旅立ち
逃げ延びろと言うライリーに、リディアは真剣な表情でうなずく。
まだ道はあるのだ。全てを諦めるには早過ぎる。
「リディアさん。左手をお借りしてもいいですか?」
唐突に、側にやって来たカルロが微笑みかけてくる。
リディアは疑問を抱きながら、言われるがままに手を差し出した。
すると、それに引き寄せられるようにカルロ、バド、ケヴィン、ライリーが次々とリディアの左手首にあるブレスレットに手を重ねていく。
「本来は雪のペンダントで、ネラ神に祈るところなんだろうがなぁ」
「そういうわけにはいかないっスからね~」
ライリーは苦々しく笑い、バドはあっけらかんと言う。
「それなら、千年前に信仰されていたという神々の一人“海の女神”にでも祈っておきましょうか」
カルロが提案すると三人はうなずいて、祈りの言葉を唱えはじめた。
もちろん最後の言葉も“二人に海の女神の加護を”で締めくくられ、リディアも同じように団員たちの無事を願って祈り、微笑んだ。
「キャプテンのぶんも、やりましょうか?」
必要物品をノクスにくくりつけているファルシードに、カルロはいたずらっぽく話しかける。
ネラ教嫌いの彼が、教会の祈りの言葉を借りるなど、絶対にするはずがないとわかっていたのだろう。
「いや、俺はいい」
準備を終えたファルシードは、立ちあがって言う。
「なんでっスか! せっかくだからやりましょうよ」
「バド。無理強いはするものじゃない」
「えー! だってさぁ」
むくれるバドをケヴィンがたしなめ、ライリーはいつものように笑っている。
教会の船がすぐそこにいるというのに、いつものようにのん気な団員たちにつられて、リディアにも笑顔が浮かんだ。
「おい小僧。少しくらい時間貸してやれよ。おれらの気休めにもなるだろ」
ライリーが説得を試みると、ファルシードは無言のままメインデッキの左舷側に向かい、ポケットから何かを取り出した。
新緑の森を凝縮したようなそれは、翡翠のブローチに見える。
「どうせ気休めをするなら、正しいやり方のほうがいいだろう」
ファルシードは目を閉じ、歌うように短い言葉を小さく唱え、そのまま宝石を海へと投げ入れた。
「んな! 何もったいないことしてんスかぁぁっ!」
バドは、海に消えていった宝石を追いかけて船のへりにある手すりから身を乗り出し、他の団員たちはファルシードの奇行に目を見開いていた。
「海の女神も女。対価なしに願いを聞くほどお人好しじゃない。願掛けには、貴金属を捧げるのがしきたりだ」
ファルシードは淡々と話しながら、“行くぞ”とリディアを呼んでくる。
だが、リディアは彼の行動に驚いて、立ちつくしていた。
自身の過去に繋がるような話題を避け、はぐらかし続けてきた彼が古代言語を唱え、“誰も知るはずのない祈祷法”について語るなど、とても信じられなかったのだ。
「ちょっと! さっきの呪文みたいなのって、何なんスか!?」
「どうして消滅した信仰のことを知っているんです……?」
動揺はバドやカルロ、他の団員たちにも広がっていく。
一方の彼は落ちつきはらっていて、ノクスの前で小さく息を吐いて振りかえってきた。
「それを聞きたきゃ、一ヶ月後アクアテーレまで来い」
ファルシードは、得意気に鼻で笑いノクスに飛び乗る。
“行け”と足で合図を送られたノクスは駆けだし、団員たちの合間を縫っていく。
「え!? ちょっと、ねぇ、まさか嘘でしょ!」
リディア目がけてノクスは猛スピードで駆けてきて、リディアは慌てはじめるが時すでに遅し。
気がついた時には乱暴に抱き上げられ、ノクスに乗せられていた。
「キャプテン、そりゃないっスよ!!」
下からバドの叫び声が聞こえる。
ノクスはすでに宙に飛び立っていたようで、真下には船と海とが見える。
地団太を踏むバドの隣でケヴィンがくつくつと笑っており、カルロは“やられた”とばかりに苦笑いをし、レヴィはリディアたちに向かって大きく手を振ってくれていた。
「うっし、小僧たちも準備はできたな。テメェら良く聞けよ! 団長命令を下す」
ライリーが、船中に聞こえるほどの大声で言う。
フライハイトの団員たちは皆、ぴしりと背筋を伸ばし命令を待つ。
「錨をあげろ! 全員無事に、アクアテーレへ!」
「アイサー!」
白く包まれた海霧の中、団員たちの声が高らかに響き渡っていた。