歴史の欠片
「千年前の、話……?」
確かめるようにリディアは呟き、辺りを見渡す。
すると皆、リディアと同様目を見開いて足を止め、カルロに視線を送っていた。
四人がこうなってしまうのは、当然のことなのかもしれない。
歴史の探求は禁忌とされている上、過去に繋がる情報もネラ教会の手によって、ことごとく抹消されている。
実在するかもわからない“ネラの標”を解読する他、歴史を知る術などないからだ。
カルロはゆったりと微笑み、立ち尽くす四人を置いて歩み始めた。
「学者だった僕の父は、ネラの標の数ページを隠し持っていましてね。日夜解読を進めていました」
「ネラの標!?」
リディアは思わず大声をあげていく。
声は幾度も岩肌に反響し、吸い込まれるようにして消えた。
「どうやら面白い話ができているようで安心しました」と、振り返ってきたカルロはくすくす笑い、再び口を開いた。
「あれは決して、空想上の書物ではありません。続きは歩きながらにしましょう。道は長いですから」
――・――・――・――・――
揺らめくランタンの灯りを頼りに、五人は暗い洞窟を行く。
カルロは過去を懐かしむように、ぽつぽつとネラの標について語ってきた。
古ぼけた紙に古代言語が連なっていたことや、わずか数ページを読み解くのに、数十年の年月を要したこと。
さらには、読み解けた部分だけでも、一般に知られていない過去が書かれていたことも。
「“民が知らない過去”というのは、ネラ教会にとって不都合な話、ということだろうか?」
淡々とケヴィンが尋ねる。
「うーん、どうなんでしょう。隠すようなことでもないと、僕は思うんですけどねぇ」
その返答に、ファルシードが食ってかかる。
「んなわけねェだろう。奴らはあの本と歴史を揉み消したがっている」
なるほどその通り、とばかりにカルロはうつむいて考え込む仕草を見せた。
「読み解けた部分だけでは、核心に迫ることができていなかったのかもしれません。モンスターがどこからやって来たか、というお話でしたので」
「やって、来る……?」
リディアは首をかしげて問う。
「リディアさんが疑問に思うのもわかります。現在、モンスターは生殖行動で種を存続させていますから。ですが、かつてはそうではなかった」
「へへっ、昔は“ヨソからやって来てた”とでも言うんスか? ありえねー」
バドは小馬鹿にするように笑うが、カルロの表情は変わらないどころか、真剣そのものだった。
「悔しいですが、今回ばかりはバドの仮説が正しいです」
「は……? どういうことっスか!」
「千年以上前、この世界はモンスターという恐怖で包まれた、恐ろしいところだった、ということです」
そこからカルロが話したことは“異界に通じる歪みが世界中にあった”ということだった。
昼夜問わず歪みから出没するモンスターに当時の人々は怯え、生きるか死ぬかの生活を送っていたらしいのだ。
現世がそうではなくて良かった、とリディアは安堵の息を吐くが、バドは説明に納得がいかなかったのか、眉を寄せていた。
「歪み……ねぇ。ホントにそんなのあったんスかねぇ。あちこち回ってるけど、そんなの一度も見たことねぇけど。なぁケヴィン?」
「ああ」
「ほらな!」
したり顔のバドに笑われたカルロは視線を落とし、考え込むかのように手を口元に寄せた。
「……理由があるって顔だな」
ファルシードが問うと、カルロは「ちょっとややこしい話になるもので」と、困ったように笑った。
「えぇと、僕らが見たことがないのは当然なんです。千年前に、ある男が“歪み”を封じたんですよ。“魔封じの証”という、突然変異の証をもって生まれた男がね」
「突然変異? そんなことってあるんですか!?」
リディアは胡乱な目で尋ねるが、カルロは“さぁ?”と言わんばかりに肩をすくめてきた。
「残念ながら、書かれていたのは“突然変異”とだけ。魔封じの証を持つ彼は世界中を旅し、命を削りながら全ての歪みを消し去ったのだそうです。ちなみにネラの標によると、彼は暗黒竜を封じた娘、ネラ・アレクシアの父なのだ、と」
「そっか……ネラ神のお父さんのおかげでモンスターが減って、世界は平和になったってことですね」
証についての情報が得られなかったことを残念に思いつつ、リディアは明るく微笑む。
だが、カルロは反対に、困ったような顔をしていた。
「確かに平和は取り戻せましたが……それも長くは続かなかったようですね」
「また歪みができたんスか?」
バドの問いにカルロは苦々しく笑い、首を横に振る。
「いいえ。もっとタチが悪いです」
「……なるほど」
ファルシードは、うんざりとした様子で深く息を吐いていき、再び口を開く。
「今度は人同士。そういうことだろう」
その問いに、カルロは険しい顔でうなずいた。
「ええ。人の欲望は、満足することを知りません。今度は人同士で証を武器にした激しい戦争が始まりました。互いに互いの富を奪おうとしたんです」