密命
「若狭の元明殿が切腹を命じられたとのことじゃ」
今日も日置老人の一言で弓木城の評定が始まろうとしていた。
八月に入り、ここ弓木城も幾分海から渡る風が、秋の気配が運んでくるようになってきた。
空は夏のそれよりも一層高く感じられ、夏の雲に混じって鰯の鱗のような紋様をした白い塊が天のほぼ中央に張り付いている。
「宮津城の細川殿も、明智方からの誘いを断る意を示す形で剃髪しておったそうじゃ」
矢野藤一郎の言葉に小西宗雄も続く。
「それどころか、正式に家督を息子の忠興殿に譲ったということじゃ。物見に出掛けたとき、城を開け放っておったのも、細川方に戦う意志のないことを示すためだったのであろう」
「とすると、弓木の城がとった出陣旗と言うのは、織田方にとっては如何に取られることになるのであろうかのう?」
赤井五郎が何気なく呟く。
触れてはならない話題に、皆の顔が一瞬にしてまた曇る。
「何れにしても、今はただ織田方の対しては恭順の意を示すしかないであろう」
義兼がまとめたところで、本日の評定も終わりかけようとしていた。
いつもなら、必ず一言付け加える越中守ですら、今日は静かに頷いた。
と、突然義定が口を静かに開いた。
「実は、吉原の叔父上をこの弓木へと招こうと思うのじゃが、皆の存念を聞かせて欲しい」
一瞬にして、また場内には緊張した空気が張り詰める。
義定が口にした吉原の叔父上とは、丹後半島の中央に位置する吉原城が城主、吉原義清のことである。先の国主一色義道の実の弟でもあり、義定とは叔父甥の関係にあたる。
この事に、真っ先に反応したのは義清とは犬猿の仲で知られる日置主殿介である。
彼は年甲斐もなく狼狽えるようにうわずった声で義定に嘆願した。
「何を今更、戦知らずの義清殿をこの弓木へと招く必要がございまするか。今は、義定殿のもと、家臣が一団となって事に対するが肝要かと存じまする」
松田頼道が一歩進み出るように片膝を前に押し出すと、義定を直視する。
「殿がそのように申すのであれば、何かお考えあってのこと。それを我らにもお聞かせ下さりませ」
「殿、何か織田方より書状が届いたのではございませぬか?」
義兼の言葉に、場内はどよめいた。
義定は努めて明るい表情を作ると、懐から一通の手紙を取り出した。
差出主は細川藤孝からで、今はその名を幽斎と改めたらしい。
「実は宮津の義父殿より書状が届いたのじゃが、義父殿は今重い病に伏しているそうなのじゃ。手紙には、命尽きるまでに一度会いたいと書かれておる」
「殿、それは細川殿の罠に相違ありませぬ」
真っ先に大江越中守が声を荒げる。しかし、場内の皆にはその言葉よりも、祐直が発した言葉の方が先に耳を支配した。
「やぱり宮津の大狐が動いたは・・・」
それでも桂は静かに分析している。
なるほど、越中守が言うとおり、細川幽斎からの書状の中で言う重い病に伏しているというのは恐らくは嘘であろう。そうなると、幽斎が義定を宮津城へと呼び出す理由はただ一つ。
若狭の武田元明と同じく、此度の争乱にかこつけて、丹後一色家の統領を亡き者にしようと画策しているに違いなかった。
かといって、義父からの招きを無下に断ることなどできようはずもない。
つまりは、義定は自分に万が一のあることを考えて、次に一色家を継ぐことになる者を、今の内に弓木城へと入れておこうと考えたのであろう。
桂は姿勢を義兼の方へと向けると、ひとつ静かに一礼した。
その仕草に、義兼は扇を手にするや、それで自分の膝をひとつぴしりと叩く。
「方々、お静かに願いたい」
場内は一瞬にして、水を打ったように静まり返った。その中を桂が静かに言葉を発する。
「何としてでも、今は一色家の存続を考えるが肝要かと存じまする。その為には、書状の真偽、城に残る者の備え、家督の継承問題を急務とし、一方羽柴殿には当家が二心無きことを伝えて参るべきかと存じまする」
「しかし、義清殿だけは・・・」
最後まで駄々をこねた日置老人ではあったが、評定は結局、桂の言葉をもとに、それぞれがそれぞれの役割を分担することとなった。
書状の真偽については矢野藤一郎と小西宗雄とが当てられたが、これとて弓木の城にあっては探りようがないことは明らかである。
次に当てられし城の備えは、意外にも稲富直秀と祐直親子が買って出た。
城代の直秀が城の備えを、息子の祐直が城外で戦うときの備えを、それぞれ担当することとなる。まさに、久々に活躍する場を得た祐直と稲富鉄砲隊と言うところであろう。
吉原義清を迎えに行く役目は、義定自らが義兼に命じた。
残った大江越中守と日置主殿介は、二人とも義定と共に細川幽斎の見舞いの供をすることで何とか納得をした。
「結城、此度のおぬしの意見は見事であったぞ」
祐直は言葉弾ませるように桂を労うと、彼の銃を片手に眼をきらりと輝かせる。
なるほど、差し詰め久々に祐直にとっては水を得た魚というところであろう。言うなり彼は足早にそこを後にした。
誰もいなくなった評定場には、いつの間にかどこからか一匹のキリギリスが迷い込んで来ては、少しばかり早い秋の気配を音に変えていた。
その夜、当主の一色義定は、彼の別室に稲富義兼と結城桂を招いた。今宵は、この二人の他には誰も座していない。
義定はおもむろに腰から脇差しを抜くと、それを二人の前へと置く。
「これは、今は無き大殿が形見の脇差しである」
義兼は両手を着くと、軽く頭を垂れた。
「恐らくは、此度わしは宮津の城より戻ってくることは無かろう」
「殿・・・」
義兼と桂は立て膝をつくように、義定へとにじり寄る。
「そこでじゃが、二人にひとつ頼みたいことがあるのじゃ」
義定は丹後の絵地図を広げると、その一点に胡桃の殻を伏せた。それは、弓木のはるか南西に位置する権現山当たりを示している。
「ここに、何か?・・・」
「山の南麓に小さな神社と母屋が建っておる。神社の名は鎌倉神社じゃ」
義定の言葉に、桂が続く。
「ではそこに、大切なお方がいらっしゃるというのですか?」
「さすがは結城じゃな、話が早い。その者にこの脇差しといくらばかりかの家宝を渡し、他国へと落としてほしいのじゃ」
「落とす・・・とは、どういうことにござりまするか?」
義兼にはまだ話の全容が掴めていないらしい。
義定は、ふっと遠くの方を見つめるような仕草をすると、心なしかその顔に笑みを浮かべた。
「行き先は、祖父の河野通泰殿がおる伊予国が良いかもしれんな」
「殿、そのお方の素性をお明かし下さいませ」
桂はすでに自分達に課せられた任務が重大であり、かつ一筋縄ではいかないような内容であると理解している。
義定は右の袖をたくし上げると、二の腕に付いた刀傷を二人に見せた。
「これは、大殿が亡くなられた先の中山城での戦でできた傷じゃ。大殿は沼田幸兵衛の裏切りによりお果てになられたが、実はわしもそこにおったのじゃ。大殿はわしに後を追うことをお許しにはなられず、ご自分一人で責任をお取りになられた」
義兼達が初めて聞く、一色義道の最後の時であった。義定はさらに続ける。
「大殿にはわし以外にもお子がおられてな、名を右馬三郎範之という。つまりはわしの弟じゃ」
横で目を丸くして聞いている義兼に、義定は思わず眼を細める。
「義兄じゃが知らぬのも無理はありませぬ。範之殿は家督相続争いを避けるために、幼くして寺へと預けられておったので、家臣の中にも弟を知る者はほとんどおらぬのです。しかし父の命により、ちょうど範之の元服と合わせて寺より戻したところに、細川、明智軍が攻め立て国人達が寝返ったというわけじゃ」
「では、寺にいるというのはその範之殿ということに・・・」
「その通りじゃ」
どうやら義兼にも、やっと事の状況が呑み込めたらしい。
「丹後における一色家の血筋は、わしで絶えるやもしれん。しかし、いつの日か必ずや一色の名をこの世に再興させることこそが、今のわしの願いじゃ」
「範之殿のことをお明かしにならずに、叔父上にあたる吉原義清殿を殿の跡目に据えたのも、ひとえに亡き大殿のお血筋を引く範之殿を落とさんがためのこと、でございまするか?」
桂の言葉に義定は微笑むようにと眼を細める。
「義兄じゃ、結城、頼めるか?」
「この命に替えましても、必ずや・・・」
義兼は義定の手をしっかと握りしめた。桂は両手を合わせ、深々と頭を垂れた。
それから数日が過ぎ、いよいよ一色義定が宮津の幽斎こと細川藤孝を尋ねる日が九月の八日と決まった。
今日も遠く若狭の海には、夏の終わりを告げる遠雷が鳴り響いている。




