心はどこに
ファルシードは顔をしかめて、リディアを見下ろしてきている。
紫の瞳は揺らいでいるように見え、彼の右手は所在無げに宙を掴んでいた。
「……意味わかって言ってんのかよ」
「わかってるよ。だけど、口ばっかりでそんなことする気はないくせに。どうしてファルはいつも、私や皆を遠ざけようとするの……?」
逃げるように視線をそらすファルシードに追い討ちをかけるが、返答は得られない。
それどころか、視線さえ合わないまま時は過ぎていく。
――ああ、そっか。ファルはもう、大切なものを作る気がないんだ。
彼らしくない態度を不思議に思うリディアも、すぐにそう推察できた。
故郷や恩人、自分の余命、自由。
ファルシードはこれまで、大切なものを奪われ続けてきた。
恐らく彼は、二度と何かを奪われないように“持たない”という選択をしているのだろう。
リディアの胸は、ぎゅうと締め付けられるように痛んだ。
仲間がそばにいても、どれほど言葉を尽くしても、彼の心は孤独なのだ。
気の置けない仲間も信頼も彼にとっては、壊れやすい硝子細工のように見えているのかもしれない。
リディアは恐る恐る手を伸ばし、ファルシードの頬にそっとあてた。
ひんやりとした頬の感触も、すぐに手のひらの熱と溶け合い馴染んでいく。
予想外の行動だったのだろう。
ファルシードは目を見開き、無言のままリディアを見つめてきている。
一方のリディアも臆することなく、彼の瞳を覗き続けた。
ここで逃げてしまえば、二度と彼の心に近づけなくなることがわかっていたのだ。
二人は睨み合うように見つめ合い、やがてリディアは困ったように微笑んだ。
「ねぇ、ファル。こんなに近くにいても、“私”を見ようとしてくれないのはどうして?」
その言葉にファルシードは眉根を寄せ、苦しげな表情を見せてくる。
リディアは未だ無言のままのファルシードに対し、畳み掛けるように再び言葉を放つ。
「視線は合ってても、貴方が視てるのは現在の私じゃない。貴方はいま何を視て、何を考えているの?」
――・――・――・――・――・――
「人の気も知らねェで……」
静まりかえった部屋に、舌打ちの音が響く。
わかりたくてもわからないから、教えてと言ったわけで。
人の気も知らないのはそっちも同じだ、と、リディアは内心呆れかえる。
ひねくれた盗賊は、本当に素直じゃない。
ファルシードは頬に触れるリディアの手を乱暴にはがし、自身の手に絡めてソファに縫い付けてくる。
突然の行動に驚くと、彼は痛いほどに手を握りしめてきて、口を開いた。
「黙って聞いてりゃ、勝手なことばかり言いやがって。他人がいらぬ口出しすんじゃねェよ」
苛立ちを感じさせる険しい表情と、身を切り裂く言葉に、リディアは言葉を失った。
心配していたのも全ておせっかいで、側にいたいと思うのも迷惑だったんだ。
そんな想いが一瞬にして、頭の中を巡る。
ズタズタに裂かれた心を抑え、リディアは涙をこらえながら口を開いた。
「他人……そっか……そうだよ、ね。でも、ファルの側に居たかった。ほんの少しでも貴方の支えになりたかったの……」
震える声に苛立つように、舌打ちと深いため息の音が響く。
「ったく……お前、どこまで俺を振り回せば気が済むんだよ!」
二人の一気に距離が縮まる。
目の前にあった端正な顔は消え、視界が開かれる。
その代わりに頬と耳を、硬さのある髪がくすぐってきていた。
リディアが動けないまま固まっていると、背中にまわった手がぎゅうと締め付けてくる。
密着する身体から伝わる体温と彼の香り、首元をかすめる吐息とにリディアの鼓動は強く跳ねた。
言葉と態度がちぐはぐなファルシードに、動揺は止まらない。
彼の心がわからないリディアは、拒絶することもなく固まったまま。
自分の鼓動の音さえうるさく感じ、浅い呼吸を続けるリディアはもはや、息をすることさえも難儀していた。
無言のままのファルシードだったが、深く息を吐き出して、リディアから身体を離していく。
扉を睨みつけている彼をリディアが見つめていると、廊下からうるさいほどの足音が聞こえてきて、勢いよく扉が開かれた。
「キャプテン、まずいことになったっス! ってうわぁ!!」
慌てた声に視線を向けると、そこには顔を赤くして、あわあわと動転しているバドがいた。
「おやおや。お楽しみのところすみません」
今度はカルロが現れ、目が合うと口角を満足気に引き上げてきて。
「――ッ!」
カルロの考えが読めたリディアは、声にならない声を上げて顔を赤く染め上げ、慌ててボタンが外されたベストを手繰り寄せた。
一方ファルシードは冷静なもので、起き上がって二人の元へと向かっていた。
「まずいこと? 何があった」
その問いに、二人は一気に表情を険しくさせる。
顔つきからすると、尋常ではない事態なのだろう。
ソファに座り、リディアもごくりと喉を鳴らし、返答を待つ。
しんと静まり返った部屋、視線を落としたカルロは、苦しげな様子で口を開いた。
「海霧の奥に……ネラ教会の船が見えました」