石に込めた願い
「ここ、座っても?」
リディアの隣を指差してきたカルロは、穏やかな笑顔を向けてくる。
「カルロさん……」
リディアはうなずき、すがりつくように瞳を向けた。
カルロならば、ファルシードの行動理由について、何か知っているかもしれない。
そう思ったのだ。
「そんな顔は似合いませんよ。ほら、笑ってください」
「でも……」
隣に腰かけてきたカルロは「大丈夫ですよ」と、微笑みながら見張り台を見上げ、口を開いた。
「リディアさんのせいじゃありません。キャプテンは昔からずっとああなんです。ただ、ここ最近は特にひどいですけど」
「私がやって来て、迷惑ばかりかけるから、近寄ってほしくないんでしょうか……?」
「いえ、それは絶対にないです。僕が思うに、あれはキャプテン自身の問題なのでしょう。あの人の心の内は複雑なんですよ、いろいろとね」
「心が複雑……? 私には、よくわかりません……」
ファルシードを理解している様子のカルロを羨ましく思い、リディアは小さく息を吐いた。
自分の何倍も、彼の支えになれているように見えたのだ。
「ふふっ、そんなに拗ねないでくださいよ」
噴きだすように笑うカルロに、「拗ねてなんか……!」と、慌てて身体を動かす。
あまりに勢いよく動いたせいで、瓶を倒しそうになってしまい、リディアは慌ててそれを押さえた。
倒れずに済んでホッと息をつき顔を上げると、カルロは隣で含み笑いをしていた。
「それなら、そういうことにしておきましょうか」
――絶対、そんなふうに思ってないよ……
納得いかない、と、口の端を曲げていると、カルロはすらりとした指をブレスレットに向かって伸ばしてくる。
「リディアさん、それ……」
「それ、って、ブレスレットのことですか?」
「はい。正確には、リヒトのほうですね。リディアさんは、キャプテンがなぜその石を選んだのか。わかります?」
「船内にお金がなくて、売り物にするリヒトが欲しかったからで、私のは、そのついでじゃないんですか?」
カルロの問いに即答する。
リディアには、そうとしか考え付かなかったのだ。
だが、カルロは「それは表向きの理由でしょう?」と笑う。
「僕はね、想いをその石に込めているんじゃないか、と、そう思うんですよ。キャプテンはきっと、貴女やフライハイトの仲間たちを疎ましく思っているわけじゃない」
リディアが首をかしげると、カルロはまた見張り台を見上げて微笑んだ。
その横顔は、どこか悲しげなもので……。
そんな表情を浮かべる理由をリディアは察してしまい、はっと息を飲んだ。
――あと、三年……
かつて、カルロが食堂でファルシードに反抗していた時、そんな単語が出ていた。
カルロはその時から知っていたのだ。
ファルシードがもう、長くは生きられないということを。
視線を落としてスカートの裾をきゅっと握る。
喧しいほどにあたりは賑やかなのにも関わらず、二人の間だけは静まり返っていた。
「あのね、リディアさん」
「はい」
顔を上げて彼を見ると、すでに悲しげな色は消えて、いつもの笑みを浮かべていた。
「実は、僕ら三人は最初、紫と緑だけでブレスレットを作ろうとしていたんですよ」
「えでも、これ、皆の色が入ってます」
リディアがブレスレットに手を触れていくと、カルロは柔らかく目を細めてくる。
「キャプテンが、六色入れると言って、聞かなかったんです。あの人頑固だから、もう、そうするしかなくなっちゃって」
「ちょっとその姿、想像できちゃいます」
頑固、という言葉にリディアも笑う。
ファルシードは、こうと決めたら揺らがないし退かない。それにどんなに苦労させられたか、と。
「それで、リヒトって実は、物語性のある石でして。その石をはじめて人に贈ったのは、騎士イアンだと、そう言われているんです」
「イアン様って、ネラ様の護衛をしていたという?」
週一回の聖拝での話で、何度か出てきた人だとリディアは思い返す。
他を寄せ付けない強さと信念を持つ彼は、教典にある物語に出てくる登場人物の中でも、特に人気が高い人物だった。
「騎士イアンは、最果ての地へと向かう愛する娘、ネラに“永遠の絆”を誓ってリヒトクォーツを贈ったのだそうです。そして、彼は最期の時を迎える瞬間まで、暗黒竜に対峙する彼女のそばにいつづけた」
「永遠の……絆」
「そう。その物語からリヒトにはこんな石言葉がつけられました。イアンが込めた願いと誓い……“強い絆”」
放たれた言葉に、リディアの胸は強く揺さぶられた。
これまで考えたこともなかった単語にリディアは喜びを感じつつ、それと同時に、寂しさをも感じていた。
絆を感じてくれているのなら、どうして一人になろうとするの? と。
「あの人は、貴女や団員たちを遠ざけていても、嫌っているわけじゃない。素直になれない人なんですよ、きっとね。それに、もしも石言葉を知らなかったとしても、リヒトを選んだのは貴女を……」
「おーい、カルロ!」
メインマストの方から、明るい声が聞こえてくる。
二人同時に顔を上げると、遠くに大きく手を振るバドが立っていた。
「……どうしてバドは、いつもこうなんでしょうかね」
話の腰を折られたカルロは、呆れたようにため息をついていく。
「なぁなぁ! カルロもこっちに来るっス。カルロなら、何かあってもキャプテンのこと説得できるっしょ? 途中まで昇ったのに皆、怖じ気づいちゃってさぁ!」
バドは大声で叫ぶようにカルロを呼び、頭を抱えたカルロは気だるげな様子で立ち上がった。
「すみません。バドを放っておくと、面倒な事になりかねないもので」
申し訳なさそうな顔をするカルロにリディアは、にこりと微笑みかける。
「行ってあげてください。カルロさんのお話が真実なら、ファルも嬉しいだろうから」
「本当は貴女が行くのが、一番喜んでくれると思いますけどね」
「そ、そそそそんな馬鹿な」
動揺したリディアは、慌てて右手を振った。
「誕生会の夜にキャプテンと二人きりなんて、ロマンチックだと思いません? 僕らの代わりに行って来てはくれませんか?」
「いや、そんな、結構です!」
顔を真っ赤に染めながらリディアは言い放つ。
「そうですか、残念です」
くすくすと笑いながらカルロは、バドのいる見張り台の方へと足を進めていく。
――カルロさんって、本当に掴みどころがないし、勝てる気がしない。
リディアは苦笑いをして、彼の背中を見つめ続ける。
すると、視界の端にライリーの姿をとらえた。
酒をラッパ飲みしている団長は手招きをしており、リディアを呼んでいるようだ。
「私、ですか?」
聞こえないことは分かっているが、リディアは確かめるように呟き、自身を指差す。
すると、ライリーは嬉しそうな笑顔を見せ、大きくうなずいてきたのだった。