炎の使い手
「――ッ! ノクス、下がれ!」
ファルシードはぴくりと身体を震わせ、叫ぶように言い放つ。
羽を広げたノクスは、風を送ることで大きく後ろに飛び退き、甲高い威嚇の声をあげた。
それと同時に、猛火の塊が飛来してきて落下する。
着地点は、先ほどまでノクスがいたあたりで、リディアはぞっと身をすくませた。
特殊な炎なのか、轟々と火柱を上げているそれは、燃え広がることなく縮小し、やがて何事もなかったかのように消えてしまった。
「火……! さっきのモンスターのせい!?」
「いや、毒持ちの虎に炎は使えない。向こうに誰かいる」
ファルシードは舌打ちをして、ぎりと歯噛みした。
「グリフォンめ、旅人を襲う気か……!」
蹄の音が聞こえ、鎧をまとった若い男が森から現れる。
馬に乗ったその男は、赤土色の長髪を後ろでみつあみにしており、どこか育ちがよさそうに見える。
焦げた草と男とを交互に見やると、ファルシードは「アイツじゃない」と眉をひそめた。
「君たち、いまのうちにグリフォンから離れろ!」
男は声を荒げてくるが、リディアにはその理由がわからない。
いま問題なのは、ノクスではなく虎のモンスターなのだ。
ふと草むらに視線を移すと、一ヶ所だけ風と反対になびいている。
「早く退け! ベノムティーグルが出てくるぞ!」
ファルシードが声をあげると同時に、草むらから虎が飛び出してきた。
鋭く光る牙が狙っているのは、馬上の鎧の男だ。
「な……ッ!」
男は虎の存在に気付いていなかったのだろう。
慌てて剣を構えようとしていたが、突然出てきたモンスターにひるみ、バランスを崩してしまった。
ファルシードは身体を捻って剣を投擲し、リディアも祈るように剣の行方を見守る。
「……焼滅しろ」
突如、空を切るように、凛とした女性の声が響き渡った。
途端、赤い炎が地を這うようにベノムティーグルの足元に広がり、円柱状に火柱が上がる。
炎に包まれた影は、掻きむしるように動き回り、断末魔の悲鳴が聞こえた後、すぐ静かになった。
炎はすぐに消え去り、あたりには焦げの嫌な臭いが漂う。
火柱があがった場所には原型をなくした炭の塊と、白い骨の間に刺さる黒い剣だけが残されていた。
「……森を荒らしていたのはこっちか。任務完了だな」
鎧をまとった若い女は下馬し、死体に向かってゆったりと歩む。
突然現れた謎の女は、燃えるような深紅の瞳をしており、金の髪を左側にまとめてゆるいみつあみにしている。
ファルシードと同じか、もしくは少し上くらいの年齢だろう。
背筋をのばし、姿勢よく立つ様は凛々しくて美しく、あたりに漂う空気も引き締まっているようにリディアは感じた。
見下すように焦げの塊を見つめていた女は、躊躇することなく黒い剣を抜きとり、ファルシードにそれを手渡してきた。
「部下が迷惑をかけてすまない。だが、剣は投げるものではないよ。武器がないと君の身が危うくなるだろう?」
物おじせず、にこりと微笑む姿は、まさに不敵といった様子だ。
「お気づかい、どうも」
面倒そうに剣を受け取るファルシードに、女は笑みを崩さない。
そして、リディアとファルシードにだけ聞こえるようにそっと耳打ちをしてきた。
「変わった剣だね。だけど、本当に剣なのかな? それ」
クスッといたずらっぽく笑った女は踵を返し、後からやってきた部下たちに、討伐完了の指示を出していく。
意味深長な言葉にリディアがちらとファルシードの横顔を見ると、彼は睨みつけるような鋭い瞳で金髪の女に視線を送っていた。
――・――・――・――・――・――・――
森の中に、ゆったりとした蹄の音と、鎧がすれる金属音がリズム良く響く。
リディアたちは現在、金髪の女とその部下と共にブレイズフロルへと向かっていた。
彼らはブレイズフロルを拠点とする炎の騎士団の団員のようで、旅人や商人を襲うモンスターの討伐をしに来ていたらしい。
“森は危険だし、行く先は同じだから”と、ブレイズフロルの町までリディアたちの護衛を申し出てくれていた。
「へぇ、そのグリフォン。君が調教したんだ」
金髪の女が馬上から振り向いて、笑う。
彼女は騎士団の隊長をしているとのことで、名をコーネリア・リスミスと言った。
馬に乗せてやると言ってくれてはいたが、ファルシードはそれを丁重に断り、リディアと共にノクスに乗っている。
恐らく彼は、コーネリアを警戒しているのだろう。
今度は、ベノムティーグルに襲われた赤土色の髪の青年、ロベルトが感嘆の声を放つ。
「モンスターがなつくなんて聞いたことないんだが、一体どうやったんだい?」
「別に。どうやるも何も、森で拾っただけだ」
ファルシードの返答に、ロベルトは「なるほど。企業秘密、ってやつか」と笑っていた。
「すごいと言えば、騎士団の皆さんもすごいですよ。あの炎、どうやって出してるんです?」
瞬時に炎を出したり消したりできるなど、見たことも聞いたこともない。
まだまだ知らないことはたくさんあるんだな、とリディアは世界の広さに圧倒されていた。
「皆……? 違う違う。炎を操れるのはコーネリア様だけだよ」
ロベルトは片手をひらひら振って、否定を示す。
――何もないところから、何かを出す。しかも、誰にでもできるようなことでは、ない。それって、ファルの剣やカーティス大神皇の雷と同じ……
リディアが疑惑の目を向けると、コーネリアは明るく微笑んで、そっと剣に触れていった。
「正確には、リスミス家に代々伝わる魔法剣のおかげなんだ。生身の人間が炎を出せるなんて、そんな奇術めいたこと、あるわけないだろう?」
なるほど、とリディアは納得して相槌を打つが、リディアの後ろにいるファルシードは、変わらず疑惑の目をコーネリアに向けていたのだった。