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背信の姫君  作者: 新熾イブ
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あの日の物語



 ――今からちょうど、七年前。


 あの日は、朝から酷い雨が降っていた。


 そして城中を駆け抜ける突然の知らせに、王城はいつもよりざわついていた。


 ――当時13歳だったティナ様が、いきなりいなくなったのだ。


 ダンスのレッスンをする予定だったチューターが王女の部屋を訪ねたところ、もぬけの殻だったことからそんな事態になったらしい。


 しかし、厳重な警備システムが機能している王城から王女を連れ去るのは難しい。あらかた王女様がレッスンに嫌気がさして逃げたのだろうと誰もが思って、探し出そうとする者はいなかった。――実の父親である、王でさえも。


 心配するどころかむしろ、なんて人騒がせな、とでも言い出しそうな雰囲気だ。


 王城で働く使用人は皆忙しい。王女がレッスンから逃げても、探し出すのは自分の仕事じゃない。そう誰もが思って、普段と変わらない日常に戻ろうとした。



「ったく、どこ行ったんだよ王女様は……」


 そんな中で、俺はひとりでティナ様を探していた。


 いくら一国の王女で大人びていても、彼女はまだ13歳。癇癪を起こして逃げ出したくなる時だってあるだろう。俺より五つも年下の彼女を、どうしても放っておけなかった。


 本来なら義務訓練の最中であるのに俺がこうして王女を探していられるのは、上官から特別に許可がおりたからだ。王女を探しにいきたいと言った俺に、探す必要なんてないと思っている上官は当然渋った。


 けれど、俺の王女を心配する言動を否定するわけにはいかない。たとえ王でさえも王女の心配をしていなくても、それは最悪の場合王家への叛意と見なされるかもしれないから。結果、上官は渋々ながらも了承したのだ。


 これで俺がティナ様を見つけられなかったら俺の面子が丸つぶれだし、たぶんけっこうやばいことになる気がする。ああ、くそ。どこだよ王女様は。


 半ば自棄になりながら、だだっ広い庭園を見渡す。何となしに目に入ったのは、庭の奥にぽつりと佇む建物。


「地下倉庫…」


 今ではあまり使われておらず、使用人も滅多に立ち入ることのない場所だ。こんなところには居ないだろうとは思いながらも、ふと気になって倉庫へ足を踏み入れた。備え付けられたランタンを手に取って火をつけ、石造りの階段を照らしながらゆっくりと下って行く。


 灯りでゆっくりと全体を見回すが、やはり誰も居ないようだ。引き返そうと踵を返したところで、奥の方で何か物音が聞こえた気がした。


 そちらに灯りを向けつつ視線をやる、と。



「ティナ様……」


 王城内で行方不明になった王女様が、両膝を抱え込んで座り込んでいた。地下に反響した俺の声に反応して、深い夜色の双眸がちら、と覗く。


「ここにいらっしゃったんですか」


 彼女の姿を確認でき、安堵と呆れの溜め息が溢れた。こんな薄暗い場所、一国の姫君が来るような場所じゃない。


「いつまでもこんな場所に居てはお体が冷えますから、お部屋に戻りましょう」


 雨は上がる気配もないし、よく見れば彼女の髪や肩は僅かに濡れていた。老朽化した天井の隙間から雨水が入り込んだんだろう。早く暖かい室内に戻って髪や身体を乾かさなければ風邪を引いてしまう。


 立ち上がるよう促しそっと手を差し出せば、彼女は気丈に俺の手を振り払った。その藍色の瞳が憎らしそうに爛々と光っている。


「どうして探しに来たのよ」


 深い夜を思わせる瞳が細められ、爛然と俺を睨んだ。王女らしさの欠片もなく、乱暴に吐き捨てた言葉は強い拒絶。


「私はもう疲れたの、もううんざりだわ」


 その気迫と感情の濃さに、思わず差し出した手を引っ込めた。彼女の言葉に、酷く重みを感じて。分かってしまった、彼女がこうして身を隠した本当の意味が。



 ――長い間、王城の官僚達はカイ様派とティナ様派に別れていた。厳格で潔癖なカイ様と、明瞭で聡明なティナ様。王位を継ぐにはどちらが相応しいのか、官僚達の間で評価は二分していた。


 そんな不穏な空気の中で、ティナ様は自ら父王に申し出たのだ。自分には国を担う力はない、次期王に相応しいのはカイ兄様だ、と。


 それを聞いたカイ様派は「それみたことか」とティナ様派を嘲笑い、ティナ様派は支持してきた王女に裏切られたと失望した。今ではカイ様派もかつてのティナ様派も、慕っていたことなど忘れたように、ティナ様を心底馬鹿にしている。


 信頼を失い、王城で孤立したティナ様は、ただ与えられた食事を食べ、与えられたレッスンと国の雑務をこなし、機械のように生きる日々。カイ様にとっても官僚達にとっても、居ても居なくても構わない――否、むしろ煩わしい存在に成り果てていた。


「私が邪魔だって言うなら消えるわよ。誰からも必要とされていないのなら、お望み通り消えてやるわ」


 黒く沈んだ彼女の瞳は、もはや誰のことも信じていなかった。



「――ティナ様」


 けれど、違う。


 ティナ様は、カイ様や王位を継ぐ責任の重さに怖じ気づいて王位を譲ったわけじゃない。


 すべてに失望し、深い哀しみに染まった色で俺を見つめる彼女の足許に、そっと跪いた。


「畏れ多いですが…俺はひとりの人間として、ティナ様を敬愛しています」


 ティナ様がカイ様に王位を譲ったのは、このままでは派閥争いが深刻化し、取り返しのつかないところまで行くと悟ったからだ。


 王族であることに強い誇りを持っているカイ様は、何がなんでも王位を譲らない。カイ様ならきっとどんな汚い手を使ってでも、自分が継承者に選ばれるよう仕組むだろう。そうなれば、巻き込まれる人間が必ずいる。


 だからティナ様が身を引くことが、一番良い解決法だったのだ。そして彼女はそれを十分自覚していた。


 ティナ様の双眸が、ゆっくりと驚きに染まる。そんな彼女に向かって、さらに言葉を重ねた。


「貴女は聡い。潔癖すぎるカイ様より、私欲にまみれた官僚達より、ずっと」


 ティナ様は聡明だ。自分が悪者になってでも、彼女は城内の和平を選んだ。それができるだけの覚悟と度量も持っていた。


 無知で愚かな周りの人間がティナ様を王族の恥だとさえ罵っても、ティナ様は黙って今まで耐えてきたのだ。王族の恥どころか本当なら、彼女こそ王に相応しい器だったのに。


 そんな彼女を、ひとりの人間として敬愛している。


 彼女のやり方は決して間違っていなかった。ただ彼女が思っていたより、世界が残酷で愚かだっただけ。彼女は全く悪くない。


 だから消えるなんて言わないでくれ。



 今まで、自分の人生を国に捧げるなんて、馬鹿げていると思っていた。厳格なだけのカイ様も、権力に靡くだけの官僚達も詰まらない。なぜ騎士の道を選んだのかと後悔するほど、ただただ毎日が退屈だった。


 だけどティナ様は違う。馬鹿な悪臣ばかりが蔓延るこの城で、唯一透明で誇り高い存在に思えた。


 たくさんの人間に「王族の恥」だとさえ後ろ指を指されながらも、ここまで耐えた彼女はあまりに気高い。


 聡明で、明瞭で、決して侵すことのできない光。


「もし、主を選ぶことができるなら…俺は貴女にお仕えしたい」


 まだ新米の騎士である俺は、まだ所属が決まっていない。本来ならそのまま王国直属の騎士団に所属するか王城の警備担当になるかだが、王族の人間が望めば、騎士を自分の近衛として傍に置くことができる。


 だからもし許されるなら、俺はティナ様の傍に居たい。聡くて、けれど脆い、そんな貴女に仕えて、貴女を支えていきたい。

 誰かを守りたい、支えたいなんて思ったのは、俺の人生で初めてだった。


 見習い騎士だった頃、上官に言われたことがある。俺には騎士として必要な、確固たる信念が足りないと。


 騎士は何かを“守る”ことが仕事だ。それが人であれ国であれ、守りたいという気持ちがなければ騎士は決して強くはなれない。


 言われた時は上官の言葉の意味がよく分からなかったけれど、今ならその意味が分かる気がした。


 ――貴女のために強くなりたい。貴女の敵ばかりが蔓延っているこの城で、貴女を守れるように。


 やっと見つけたんだ。守りたい、支えたいと思える主を、やっと。


 貴女の傍に居させてほしい。俺には貴女が必要だ。


「……っ、」


 ティナ様の顔が大きく歪む。夜色の大きな瞳から、透明な涙が一筋流れた。


 ――彼女は実感していた。自分で選んだ道とはいえ、自分が王位継承を辞退したことで信用を失ったことも、父王や兄にさえも愛されていないことも。


 だからこそ切望していたのだ。彼女の真意に気づき、傍に居てくれる存在を。そしてそれを、はからずも俺が満たしてしまった。


「……ふ、っ、」


 彼女の涙の音が、外の雨音と反響する。その静かな音を、しばらく黙って聞いていた。ひとしきり泣いて、ティナ様はゆっくりと指先で自身の涙を拭って。


「――分かった。貴方を近衛にしてあげる」


 ようやく顔をあげた彼女は、すっきりした顔で笑っていた。



 それから、ティナ様は俺に懐いた。宣言通り俺を近衛に指名し、騎士訓練中の闘技場にも度々顔を出すようになった。


 もちろん、そんな彼女に官僚達も騎士達もいい顔をしなかったけれど、ティナは笑顔で彼らを黙らせているんだからすごい。王族に生まれただけあって、その威厳は王にも匹敵するのだ。


「二人の時に敬語は要らないわ。“様”も要らない」


 ある日彼女はそう言った。もしも誰かに見られたらと反論はしたが、彼女は聞く耳を持たなかった。おかげで、今ではすっかりくだけた態度で接している。


「心配しなくても大丈夫よ。もし万が一バレたって、私に不敬な態度で接して、気分を害する人なんて居ないもの」


 これが彼女の言い分だ。蜜柑色のドレスを身に纏い、ふふ、と吐息のように笑ったティナ様。彼女は城中の人間に疎まれていることを、今では冗談混じりに口にできるようになっていた。


 まったく、俺の主は本当に強かだ。



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