森の中の家
「ひどいよ、なんで勝手に見たの!」
リディアは眉を寄せて怒りをあらわにするが、ファルシードは呆れたように肩をすくめて小さく息を吐いてきた。
「見たくて見たわけじゃない。お互い様だろうが」
その言葉に、ぎくりとする。
過去を覗いたことをうまく隠していたつもりだったが、どうやら彼には筒抜けだったようだ。
怒りは失速し、リディアはしゅんとした様子で、自分を抱きしめるように丸まった。
「ねぇ……お母さんの最期、見た?」
リディアは、蚊の鳴くような声で尋ねる。
彼女が最後に見た母は、気丈に微笑む姿。
そんな母は最果ての地でどのような最期を迎えたのだろうか。
それを知りたいという想いと、聞きたくないという想いが、胸の中でひしめきあっていたのだ。
「いや……最果ての地に着く前、霞みがかって場面が移り変わった」
「そっか……」
視線を落としたリディアは、呟くように言う。
リディアに視線を送ってきたファルシードは、困ったような顔で微笑んできた。
「だが、最果ての地へ行くまで、いつもお前の幸せを願い、祈りを捧げていた。美しくて、いい女で、ジィサンが惚れるのもわかる」
「お母さん……」
左胸に触れて、目をつむる。
“証と共に、いつも側にいる”そう話してくれた母の笑顔を思い出し、リディアの胸は切なさと温かさでいっぱいになっていった。
「そうやっていると、瓜二つだ。親子ってのは、似るモンだな」
ファルシードはすり寄ってきたノクスを撫でながら、何気なくそう言ってくる。
その言葉に、リディアの心臓はどくんと跳ねた。
いい女だと母を褒められたあとに、似ていると言われたことに動揺してしまったのだ。
リディアは言葉を返せないまま膝を抱え、深く考えないように自身に言い聞かせながら、雨がやむ時を待ち続けた。
――・――・――・――・――・――・――
ファルシードの言うように通り雨だったようで、すぐに空は晴れ間を覗かせた。
ノクスに荷物を持ってもらい、時折休みを挟みながら、二人はぬかるんだ道を行く。
足元が汚れるが、そんなことに構ってなどいられない。
約束通り、一ヶ月後アクアテーレにたどり着かねばならないのだ。
「あれ? 煙……」
枝葉の隙間から夕焼け空が覗いており、白い煙が天高く伸びているのが見える。
「民家か。上手くいけば泊めてもらえるかもしれない。行くぞ」
「うん!」
野宿を覚悟していたリディアにとって、これは朗報だった。
木の根より枕の方が、草葉よりもベッドの方が寝心地が良いのは当然だ。
さらには、運が良ければ干し肉よりもマシなものが食べられるかもしれない。
夕闇が迫る頃、二人は一軒の家の前にたどり着いた。
手綱と荷物を外したファルシードは、ノクスを森へと放つ。
彼曰く、ノクスは外にいるほうが居心地がいいらしい。
家の様子をうかがうが、中から声は聞こえない。
たくさん窓があるわりに、灯りが点いているのも一ヶ所のみ。
大きい家のわりに、大家族が住んでいるわけではなさそうだ。
ファルシードが、玄関の扉をノックする。
「どちらさま?」
聞こえてきたのは、しわがれた女性の声だ。
「旅をしていたのですが、道に迷ってしまいまして。宿賃は出しますので、一晩泊めていただけないでしょうか」
普段とは違う丁寧な口調に違和感がぬぐえず、リディアは彼の横顔を凝視する。
すると、見ていたことに気づかれたのか横目で睨まれてしまい、リディアは慌てて視線を外した。
やがて、鍵が外れる音がして、小柄な女性が顔を覗かせる。
上品な雰囲気を醸し出している白髪の女性は、リディアとファルシードを見て、柔らかく目を細めてきた。
「あらまぁ、十年ぶりにお客さんが来たみたいで、嬉しいわ」
「客……?」
ファルシードが眉を寄せると、女性は「夫が亡くなるまで、宿屋だったのよ」と微笑む。
道理で大きい家なわけだと、リディアは納得した。
「さ、上がって上がって」
女主人は久々の客人に心が躍っているようで、テキパキとした動作で家の中へと招き入れてくれる。
玄関の隣には記帳用のためのだったのか、カウンターがあり、奥の広間には、丸テーブルとイスがいくつも並べてある。
ここは、食堂として使っていたのかもしれない。
壁にかかっているいくつもの風景画は、この女主人の趣味なのだろうか。
柔らかな色合いが、彼女の雰囲気とぴったり合っている。
宿の中を初めて見たリディアは、物珍しさにきょろきょろとあたりを見渡しており、ファルシードにため息をつかれていた。
「私は、エマ・オレット。独り暮らしだから、気兼ねしないでいいわ。お部屋は一つでいいかしら? あなたたち、駆け落ちでしょう?」
ふふふ、とエマはいたずらっぽく笑う。
ファルシードは無言のまま目を丸く見開き、リディアは「違います!」と慌てて弁明した。
「あら、そうなの? てっきり駆け落ちかと」
残念そうなエマに、ファルシードはやれやれとばかりに頭を抱え、口を開く。
「俺の名はファルシード。この娘、リジーの護衛です。ブレイズフロルの町まで送るよう依頼されていまして」
唐突に出てきたリジーという名に、リディアは首をかしげる。
だが、慎重なファルシードのことだ。
念には念を入れて偽名を使っているのだと、思い至った。
「あらあら、そういうことだったのね。炎の騎士団にお知り合いでも?」
「ええと、兄がいるので、会いたくって」
慌てて言い訳を作るが、エマはそれを信じてくれたようだ。
「私たちの出会いもきっと、ネラ様の思し召し。どうか、ゆっくりなさってね」
エマは雪の結晶の形をしたペンダントにそっと触れていく。
それは、ネラ教会のシンボルであり、熱心な信者の印だった。