を出迎える。
越中守がここで少々言葉を交わした後、再び彼らは緩やかに歩き出し、やがて宮津の城の中へと消えていった。
祐直と桂は眼差しこそ城から片時も離さないものの、鉄砲隊の者には火縄の用意をさせている。勿論それぞれの鉄砲には、すでに弾込めもなされている。
「妙に静かすぎるな」
祐直の言葉に桂も静かに頷く。
当然ここからは城内の全貌を見渡すことなどできるはずもない。
それでも二人は身体中の全神経を眼と耳とに集中していた。とその時、桂が微かな変化に気がついた。
「馬出し虎口の門が開けられたが・・・」
見ると、城の南に面した城門のひとつが開けられ、中より数騎の騎馬武者が出て来るのが見える。
「祐直殿、弓木への伝令はよろしいのか?」
「心配ないわ。何か事が起こり一斉に鉄砲の音がすれば、それが城への合図となろう」
にわかに、祐直は彼の銃を握り締めた。
次の瞬間、突然宮津城より期せずして鬨の声が上がった。同時に、塀という塀には出陣旗が掲げられるのが二人の眼にも見える。
「殿―っ」
それは二人が懸念していたとおり、紛れもなく細川方によって一色義定が葬られたことを意味するものでもあった。と同時に、これから細川軍による弓木城への総攻撃が始まると言うことの合図でもあるのだ。
「古狐め、やはりやりおったか・・・」
桂とは反対に、祐直は以外にも冷静に一言呟く。
祐直は立ち上がるや、稲富鉄砲隊に射撃の許可を与える合図を送った。
射撃手という射撃手が、皆火縄を火蓋へと括りつける。他の者は次の鉄砲の弾込めにかかるのである。
馬出し虎口に続いて、西門が大きく開けられた。
門からは数人の徒兵が雪崩でるようにと走り出て来るのが見える。
何とその徒兵の背中には一色家の旗指物を着けている者がいるではないか。さらにその中を、これまた一人の侍が血だらけになりながら転げ出てきた。
日置主殿介である。
彼は門を五間ばかり出たところで、囲んでいる細川の兵に四方から膾のごとく切り刻まれた。
他の兵とて変わりはない。
槍を手に突っ込む者は弓で射抜かれ、その場に跪き助けを乞う者は容赦なく首をはねられた。
それでも細川軍は、一回も鉄砲を使うことはなかった。
恐らくはこの異変を一色方に知られること無く、一気に弓木城まで攻め上がるつもりなのであろう。
二人の読み通り、直ぐさま最初の部隊が西、南の城門より整然と出てくるのが見える。
十数騎の騎馬武者を先頭に、鉄砲隊と弓隊が後に続いている。全員黒塗りの甲冑を着けた、いわゆる細川軍の精鋭部隊である。
おそらくはこれも、最初から手筈が整っていたのであろう。彼らは別にいきり立つわけでもなく細長い隊列をつくっては、小走りに海岸へと続く道に歩みを進める。
隊の騎馬武者が如願寺の前を渡ろうとした時、稲富鉄砲隊の最初の攻撃が始まった。
青戸弥平率いる別働隊二十人の鉄砲が一斉に火を噴いたのである。
初めの一撃で、細川方の騎馬武者四人が馬から落ちた。残る騎馬武者らも不意を付かれた攻撃に、まずは一旦宮津城へと引き返す。
それでも細川方の鉄砲隊が隊列を組み直すや、弥平の陣に目掛けて鉄砲を撃ち込んできた。
しかし、そこは百戦錬磨の青戸弥平である。細川方の鉄砲隊を十分に引きつけてから、確実に兵の頭を撃ち抜く作戦に出たのである。
初めのうち、この作戦は功を奏した。
それまで戦の中では、槍合わせの代わりとしての銃撃戦が主流だったので、細川の兵にとっては、間近に頭を撃ち抜かれる様に多大に恐れをなしたからである。
しかし、それも次から次へと新手を繰り出す細川方の前に、少しずつ青戸隊との間合いが詰まっていく。
さらに池ノ谷方面からは別働隊の弓隊が迫って来る。
「爺、引け。引くのだ」
滝上山より細川軍の旗が移動するのを見定めると、祐直は心の中で叫んだ。
当然、今青戸弥平の隊を救うために援軍を差し向けることなどできるわけがない。
兵力が分散されるだけでなく、稲富鉄砲隊本体の場所を相手方に知られることにもなりかねないからである。
祐直と桂は奥歯を噛みしめる思いで、滝上山からの戦況を見守った。
やがて細川の旗が如願寺を取り囲もうとした時、別の鉄砲隊の音が一斉に鳴り響いた。
秋葉神社に潜んでいた禅儒坊率いる別働隊が駆けつけたのであろう。細川方の旗指物が逃げるよう左右に大きく分かれていくのが見える。
これまた別働隊の存在に、細川方は随分と慌てているようである。
しかし、これとてそう長くは続くわけではなかった。
一旦隊を本妙寺まで引いた細川軍は、弾除けの竹襖を先頭に、再び三方から如願寺へと迫って来る。
「爺、今じゃ。引き時は今ぞ」
祐直は、今度は声にもならない声を絞り出した。
二つに別れていた稲富鉄砲隊の別働隊は、今や如願寺を拠点にひとつにまとまっている。一気に攻め込まれれば、今度こそ助かる道はないであろう。
なおも、細川方の旗指物が如願寺へと近付いて来る。
一瞬の静寂を持った次の瞬間、細川方の鉄砲隊が一斉に寺目掛けて火を噴いた。その数たるや、青戸隊の比ではない。瞬く間に寺からは火の手が上がり、同時に黄色い旗先物で境内は埋め尽くされていく。
「爺―っ、何故・・・」
立ちつくす祐直に桂が慌てて声を掛ける。
「祐直殿、あれに・・・」
見ると、そこには滝上山の斜面を一目散にと駆け上がってくる青戸弥平と禅儒坊達の姿があった。
「弥平―っ、生きておったか」
「祐直殿、どうじゃな、この枯れすすきの技は」
弥平は、その皺顔をいっそう崩した。それに禅儒坊も続く。
「まったく、いつもご老体には驚かされますぞ。何せもういかんと思い駆けつけたら、何と蛻の殻なのじゃから。危うくこっちが餌食にされるところでしたぞ」
「禅儒坊、何年わしと共に戦をしておるのじゃ」
弥平はそう切り捨てると、再び祐直の顔を見上げる。
「祐直殿、これで細川方は堰を切ったようにと、この滝上山へと押し寄せてきますぞ」
弥平は、その黄ばんだ歯を大きく広げて見せた。
「爺はそれを狙っておったのか?」
祐直も東の山裾を見下ろすと、ニタリといやらしく微笑む。
「まさに、望むところじゃの」
その言葉を合図に、稲富鉄砲隊は左右に大きく散会し、山裾より押し寄せる敵兵に対する準備に取り掛かった。
九曜紋を染め抜いた黄色い旗指物は、一度如願寺わきに集結すると、これまた左右に大きく広がる形で滝上山をゆっくりと上って来る。
旗の数からも、それは裕に五百を超えている。
そして、その後ろにはさらに新手の隊が如願寺周辺にと集まりつつあるのが見える。それに加え、先に城を出た騎馬を中心とした別働隊も、海岸線より回り込もうとする姿が伺える。
桂はそれを察するや、素早く指示を与えた。
「新吾、数名を連れて北の尾根を下り、弓隊の援護を致せ」
確かに迂回路となる海岸線には、別に弓隊を伏せてある。
しかしこれとて突破されるのは時間の問題であろう。鉄砲隊には、敵の部隊を率いている大将首を狙わせようというのである。
命令を受けるや、垣崎新吾と数名は一目散にと山を駆け下りた。
いっぽう、弓木の城も動き始めた。
東の彼方より聞こえる無数の鉄砲の音に、城の中は混乱した。が同時に、義定より命を受けていた一色義清は冷静に城の守備を固める下知をすると、自らは馬に跨り曲輪の中を駆け回っている。
「義清殿、これは如何なることですか?」
矢野藤一郎が血相を変えて近づいてくる。
「如何なることかじゃと。おぬしにはあの鉄砲の音が聞こえんのか!」
勿論藤一郎だけではなく、城にいる誰もが東の彼方より聞こえてくる轟音に驚き慄いているのである。
義清はそんな藤一郎の顔色をいち早く察した。
「殿の御身に万が一のことがあったということじゃ。おそらくは、すでに細川の手に掛かっているやもしれん」
「何ですと?」
赤井五郎は力なく、その場へとへたり込む。
その間にも義清は次々と下知を飛ばしていく。
如何に義定より事前に聞いていたとはいえ、そういう意味では義清もまた、戦国の世を渡り歩くひとりの武将といえよう。
「善明、騎馬隊はまだか。用意でき次第、文珠の先まで出張るぞ」
命を受けた近藤善明は、すでに甲冑に身を固め、その手には騎馬用の二間槍を抱えている。
「義清殿、文珠の先まで出張るとは如何なるおつもりか。まさか、大将自らが城を出て戦われるということではござるまいな」
松田頼道が義清の馬の前に立ちはだかろうとする。義清もまたいきり立っている。
「頼道、道を開けい。今戦わずば、一色家の名が廃るわ」
それでも、なお頼道は馬の轡を取ろうと必死に手を伸ばす。
「義清殿がいなくなられた城を、誰が守ると言うのでございまするか?」
「頼道、わしも同じ気持ちじゃ。義定殿がおられなくなったこの城の、今更何を守るというのか」
「ですが、この城にはいまだ幾百人もの丹後の民がおりまする」
一歩も引かない頼道に、義清は吐き捨てるように唸った。
「たった今から一色家は、この一色義清が殿の後を継ぐこととする。頼道、皆にそう伝えよ」
さらに大声で加える。
「頼道、城に残る民百姓、それに女子供は速やかに落とすのじゃ。戦える者はわしと供に参るか、この城の守りを固め籠城いたせ」
義清の最初で最後の下知を聞くや、松田頼道は矢野藤一郎に指示をする。
同時に曲輪の中を右往左往する者達を集め、本丸裏手にある退き口より西へと落ちさせる支度をさせた。
もちろんこの頃には城の誰もがこの大いなる異変に気付いていたため、比較的混乱のないまま彼らは城より退出することができたのである。
頼道はなおも義清に尋ねる。
「して、藤の方様は如何いたしまするか?」
「細川の姫か、心配いたすな。すでに宗雄が城の外へと連れ出しておるわ。今頃は海より船で宮津の城へと向かっておる頃じゃ」
事実、一色義定が弓木城を出立して間もなく、城の北門より藤の方こと伊也姫は小西宗雄と共にこの弓木を後にしていた。
表向きは義定一行を、野田川を超えた当たりまで出向き、姫自らが見送るということにはなっていたが、その真実がどこにあったのかは定かではない。
義清は自らの周りに集まった五十騎程の武者たちを見回すや、馬上で太刀を抜き放ち、それを高々と頭上にかざした。
「皆の者、亡き殿の弔い合戦じゃ。一人でも細川の兵を道ずれに、宮津まで突き進むのじゃ。よいか、生きて弓木には戻るまいぞ」
この言葉に、吉原城より義清と共に登城した兵たちは大いにいきり立ったが、細川との戦を何度も切り抜けてきた弓木の者たちはむしろ閉口した。
「たった五十騎で何ができるというのか」
頼道は喉元まで出かかっていた言葉をぐっと飲み込んだ。
「頼道、稲富殿と共に城の守りを頼んだぞ。わしらが細川の兵を食い止めている間に祐直達の鉄砲隊も駆けつけるであろう」
「義清殿、本気でそう思っていらっしゃるのか?」
城を顧みず、自らの死に場所を求めに行こうといきり立つ義清に、頼道は愚痴のひとつも投げかけてやりたいと思った。
しかし、その言葉がもはや何の意味も持たないことを知っていた彼は、やはり奥歯を噛みしめるようにとその言葉を腹の中へと収めた。
そして、最後の一騎が城門を抜けると、義清を先頭とした一色家の騎馬隊は一団の塊となって野田川を渡り海岸線を走っていった。
門兵がその後姿をいつまでも見ている。
「松田殿、城の守りは如何するおつもりか?・・・」
力無く赤井五郎が尋ねる。
「如何いたすも・・・」
この期に及んでは、頼道とてすでに為す術がないことを心の何処かで確信していたのであろう。
それでも頼道は、城代でもある稲富直秀を城の総大将とし、来る細川との最後の一戦に備えての準備をするよう提案した。
直秀にしても、すでに勝敗は見えている。
城の主二人を失っただけではなく、実質この城を守ってきた祐直ら稲富鉄砲隊まで、今はその安否すら計り知れないのである。どう転んでも、弓木城に残された兵達に勝ち目などあるはずもなかった。
「弓を持て。東曲輪の鉄砲狭間からは弓で応戦する。残りの者は各建家の壁に薪を積むのじゃ」
直秀が静かに指示を伝える。
「薪は如何なされるのですか?」
領民達を落とした後に戻って来た、矢野藤一郎が怪訝そうに尋ねる。
「もし細川の兵が城の門を開けたならば、薪に火を点けるのじゃ。さすれば城に戻ろうとする我が鉄砲隊に、すでに城が細川の手に落ちたことを知らせることにもなろう」
「直秀殿・・・」
頼道と五郎、藤一郎は立ったままの姿勢で涙を流している。とその時、東の空よりいま一度折り重なるような銃声が聞こえて来た。
「鉄砲隊もまた、必死で細川の進撃を食い止めようとしているのであろう」
直秀は不安そうな面もちで、東に位置する妙見山の稜線を眺める。
それはけっして普段は見せぬ、父親としての優しい眼をしているようにも思われた。




