平行線上の未来
「フォス」
「せーんぱいっ」
ある日、馬小屋で馬の手入れをしていた俺に、一組の男女が近づいてきた。俺がティナの近衛になる前、俺の直属の上官だったシランと後輩のキャメリアだ。俺と同じで、空いた時間に馬の様子を見に来たんだろう。
シランとキャメリアは俺とは違い、催事などではカイ様の護衛を勤めることが多い。特にシランはその実直な性格からカイ様に特に気に入られていて、カイ様から絶対の信頼を寄せられている。
見習いだった頃からシランは俺のことを可愛がってくれていて、キャメリアは俺を兄のように慕ってくれていた。
この二人は七年前のティナの真意を知っている。俺がティナの近衛に指名された時、彼らにだけは全てを話したから。
「ティナ様、近々城下に視察に行かれるそうですねぇ。もちろん先輩も行くんでしょ? 良いなあ、あたしも行きたい」
お土産待ってまーす、と語尾に音符がつきそうな声音で笑うキャメリアを横目で見て、シランはそれとは対照的な表情で俺を見据えた。
「フォス。お前もそろそろ、身の振り方を考えた方が良いぞ」
「……身の振り方、とは?」
嫌な予感がした。正直、今の俺はとても微妙な立場にいる。次期国王であるカイ様ではなくティナに忠誠を誓った俺に、カイ様はいい印象を持っていないから。
先程までニコニコ笑っていたキャメリアも笑みを消し、シランの言葉に重ねるように口を開いた。
「そうですよぉ。今はティナ様の側近だからティナ様に守られてますけど、ティナ様が国を出ていかれたら先輩間違いなく孤立しちゃいますって」
「……分かってる」
――そんなこと、誰かに言われなくたって分かっている。
ティナはいずれ、国交の目的でどこかの国へ嫁がされるだろう。それが王族に生まれた姫の運命だから。そうなれば、きっとこの城に俺の居場所はない。
けれど、俺がこうして国に仕えているのはティナのためだけで、それを捨ててしまえば俺には騎士である理由なんてない。
「俺の居場所はティナ様の隣だ。それ以外にはない」
ティナが王城から去るのであれば、それと同時に王城から追い出されたって構わない。
俺の言葉に、素直な後輩はむう、と眉を寄せ、実直な上官はため息を吐いた。
「お前がティナ殿下の傍に居たいのは分かる。だが、お前の未来とティナ殿下の未来は別のものだろう」
容赦なく告げられた、シランの言葉が冷たく突き刺さる。騎士と王女の関係を考えれば当たり前の筈のその言葉は、俺にとっては酷く重たかった。
「……卑怯な言い方ですね」
「事実だろう」
俺の恨めしげな目線を意に介さず、シランは肩をすくめた。俺を見据える深緑の瞳は揺らがず、それが彼の本心なのだと思い知った。
シラン達の言葉が、俺を心配してくれているが故のものだということは理解している。
だけど――
「もー、先輩のことだから、ティナ様を裏切りたくない、なんて考えてるんでしょ?」
「……ああ」
ティナは、人に背を向けられることに敏感だ。かつてティナを慕っていた連中が一斉に手のひらを返した瞬間を、一番近くで見ていた人だから。
「だぁいじょうぶですって、先輩。ティナ様は聡明な方ですから、先輩の立場のことだって分かってくださいますよぉ」
「……それは……」
そう唇を尖らせながら告げるキャメリアに反論できなかったのは、そういったティナの性格を、俺が一番分かっていたからだと思う。
ティナの瞳は、いつだって遠い未来を見据えている。だからこそ、彼女は最善の選択肢を見つけることができるのだ。俺がもしカイ様に靡いても、彼女はきっとその真意を汲んでくれるだろう。
ティナがまだ王城にいる今のうちに、カイ様に媚を売っておく。シランもキャメリアも、俺の今後のためにそうするべきだと思っている。
けれどそれをティナが最善だと思うなら、きっと彼女は俺を近衛にしたりしなかった。
だからそれじゃダメなんだ。
ティナが俺を側に置いておきたいと考えてくれているなら、その想いに背くことはしたくない。たとえそれで、自分の身が危うくなっても。
七年前、彼女が“消えたい”と思ってしまうような全ての出来事から彼女を守ると決めた。他でもない俺が、その出来事を作るわけにはいかない。
「……考えておきます」
彼らに形ばかりの返事を述べて、足早に馬小屋を辞した。
△▽△
「城下の視察とか羨ましーい。あたしも行きたかったなぁ。カイ様も視察に行ったりしないですかね? そしたらあたし達も行けるのに」
絶対に納得していない様子だったフォスを見送って、キャメリアは唇を尖らせた。そんな子供っぽい所作がよく似合う部下に、シランは淡々と言葉を返す。
「カイ殿下は内部の公務でお忙しいからな」
「ですよねぇ。あーあ、残念。……でもまぁ、ライラと王位で頭がいっぱいのカイ様が視察に行くより、賢いティナ様が行った方がよっぽど有意義ですもんねぇ。まあ、視察でティナ様が得たものを、カイ様が参考になさるかは分かりませんけど」
明るく言いつのって、キャメリアはけたけたと笑った。誰がどこで聞いているかも知れないのに、随分と肝がすわっている。もっとも、こういう性格だからこそ、カイ王子はキャメリアを側に置いているわけだか。
「……フォスは俺の忠告に従うと思うか?」
「全く思いませんねぇ。上官だって分かってるくせに。先輩はそういう人ですもん。……馬鹿ですよね。いついなくなるかも分からない王女様に忠誠を誓うなんて」
ふ、とキャメリアは薄く笑った。初めて語尾を揺らした後輩に、シランは思わず苦笑した。
「随分と棘のある言い方だな。――ティナ殿下が憎いか? お前が好きだった男を、今の立場に追い込んだ元凶だ」
「馬鹿言わないでくださいよ。ティナ様のことは、個人的にはお慕いしています。もちろん先輩のことだって、今でも慕っていますけど」
憎いだなんてとんでもない、とキャメリアは明るく笑い飛ばした。笑んだ口許と瞳には、王女とその近衛への確かな思慕が現れていた。
「だけど――」
ふいに、キャメリアの顔から笑顔が消える。彼女の紅い瞳が冷たく嗤った。
「だけど、今あたしが仕えているのはカイ様ですから。私情を挟むつもりはありません。カイ様のご命令があれば……あたしは先輩もティナ様も切れますよ」
「……強かな女だな」
「誉め言葉として受けとりまーす」
ころっと笑みを戻したキャメリアにシランは少し思案顔になり、試すような口ぶりで部下に言葉を投げ掛けた。
「……では、もし――……」