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背信の姫君  作者: 新熾イブ
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君に告げるファンタジア



 ――近頃、王城の空気がどうにも不穏だ。


 どうやら隣国であるマタン公国との国交の雲行きが怪しいらしい。近いうちに戦争になるのではないかという噂さえも飛び交うほどだ。


 又聞きだから本当かは知らないが、カイ王子殿下の王位継承に、マタン公国が難色を示したのが原因だとか。


 カイ様はティナとは違い、徹底的にライラを信仰している。この国を救ったとされるライラを崇拝し、ライラこそが絶対的な唯一神であると高らかに主張する男。


 そんなカイ様が、太陽神を信仰しているマタン公国に改宗を求めようとしているという噂が出たのだ。


 マタン公国は、夜の女神を信仰するノーチェ王国とは違い、太陽神の恩恵を受ける国。


 本来なら疾うに戦争が起こってもおかしくなかったけれど、夜の女神も太陽神も、争いを良しとしない神。だからこそ、信じる神は違えど互いを尊重しようと、今までなんとか上手くやってきたのだ。


 それなのに改宗だなんて、マタン公国にしてみればそれは太陽神への侮辱にすぎない。最悪の場合、間違いなく両国は戦争になる。公国がカイ様の王位継承を嫌がるのも当然だ。


 噂程度で何を馬鹿な、と言いたいのも山々だが、カイ様ならやりかねない。


 この状態のままカイ様が即位すれば、それはマタン公国への宣戦布告になってしまう。


 カイ様が王位を継ぐためには、マタン公国が抱くノーチェへの不信感を払拭する必要がある。そして、そのための駒として一番有効なのは――ティナ。


 ティナが友好の証としてマタン公国へ嫁げば、きっとこの問題は解決する。そしてティナも、おそらくそれを分かっている。


 しかしそれでは、もしこの先カイ様が本当に改宗を求め、両国がまた仲を違えた時、ティナにはまず間違いなく地獄の未来が待っている。



「ねえ、フォス。私……どうしたら良いと思う?」


 口許に微かな笑みを浮かべ、俺の部屋へ押し掛けてきたティナはくたりと首を傾げた。彼女の金髪が静かに揺れる。


 ――国のためを想うなら、彼女はマタン公国へ行くべきだ。ティナも王族に生まれた身として、それが最良だと自覚している。それが、王族に生まれ民衆に敬われることへの代償だ。


 七年前、その身をもって城内の派閥争いを鎮めた彼女なら、一番に思い付くだろう和平の方法。


 それなのに、彼女はあえて俺に、どうすれば良いかと尋ねてきた。その意味が分からないほど、彼女の気持ちが汲めない近衛騎士ではないつもりだ。



 ――『フォスがくれるなら、たとえどんな言葉だって、それは私にとっての正義になる』


 これが彼女の口癖だ。


 だからこそ、彼女はきっと、俺に止めてほしいと思っている。正義だと信じる俺がティナを止めれば、彼女の中で公国への拒絶を正当化できるから。


 それが分かっているのに――否、分かっているから、だろうか。


「なあ……ティナ」


「なあに?」


 少し、試してみたくなったんだ。


「俺が、この国のために自由を捨てろと言ったら……どうする?」


 彼女の望むものとは正反対の、酷く残酷なその言葉。


 彼女の瞳が、一瞬だけゆったりと細められた。桜色の唇が、酷く柔らかく笑みを描いて。


「それを」


 濃い夜を思わせる瞳が、星を灯して静かに煌めく。


「フォスが望むのならば」


 その瞳に、迷いの色はなかった。


 俺が本気で国のためにマタン公国に嫁げと言ったら、彼女はそれを正義として受け入れるだろう。


 王女と騎士。立場で言えば、絶対的な決断権を持つのは王女である彼女だ。けれど彼女の優先順位はいつだって俺が一番で、俺の言葉に異を唱えるようなことはしない。彼女をそういう性格にしてしまったのは俺だ。


 そんなことは分かっていた。分かっていた上で、試すようなことを言ったのは俺だ。


 ――でも、だけど。


 たとえ俺の言葉が彼女にとっての絶対であろうと、俺の傍に居たいと、彼女の言葉で言ってほしかった。俺の言葉に逆らってでも、彼女の気持ちが聞きたかった。彼女に絶対を誓わせてしまったのは、俺なのに。


 なんて自分勝手なんだと自分でも思う。だけど、俺の言葉が彼女にとっての正義であるように、俺にとっての正義はティナの言葉だけだから。


「……お兄様に進言してくるわ」


 そう言ってティナは踵を返した。ドレスの裾にあしらわれた繊細なレースがひらりと揺れる。


 カイ様は王位に対して貪欲だ。ティナが自ら進言をしたら、その願ってもない好機を逃すわけがない。遅くとも一ヶ月後には、ティナは純白のドレスを纏って教会に立っているだろう。


 そして彼女が偽りの愛を誓うのは、俺ではない別の男。


「……っ、」


 自分で招いたことなのに、その光景に目眩がした。



「――ティナ様」


 今言わなければ、彼女にはきっと未来永劫届かない。その一心で、二人の時には絶対にしない呼び方で愛しき彼女の名を紡いで、その細い背中を呼び止めた。


 振り返り、驚いたように目を見開いたティナ様に跪いて、深く(こうべ)を垂れた。ちょうど、俺達の始まりだったあの時のように。


「俺は騎士です。貴女の願いなら、どんなものでも叶えてみせると誓いましょう」


 俺たちの関係は、決して一方通行のものじゃない。ティナが俺に依存しているように、俺だってティナに依存している。


 彼女が自分の意思で望むなら、俺はどんな愚かな行為だって厭わない。その結果この国がどうなろうと知ったことではないのだ。


 彼女を見捨てた、この国の未来は要らない。俺が守りたいのはティナだけだ。俺は、彼女さえいれば生きていけるから。


 だから、俺と生きたいと言ってほしい。


「さあご命令を、ティナ様」


 彼女は俺を近衛に選んだあの日からこの七年間、一度も俺に命令をしたことがない。それは俺が彼女にとっての絶対で、息をするように俺を崇拝してくれていたから。


 そのことがとても嬉しかった。彼女の心の拠り所でいられることを、心から誇らしく思っていたのも事実だ。だけど心のどこかで、その一方通行に見える関係が寂しいと思っていた。


 だから、今。


 そのお互いが一方通行のような関係を壊して、俺の手を取って。


 身分にも神にも囚われずに、対等な関係になろう。


 たとえばこの選択で、一生十字架を背負うことになったとしても。貴女のための罪なら、俺はそれすら誇りをもって背負ってみせるから。



 僅かに逡巡した彼女の、ティナの瞳が俺をまっすぐに射抜く。彼女が瞳に滲ませる感情の濃さは、七年前のあの日から何も変わっていなかった。


 ああ、この目だ。俺は七年前、どこまでも真っ直ぐなこの瞳に惹かれた。


「……貴方に命令をするのは、これが最初で最後よ」


 その中で瞬いたひとつの星は、決意。


「ノーチェ王国第一王女、アリスティナ・リオ・ノーチェの名において命じます」


 彼女の声が凛と響く。彼女が王家の名を語るのは、きっとこれで最後だ。


 これが、彼女の中での境界線。


「フォスター・カタリル。私を連れて逃げなさい」


 それが貴方のお望みならば、喜んで。


「――王女殿下のお気に召すままに」



 こうして賽は投げられた。


 さあ、逃亡劇の始まりだ。




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