水晶の樹とフライハイト
いつの間にか、じわりじわりと足元から水が染みてきて、歩むたびに水音を奏でている。
ケヴィンがランタンをかざすと、先程よりも多く光が返ってきた。
恐らく、リヒトクォーツに反射しているのだろう。
「すごい、何これ!」
広場のようなところへと出た途端、リディアは驚きの声をあげた。
そこは無数の水晶が輝く場所だったのだ。
しかも、中心にあるものは段違いに大きく、不思議なことに大樹の形をしていた。
それは洞窟の天井にまで伸び、伝うように枝を這わせて水晶の葉を茂らせている。
耳を澄ませば、雫が跳ねる音があちらこちらから聞こえてくる。
どうやら葉から雫が零れているようで、その下には、様々な色の水晶が、岩のように佇んでいた。
ケヴィンが樹の根元にランタンを置くと、水を吸い上げるように枝葉の先まで光が宿り、広場全体が黎明のごとく明るくなる。
足元には透明なブルーの水がうっすらと張られており、そこにも小粒の水晶があちこちに落ちていた。
「すごい……」
まるで星の海だと、リディアは感嘆のため息をついて立ち尽くす。
「すっげーだろ! ここにあるの、ぜーんぶリヒトクォーツなんだぜ」
バドが駆けだし、両手を広げて笑う。
「これ、全部が……?」
道理でこの島に魔物が寄りつかないわけだと、リディアは声を失くしたまま納得した。
「さ。そろそろはじめましょうか」
カルロが水晶の樹を見上げながら言う。
「樹を切って、持っていくんですか?」
「いや。あれには手を出すな」
リディアの問いには、ファルシードが答えてきた。
あれが一番大きいのに、と不思議に思っていると、カルロが口を開く。
「あの樹がここのリヒトクォーツを生んでいるんですよ。なので、切るわけにはいかないんです」
「水晶って地下深くの成分が固まったものじゃないんですか? 本でそんなこと書いてあったような……」
「水晶は、ね。でもこれはリヒトクォーツですから。常識はとっぱらっちゃったほうがいいですよ」
カルロはひらひらと手を振って、笑う。
「そっか、変わった石なんですね。それに……」
リディアは、言いかけた言葉を慌てて飲み込んだ。
これを言えば、ただの悪口になってしまう、と思ったからだ。
「それに、なんだ」
言うまいとしていたのに、ファルシードに催促されてしまい、リディアは苦々しい顔をした。
「ええと、盗賊って、人のこと考えずに全部盗んでいくものだと思ってたから……ちょっと意外だな、と。そう、思い、まして……」
リディアは、たどたどしく言葉を紡いでいく。
自分のいる組織の悪口など聞きたくはないだろうが、四人の表情は変わらないままで、ケヴィンが呟くように言葉を発した。
「俺らは、奪ったものによって生かされている。だからこそ、必要以上に奪ってはならない。これは自然界のルールでもある」
「どういう意味です?」
リディアの問いに、今度はバドが、にっと笑って口を開く。
「そのまんまの意味っスよ。生きるためには何かを奪わなきゃいけない。動植物の命もだし、こんな世の中じゃ、誰かの場所や命、金だって。だけど、何でも限りがあるし、もともと俺らのモンじゃないわけ」
「そっか、盗賊とはいえ、自分たちの都合で全部奪うわけにはいかないんだね」
リディアの言葉にバドはうなずき、足元にあった茶色の水晶を手に取って光に透かした。
「それにさ、欲に目が眩んで根こそぎ奪って、自分のモンにしたところで……結局残るのって、なんだ? って話」
石から視線を離して見つめてきたバドの茶色の瞳が、今ばかりは静かで、悲しげで。
リディアは思わず息を飲んだ。
ふと、自分を教会に売ろうとしてきたビルのことを思い出す。
欲望に負け、理想を手にしようと仲間を裏切った彼が迎えたのは……制裁という、死。
そして、団員たちに残されたのは、虚しさだけだった。
「だから僕らは基本的に、貴族からしか金品は盗みませんし、盗むにしても、両手で持てる範囲でしか奪いません。賊とはいえ、調和を大きく乱すべきじゃないですから。ね、キャプテン?」
「ああ」
リディアは、カルロの問いかけに淡々と返事をするファルシードを見やる。
恐らくこのルールを決めたのは、ファルシードなのだろう。
ネラ教会に全てを奪われたファルシードが、教会と深い繋がりを持つ貴族から物を盗み、奪うことにも制限を設けるのは、理解できることのように思えた。
「そっか」
ぎこちなくリディアが笑うと、四人は訝しげな視線を向けてくる。
「あっ、ええとね、私、皆のこと勘違いしてたみたい。ごめんなさい」
“ファルシードの過去について考えていた”などと言うわけにはいかず、リディアは誤魔化すように笑った。
「どのみち俺らは賊だ。盗まれる方からしたら、大して変わんねェだろう」
「そうかな? 確かに変わらないように見えるかもしれないけど、人が大切にしているもの全てを奪っていく人と、フライハイトは違う。私はそう思うよ」
自嘲気味に笑うファルシードを見上げ、真剣な瞳でリディアは言う。
ファルシードの故郷や仲間たち、恩人をことごとく奪い取ったカーティス大神皇と、目の前のファルシードとが同じだとは思いたくなかったのだ。
ファルシードは訝しげにリディアを見つめ返してくる。
「お前、まさか……」
ふと、紫色の瞳の奥がわずかに揺らいだように見えた。
途端、彼は逃げるように視線を反らし、身体をも背けてくる。
一瞬だけ見えた横顔は、何故か苦しげな表情をしていた。
「世間話はもう止めだ」
吐き捨てるように言ったファルシードは、リディアたちを残して遠ざかっていく。
「ファル……?」
リディアは、ざわつく心を抑えて彼の背中に視線を送り、それを見ていたカルロは困ったように額を押さえて、ため息をついた。
「ええと、キャプテンが一足先にはじめてしまったようなので、僕らも本題へと入りましょうか」
その場を取り繕うように、カルロがぎこちなく微笑む。
「本題?」
リディアがきょとんとしていると、カルロは笑顔を取り戻し、水が薄く張られた地面を指し示した。
「ええ。ここに来た目的。石探し、ですよ」